まずは前菜、召し上がれ
「弟子入りしたいだって?」
厳つい男が、怪訝な顔をして問いを繰り返していた。
「はいっす。師匠の作る料理は、本当においしいっす!」
「んあー……そいつは嬉しいが、この世の中で料理人目指すってのが、どんなもんかはお嬢ちゃんにはまだわからんだろ」
フライパンから手を離し、モータリアは幾分も厳しい言葉を返す。向かい合う少女は、彼の娘とさして歳も変わらぬ幼子であった。現在の己の立ち位置を考えると、弟子入り志望の輝く瞳は直視し難い。
「いやいやいや、わからんなんて当たり前じゃないっすか。でもボクは、師匠の作る料理が一番旨いと思ったっす。だから、アンタの弟子にして欲しいと思ったんすよ」
編み込んだ茶髪を振り乱しながら、少女は思いの丈を王都帰りの料理人へとぶつけていた。モータリアとしては、カナン亭を食堂へと改装したばかりであり、従業員を増やす余裕もない。加えて、幼い娘を食わせてやらねばならないし、永らく放ったらかしていた嫁の機嫌は限りなく悪い。
どう考えても、調理経験のない彼女を雇う謂れもなければ、構ってやる余裕もない。だが、口数少ない料理人は、残念ながら情に脆い一面があった。
「お前さんのお母さんは、何て言ってるんだ?」
「母ちゃんは……」
想うところがあるとすれば、この少女の親がどう思うかというところであった。レティアに限らず、この国のほとんどの人は肉体労働を主な収入源としている。それを見越しての料理人志望であれば、既に競合店が無数に存在するのであるから、モータリアとしては単なる扶養家族を増やすことは出来ない。
「母ちゃんは、もういないっす。ただ、最後にボクが作った豆のスープを、母ちゃんはうまいと言ったっす。ボクは――人を笑顔にしたいんすよ」
その一番の近道は、アンタに弟子入りすることだ。
少女は一端の顔をして、王都帰りの一流料理人を見つめた。一度も逸らされることのない瞳には、何やら強い意志が込められているようにも思える。
「はぁ……俺んとこは――というか、料理人なんてものは、そんなに稼げないからな? その辺は諦めておけよ」
やれやれと首を振って、モータリアは溜め息まで吐いていた。ここに、未来の料理人が誕生した。
「んー、あー……なんなんすかね」
茶髪の女性は目の前の宿屋を見上げて、冴えない言葉を吐く。トレードマークの三つ編みも、何処か頼りなさ気に垂れ下がっていた。
どうしてここなのだろうか。白衣を握り締めながら、カンナは瞳をぐるりと回す。彼女が立っている場所は、レティア随一の食堂であるカナン亭だ。相変わらず繁盛していることは嬉しいが、胸中では様々な感情が渦巻いてしまう。
――お前さんには、足りねぇもんがある。
二年ばかり前、師匠に言われた言葉をどうしても思い出してしまう。
「そんなこと言われても……わからねぇっすよ」
売り言葉に買い言葉。とはいえ、飛び出してしまったことに変わりはない。頑固なモータリアとケンカ別れした後も、勿論腕は磨き続けている。それでも、師には及ばないことなど彼女はよくわかっているつもりであった。
だからこそ、研究は欠かさない。ここ最近になって巷で有名になった薬があるのだ。それは、何も如何わしいものではない。
散歩の辛さがなくなりました。麻痺していた腕が、動きました。寝たきりだった祖母が、今では草原を駆け回っています――感想はともかくとして、人を元気にするこの効能は目を見張るものがある。
手足の長い男が、その胡散臭い薬を売り始めてからおよそ一月。すっかり噂となったそれは、煮詰まっていた彼女に一筋の光をもたらした。不調を訴える人たちが笑顔でいること、一見料理には関係がないように思えるが、捨て置くことも出来ない。
自分の料理には、何処か足りないものがある。薬に頼るつもりもないが、接種することで人を元気にするものがあるとわかれば、料理人としては気にせずにはいられない。
なかなかすばしっこい薬の売人であった。だが今日こそはと、その人物を追いかけて辿りついたのがここ、カナン亭であった。
(人を笑顔にしたい、その言葉に偽りはない。ないんだけどなぁ……)
カンナは瞳を閉じて過去を振り返る。こうして考え込むと、母がよく結わえてくれた三つ編みをいじりだしてしまうことは、今も昔も変わりない。
モータリアが作るものが、感動的においしかった。そこから全ては始まっている。
自分のような身分の者が、料理をするなどおこがましいのではないか――それは今でもどうしようもなく思ってしまう。だが、レティア一、否、レジナス王国一の料理人に弟子入り出来たことは永くもない人生のなかでの幸福ではないか。
少なくとも、彼女は今でもモータリアに恩義を感じている。それだけに、自分に何が足りないのかを師が教えてくれなかったことが不可解でならない。否、そんな言葉では割り切れるものでもなかった。誇れる特技もないカンナには、料理の道しかないのだ。それを教え切ってくれなかったモータリアには、恩義と同等の処理しきれない感情を抱くにも至っている。
「あれ、カンナじゃないの」
「――っ!?」
声にならないものを上げて、料理人の女性は後ろを振り返った。そこには、幼馴染のアビーの姿がある。随分と顔を見ていなかったが、愛嬌に溢れる相貌と目立つソバカスを見間違えることはない。
「あ、ああ、お久しぶりっす」
「何よ他人行儀な。久しぶりに会って言うのもなんだけど、口癖はそのままなのね」
ふふふ、と柔らかい表情でカナン亭の看板娘は笑う。飛び出していってしばらく振りの幼馴染は、相変わらずの様子であった。髪がまた伸びたかとも思えたが、何より女の子にしては珍しい自称と語尾を聞けば、アビーは笑顔になってしまう。
後ろめたい気持ちの強かったカンナであったが、幼馴染の顔を見るだけでどこかホッとしていた。
「ご飯、食べてる? 今日は何の――と、お父さんは今いないしさ、気にせずに寄っていきなよ」
「ボ、ボクは、今日はその……」
「まだボクって言ってるんだ。年頃の娘が、それってどうなのよ? やっぱり、放っておけないわ。おいでなさい!」
えー、と言い淀むカンナの腕を引っ掴み、アビーは宿の勝手口へと誘い込む。この強引さは、モータリアというよりも、彼の奥さんからの遺伝ではないかと常々思っていたところだ。
(……懐かしい、匂いだ)
カナン亭へと足を踏み入れた瞬間、ここで過ごした記憶が一挙に押し寄せる。
鍋が重くて持ち上げられなかったこと。刻んだ玉ねぎに涙を浮かべたこと。レシピをなかなか覚えられずに怒られたこと――そのどれもが、良き思い出であった。それらのなかでも第二の両親と呼べる存在である、モータリアとシシリィの二人に出会たことは何と表現したらよいか。独りになると、そのありがたみがよくわかる。
「どうしたの、カンナ?」
手を引いた幼馴染が瞳を潤ませていることを受け、アビーは疑問符を浮かべた。快活さが売りのカンナがこのような表情をすることは珍しい。少なくとも、このカナン亭では数える程度しか見たこともない。
「いや、なんでもないっす。ボクには、何か足りないものがあるんだろうなぁ、て思って」
「お父さんが言ったこと、ずっと気にしてたの? あんな頑固オヤジの言葉なんて、忘れていいのに」
大体、お父さんが要らないことを言わなければ、今でもカンナと一緒に居られたのにと彼女は思っている。板張りの食堂スペースを通り抜け、二人は階段を登り始める。この先は宿として貸し出しているスペースであるが、一室は残念ながらというか丁度良く空きとなっていた。
「そんなこと言われたって、忘れらんねぇっすよ」
思わず溢した言葉が、彼女の真意だった。招かれた部屋は、過去にカンナへと割り当てられていたものだ。よくわからない。
まず目に入ったものは、木製の机の上に置かれた銀色の箱であった。それは、彼女の記憶が正しければ、愛用していた包丁ケースの筈だ。
「知っていると思うけど、ウチのお父さんね、不器用な人なのよ」
記憶のなかとほとんど変わらぬ表情で、アビーは笑う。少しばかり異なる点を挙げるとすれば、細い目元にどこか申し訳なさそうな色が浮かんでいるところか。
ケンカ別れをした師匠が、未だに自分の私物を遺しているのはどういう訳なのだろう――カンナは懐かしい匂いに包まれながら、ぼんやりと旧友との会話を始めていた。




