無名の勇者がやってきた 1
レティアの町にあるギルドは、この日も多くの人で溢れかえっていた。レジナス王国にて発足されたばかりの頃は“勇者ギルド”と呼称されていた筈だ。しかしそれも今では単にギルドと呼ばれている。
緑の全身鎧に身を包む少年は、故郷の村の様子との違いに少々戸惑いつつも、妙なところで納得をしている。
(ここにいるのは勇者だけじゃないんだなぁ)
「依頼や金銭の授受の他、ケガ人の治療、アイリス教の勧誘に食事や酒の提供……大きなギルドってのは、様々な人の存在で成り立っている訳ですな」
「へぇ、何でも知っているんだな」
隣にいる半裸の中年男へ視線を移せば、したり顔とともに首肯されてしまう。ネギの勇者として駆け回ってきた彼の戸惑いなんてものも、永らくお供をしていたオッサンにはお見通しの様子であった。
いつまでも入口を塞ぐ訳にもいかず、二人は報酬受け取りの窓口の列にまで進むことになった。
「ギルドは、先代が大戦を終結させた後に出来たものですから。丁度私の青春時代とギルドってのは、うまーく重なっているんですな」
歩きながら、ニッと白い歯を見せて男は笑う。いかつい見た目とは裏腹に、この男の表情は無垢な少年のごとき爽やかなものだった。二代目ネギの勇者との旅を振り返っての笑顔だったのだろう。
それにしてもギルドというものはいいものですぞ、このように言われてしまうと、ジオも心の奥から何かがウズウズと湧きあがるような想いに駆られる。先代勇者のことはよく知らない少年であったが、オッサンのこの表情だけで旅が、人との出会いがあったギルドというものが素晴らしいものなのだと思い始めていた。
「なぁオッサン。今回の報酬の手続きは、俺にさせてくれないか?」
「雑務なんてもの、従者に任せていただきたいのですが……」
「何だ歯切れが悪いな。大体、オッサンは俺相手に過保護な気がするぞ」
「そりゃぁ、勇者様は大恩ある先代のご子息なのですから。無礼はできますまい」
折角勇者を名乗っているのだから、ゴブリン討伐の報酬受け取りやギルドの人とも話してみたい。このように思ったジオであったが、従者からの悪い反応に早速水を差されていた。
思えば、ネギの勇者になってからしてきたことと言えばモンスター退治、または荒れた農地にネギを植えての豊作祈願程度のものだった。まだまだ年若いとは言えど成人を既に迎えた彼としては、いい加減世間知らずのままではいられないとも思う。
「あのねぇ、俺は十二の頃から闘うか祈るかしか能のない人生だったんだよ。先日あの村で思い知らされた。俺は人間らしい暮らしってやつを何一つ知らない――とね」
ここまで口すれば、勇者は知らずの内に首を深く折って俯いた。
人間らしさがあれば、あの村娘からのメッセージの意味も理解できたのではないか。そう思えば、十七歳の少年としては落ち込まざるを得ない。グリデルタの言葉がプロポーズだったかは別にしても、勇者を継いでからあんな風に感謝されたことすら、彼には今までなかったのだ。
「わかりました、わかりましたから! そんなに落ち込まないでくださいな」
レティアの町に到着するまで、勇者が道中で一言も口を利かなかったことを思い出して、従者は慌て始める。そうこうしている内に、カウンターでの順番も回ってきていたのだった。
「お待たせしました、お次の方どうぞー」
ハキハキとしつつも柔らかい声に促され、二人は制服姿の女性の前へ進む。勇者は勢いよく身を乗り出していたが、担当者と目が合った瞬間に上体を後ろへと反らしていた。
「受付はギルドの華、女性にとって人気職ですから、どこのギルドでも驚く程美人が務めているものですぞ。美人のお姉さん相手だからって、引かないでくださいね……これが書類です」
「お、おぅ……」
従者から小声ながらに捲し立てられると、勇者は姿勢を直立へと戻した――ただし、油の切れた滑車のようにぎこちなく。
その姿を見て、オッサンは聞こえない程度に溜め息を吐いていた。ある意味で、シャロ以上に世間知らずなこの少年に任せるのは気が引ける。しかし、なるようにしかならん、と従者は心の中でルファイド神へ祈りを捧げる。
「ご依頼の発注ですか?」
「あの、報酬の、受け取りです」
「え? お受け取りでしたか。失礼しました」
やりとりの一発目から、想定外の言葉が投げかけられ、ジオの瞳は盛大に泳いだ。オッサンにとっては想定内であったのだが、その姿は見ていられたものではなく、天を仰いでしまっている。このオッサンの心の声を代弁するならば『神よ、勇者をお助け給え』であろうか。
受付のお姉さんからすれば、鎧を着ていようが、ジオは依頼を受ける側にはまるで見えなかったのだ。
「あの、失礼ですが、勇者登録証を……」
ふわりとしたブロンドの髪を揺らして、受付嬢は困り顔を浮かべていた。登録証を見せろとハッキリ言えないことには理由がある。魔物退治を請け負う勇者は、一つの拠点を持たない者もいる。見たことのない大英雄の可能性もあるので、簡単には証明してみせろと言えないものだ。
大抵の勇者には、神より授かった剣のようなシンボルがあるが、稀にジオのようにわかりやすいシンボルを持たない者もいる。
「登録証、登録証ー……これ、かな?」
ドギマギとしながらも、勇者は束になった書類の中からそれらしいもの――羊皮紙の巻き物――をカウンターへ手渡した。周囲がざわついた様子へと変わったのであったが、ジオは慣れない手続きに緊張していたため、まるで気づかなかった。その顔色は彼の全身鎧程に青くなりつつある。
「はい。お預かりを――っ、これはっ!?」
不慣れなことをしている勇者とは対照的に、慣れた手続きをしているにも関わらず、お姉さんの表情が変化していた。
「失礼しました、ジオさん! ヴァリスナード様よりご推薦を受けた方へ、ご無礼なことを!」
「へ――?」
随分と間の抜けた返事を勇者はしていた。登録証とやらを確認した受付嬢の表情が一変したことに驚きが隠せない。
「おい、羊皮紙に金印て」
「ヴァリスナードって言えば、ギルド立ち上げに尽力した人物だろ?」
「黄金剣持ちといい、やべーヤツらがこの町に集まったもんだ」
立派な全身鎧を着た少年を物珍しく思っていた人たちが、今では遠慮なく声を上げていた。ざわつきは拡大し、くつろいでいた他の勇者や、近所の子ども達まで集まる始末であった。
「オッサン、この登録証って、すごいの?」
「……実は相当にすごいんです。ですから、堂々としててください」
やはり小声で返す従者を横目に、ジオは改めて受付嬢へと向き直った。
初めてのおつかいのような感覚であったが、目の前の人物も彼が勇者であることを今では認めている。この場に集まった人々の視線を受けながら、勇者は胸を張っていた。
(俺、親父の偉業を伝えることが出来たのかもしれない!)
やったぜと心でガッツポーズを取るジオを知ってか知らずか、受付のお姉さんは粗相があってはならないと報酬を粛々と準備する。その様を見ながら、オッサンはもう一度天を仰いでいた。
「そ、それでは――」
パチリ、と計算機を叩いてお姉さんは言う。プクク、という息が漏れていたが、それは熱狂する周囲のざわめきにかき消されていた。
「それでは登録名“ネギの勇者”様。ゴブリン討伐の報酬、八千シェノメをお渡ししま――ぷふふぅ……失礼しました。お納めくだしあっははは」
「……八千シェノメ?」
高い笑い声の後に続いたのは、誰の声だったであろうか。勇者のものだったかもしれないし、外野のものだったかもしれない。ドシャリと音を立てて皮袋がカウンターを打つことで、色々な声が遮られていた。
実際にカウンターに置かれた革袋は、精々子どもの掌に収まる程度の大きさであった。貨幣価値をよく知らないジオはニコニコとしていたが、オッサンが奪うように懐へそれをしまうと同時に肩を抱かれて回れ右を強制される。
ネギの勇者って何ですか、先程までの緊張感はどこへやら。受付のお姉さんはカウンターへ頭を埋めて肩を震わせていた。
「なんでぇ、ゴブリン狩りか。ボンボンが箔をつけるための依頼かよ」
出来レースじゃねぇか、そんな言葉が口々に吐かれる始末――八千シェノメと言えば旅人一人が二泊もすれば失せてしまう程度の金額だった。本来ゴブリン一体討伐したところで得られるのは二千シェノメ程度であるのだから、ギルド内に嗤いが蔓延することも無理もない。
「勇者様、参りましょう」
「もういいのか?」
何を笑われているかわからないジオは、呑気な表情を浮かべていた。一方でオッサンは眉間に皺を寄せてギルドの出入り口を目指す。かの先代勇者も無理解に晒されることは少なくなかった。慣れたものではあったが、勇者の戦いぶりを知らずに嗤う人々を前にしていると気がどうにかなりそうでもあった。
「おい待てよ、偽勇者」
後少しで扉に手が掛かる、その寸前で声が上がった。背は低くも高くもない人物だった。妙に高い鼻に倣ってか、細身の割りに手足が長い。そのフォルムのおかげか、一層細長く映る瞳はどうにも意地悪く見えてしまう。
「何ですかな?」
状況を呑み込めない少年を置いて、従者が声を張っていた。
いつも温厚なオッサンであったが、ネギの勇者が嗤われた後にあっては幾分も機嫌が悪くなろうというものだ。今頃になって彼は後悔を始めていた。いつものように自分が事務手続きの全てを行えば、このような事態には陥っていなかっただろう、と。
「何ですか? じゃねぇよ!」
そのような状況などは意に介さず、偽勇者呼ばわりした人物は再度声を張る。扉を塞ぐように伸ばしていた足を地面に下ろす様は、パフォーマンスとして悪いものではなかった。現にギルドに集まった人たちの視線は彼へと――否、彼の主人である人物へと向けられている。
「この町のギルドは寛容だが、オマエみたいな成金が勇者を名乗るってのは、いただけないなぁ。真の勇者ってのは、この方のような傑物を指して言うんだぜ?」
ふふん、と鼻を鳴らして手足の長い男は腕を振る。自慢げに紹介をされたその先には、一人の青年が佇んでいた。
茶色がかった髪と瞳は、高い背丈を称えるようであった。身に纏った黄色の甲冑は立派の一言だ。何より――
「キミも、勇者なのか?」
凛とした声とともに引き抜かれたものに、観衆はどよめきを歓声へと変えていた。鎧以上に輝かしいそれは、黄金色を放っている――一目見て異彩を放つその剣は、誰もが吟遊詩人より謳い聞かされていたそれであると、直感的に理解していた。
黄金剣士トリル、誰かがそのように彼を呼んだ。
「ギルドと同じように、勇者が乱立すると困るんだ。わかるよね?」
細身の長剣をジオの鼻先へと向けながら、噂の黄金剣士は笑っていた。




