ネギを背負ってやってきた 1
「うーん……」
忙しなく歩き回りつつ、少女は唸った。朝から何度も同じ道を往復しては、こうして不満の声を溢している。もう既にしびれを切らしつつあったのだが、目を離した隙にということもありかねない。
これから現れるだろう人物には、村の未来がかかっているのだ。飽きたから辞めました、とはいかない。
「だーー、いつになったら来るのよ!」
ガルルと吠え、少女――グリデルタはその不満を盛大に溢した。
暇なものは暇なのだ。次期に成人になる彼女であるが、その顔にはまだあどけなさが幾分も残っている。大きな瞳は、ネコ科のそれのようにギョロギョロと動き回っていた。美人というよりは可愛いという表現が似合う。元気が溢れている、そういえないこともないが、細い眉を寄せて歩き回る姿は落ち着きがない、の方が適切か。
村の入り口でお迎えのためにこうして立ち続けていた彼女であったが、気がつけば時刻は昼食時。来るかどうか、そもそも存在自体が怪しい人物を待つことは、かなりの苦痛であった。
グー、と可愛らしい音が響く。
腹の虫が鳴く音を聞くと、何やら情けない想いに駆られてしまう。何やら怒りに燃えていたグリデルタであるが、空腹を自覚するとがくりと首を傾けてみせた。日に焼けて茶色がかった髪も、彼女の心を代弁するように垂れ下がっていた。
(なーんで、私がこんなことしてんだろ。勇者なんて、こんなド田舎に来るわけないのに……)
勇者といえば、魔物から人々を救う希望の星だ。この辺りの有名どころであれば、“暁の勇者ガッシュ”を誰もが思い浮かべる。光の加護を受けた勇者は、宝石剣を手に闇を切り裂くと、吟遊詩人が熱を込めて語っていたことを彼女は覚えていた。
吟遊詩人が語る勇者というものは、諸国で活躍をしている強者であるため、報酬も高い。当然このようなちっぽけな村にわざわざやってこないだろうことなど、牛追いをする子どもでも理解できることだ。
村長である父には彼女も何度か抗議をしたが、“必ず勇者は来る!”の一点張りで取り付く島もなかった。救援要請の手紙に返事あったもん! と、子どものような返しをする父親を見て以降、何を言っても無駄だろうと彼女は諦めることにした。今、村は藁にも縋るような状況にあるのだから、父の奇行も仕方のないものだと思う他ない。
――大きな戦があった。
それは彼女の生まれる前のことであったが、父や母からその凄まじさを嫌という程聞かされて育ってきている。二つ程向こうの国で始まった、人と魔物の争いだ。人類にとって魔物は身近にある脅威で、それだけであれば“いつものこと”で済む話だった。
いつもと違う点を挙げるとするならば、この争いが長引きに長引いた点を誰もが指摘する。
魔物との争いが収まりつつあった時に、勢力拡大を狙った周辺国家の介入が始まった。中には魔物が有利になるよう策謀する者もいた結果、最早収集もつかないレベルで泥沼化してしまった。魔物の襲撃を受けようが、今の世界は平和になっていると大戦を経験した人々は口を揃えていうのだ。
「大体、そんな大きな戦だったってのに、終結した理由が『わからない』ってなんなのよ! 勇者がいたらしい? そんな言葉一つで片付ける辺り、嘘くさいわ!」
ブスっと膨れ面を作り、グリデルタは到頭地面にヘタり込んでしまった。山間の農作業に向かないこの地で、毎日土をいじる生活には飽き飽きとしている。その上、収穫したものの幾らかはゴブリンをはじめとする魔物に掻っ攫われてしまう。
吟遊詩人が語るような勇者が、いつかは自分を救い出してくれるのではないか?
村長である父から、勇者はお前が接待するのだ! そう言われた時に、妄想にも近い期待を抱いてしまったことを、少女は今更ながら恥ずかしく思っていた。こんなことでは、白馬の王子を信じている幼馴染のエイミーを笑ってはいられない。
「待って、今の考えは、なし! なしよ!」
針葉樹の隙間から覗く天へ向けグリデルタは再び吠えた。エイミー並みのポエムを披露してしまったことが余程恥ずかしかったのか、頭をワシャワシャと掻いては地面へうずくまってしまった。
(あー、でも、勇者はともかくとして、誰か助けてくれないかなぁ。出来れば爽やかな青年でお願い!)
「あのぅ……」
「何っ!? こっちは今、忙し――」
空腹と疲労からつい怒鳴ってしまったが、言葉の途中でその勢いは失われていった。声の方へ顔を上げたグリデルタの視界に、この場には似つかわしくない少女が映り込んでいた。
この世ならざる――村娘はそんな感想を知らずの内に胸中で漏らす。
実際に、とても美しい生き物が彼女の前に現れていた。
腰元まで伸びた髪はごく薄い藍色で、日の光を受けて緑色に輝いてみせている。白いローブを身に纏った姿は、村ではお目にかかったことのないもので、どこか常世離れした妖しさが窺える。瞳は赤く、肌の色はとても白い。華奢な身体つきの割りに頬はふっくらとしており、陶芸のような美しさの中に少女らしい可愛らしさを持った存在だった。
まるで吟遊詩人が語るお姫様のようだと村娘は思う。ツギハギのあてがわれた服に、日に焼けた髪と肌――己と同じく成人前の少女がどうしてここまで綺麗なのだろうか。余りにも真反対な生き物を目撃したグリデルタは、思わず思考をパンクさせていた。
「もしもーし、気分悪い? 大丈夫?」
「――っと、ごめんなさい。聞こえてます!」
白い少女の声に気づき、娘は勢いに任せて立ち上がる。その姿を見て、白い少女はニッコリと微笑んでいた。同性から見ても、美しいと思えてしまう。
出会い頭には、女としての見栄えの違いを感じ取り、神を怨みそうにもなった。だが、少しばかりの時間が経てば、何とか呑み込める範囲にまで冷静さを取り戻してみせていた。
彼女は今朝方も父を馬鹿にしていたことを、心の内で詫びる。そして、この存在こそがきっとそうなのだ、と確信した。
「あ、あの、貴女が勇者様ですね!」
「ちがうよー、私じゃないよー」
「――はぁ!?」
少し遅れて勇者は来るよー、と少々間延びした声で少女は山道へ指を向けた。
少女が顔を元の位置へと戻す頃には、村娘は苦いというか渋いというか、なんとも強張った表情を浮かべていた。再び、この嘘みたいに綺麗な少女は首を傾げる。が、それも束の間のことであった。相手のペースなどお構いもしない呑気な声が森を打つ。
「うん。間違えられたことは、もういいやー、取り敢えずは村長の家まで案内してねー」
興味が失せたのか、少女は首の位置を戻してすいーっと移動を始めていた。地面から少しばかり浮いていた少女は、歩くことなく進み始めていた。
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
慌ててグリデルタは少女を追いかけた。農作業で鍛えられている彼女が走っても、追いつくだけで骨が折れた。余りの出来事に、これは自失している場合ではない、と不平不満は全て心の中で叫ぶことにする。ついでに、彼女の心の中はざわつき始めていた。
(これだけ綺麗なんだから、特別な存在だと思ってしまったとか。初めて神父様以外で魔法を使う人を見たけど、案外軽々と使うわねとか。いやいや、そんなことではなくって!)
目の前で平然と奇跡が披露されていることに、グリデルタは半ばパニックに陥っていたといっても差し支えない。慌ただしく回る頭は、次第に落ち込んだ理由へと辿り着く。
これだけ綺麗な女の子であれば、後から来る勇者の恋人ポジションにいるのだろうと、ようやくシンプルな考えに至っていた。自分を村から連れ出してくれるような、爽やかな勇者なんてものは、やはり幻想か――怨むことはお門違いだと彼女もよくわかっていたが、それでも期待が裏切られたように思ってしまうのも仕方がない。
「もうちょっと、スピード落としてよ!」
息せき切りながら魔法使いを追いかける。エイミーの自宅前を通過した時に、これからはもう少し彼女に優しくしよう、などとグリデルタは考えていた。