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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第三話「ネギと炎の料理人」
37/202

スープに一味足りないぞ 6

2017/10/11 表現の修正。









「何これ、広ーい!」


 尖った三角の瞳を大きく開け、キリカは素直に驚きを表した。


 大理石で出来た床も、湯気立つこの空間においては素足でも冷たさなどは感じない。自分の声がよく反響する様も手伝い、不可思議ながらも高揚した気分になる。石に囲まれたこの一室では、身体の洗い流しだけでなく、湯に浸かることも出来る――有り体に言えば、ここは浴場であった。


 大衆浴場に比べれば手狭なものであったかもしれない。だが、十人が同時に使用したところで十分な広さが確保されているとあれば、個人で持つものとしては大き過ぎる。先程こちらへと案内してくれた侍女の他にも、使用人はまだまだいるのだろうと目星がつけられる。


「ああ、キリカちゃん、走ったら危ないっす」


 ぼんやりと考え事をしていたが、ぺたぺたと駆ける少女を追ってカンナは手を伸ばす。彼女自身もこの状況には驚いていたが、困惑の方が勝っていた――どうしてこうなった。昨日から繰り返してきてこの言葉にも、いい加減飽き飽きとしてきたところだ。


「てやーっ!」

「ああ、キリカちゃん、飛び込むのはマナー違反っす……」


 伸ばした手は、残念ながら空を切った。それどころか、赤髪の少女が飛び込んだことで、湯がこの料理人に盛大にかけられる始末。


 旅と呼んでよいのかどうか、一日をかけて王都へとやってきた。その中でわかったことは一つ――勇者に関わる人たちは、自分の理解の範疇には収まらない。そんなところであった。


 半ば押し切られた形で、料理コンテストに出場を決めた筈だ。それが何故、王都でも有数の権力者の家で風呂に入ることになったのだろうか。やはり、どう考えてもこの状況は普通ではない。だが、考えるだけ無駄なのだろうと、カンナは勇者を名乗る少女に続き、湯船に身を沈めた。


「はー……うー、あー……」


 天を仰ぎ、特に意味の篭ってもいない言葉が漏れ出た。頭を浴槽の縁に預ければ、窮屈な白衣に押し込められていた胸は湯船に浮かぶ。どうやって温度を保っているのか、それは彼女にはとてもわからないものだった。ともかく、湯は丁度よい温度で心地いい。一人で浸かっていれば、鼻歌でも漏らしていたかもしれない。


(そう言えば、こうしてゆっくりと湯船に浸かるのはいつ振りっすかね)


 朝も夜もなく働いてきた彼女は、時間が空いたのであれば料理の研究か睡眠に充てきた。しかし湯船に入れば、どうして今まで拒否してきたのかとすら思ってしまうから不思議なものだ。胸を締めつけているものがなくなった開放感も手伝っているのかもしれない。


 大きな胸をアビーは羨ましいと言っていたが、料理人として生きる上では邪魔にしかならない。単純に作業へ支障を来たすし、男共の下卑た視線に晒されねばならない。むしろ、親友の人好きする笑顔の方が授かりものだとばかりに思う。


「ワハハハ、広い、広いぞ!」


 ぼんやりとしていたカンナの思考を声が裂く。ご機嫌な様子のキリカがジャブジャブと泳ぎながら彼女の元へと進んでいるのだが、頭だけを水面から出しているその様は正に犬のそれであった。


「キリカちゃん、湯船で泳ぐのは……まぁ、いいっすか」


 どうせ他には誰もいないのだ。よくよく考えれば、彼女も半ば寝っ転がっているような姿勢をしていたことを自覚して、言葉を呑んだ。


 これだけの施設を、たった二人のために気前良く貸してくれる――あの老人は多少騒いだくらいで怒ることはないとも思えた。それくらいの度量がなければ、今もなお英雄と呼び称されてはいない――そのくらいの期待はしても、罰は当たることはないだろうとカンナは何とはなしに感じていた。


「カンナの姉ちゃん、あの爺ちゃんはいい人だと思うか?」

「そうっすねぇ……」


 泳ぐのは飽きたか。彼女に倣ってキリカは浴槽にもたれかかる。反響する声を聞きながら、腕組みをして考えてみる――金髪の騎士に連れられた先は、大英雄ヴァリスナードの屋敷であった。国の情勢に疎いカンナであっても、流石にその人物の名は幾度となく耳にしていた。


「何と言うか、吟遊詩人が語るまんまの人物っすね」


 豪放磊落かつ堅牢無敵、生きる英雄譚とも言われる老人を見て驚いた。もう一つ言えば、その人物と自分の師が友人関係にあるとは、どうしたものか。


(やたら料理の上手いオッサンだと思ってたすけど、いや、まさか)


 俺は宮廷料理人にも選ばれたことがあるんだぞ? そのようにモータリアから聞かされたこともあったが、まさかあれが冗談ではなかったのだろうか。よくもまぁ、調理経験もない幼子を弟子にしてくれたものと思い至れば、驚きと呆れが半分ずつくらいは込められた。


「なぁ、ジオは大丈夫か? 首が凄い勢いで回ってたけど」

「……流石に、大丈夫でしょ。あの人も、勇者らしいし」


 大丈夫、この言葉は自分に向けて告げたようなものだ。ヴァリスナード老がネギの勇者と縁があることは既に聞かされていた。だが、出会った瞬間から繰り広げられたあの歓迎は熱烈という表現に収まらない。


 恐らくは抱擁だろうが、傍から見れば立派な鯖折りだった。結構危ない角度で仰け反った少年の頭を掴んだかと思えば、今度は豪快に撫で回す。彼の首が石臼であったのならば、さぞ製粉が捗ったことだと思う。


 竜人なんていう存在を殴り飛ばした勇者、この段階でもカンナは唖然とさせられていた。その人物を子ども扱いするあの老人は紛れもなく英雄と見て間違いない。彼女が暮らしていた世界からすれば、そもそもスケールが違い過ぎる。一庶民の自分には、考えても仕方のないことだ。


「取り敢えず、明日に備えてゆっくりさせてもらうっすよ」


 どうせこの後は、厭でも師と顔を突き合わせねばならないのだ。疲労感を再び覚えたカンナは、ふぃー、と息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。




 貴族も多く住む、王都トトリ居住区。その中でも一際大きな屋敷がヴァリスナードのものだ。外装は持ち主の無骨な姿を表すかのように、シンプルなものであった。


 トトリの居住区は、レティアの比にならない。正にレジナス王国の粋を集めたものがここに濃縮されている。建物の高さを競う貴族に、単純に領地の拡大を喜ぶ貴族。静かながら激しい権力争いがここに詰まっていた。


 争いがあれども、敷地までを含めればヴァリスナード邸がレジナス王国最大であるとは、誰もが理解する。二階建てではあるが、飾り気の少ない造り――こんなものは人が住めりゃそれでいい、そう言い切ってみせたのがこの館の主だ。領土拡大に勤しむ貴族、それをさておいて、先の大戦を終結させた英雄は途方もない程の領地と、それに劣らぬ度量を備えていた。


 その大邸宅に招かれ、ネギの勇者一行は歓迎を受ける。


「ヴァリスのじっちゃん、相変わらずだなぁ」


 強く振り回された首を、ゴキゴキと鳴らしながらジオは口を開いた。


 伸びの要領でぐるりと首を回した際に、動いた瞳は広い部屋の全景を収める。黒い鎧を纏った館の主、それを飛び越して視線はあちらこちらへと彷徨った。腐っても勇者である彼に大したダメージはないのだが、尋常ならざる力で振り回されたとなれば、しばらく視界は定まってもくれない。


 目が回っているが、それがどうしたとジオは平然と眼前の状況を整理する。


 二階にあるヴァリスナードの私室へと通された訳であるが、ガラス窓や調度品などの立派な家具が備えられている。しかし、そこには目を痛めるような眩い宝石の類はない。屋敷として十分な投資は行われているものの、シンプルさが際立ったこの部屋だ。以前とさして変わりないものに、少年は懐かしさを覚えた。


 落ち着き、息を吐くと視線も思い通りに向くようになった。出会い頭に抱きしめられてしまったので、ようやくヴァリスナードとの対面といったところか。


「相変わらずだとか、そう哀しいことを言うなよ、ネギ坊主。何せ、貴様と出会うのは随分と久しい。キンジョウの娘も一緒とあれば、どうしても自分の若い頃を思い出してしまもんだ」


 傷の入った禿げ頭を撫でつけながら、屋敷の主は豪快に笑う。ジオ少年としても、この豪快な老人へは敬意を抱いている。出来ることならば、彼の言うように時を経ずして出会いたいものだ。だが――


「まー、なんだろうね。俺としては勇者になってからも、ガキ扱いしてくれるじっちゃんは好きだぞ? けどなぁ……」


 言葉を濁したネギの勇者。彼の視線の先には、かろうじて椅子に収まったものの、仰け反って息を荒げる幼馴染の姿がある。ジオ程ではないが、ティアもまた過剰な愛情表現を受けていた。流石に抱擁だけで終わったが、体格差が過ぎる。


「問題ないぞ、エル。(ジィ)が息災で、私も喜んでおる」


 ぜひー、と危ない呼吸音を魔女は立てた。ジオよりも頭一つ以上は小さな少女なのだから、問題ないと言われても、心配なものは心配だ。


「やっぱりじっちゃん、強過ぎやしないか?」

「ふむ……」


 いつもは子どものようにニコニコとしている少年が、額に縦皺を寄せていることに老人は唸った。


 お互いに、魔物を一撃で粉砕出来ることを知っている仲だ。本気で攻撃しているのであれば、この娘はとっくに頭と胴体が泣き別れをしているところ。それくらいわかろうものなのに、この少年勇者は懸念を口にした――それはヴァリスナードとしては見過ごし難いものである。


 思えば、二代目ネギの勇者も心配し過ぎる嫌いがあった。彼も、その息子もいつも何かに対して怒っている。


「ネギ坊主よ――」

「そう言えば、爺は東の国防を任されていたのではないか? 何故、呑気に別宅で過ごしておる」


 苦言を呈しようかというところであったが、それは魔女に遮られた。ぐいっと起こされた身、そこに備えられた瞳は、見た目幼い少女のものとは思えない程強いものであった。


「ティア?」

「なんじゃその顔は? 私を誰と心得とるか」


 ふん、と鼻を鳴らし、少女は物言いたげな幼馴染を睨む。心配してくれることは嬉しい――だが、それも身内の愛情表現にまで言及するとなれば、幾らも訝しがらざるを得ない。


「――キンジョウの娘、フラティラリアじゃな。儂の自慢の娘っ子じゃ」


 知ってか知らずか二人の間を声が割って入った。不安気なジオを他所に、大英雄はやはり豪快に笑ってみせる。その様を見ながら、少女は再度ヴァリスナードがこの屋敷に滞在していることを問う。


「ここに来るまでに竜人と遭遇したがー、爺はこんなところにおってええんか?」

「……そうか。奴ら西側におったか」


 ふぅ、と息を吐き、英雄は思案顔で椅子にもたれかかる。問題ない、と続けているが、それもティアが溢した言葉と同様に気になるものだ。


「爺、その顔は何か知っておるな?」


 これまでのやり取りとは別に、ティアは魔女らしい真剣な表情で国を預かる老人を見た。


 竜人は王都トトリより東の平原、そちらを越えた山間部に居を構える種族と言われている。闘いを好むとは伝え聞かされているが、先の大戦以前に大きく数を減らしたこの種は、人間と争っている場合ですらない筈だ。それがレティアに、果ては王都途中の街道で現れたとなれば、気にしない方がどうかしている。


「私も、エル同様に旅をしてきた身だ。だが、これまでに竜人を名乗る種族と出会うたことはない。それが昨日今日と、続けて因縁を吹っ掛けられ続けられるのは、少なく見繕っても異常なことぞ?」


 ティアの捲し立てるような言葉に、柔和な表情を浮かべていた老人も少しばかり影を作る。


「答えになっておらんのだが、何と言おうかの……東の平原、その奥は放っておこうとグリオが言っていたんだよ」

「親父が?」


 ジオの言葉に、幼馴染の少女は言葉をつぐんだ。


「その通り。竜種もさることながら、竜人はその数が少ない。あやつは無用な争いを避けたがった」


 静かに語るヴァリスナード。その表情はまだ柔らかさを保っている。


 人間種は弱い。


 生まれながらに動物、魔物を引き裂く力を持った竜人種は、どう考えても人類の脅威ではないか。だが、英雄はそれすらも問題にはならないと語る――自身も、以前は異種族は全て敵だと考えていた筈――在りし日に、二代目ネギの勇者と語り合ったことを思い出せば、ふと笑いも起こる。


「儂も、竜人種は恐ろしい生き物だと思っている。だがな、今でも二代目ネギの勇者の判断に間違いはない、このことは断言できる」

「それでも、こうして竜人が出て来た。全部が全部悪いとは言わん。それでも、私に向かって幼子を食らいたいと言ったやつがおったぞ?」


 この爺さんが言って聞くとも思えなかったが、ティアは一度つぐんだ口を開いた。安全だと断言するのであれば、その根拠は知りたい。何より、彼女の幼馴染は今も尚勇者として駆けずり回っているのだから、それを無視するような言葉は聞きたくなかった。


「ティアの言う通りだな。竜人も一枚岩ではないだろう。大戦後も魔物は確かにおるし、角種や翼種といった魔族は存在している……そんな争いの残ったこの世界で、人間種以上の力を持つ竜人は無視出来ぬ存在か。とはいえ、盟友の意を尊重した儂は、争いを新たに起こす気はない」


 だから、東に防衛網を築いた。そのように老人は語る。人間は弱いから、枠が必要だ。


「かと言って、攻めてこられたならそれなりに対処はするぞ?」


 笑いながら英雄は、この町には儂以外にも強い男がいるし、と言ってのける。続けられた言葉は、カラシ小僧というワードであったが、この場にいる者にはピンとこない。


“ネギとカラシは合うと思うんだがなぁ”続けられたところで、ジオ少年は首を捻るだけであった。


「エルが黙っておるから、尚聞きたい。爺の力があれば、竜人も根絶やしには出来よう? 態々あちらの出方を待つ必要はあるのか?」

「ティア、ちっとそれは物騒だろ……」


 少女が言う言葉は尤もだ。だからこそ、ジオは口を挟んだ。勇者として強い力を持てばこそ、敗けた側のこともよく思う。行き場を失った者が、自棄になる――こんなことはそれなりに見てきた。必要以上に追い込めば、先の大戦以上に人間種は命を失う、そんな可能性を考えてしまう。


「よいよい。貴様らのような若者が国を憂う、このことに短気を起こそうものか」


 ヴァリスナードは黒い鎧の胸部分を撫でつける。その様にどんな意味が込められていたかは、若い二人には理解出来なかった。だが、引退を宣言した老人であっても、若者に説くことは出来る。


 先の大戦では存在を露わさなかった竜人種。ここに来て行動を確認されたこと、魔女の口振りからも何某かの意図を覚えずにはいられない。


 だが、仮にも大英雄としては、既存の考えに収まっていることは面白くない。そう思えば、突飛な問答が始まる。


「ところでな、貴様らは神について、どう思う?」

「どうって、のぅ?」

「神っつっても、俺はルファイドしか会ったことないしな」


 突然神妙な顔をしてみせ英雄に、少年たちは口ごもる。質問の意図がよくわからなかったのだ。


 神が存在することは、誰もが信じて疑わない。だが、その在り方について考えることは驚く程少ない。その存在と竜人に関係があるとも思えない。


「そう、それよ。貴様も儂も、ルファイド神には会うておる。我々は神を見て、その声を聞いて、こうして闘ってきた。だがな、魔物は別としても、異種族にも信奉する神はおろうて」

「……竜人側の神が、何かを告げた?」


 気を抜いていた、そんな訳もなかったが、迷いもあった。だが、今の言葉にネギの勇者は姿勢を正す。


「いや? そんなことは、ただのアイリス信奉者である儂にはわからん。だが、その尖兵が人里に下りて来た、そこには何らかの意図があるのだと察するに余りある」


 だから、一つ賭けてみようと思った。人類と竜人に安寧を齎すための仕掛けだ――かように、老人は語る。


 その瞳の奥に燃える光は、老人の弱々しいものではない。現在も大英雄と呼ばれる所以を、二人の若者は確かに見た。少年勇者が生唾を呑む音が聞こえるくらいには、場は静まり返っていた。


(爺は、何を言わんとしてる?)


 黙りこくるジオを見て、ティアは心内で一人問うていた。


 この少年は、幼馴染の少女から見れば驚く程に幼い――勇者然としようとしていることは、よく理解出来る。だが、彼の理想に掲げられている人物が、ヴァリスナードのような生きた英雄ではなく、それは既に故人である二代目ネギの勇者だ。


 いざとなればこの少年は、その身と引き換えに人を護ろうしてしまう。それだけは避けたいと思う魔女は、何としてでもヴァリスナードの思惑が当たってもらわねば困る。ジオや伯父には悪いが、締め上げてでも考えていることを吐かせようかとすら思ったところだ。であるが――


「ご主人様、お話し中にすみません」


 今まで聞くことのなかった声に、生まれた静寂は破られた。やや強引にも思えたが、現今のネギの勇者がハッと意識を戻していたことに、魔女である少女は溜め息を吐く。


「冗談はやめてくれないか?」

「そんなつもりはございませんが?」


 ヴァリスナードが出した言葉に、メイド姿の女は首を捻る。


 不可思議甚だない。この女性が驚く程に美人だから――などではない。主に、それも大英雄に向かって意見するこのことが異常であった。


 ウェーブの掛かった長い黒髪に、褐色の肌。長いまつ毛に細い瞳は隠れている。糸目の女性はメイド服に身を包んでいても、背丈はジオを上回った。言葉遣いこそ従者のそれであったが、どこまでも違和感が付きまとっていた。


 渋い表情を作る大英雄と対等、否、それ以上に並ぶ姿は最早人間外と言ってもいい。


「明日のコンテストになったら現れると言っていたろうよ」

「嫌ですわ、大英雄に呼ばれたとあれば、いつでも馳せ参じますわ」


 予定と違うことが起こり、ヴァリスナードは現れた人物に不快感を示した。大きな傷の入ったハゲ頭に厳めしい目つき、それを向けられてもこの妙齢の女性はにっこりと笑っていなしている。見た目よりもずっと幼い、それはそれは屈託のない笑顔だ。どちらが英雄かもわからなくなる。


「オマエ――」


 思わず、ネギの勇者は絶句した。それと共に、ヴァリスナードへは指を差してもみせる――何故急に神を話題にしたか、ようやく理解した。同時、女性は細められていた瞳を、口を開く。


「あらやだ――などと侍従の如きリアクションは、茶番に過ぎるか。ジオよ、ここでのオレはただのリックだ。人前で、おいそれと“ルファイド”などとは呼んでくれるなよ?」


 顕れたものは、濃い緑色の瞳であった。間違いようがない、彼女こそが闘神、ヴァンデリック・ルファイドである。大層な言葉遣いと同じく、尊大な態度はメイド姿に身を包んでいても隠しきれるものではなかった。




 風が吹いていた。


 冷たくも柔らかみのある風が、泥を落とした肌を薙いでいく。これからのことを考えれば憂鬱ばかりとも思えたが、何とも言えない心地よさがある。


 レティアに比べ、背の高い建物が多い中とあっては、吹き抜けるそれは随分と強くなる。高い風切り音を聞きながら、長湯でのぼせかけたカンナは涼みに外へと歩む。頭が回っていなかったのだろう、一階ではなく気づけば二階のバルコニーを目指していた。


(あー……もうちょっとでコンテストっすか)


 気が晴れたのは一瞬だったか、常に料理のことを考えていることが裏目に出た。考えまいと思っても、否が応でも明日のコンテストと直結させてしまう。


 応募総数は幾らだろうか? 選考には取っていたが、本線の出場すら迷っていた自分が王都に立っている。見た目と動揺に、行動は地味だと自覚する彼女も、ここまで来ると興奮を隠し切れない。


「……よぅ」


 現れたのは、明日開かれるコンテスト、その審査員を任せられた男だ。本人には大仕事という自覚はないのか、モータリアは飄々とした顔つきでカンナへと声を掛けていた。表情は何ということはないが、口振りは重たい。元々語ることが苦手な彼は、弟子と再会しても何を言えばよいか、それが浮かばないというのが正直なところだった。


「お久し、ぶりっす」


 声をかけられた女性は、緊張感を持って師へ返答した。思わず握り拳を作っていたが、モータリアはさして気にする様子もなく言葉を繰る。


「飯、食ってるか?」

「……それなりに」


 他人行儀にカンナは応えた。


 早朝には金髪の騎士と共に、一度は視線を合わせていた。だが、こうして仕切り直しても、何を語ればよいかがわからない。永く学んできたが、そう言えば二人きりで話すことなどほとんどなかった――大抵はアビーかシシリィが間に入ってくれた。


 何を語るべきかはわからない。だが、却って何を言ってもよいチャンスではないか、そのようにも思えた。今でこそ地味さの目立つカンアであるが、元は一人で料理人に弟子入りを求めた程の無鉄砲さの持ち主だ――やはりここまでの道中は、立派な旅であった。尊大な魔女に倣い、彼女は言いたいだけ言ってやろうと口を開いた。


「師匠はさ、本当に宮廷料理人だったんすか?」


 ふと、これまで冗談だと思っていたことを問い返す。


 王都に来るまでもなく、コンテストの棄権も考えていた。アビーに背を押された今でも、実は投げ出すしてしまおうか等とも考えている。今ならば、否、今だからこそ、師匠と有益な問答を出来るのではないか。


「その話は、何度もしたろ? そうだよ、宮廷料理人の座につくところだったさ」


 まぁ、何で推薦をもらったかもわからんのだがな、と男は笑う。


「どうして、そんなとてつもない座を蹴ったんすか?」


 純粋に疑問であった。自分が同じ立場であるならば、石に噛り付いてでも離さなかった筈だ。宮廷料理人と言えば、国の最高峰だ。ただただ料理の道を追求出来るだろうに。


「お前さんさ……」

「はい」


 語る男の瞳は、いつかの時のようで胸に刺さる。顔には皺が増え、老いの片鱗も見えていた。


「まだわかってなかったか……お前の料理は旨い、そりゃ俺も認めているよ。だがな? 後一味だ、そいつがお前さんには足りねぇよ」


 優しく肩を叩き、男は踵を返した。


「一味足りない? 前にも聞いたっすよ! それが、それがボクには何なのかわからないんすよ!」


 精一杯の叫びであった。彼女は自分なりに、師と別れたこの日まで腕を磨き続けてきた。それがたったの一言で片づけられてしまう。


 コンテストの参加すらも迷っていたところだ。そこでこうも言われてしまえば、最早何をすればいいのかわからない――悲鳴にも似た声を子どもの如く上げていた。


「……俺のとこに来たばかりの頃、お前さんはそいつを持ってたぜ? 忘れてるだけだ。忘れてるだけで、今も持っているからこそ、お前さんは今も料理人をしている――そうなんだと、俺は思う」


 小手先はいらない、元を思い出せばいい。


 そのように告げて、レティア一の料理人は弟子へと背を向けた。


「わからないっすよ……」


 握った拳に青い炎が燻る。一味が何なのか、それ以前に何故料理人を目指したか、幼い頃の記憶が抜け落ちている。この炎が己を料理人足らしめてくれている――だが一方で、何故こんな加護を手に入れたのかもわからない。


 揺れる炎と同じく、不安定な気持ちのまま、カンナは料理コンテストの当日を迎えた。




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