ネギの勇者だ、覚えとけ! 3
「な――」
自らが溢した驚愕の言葉、それを耳に受けつつも、オッサンは意識を途絶えさせる。命を獲られるまでではなくとも、強い衝撃に見舞われていた。知らずの内に、足が一歩前へと運ばれる。
「殺しはしないさ。幾ら俺でも、罪のない人間を手にかけたとなれば、寝覚めが悪い」
ラザロは利き腕をゆっくりと伸ばしながら告げる。大柄な男が、間もなくこの腕に倒れ込む――勇者に従う者とあって流石に強敵であったが、何とか倒すことが出来た。せめても、これ以上傷つくことはないようにと受け止めるつもりでいた。
だが、一向に赤毛の男の腕に負荷がかかることはなかった。
「こいつ……」
敵ながらあっぱれなものだ。裏の仕事に手を染めてはいるが、町の英雄として眼前の男を讃える気持ちに駆られてしまう。
半裸の男は頭蓋を打ち付けられて、勢いながらに一歩を踏み出していた。だが、その後に続く足はない。倒れることを拒否するかのように、足は地面を踏みしめ、気を失っているにも関わらず立ち尽くしている。
「これが闘神の加護、なのか? いや……そうじゃないだろ」
ここに来て、ラザロの心は揺れ動く。幼き愛娘を育てるためとは言え、彼はこれまでにレティアの敵――否、町の有力者であるヘジワースの敵を潰してきた。娘のためなどと掲げてみせるが、実際は自分のためだ。
己の存在意義である闘いの場を用意してくれる男へは、そこに感謝こそないが共存関係にあると認識している。闇討ちについてはこれまで疑念を抱かなかった。その筈であるのに、今日ばかりはどうしてだか後味の悪さを覚えていた。
眼前の男は、勇者ではない。ただの人の身でありながら、元勇者である自分に奥の手を使わせる程の力を見せていた。あの突進は三択と見せかけて、その実一択でしかない。右か左へ逃げていたならば、恐らくは自分が地面へ沈んでいたのだろうとすら、ラザロは思う。
ここまで考えが及んだところで、挑んだ時には浮かびもしなかった汗が流れ出す。
「何と凄まじい闘争心か。それでも俺から言えるとすれば、怨むなよ、というところだ」
黄金剣士の元へと運ぶべく、立ったまま意識を失った男の懐へとラザロは入った。その動きは幾らもぎこちない。
加護による恩恵はこちらに軍配が上がるものの、人間の身で得られた練度は相手の方が上だと自覚する。この強い人間が、かつての通り名“赤風の勇者”と呼んだこと――今の自分は、過去の栄光を貶めているのだと再認させられる。
「――っ」
「何っ!?」
不意に生じた危機感に、ラザロは身を大きく翻していた。この判断は正しい。彼の元いた位置を太い腕が薙いでいく。
空気の揺らめきのようなもの、言語では説明出来たものではない。だが、何となく厭な感じを受けて身を捻った。やはり、正解であった。
「流石はロッカで鳴らした勇者ですな。奇襲には奇襲をと思ったのですが」
ふむぅ、という息を漏らし、いつもの調子でオッサンは語る。残念そうに口を尖らせる姿は年齢不相応に幼いものであるが、何故が愛嬌に溢れて見える。
どれ程強い力を持った者が相手であったとしても、ただの一撃で沈められていてはネギの勇者に付き従い続けることは出来ない。コキコキと首を鳴らしながら、半裸の男は驚きの表情を浮かべる人物へと向き直った。
「あれを受けて、平気だったのか?」
「いやー、非常に痛かった。ネギを食べていなければ、死んでいましたな」
カカカッ、と笑いながら半裸の男は答える。冗談めかして言ってはみたが、危ないところだったことは確かだ。彼は勇者からの恩恵で、成長や回復といった能力が底上げされている。しかし自動蘇生や完全回復のような魔法効果は得られていない。
半ば意地で立っているのだが、それを悟らせないよう、オッサンは笑って相手を見据えていた。
「ぐっ……」
切り札を晒したラザロは、呻きながら後退を始めていた。ここでの争いは闘技場のものとはハッキリと異なる。勝ち負けが単なる生死につながるだけではない。
捕らえられ、生き永らえたその先には気の遠くなる程の収監が待っている。そうなれば、キリカは一体誰が面倒を見るのか。先立った最愛の妻が残した娘は、町の英雄を騙った悪鬼の娘として迫害されることが避けられない。
「それだけは、出来ぬ!」
成す術もない中、ラザロは叫んだ。恥も外聞もない。闇稼業に、ヘジワースの言うがままに手を汚したあの日から、輝かしさなどはとうに失っている。ならば汚泥をすすり続けるしかない――元勇者は再び加護を纏い、敵へ向かって駆け出した。
「出来ぬと言われても、困りますな」
迷いを吹っ切った筈も、ラザロの踏み込みは浅い。先程は赤い風が残像のように視界を掠めていったが、今はかろうじてでも目に留まる――この機をオッサンが見逃すことはない。飛び込んで来た膝に合わせて身を捻れば、相手の背面に回り込めた。
「そうれぃっ!」
すかさず両腕で胴回りをホールドする。同時に、目いっぱいの力で赤風を纏った男を背面へと投げ捨てた。
ベシャリと木のへし折れる音が辺りに響いた。狙っていた訳ではないが、路地に置かれた樽にぶつかれば威力も増すというもの。樽から中身が盛大にぶちまけられて一帯に粉塵が舞うことから、如何に強い衝撃であったかが窺える。
遠くに放り投げられた男を追い、中年の男は鍛え抜かれた身体の緊張は解くこともなく、一歩一歩と路地の奥へと歩み寄った。視界が粉のお陰で遮られているものだから、いつも以上に慎重にならざるを得ない。
レベル差で語れば、ラザロに軍配が上がる。お互いに中年と呼ばれる年齢だ。だが、ピークを過ぎてから人間の中での争いを選んだ人物と、あくまでも魔物との闘いを選んだ人物との差がここに現れていた。
溶岩竜、悪魔の尖兵、時には勇者を陥れんとする人間たちとも、このオッサンは二代目ネギの勇者と共に闘ってきた。死ぬ思いもしたし、実際に臨死体験もした。これは凡そ人間種が覚える体験を越えていた。人の身でありながら、人外と闘い続ける――この男は非情さも磨き、ここまで旅をしている。
「――止まれ」
必死に、しゃがれた声をラザロが吐いた。形成は既にひっくり返っている。にも関わらず、かつての勇者は醜くも吼える。
「止まることで、何かが変わりますかな?」
オッサンは悠然と歩みを進めながらも、赤髪の男が吼える様が気にかかる。言葉の上では安穏としながらも、距離を詰める足はいつでも逃げ出す準備もしていた。
ダメージ量から考えても、既に雌雄は決している。それに、何の罪もない一般人――否、勇者の仲間を問答無用で蹴り殺すところであったのだから、自警団に突き出されても文句は言えない。最早オッサンが闘う必要もなかった。
それでも、多分に土気を孕んだ空気の向こうでラザロはもがく。
「変わる。何故ならお前は、現役の勇者一行に属するからだ!」
「往生際が悪いですぞ?」
男の言った台詞に、オッサンは怪訝な表情をしてみせる。だがそうすることも束の間。靄のようなものが徐々に薄れていけば、体力を使い切った筈のラザロが笑みを浮かべる姿が目に入る。窮地を脱したと確信した笑みだ――その腕は女性の細い首にかけられている様が見られた。
「な、何故、こんなところに……」
その先は声にもならない。厳つい体つきとは対照的な穏やかな瞳、それを目一杯に広げて、オッサンは苦々しい声を吐いていた。
町中で争えば、追い詰められた相手が人質を取ることも十分に考えられた。だが、どうして彼女がこんなところにいるのか、思わず意識に空白を作りこんでしまった。
たった一瞬の隙、それでも元勇者には十分過ぎる時間が稼がれていた。
皿には幾らかスープを残したまま、ネギの勇者は腕組みをして唸る。悩みの種はボサボサ頭の少女からもたらされていた。
(見た目は可愛らしいが、言葉は物騒だったな)
黙考しながら、件の少女を見つめる。うつらうつらと頭を揺らすキリカは、スープを飲み干してもスプーンを握ったままだ。本来ならば、まだ眠っている時間帯の筈だ――それ程まで切羽詰まった状況で、勇者を訪ねて来たと理解出来た。
キリカの訴えはこうだ。
父が月に一度か二度くらい夜に抜け出している。大体、その日に限って大人が騒がしくなる。今日もどこかへと行ってしまった。きっと父は悪いことをしているから、引導を渡してやって欲しい。
「どうしたもんかなぁ……」
闘うしか能がないジオは、やはり唸る。
町の英雄をぶっ飛ばしてしまうこと、後々の面倒さを無視すれば、十分に可能だ。これ程に切なる頼みであれば、勇者としては聞き入れたいとすら思う。問題があるとすれば――
「人探しは俺の専門外。ラザロにも刻印しとけばよかったか……」
ジオが生まれ育った村に比べるとレティアは人が多すぎる。自然の声が聞き取り辛くもあり、探し物となると足か魔法に頼ることになる。今役立ちそうな魔法は同調と刻印であったが、どちらも対象を視界に納めないと発動できないものだった。
(キリカの話を全面的に信じるなら、あのおっちゃんは良からぬことをしている――となると、態々目立つ場所には出て来ないか)
ここまで考え、無造作に頭を掻く。歩いて人を探し出す、土地勘のないジオでは途方もない話のように思われた。ラフィーネやアビーに協力を求めるといった選択肢もあったが、ネギの勇者としては女性を巻き込むことに抵抗がある。
「グリデルタくらい気の強い女の子だったら……いーや、やっぱり勇者が市井の人を危険に晒す訳にはいかん。となると、シャロに頼むしかないか?」
策を立てようとしたものの、彼には向かないか。自身で選択肢を潰していく結果になる。人混みの苦手な精霊が嫌そうな顔をする様が想像できたが、背に腹は代えられない。
人を救ってこそ、勇者。シャロに借りを増やすことになるが、昨日出会った少女を捨て置くことはどうしても出来そうにない。
「――何だ?」
不意に、少年勇者は顔を上げた。敵意ではないが、何かが近づいて来ている気配を察する。即座にドアノブを握ると、右の拳も固く握り締めてみせる――この町ではネギの勇者はアウェイもいいところだ。
準備は整った。考えることには向かないジオだが、決断は非常に早い。何者かが部屋に飛び込む、その前にこちらから扉を開けていた。
「あれ、ラーフィーネ、さん?」
右手をグーからパーに変えて、ジオはギルドの美人受付嬢を迎え入れた。敵ではなく、彼女が現れたことにホッとしつつも、違和感を覚える。
ふわふわの金髪は昨日どおり。装いは少し変わり、ギルドの制服姿ではない。清楚ながらも女性らしさが窺える――衣服に疎いジオではわかりようもないが、おめかしされている。
俯き加減の姿勢で、服に皺が出来ることも構わず手で握り締められていた。そろそろ町が起き出そうかという頃合い、挨拶も抜きにラフィーネは勇者に向かって顔を上げた。
「助けて、ください」
「……わかった。誰を助けたらいい?」
何故彼女が絞り出すように助けを求めたのか。状況を理解出来ていなくとも、勇者は応えた。
綺麗な顔を涙でくしゃくしゃにしたラフィーネは、ところどころ肌に擦り傷を作っていた。紐靴は片方しかなく、やわらかな髪も乱れている。どれ程急いでネギの勇者を訪ねて来たか。それは鈍いジオであっても理解出来た。
「おじさんが、おじさんが……」
ラザロに殺される。
口を引き結び堪えていた。それが勇者に向かって口が開れれば、嗚咽が漏れることを止められない。
「そう、か。うん、わかった」
ジオは今にも崩れ落ちそうな彼女を手近な椅子に座らせる。その細い肩が震えていることを知り、会話中に不自然ながら自身の顔を掌で覆った。
「怖かったろうな。よく、教えてくれた」
顔を手で隠したままネギの勇者は語る。声は努めて冷静に出せたが、別人と見紛う程怒りに歪められたこの形相は、守るべき人たちに見せる訳にはいかない。




