無名の勇者がやってきた 2
(やってしまったーー! 終わった。私、終わったわ!)
レティアギルドの受付嬢、ラフィーネはカウンターに頭を埋めたままの姿勢で、肩を震わせていた。正確な事務業務とともに柔らかそうなブロンドの髪が評判の彼女であったが、今はそれも木製の机の上に投げ出されている。もうどうてもいいや、そんな投げやりな態度が見てとれたことだろう。
憔悴し切った顔をしている彼女の人生は、振り返るに随分と肩肘を張ってきたものだった。
口うるさい父親、不平ばかりを垂れながらも父に逆らえない母親に反発をして、この町へ流れてきた。商売人の娘であったので、銭勘定が得意だからとギルドの門を叩いて幾数年。女だてらに働くのは、一口で語るには惜しい程の紆余曲折があったものだ。人間二十七年も生きていれば、それなりのエピソードもあるというもの。
(もう、田舎に帰ろうかしら)
レティアの華と讃えられていることは、単純に喜ぶべきことであった。それでも裏では氷の女だとか、男を寄り付かせない女傑だとか、好き放題に言われていることを彼女は知っている。
ギルドは公共事業なので、受付担当者には望外な報酬がある訳でもない。だが闘技場を有するこの町のギルドにあっては、多少の不平には目を瞑れる程度のお給金が支払われていた。しかし、それらもここまでなのだという確信がラフィーネにはあった。ギルド創設者の推薦を受けた少年勇者を、あろうことか晒し者にしてしまったのだ。
(いやいやいや。ネギの勇者だなんてバカげた存在、笑うしかないじゃない!)
先程から胸中で毒づき続けるラフィーネは、一周回って怒りの感情に駆られていた。それもやり場のないものであったので、彼女の中だけでぐるぐる回るに留まるのだが。己の失態が招いた状況であるので、もう殺すなら殺せ、という心境でもあった。
「勇者が乱立するのは、困るんだ」
幾ら待てども彼女を糾弾するような声はない。代わりとばかりに、ネギの勇者なる人物へ投げ掛けられた言葉に意識を覚醒させられてしまう。
「ちょっと――」
寝耳に水というか、バケツ一杯分をひっくり返された心地で、受付嬢は顔を上げた。眼前に繰り広げられようとしているのは、勇者対勇者の異種格闘技戦だ。
先日町にやってきた黄金剣士が、緑の全身鎧に身を包む少年へとその刃を向けている。争いごとが日常茶飯事のギルドであっても、他所からやってきた勇者同士の激突は避けるべきなのではないか。ギルドの受付から平穏までを任されているラフィーネは大いに葛藤していた。
「……勇者様」
己が主へと剣が突き付けられている。この状況にあって、従者である中年の男は低く呻いていた。
勇者は悪鬼より人を救うべく力を与えられている。種族として、生まれつき力の差がある魔物に対抗できるのもこのためだ。オッサンの頭には主人が負けること以上の不安が過っていた。大恩ある先代の息子が、禁を破ってペナルティを受けかねないこの状況を危惧しているのだ。
「ああ、そのなんだ。私は田舎者なので、気を悪くしたのであれば謝るが、いきなり剣を抜かれては困る」
「……何?」
突き付けられた黄金に輝く剣、その切っ先を左手で摘まんでジオは述べる。危機的状況にも関わらず、対峙した勇者が怪訝に眉を潜めてしまう程に、ネギの勇者は静かに言葉を継げていた。オッサンが心配するまでもなく、彼には人間と争う理由はなかった。
「ネギの勇者とやら、私を馬鹿にしているのかな」
謝ったからといって、赦されるとは限らない。黄色の勇者は引かず、ジオの瞳を真っ直ぐに睨み返している――振り上げられた拳は行き場を求めるものだ。
今や、黄色の勇者は剣の納めどころを失っている。それは本人ではなく、仲間からけしかけられたのであるのだから、当然のこととも言えた。
まして、人前で争いの熱が最高潮に達してしまえば、拳は振り下ろすしかない。それでも、まだ剣がジオの鼻先に突き付けられたままなのは何故か。緑の全身鎧を着込んだ少年は、危機迫る中でも表情を変えることなく説得を続けていた。
「私は加護を受ける神より、人間同士の争いを止められている。金色剣士よ、お頼み申す。どうか、どうか剣を引いてくれ!」
「お前、何を言っているんだ、さっきから!」
おいどうした、やんねぇのか! 観衆からはヤジが飛び始めていたが、剣は一向に動かない。煽りを受けてか、黄金剣士と呼ばれたトリルの顔は赤いものへと変わり始めていた。
「トリルの兄貴、俺が出る。焚きつけてしまったのはすまないが、俺がこいつらにわからせてやるよ!」
勇者と勇者の争いなどは、未だに吟遊詩人が謳うことも少ないものであった。いよいよその激突が見られるかというところであったが、闖入者の声によりそれは断たれる。
「コーディー、お前が出る必要は――」
「いいえ、兄貴。ここは俺が!」
外へ出な。そのような言葉が吐かれれば、勇者は互いに力を解いてみせる。そのことで剣は鞘へと納まり、緑の全身鎧を着た少年も両掌を広げていた。何にせよ、ギルドの屋内で争う訳にはいかない。
足早に扉をくぐったトリルとコーディー。その背中を従者と追っていたジオであったが、出口に達したところで、思い出したように振り返っていた。
「お姉さん、お騒がせしてすみません」
「あ、いえ、お構いなく……」
受付嬢がカウンター越しに手を伸ばそうとしていたが、何も掴むことなく戻された。集まった人々は勇者らの後を追ってギルドの外へと出てしまったのだから、これ以上出来ることもなかった。
どうせ首になるのだから、どうにでもなれ――そのような心境でいたラフィーネであったが、笑いものにしてしまった少年に気遣われていては世話のないことだ。気づけば観衆とともに彼らを追いかけていた。
「てめぇ、本気を出しやがれ!」
コーディーは眼前の少年に向けて怒号を飛ばす。トリルと旅を始めて以来、彼は強敵らしい魔物を見た記憶がなかった。自分は強い――少なくとも黄金剣士の次には強いのだ――このように思い込んでいた彼は、必死になって刃を振るう。
「いやいや、私は信奉する神に人間同士の争いを止められているのでな」
困ったような顔をしているが、声の主は左手だけで斬撃をいなしていた。
大きく湾曲した三日月形の薄い剣は、斬ることに特化した武器だ。だが振るわれたそれは、するりと流れていく。
これまでトリルとの旅で多くの魔物を斬った業物であるのに、まるで通じない――手足の長い男は焦りに焦った。一撃で致命傷は与えられないものの、相手に次を取らせないよう斬り続けることが、彼の売りなのだ。だが、目の前の勇者を名乗る少年には通じていない。
「田舎者のしたことと……許してはもらえないものか」
「――――っ!? ふざけるな、とっとと剣を取れ!」
大きく刃を振るうことで、コーディーは緑の全身鎧を着込んだ人物と距離を作る。頭は沸騰しつつあった。自分が最強、などと自惚れるつもりもない。それでも同じ人間種を相手にして、ここまで通じないものなのかと奥歯を噛みしめてしまう。
(いや、全くふざけてないのだが。剣を取れとか、無理難題を言ってくれるなよ!)
クレームをつけられても、心内でぼやくしかない。剣が抜けないから、手を抜いているように見えるのは心外だった。ジオは、いつだって本気なつもりでいる。しかし、丸腰の相手に軽くいなされるなどあっては、黄金剣士などという立派な勇者のお付きは黙ってられないと理解するのが精一杯だ。
「私は剣が使えないと……嘘じゃないんだがなぁ」
器用にも左手で相手の剣の腹を抑えてきたジオだが、いい加減面倒くさくもなってきていた。これまでも旅の中で『どうやって魔物を倒してきたんですか?』と尋ねられることはあった。馬鹿正直に『殴り倒したんですよー』と答えても誰も納得してくれなかったことが悲しみを生んでいる。
事実、ネギの勇者はルファイド神より受けた加護により慮外の力を発揮できるのであるが、その代償に面倒くさくなる程の制約も抱えていた。その一つが、剣に類する武器が扱えなくなるというものである。
魔物相手にも武器が使えなかったので、必然護りが上手くなってしまったのだが、これがどうにも人間を相手にするとウケが悪い。大抵は、眼前の相手のように手加減をされていると思い込まれ、退路を断ってまで挑まれる事態になってしまっていた。
「その辺で、引いてくれまいか。いや、引くように言ってくれないか?」
腐っても、ジオは先の大戦を終結させた勇者の息子だ。町のゴロツキの延長線上にいるようなコーディーに負けることはない。人間をぶっ飛ばすつもりもないので、手足の長い男の主人へと声を掛ける。掛けるというか、もうお願いをしていた。
「……こちらが仕掛けたことではあるが、コーディーにもプライドがある。本人の意思を無視して引かすようなことは、出来ないな」
軽く首を振り、伸びた茶髪を揺らしながら黄金剣士はお手上げのポーズを取っていた。従者をコントロール出来ない――などではない。この勇者は、人間を相手に戦えないと知った上での振る舞いだった。
「今更逃げるなーっ」
「お前、本当は勇者じゃないんだろ!」
随分と強い言葉がジオの周辺から放たれる。トリルはこれらに笑顔を向けたいところであったが、努めて冷静に振る舞っていた。ネギの勇者なるものが焦れば、十分なのだ。
そもそも観衆にしてみれば、勇者の戒律など知ったことではない。防戦一方の自称勇者は、町の人を味方につけることなどは出来ない。町中では全力を出せない勇者など、ゴブリンを追い込むよりも容易いと言える。
「もういい、殺してでも本気を出させてやる!」
攻めあぐねいたコーディーが、腰元から二本目の剣を取り出す。先程まで構えていたものとコンセプトは同じでありながら、幾分か小ぶりになっている。それを利き手に納めると、攻め手はより加速された。
「あ、こら、俺は丸腰だぞ!」
苛烈な攻撃に見舞われ、思わずジオは普段の話し方に戻ってしまう。レベル差がある相手だったと高を括ったことが不味かった。
単純な能力の差が結果に直結するのであれば、先の大戦で人類はとうに死滅している。そうならなかったのは、レベルや能力の差を埋める技能が人間にはあったからだ。少なくとも、今のコーディーは片手でいなせるものではない。
(くそ、短い方の剣が面倒だ!)
心の中で毒づきつつ、今度はネギの勇者が後ろへ大きく飛びのいていた。
相手が武器を持っていたとしても、それが一本であればこの少年には通じない。単純に膂力の強いジオは、相手の攻撃を力任せに弾くことが出来る。
だが二刀流、こと一撃ではなく連撃を念頭に置いた者が相手となれば、話はもう別物だ。一方を弾いたところで、次の一撃が待っている。相手は魔物ではないので、問答無用に殴ることも出来ない。そもそも無手と武器持ちではリーチが違い過ぎる――様々な要素があるが、ジオという少年は器用な人間こそを苦手としていた。
「勇者様、これを!」
後ろへ後ろへと下がり、相手の攻撃を払っていた緑の勇者は、壁を背にしたところで天の助けのような声を聞いていた。今までは見せていなかった蹴り技を放ってまで、コーディーと距離を大きく取ることに努めた。全ては、従者から投げ入れられた武器を手にするためだ。
「オッサン、感謝するぜ!」
右手でそれを掴むと同時に、ジオは後方へそれを大きく引き絞っていた。いつもの殴る動作と同じく、連動するように右足は、開いた距離を詰めるべく踏み込まれていた。
「お、おい、やめ――」
黄金剣士の従者は、驚きによって細い目を限界近くまで開いていた。先程まで防戦一方だった人物が突然として攻めに転換しているではないか。
「ふんぬっ!」
勇者は手にした武器を勢いよく振り抜く。相手が何事かを喚きながら飛びのいていたようにも映っていたが、ジオが力一杯に振り抜いた時点で決していた。異業種のゴブリンを拳一つで吹き飛ばす彼が、武器を握るとなればどうなるか。
延長され、長さが増した鉄器に常識外の力がかかる。木製の柄の先に備えられた鉄の塊は、遠心力を伴って迫った。相手は必死に剣を合わせていたが、薄手であるために横合いから一撃を受けては、ひん曲がっておしまいとなる。
「あ、ああ……」
その場にへたり込んだコーディーは、思わず視線をさ迷わせた。黄色の鎧を纏った主と目が合えば、その首が左右に振られる様が映る。体力の問題ではない。武器も戦意も、根こそぎ曲げ切られてしまえば、これ以上何をしろと言うのだろうか。
「えーっと……決着、なのかしら」
細身の男が声もなく膝から崩れ落ちるのを見て、ラフィーネは独り言ちた。ギルドの受付を担当してきた彼女は、人間同士の争いも幾らか目にしてきている。
しかし、鍬などという農具で武器を破壊する人物など、それなりに永く働いてきたが見たことも聞いたこともなかった。
己の目を疑いたいところであったが、半裸の男が、今回の鍬は当たりでしたな、などと嬉しそうに言うのだから、見間違いではないようだ。
「うん。やっぱり、私は首かな」
先程嗤い者にした少年は、勇者と呼ばれるだけの力量があるのだとわかった。強い勇者が現れたことは嬉しいが、無礼を働いた自分の行く末を考えると、どうにも身震いが止まらないラフィーネであった。




