ネギを背負ってやってきた 2
ついーっという音が聞こえるくらい滑らかに、ローブ姿の少女は見知らぬ村を突き進んでいた。
後ろで必死に走る村娘がいたが、つかず離れずの距離で村を突っ切っている。村の地面はあちこちが掘り返されたようなデコボコが目立ち、汗を流す案内への配慮を忘れてしまう程だった。
「ちょっと!」
大きな声が響き、少女は歩みを止める。
そちらへと視線を向けると、肩で息をする少女が石造りの建物を指さしている。他と比べるとやや大きな建物は、権力者の自宅であることを知らしめていた。少々ぼんやりとしていた魔法使いの少女であったが、後ろからそれ以上のツッコミもなかったので、木で出来た扉を無遠慮にも開け放っていた。
「おじゃまします!」
勢いよく入ったものの、昼間にも関わらず屋敷の中は薄暗かった。何となく不信感を覚えた彼女が、赤い相貌をぐるりと巡らせていると、その主らしい人物へと目が合っていた。
「勇者様、遠路はるばるようこそ。私が村長のイサックです!」
がたいのいい、よく日に焼けた男は低い声で精一杯に明るく挨拶をしていた。小さいながらも石造りで立派な暖炉や調度品の供えられた屋敷。
声の主は、蓄えられた顎鬚をなでながら少女へ熱い視線を送る。元より細い目が笑顔を作るために一層細められており、迫力は感じられない。これから助けてもらう勇者に粗相があってはならないと、友好の表情を携えて手を差し出していた。
「……?」
「あ、えっと、勇者様?」
しかし、いつまでも彼の手が握り返されることはなかった。小首を傾げる少女を前にして、イサックの額には汗が滲み始めている。見間違いではないかと疑ったが、彼の目にはやはり疑問符を浮かべたままの少女の姿が映っていた。出会って数秒、まだ商談の話もしていない内から機嫌を損ねてしまったのではないかと、気の小さな男は焦り始める。
「父さん、その人は勇者様じゃないよ。勇者様は――」
「な、何と!? そういうことは早く言わんか!」
見かねたグリデルタが助け船を出してみせるも、話の途中で父親に一蹴されてしまう。勇者は遅れてくると伝えようとしていたのに、と娘の方こそ不貞腐れ始めていた。
「私、シャーロット。勇者は少し遅れてくるから、先に依頼の内容を聴かせて」
「おぉ、シャーロット殿、よろしくお願いします」
「シャロでいいよー」
誤解が解けたからか、笑顔で魔法使いの少女は村長の手を握り返していた。イサックは事態を呑み込んで安心していたのも束の間、握られた手が激しく上下に振られることにまた困惑する。踏ん張っていないと引き摺り倒されそうな力であったので、そっとというか、かなり強引に手を離した――困惑したが、それでも勇者の仲間は強い! と感動することで処理容量がすっかり超えてしまっていた。
「さて、勇者様には改めてお迎えを出すとして、まずは依頼内容をご説明しましょう」
コホンと咳払いを一つして、村長は概要を語り始めた。
この地域で危険視される魔物は主にラミア、ハーピィ、ゴブリンの三種族だ。
だが先の戦の際に、魔物への危機感を持った人間種が先手を打って大討伐を行った。知的な種族であったハーピィは、人間とのかかわりを断って久しい。ラミアも時を置かずして移り住んでいったことから、残ったゴブリンの一人勝ちの様相を呈していた。収穫の時期を狙い、村を襲ってくるのであるが、対ゴブリンにのみ策を絞れたことで、これまでは何とか凌いでこれていた。
「最近はどこに行っても、この手の話を聞かされるね。大戦の時はー、人為的なものがあったけど」
「お若いのに、先の大戦のことをよくご存じですね」
「え? うん、まぁねー」
一瞬驚く程に瞳を大きく開いていたシャロだが、それもすぐに元の柔らかなものへと戻った。
「それで、今まで凌げてきたのに、どうして今になって勇者の力が必要になったのー?」
「今になってと言いますか、何と言いましょうか……」
疑問に思ったことを彼女はそのまま口にしていたが、対するイサックは歯切れの悪い言葉を返すに留まった。まだ答えも出ていない内であっても大体の予想がついたシャロは、なるほどねと一言漏らす。
人と魔物の小競り合いは、有史以前から続くものだ。人は対抗策を練り続けているし、魔物もバカではない。数を揃えて村を襲い滅ぼせたとしても、その後にはより多くの人間からの報復が待っていると知っている。それは、逆もまた然り。
お互いの縄張りを必要以上に攻めることはない。不必要な争いはお互いに避けるのが常であった――だが時折、過剰なまでに人里へ攻め込む者たちもいた。一つは決まった群れを持たないはぐれ者、もう一つは――
「異常種ね。それも他のゴブリンを従えることが出来る程の個体、かな?」
「その通りです」
苦い表情を浮かべて村長は同意すると、娘へ向き直った。その際、木製の椅子がギシリと鳴ったのは彼の緊張を表してのものか。勇者一行を目の前に、逸る気持ちは最早抑えられない。
「そろそろ勇者様が来られるかもしれないだろう? もう一度、お出迎えを頼む」
「また私が出るの?」
「頼む、グリデルタ」
「……わかったわ」
いつものように軽口でかわそうと思った娘であったが、何やら父の表情に真剣さを感じ取っていた。そんな顔を見ては、素直に屋敷の外へ出るしかない。出て行く際にシャロを覗き見たところ、ニコニコと笑みを浮かべる彼女と目が合っていた。
くそ、可愛いやつめ――心の中で不平を漏らしながら、グリデルタは心の声を漏らさぬよう、心して玄関の扉を閉めた。
「むぅ……なんか、疲れた」
玄関の扉を締めてすぐ、少女はやり場のない気持ちを逃がすために天を仰いでいた。まるで英雄譚のお姫様かのようなシャロを見ていることは絶えなかったし、何より屋敷の張りつめた雰囲気を、正直心地悪く思っていた。
彼女は父親――イサックから、ゴブリン退治に勇者を呼んだと聞かされているが、知っているのは本当にそれだけのことだ。どうも、それ以上のことを話したがらない。このことに少女は疑念を抱いていた。
村長の娘とは言えど、村のことで知っていることは他の娘と大して変わらない。
「あのぅ……」
「何っ!? こっちは今、考え事を――」
先程と同じように、思わぬ形で声を掛けられたグリデルタ。やはり怒鳴り返してしまっていたが、驚きから声は途中で切れてしまった。今回目の前に居たのは、彼女より二、三は歳上に見える男だった。それだけなら驚く必要もない。ないのだが――
「忙しそうなところ、すまん。この辺で緑の髪した女の子を見なかった?」
話の内容を置き去りにして、一瞬、少女は不覚にもときめきそうになった。少年の声質が自分の好みだったということもある。だが、立派な鎧を身に着けたその姿は勇者と呼ぶ相応しい。
(勇者が、本当に来た!)
心の中で感嘆の声を上げていたが、すぐさまその気持ちも萎んでいく。緑髪を探している時点で間違いなく勇者だとわかるが、この英雄もあの少女のものかと思えば一気に興ざめするというもの。それでも、人生でそうお目にかかることのない英雄を、グリデルタはまじまじと見つめていた。
黒髪黒目に中肉中背。どこからどう見ても平民の出身だと一目でわかる。だが、身体は引き締まっているように見えるし、髪は日に焼けるどころか艶やかで綺麗なものだった。
一見して平民であるのだが、そう言えば、世界に愛された人間は豊富な魔力を持ち、身体が強化されるという話を吟遊詩人が語っていたことを少女は思い出す。
ともかくとして、目の前の人物はどうやら勇者らしいと、理性的にも理解をし始めていた。そうとなれば、早々に村の危機を救ってもらうべく屋敷へ案内をせねばならばい。
「えーっと、それなら、その……」
念願の勇者に出会えたのだが、気持ちの上で萎えてしまっていた少女は言葉を詰まらせる。本来なら彼とは話したいことが一杯あった筈なのに、人の気持ちは不思議なものだなぁ、などと少女は妙に冷静に分析していた。
「ごめんな、あのバカが迷惑かけてたんだろうな」
物言いは少々ぶっきらぼうだが、髪も長すぎず短すぎず、爽やかと言ってもよい。ここまでは、彼女の中の勇者像と符合しているのだから、残念な気持ちが成人前の少女の胸に渦巻き始める。しかし、憧れの勇者を目の前にしながら、どうしても拭い切れない違和感があった。
(うーん……)
決して声には出さず、グルデルタはこの少年を更に観察する。鮮やかな緑色の立派な鎧に違和感はない。顔――は、少年と青年の間といった様子で、どちらかと言えば格好いい部類のようにも思えていた。
「おい、大丈夫か?」
カチャリと鎧を鳴らしてその男は近づいてきた。いよいよ間近になろうというところで、ようやく少女は違和感の正体に気づく。勇者とイマイチ確信し切れない理由に、ようやくもって彼女は辿り着いていた。
「……勇者様、どうして剣を持ってないの?」
見れば見る程、不思議な光景だった。吟遊詩人の語る勇者の英雄譚、それには必ずと言っていい程、勇者と剣がセットで謳われている。それが、この少年には見当たらなかった。
「ん、ああ……」
緑の鎧を着た少年は、グリデルタがそうであったように、居心地の悪そうな表情を浮かべていた。昼間であってもまばらに差し込んでいた影が、彼の言い淀む姿を一層際立たせている。勇者と呼ばれたことを否定しないのに、どうしてこうも申し訳なさそうな顔をしているのか。それはただの村娘には理解できない。
「正直に言うけど、俺は――剣が使えないんだ」
「はい?」
失礼だとわかっていたが、思わずネコのような目を更に大きくして聞き返してしまった。今、この勇者は何と紹介をしてくれたのだろうか。剣を持たない勇者など、彼女は――否、恐らくは誰もが聞いたことがないだろうに。
選定の剣、黄金剣、雷雲運びし剣……生まれて既に種族として差のある魔物と戦う人間の勇者たちは、前述のような二つ名となるべき剣を所持している。剣のない勇者など、村人のいない村長のようなものではなかろうか? 少女は失礼極まりないことを自覚した上で、自分の喩えはなかなかに素晴らしいものだと自賛していた。
「あんた、“グリオ”って知ってる?」
「……何それ?」
意を決したような勇者の言葉だったが、村娘は心当たりのない言葉に首を捻る。その言葉、仕草に緑色の少年は地面に両手をついて項垂れてしまった。
(膝をつく程落ち込むようなことだったの?)
少年とは対照的に、少女は目の前の事態がよくわからずに見つめる他なかった。実際、知らないのだから仕方ない。それでも今にも震えだしそうな背中を見て、グリデルタはそこはかとない罪悪感に駆られ始めていた。
何と声を掛けたものかと村娘が逡巡している内に、項垂れたことで少年が背負ったカバンから、一本の棒状のものが覗いて見えていた。
「くそ、やっぱり知名度が皆無じゃないか……なんだ、何がいけない。ネギか? ネギが悪いのか?」
心底打ちひしがれている勇者。彼が震えるのに連動して揺れるカバンから飛び出たものは、どこからどう見てもネギだった。錯覚であって欲しいと強く彼女は願ったが、何度目を瞬いても、そいつはネギ以外には見えない。
「ネギの勇者なんて、どう名乗っても格好良くはならないだろうが!」
依然地に伏したまま、吐き出すように勇者は呻いていた。神妙なその表情は、ある種の渋みがあるように見えないでもない――ただし、ネギさえ飛び出していなければの話だが。
「あの、取り敢えずシャロさんと村長が待っているので、案内しま……」
言葉の最後が途絶えてしまった。勇者本人がネギだと言おうが、半ば無視をしようと決め込んでいたところであった。だが、接近した際に香る青臭さは、最早ごまかしが利かない。
うん、ネギだ。
(なんで、この人は剣じゃなくてネギなんか背負っているんだよ! ネギの勇者って、何ですか!?)
誰に向ければよいかわからない念を、グリデルタは心の内で盛大にぶちまけた。トレードマークがネギの勇者なんて、聞いたことがない。一番の冗談は、これが村を救うために遠路はるばるやってきた勇者だということだ。これなら、あの白い少女が勇者であった方が幾らでも救いがあった。
他人事のように、地面へ伏すネギをさした少年を見ていたが、緊張の糸が切れた少女の視界は不意に薄らいでいった。
「おい、キミ!」
随分と慌てた声が、少女の上の方から響いているが、最早それには答えることもない。
ルックスは及第点を少し越えている。立ち居振る舞いも、村人からは感じられない強さが感じられた。勇者というものは、吟遊詩人が語るような、素晴らしい存在なのだと一瞬でも思ってしまっていた。
だが、どうしてなのだろうか? 日がな一日かけて彼女が栽培しているネギだけは、労働の時以外は目にもしたくない。それは退屈な村の象徴のようなものだったからだ。
どうしてネギなのだ! 勝手な期待、理想であったが、これでも恋してみたい年頃なので仕方ない。見事に勇者への幻想が打ち砕かれたグリデルタは、一瞬感じたときめきを返せ! と叫ぶ暇もなく、自動的に意識のブレーカーを落としていた。
地面に頭をぶつけることもなかったのは幸か不幸か――初めてお姫様のように抱きかかえられているというのに、少女の気分は最悪なものだった。