スープに一味足りないぞ 1
レジナス王国において、レティアの町が持つ意味は大きい。魔物との大戦時には王都と最前線をつなぐ役割を果たしていたが、今となっては城塞都市としての機能はほぼ失われている。
背の高い壁に囲まれたこの町は、篭城しさえすれば敵はない、と口にする老人は多い。だが、町の働き盛りはその話を鼻で笑ってしまう。篭城がというのも、あくまでも魔物を相手に考えた場合の話だ。国の西端や南は海であるし、北部の国境は険しい山によって守られている。そもそも、この時代にレティアが戦場となることは考えられない、というよりも敵がいない。
魔物との大戦が終結してから程なくして、最前線はレジナス王国の東側に築かれている。王国領にありながら中立地区をも有する広大な平原地帯、そこに築かれた城郭都市イーセンが今日では防衛の要だ。現在のレティアを一言で紹介するならば、農村部と首都トトリを結ぶ中継地点と語る人がほとんどであろう。
ただの宿場町、などではない。単に人の往来が多いだけと言う人もいるが、それこそがレティアの強みであった。王都での流行りが取り入れられ、逆に他国の流行がレティアを経由して王都まで運ばれる。闘技場やギルドまで備えられたこの町は、様々な人や物が入り乱れる賑やかなところ――このように説明をすれば、大抵の人は納得すること請け合いだ。
「――と、言うことです。みんな、わかったかな?」
教師役は青空の下、胸を張って眼前に並ぶ子どもたちを見つめた。ふふん、と鼻を鳴らす少女はやり切った感で一杯の様子。シスターになって少しばかりの時が経つ。未だ勉強中の身であるが、こうして歴史について語るくらいは出来る程にはなっていた。
「つまんなーい」
「何それー」
実に素直な反応が返ってくる。目の前の子どもたちは孤児であり、レティアなどという遠い町のことには関心がまるでなかった。
そういえば、今日は読み書きを教える筈であった。それがどうして歴史語りになってしまったのか。それもこれも、先日知った緑色の勇者の活躍が悪いのだ。
「あー、えっと、ごめんね。お詫びって訳じゃないけど、ご本読んであげるから」
あはは、と年若いシスター――グリデルタは笑う。その隣では、彼女の師である老神父が微動だにせず見守っていた。単なる村娘の間は、この老人の瞳が優し気に見えていたが、それと同じ程に厳しさを持った人物であると弟子になった今ではわかっている。
「歴史の説明としては悪くないが、もう少しばかり子どもたちの期待に応えねばな」
ふぅ、と軽く息を吐きながら老神父は少女の肩に手を置く。もう片方の手には、子どもが読んで欲しいと言ったものを握っている。無言のまま、グリデルタは交代を求められていると理解した。残念ながら、教師というものはまだまだ自分には務まり切らない。
「読んで読んでー」
「ふむ、任せなされ」
コホンと咳払いをして、神父は羊皮紙を開く。イーシアのような農村部では、娯楽らしい娯楽がない。田舎の村にあっては、吟遊詩人が訪れる頻度も少なく、子どもたちは色めき立って朗読をまった。手近なスペースへ腰を下ろしたグリデルタにしても、神父のお説法は楽しみの一つだ。
(……あの羊皮紙、どっかで見たことあるような)
師事はしたものの、神父の話はこのような機会がないと彼女も耳にすることはない。だが、ちょっと待って欲しいと違和感が囁く。ご本を読んであげようと言ったのに、師が手にしているものはどう考えても手紙だ。そういえば、村一番のイタズラ坊主が差し出していたものと思い当れば、手足の指先からふと力が抜けてしまう。
「ちょっ――」
静止の声を上げようとするも、交代した教師役はにこやかに朗読を始めてしまった。
「グリデルタ様、お元気でしょうか。私は今、レティアの町に滞在しています。日々シスターとして修業に励んでいらっしゃるところでしょう。邪魔してはいけないと思ったのですが、つい筆を――――」
「や、やめろーーっ!」
猫のような瞳を見開き、少女は咆えた。それを合図に、子どもたちが一斉に散る。
「ローレン、逃げるのじゃ」
「ナイスパス、神父様っ」
放り投げられた羊皮紙を、駆けだした少年が見事にキャッチした。着地もバッチリであったが、そこにはグリデルタが待っており、ローレン少年はがっちりとホールドされてしまった。
「は、はなせーーっ」
「離せじゃないでしょ、何で人の手紙持ってるのよ!」
「グリデルタよ、これも修行――」
「な訳あるか、この大ボケ老人!」
叫ぶ彼女の様子を見て、神父は驚いたような顔をしてみせる。これもパフォーマンスらしいので、どうしたものか。大らかな人物だとは思っていたが、弟子入りしてからは茶目っ気が過ぎることもわかって、時折このように強いツッコミを入れるようになっていた。
「あー、神父様に怒鳴って。いけないんだー」
「うるさいわね、私はいいのよ」
一人の子どもがそう言えば、散った筈の子らが集まり、いけないんだーと合唱する。デヴィンの兄ちゃんに言いつけるぞ、という言葉までも含まれていたので、シスターは何としたものかと唸る。
「その手紙、恋人? デヴィン兄ちゃんとの二股だな?」
やいのやいのと子どもたちが囃し立てているのは、まぁわかる。だが、どうして神父までいけないんだー、などと言っているのだろうか。いい加減ぶん殴ってやろうかとすら少女は思った。
「グリデルタ。お主もいい加減、勇者に憧れる童のままではおれまいて。デヴィンは、いい青年だと思うぞ?」
「……そういうことですか。私、修行中の身ですから、まだ結婚なんて考えてませんからね」
人の手紙を読みだすとかどういう了見かと思われたが、神父なりの心配のようであった。ありがたい話なのだろうが、成人目前の少女は溜め息を吐く。
「そうだぞ、グリデルタは修行中だ。すぐ怒るんだから」
「何ですって!」
ローレンに喰ってかかろうとするも、子どもたちはすぐにまた走り去る。緑色鬼が出たー、と逃げる子どもたちへはどう対処したものか。それらを追うことはせず、グリデルタは溜め息を吐いていた。
「ジオ、まだレティアに留まってるかな」
何にせよ、そろそろ返事は出さねばならない。手紙をもらってから、ずっと書き出しが思い浮かばないでいた少女であったが、冒頭に何を書くかは今決まった。
(ジオお手紙ありがとう。そしてごめん。村では貴方のことが、緑色鬼として伝わっているみたいなの。かなー……)
東の方角を見つめながら、少女は再度溜め息を吐いていた。
「毎度ありー」
手渡された硬貨が革袋の中にしまわれる。チャリンと小気味よい音が鳴ると、手足の長い男は、応答していた時以上ににこやかな表情を浮かべる。今の老人で本日のノルマが達成されたので、すぐにでも売上金を数えたい気持ちに駆られる。
(ダメだ、まだだぞコーディー)
己へ言い聞かせれば、男は用心深く周囲を見渡す。“レティアはレジナスの縮図”とは誰の言葉であったろうか――移り住んでしばらく経てば、否応なしにその意味を知る。人の往来が多い、これは旅人や商人だけのものではない。前の主に匹敵する者がいるかは疑わしいが、裏の仕事をしている人物も少なからずいるのだ。
「あーー、悪いけど今日はもう店じまいなんだ」
本当はまだ幾らか薬は残っている。それでも小心者のコーディーはすぐに、この裏路地から離れたがっていた。目の前にいる人物が裏の住人かどうか、それはわからない。余り関わりたくない、直感的にそう思っていた。
背丈は低い。が、衣服に覆われているために、それ以外のパーソナルデータがよく見て取れない。全身を覆う黒い外套に、これまた黒いトンガリ帽子と杖。まるで英雄譚に現れる魔法使いのような、それも魔女と呼ばれる者の出で立ちであった。
「それじゃ、また来てくれよなっ」
颯爽と回れ右をしてみせるも、背中に刺さる言葉にドキリとさせられる。
「ヌシ、そのネギはどこで手に入れたんじゃ?」
「――えっと」
年季の入った言葉遣いをした魔女であるが、案外と幼い声をしている。この薬が“ネギ”であること、そんなことまでも言い当てられ、無視を忘れて小心者は足を止めてしまった。これがよくなかった、何者かの気配にコーディーは震える。
「兄ちゃん、あれだろ。お前、今流行りの薬売りだろ? ちょーっと、相談があるんだが」
(おーい、マジかよ……)
悪いことは続いてしまうのか、路地の入口から大柄な男まで現れる始末だ。髭面で屈強そうなよい体格の持ち主であったが、ボロを着ているくらいで胡散臭いとは言えない。しかし、薬を売ってくれではなく“相談”と言う辺り、胡散臭いことこの上ない。
いつもならば「いえいえ、あっしはしがないチンピラですぜ」などと煙に巻いて逃げ去るところであったが、後ろにいる人物が気になって下手には動けない。
「なんじゃなんじゃ?」
コーディーにはこの声がとぼけているのか、それとも本当によくわかっていないのか、はたまたそれ以外の意図があるのかは判断出来なかった。
魔女のような恰好をしていようが、魔法なんてものは英雄でもない限り使えないと首を振る。だが、何らかの神を信奉していれば加護が扱えてしまうものだ。一番危ないことは、背中からそれを喰らうこと。前方にも注意を残したまま、魔女へと首だけで振り返ると、その人物が覗かせる口元には笑みが浮かんでいた。
(ひょっとしてグル、嵌められたかっ)
嫌な汗を滲ませながら、長い手を折りたたむ。後ろの人物も気になるが、前方から男が近づいてくるとなると、腰元に備えた獲物を握らざるを得ない。今の主(と呼ぶと怒られるが、気持ちの上では立派な主だ)は、無暗に人を傷つけることを嫌っているから、どう切り抜けるかに思考が割かれる。
「これこれ、私が先に声をかけたんじゃから、ヌシは後にせぇ」
「ああん?」
魔女の声に、男は二人して怪訝な声を上げていた。胡散臭い男は邪魔をされて、コーディーは邪魔をされず、の違いがあったが。いずれにせよ、声の主はずずいと前へ躍り出る。
「ようやく町に着いたところなんじゃ。早う用件を済ませたい」
「このババァっ」
「ババァじゃと? 幾ら温厚な私でも、その物言いにはちぃっと腹が立つぞ。ヌシは“ブラックサレナ”の通り名を知らんか?」
粗野を絵に描いたような男が怒鳴るが、魔女は可愛らしい声を幾分か不機嫌に歪める――くいっと持ち上げられた帽子の下には、あどけない少女の顔がある。帽子に収まり切らなかった髪は、黒と見紛う程に濃い藍色。セミロングのそれは、白い肌とコントラストを作っている。更には若干眠たそうな瞳は紫を携え、幼さと妖艶さを対比させた、そんな矛盾ばかりを孕んだ存在であった。
「こいつ――」
「なんだ、ガキか。痛い目見たくなかったらどけよ」
冷や汗を流す手足の長い男をさておき、もう一方の男は自分の方が不機嫌なんだぞ、と言いたげに睨む。この隙に逃げてしまえばよかったのだが、コーディーは動けずにいた。前の主がそうであった、濃い瞳の色は何らかの加護を受けた証だ。下手に動けばこの女に殺されかねない。
「はぁ、私も名が売れとらんのぅ。何と言おうか、ちぃっと面倒じゃな」
大儀そうに息を漏らして、幼女は外套の裾を捲る。現れた足はすらりとしているが、目に刺さる程に白い。というか、実際に光った。死角にあったコーディーにも眩い光が見えていた。
「ガキが色仕掛けで命乞いか? 残念ながら、俺は小さな女の子が大好――」
「ほれ、仕舞いじゃ。そこの幸薄そうなの、もういいじゃろ?」
案内せぃ、と幼女は杖でネギの持ち主をグリグリと押す。呆気に取られていた彼は、不自然に立ち尽くした男の眼前で掌を振ってみせるも、反応がなかった。
「殺し、たのか?」
「物騒なことを言うでないわ。そんなことしたら、伯父にドヤされる……待て。この男、小さな女の子が大好物と言おうとしておらなんだか? やはり、殺してしまおうか」
せめて再起不能にしてやろうぞ。幼女が呟けば、剥き出しの足に、文字が浮かび上がる。
「ジオの旦那んとこ行くんだろ!」
文字が淡い光を纏ったところで、思わず止めに入ってしまった。ごろつきがどうなろうと知ったことではなかったが、今の主が悲しそうな怒ったような顔をするところは見たくない。何をしたかはわからなかったが、これは魔法の部類で、目の前の女は本物の魔女なのだと理解する。
そう言えば、この町に流れてくる前にブラックサレナなる名前を聞いたことが彼にはあった。魔法使いという人種が希少過ぎて気にも留めていなかったが、嘘くさい程に強い女だと耳にした記憶がある。
「ん? そうか。ネギのとこへ案内頼もうぞ」
老婆のような言葉遣いでありながら、幼女のような柔らかい笑みを女は見せた。こんな常識外れの人物は、確実にネギの勇者の身内の筈だ。よくわからないが、確信を持ってコーディーは頷く。
「ところで、あやつ今はジオとか名乗っとるのか?」
「えーっと、そうっすね。旦那は前には別の名前名乗っていたとかどうとかですけど」
「そうなんか……可愛くないのぅ」
ふむぅと唸る魔女は、何となく不機嫌そうな顔をして、手足の長い男の後を歩き出した。
勇者は旅から旅へと流れて行くものであるが、なかには永らく留まる者もいる。留まる勇者の代表格かは知れないが、緑の全身鎧を着た少年も、一月と半分程の時間をレティアの安宿で過ごしていた。
「はぁ……」
カナン亭の二階。すっかり馴染みとなった角部屋で、ジオは溜め息を漏らす。勇者たるものは、と日頃から毅然とした態度を心がける少年であるが、今日は背中を丸めてどこか遠くを見つめていた。手にした物からゴリゴリと音がなるため、この溜め息は聞こえないからいいや、と何とも後ろ向きな姿であった。
(オッサン、いつになったら戻ってくるんだろう)
黄金剣士との闘い以後、ジオはやや張り合いを失くしていた。それでも怠けることの出来ない彼は、すり鉢に新たなネギを放り込んでゴリゴリと音を立てる。元から乾燥し水気を失ったネギであるが、勇者のバカ力で磨り下ろされては粉末に姿を変えていく。出来上がった粉は樽の中へ放り込まれていたが、随分手慣れた様子で黙々と作業が続けられていた。
「最近、ろくすっぱ仕事らしいことしてないなぁ……いや、勇者らしい勇者じゃないことくらい、俺だってわかってるんだよ?」
誰に向かってかはわからないが、ジオは大きめの独り言を呟く。こうしておかないと、また溜め息が出そうな気がするのだ。
「勇者の仕事って、薬師みたいなものなんですね」などとアビーに言われたことが堪えている。彼だって、魔物に襲われて困っている人がいるならば、一も二もなく駆け付けようものだ。レティアの治安が良すぎるからか、ネギの勇者が動かねばならないような魔物の話は聞かない。
とはいえ、困る人がいるのだから勇者としてはその声に応えねばならない――何だかなぁと思いながらも、ゴリゴリとネギをする手を止められないのはこのためだ。
以前、ケガをした村娘にネギを渡したところ、断固として拒否をされた。何がいけないかはよくわからなかったが、取り敢えずは見た目を変えるところから始めたが、これが爆発的にヒットしてしまっている。レティア滞在費が簡単に稼げたのだが、最近よく顔を見せるコーディーには「もうこれ一本で食っていけますよ」と言われれば、やはり心境は複雑なものになる。
「ちょっと前までは闘う以外に能がないと嘆いていたのに、これは何か違う気がする……ん?」
ゾワりとした感覚を受け、ジオは目を見開いた。町中、それも宿の中で魔力の波を感じ取ったのだが、それが悪意あるものでないことはよくわかっている。
『アロー、アロー、こちらシャロだよ。ジオさんどうぞー』
「オッサンが元気になったか!」
頭に直接流れ込んで来た言葉に対して、少年は挨拶も抜きに声を張った。刻印の魔法はジオが使えば、頭の中に用意された仮想マップに対象者の位置を示すことが出来る。その程度の補助魔法であるが、精霊であるシャロが使えば交信まで可能となる。やり取りに集中するため、コメカミに指を添えて応答した。
『元気だよー、ジオは元気ー?』
「そうか。で、オッサンはいつ到着する?」
『こーの慌てん坊さんめ。お姉ちゃんにも元気か聞いてよー』
いつもと変わらぬ、のほほんとした返答にどこか安堵する。それはそれとして、一刻も早くオッサンに戻って来てもらいたいジオでは、そわそわとした気分の方が勝った。離れた故郷で、シャロが頬を膨らませる姿が想像できたが、姉代わりなら察してくれよとも思ってしまう。
「あー……俺は元気だし、お前も元気そうだな。そんで、オッサンは?」
『その返事は、ちょっと不服! そんなにオッサンが好きか。でもまぁ、許そう。ところでオッサン、しばらく戻らないぞっ』
「はぁっ? いやいやいや、冗談はよせよ。元気なんだろ?」
『うん、お姉ちゃんは元気だぞ!』
頭が痛い。精霊の的外れな答えは今に始まったものでもない。慣れたものであっても、オッサンが戻らないと言うのはどういうことか。添えた指先でコメカミをぐりぐりと押さねばやっておられぬといった様子で、ジオは黙り込む。
シャロが言うには、オッサンから“まだ戻れない”と伝言がお願いされたとのことだ。まだしばらくはレティアを離れられそうにもないこと。その他、ネギを磨り下ろすだけの日々が続くかと思うと、年若い勇者は何かと納得がいかない。
『取り敢えずな、オッサンが戻らないのは事実だ。この辺りで、ジオ少年には成長して欲しいところ。許せ、姉は鬼となる』
「……何から突っ込んだらよいのか。その言い方だと、シャロがオッサンを止めてるみたいに聞こえるぞ?」
『ん? お姉ちゃん、オッサン、止めない。これ、オッサンの意志』
この交信は何度となく行ってきたものだが、いつもは戦闘時であり緊張感が漏れなくついてくる。平時のシャロとの会話がどれ程大変なものであったか、懐かしく思うも頭の痛みが増してくるようであった。
『とりあえずだ、私も鬼ではない。代わりの者を寄越したから、後は頑張れ』
「言葉の撤回が早すぎるぞ――て、シャロ? おい、シャロ!」
呼べど叫べど反応はない。先程まであった魔力のゆらめきのようなものが、今は感じられない。いつもの如く、一方的な交信が行われたのであるが、今日のジオは何とかならないかと相当粘ってもみせていた。
精霊程ではないが、自分は勇者だ。ひょっとしたら見兼ねたルファイド神が助けてくれるかもしれない。往生際悪く、身を捩ったり、天を見上げるなどをする――普段ならば考えにも浮かばないことであったが、それ程ジオは追い詰められている。
うんうんと唸りながら念を飛ばそうと必死になった。その集中力は凄まじく、ドサリという音が耳に届くまで続けられた。
「すみません、ジオさん。ノックは、したのですが」
「あー、いやー」
見てはいけないものを見てしまった。闖入者はそのような顔をしている。
声の人物――ラフィーネは視線を何処にやってよいか迷ったらしく、あちらこちらへと彷徨わせている。その間に、コロコロと玉ねぎがジオの足元へと転がっていった。さっきの音は買い物籠を落とした音かー、などと少年は妙に納得もしたりするが、言葉が上手く続けられない。
「えーっと、ルファイド神へ祈りを捧げていたんです。アイリス教からすれば変わっていると思いますが、その……そっとしておいてくれると、ありがたいです。ええ、はい」
黄金剣士を前にしても、こんなに動揺することなどはなかった筈だ。ジオは自分でも驚く程の早口で捲くし立てた。こんなもんで信じろ何て言うのもどうかと思うが、本当のことはどうにも告げづらい。
「あの、差し出がましいと思うのですが、少しお顔色が悪くないですか? おじさんが戻ってくるまでは、私でよければ相談には乗りますから」
玉ねぎを拾うと、ラフィーネは他の買い出したものを手渡してくれる。あれだけ挙動不審なところを見せても、心配してくれる辺りは大人だよなぁ、などとジオは思う。それと同時、用が済めばすぐに部屋を離れた彼女を見て、悩みの種が尽きないことを自覚する。
「言えないよなぁ」
仕事の合間を縫って、彼女はよく顔を出しに来ていた。世話になったからと話しているが、鈍いジオでもそれが自分にではないことくらい、わかっている。だからこそ、オッサンがいつ戻るか知れないことなど、ラフィーネには告げられないでいた。
「何度もすみません」
「あ、はい」
立ち上がり、勇者は応える。いつもならノックをする彼女であるが、少々慌ただしい。何事かと思う間に、扉が大きく開かれた。
「えーっと……」
ジオは頬を掻きながら、現れた人物へぼんやりとした言葉を出す。ラフィーネのその隣にはアビーがいるが、更に扉は開かれる。二人の女性の更に隣、茶髪を三つ編みにした女性がアビーの袖を引きながら申し訳なさそうに佇んでいた。
「ジオさん、依頼人だよ」
「……依頼?」
宿の看板娘が言ったことがイマイチ理解出来ず、勇者は首を傾ける。依頼って、何だっけ――イーシアでのゴブリン討伐以来、仕事を請け負った覚えがないことは確か。そもそも、名指しで依頼を受けることが初めてのジオは現実感を持って受け止められないでいた。
「もう、勇者なんでしょ? 私の幼馴染、カンナを王都まで連れて行って欲しいの」
ぐいぐいと来るアビーとは対照的に、依頼主はどうも、と控えめに頭を下げていた。現実感のなかった彼であるが、勇者と呼ばれると何故だかスイッチが入ってしまう。困っている人を助けるのは、勇者の使命だ、と。
「その通り、私は勇者だ。大船に乗ったつもりで、任せてくれてまえ」
どん、と胸を叩きながら、またしても彼が勇者らしいと錯覚している変な口振りへと戻っていた。とりあえず、初めての直接依頼に緊張したか、若干台詞を噛んでいることはご愛敬。ご愛敬といえば、引き受けたはいいが、オッサンがいつ戻るかもわからないのに、この宿を留守にしていいのか。
ラフィーネが渋い顔をしているのは何故か。それらに対しても全く考えなしであったが、ネギの勇者はやる気だけは見せていた。




