勇者が名前を呼ばれた日
今日はよくわからないことばかり起こる。ゴブリンが脅威であることは知っていたが、あれ程にも恐ろしい魔物が村の近くにいるとは思ってもみなかった。結局は勇者が倒してくれたが、一番の問題はこれからのことだった。村に帰って一晩が経っても、自分の身に何が降りかかってくるのかを少女は考えたくもなかった。
(どうしてこうなったのよ)
一人胸中で唸りながら、自室を出たグリデルタは頭を抱えていた。いい加減観念せねばとも思うところであったが、出来ることであるのならしばらくは引きこもっていたい心境であった。
真新しい生地に指先が触れれば、心地よい感触に幾分か心が落ち着いたようにも思う。しかしそれが修道女としてのベールであることを思い出すと、溜め息に変わる。それを知ってか知らずか、彼女の父親は部屋から出た娘へ遠慮もなく声を掛ける。
「よく似合ってるよ。ああ、天国の母さんにも見せてやりたかったなぁ」
「……そうね、似合ってるならよかったわ」
いやぁ、まさか私の娘が神職に就くとはな。語るイサックは娘の心情はさておいて上機嫌であった。それが彼女の気持ちを余計に重いものにしているとはまるで気づいていない。グリデルタは、ありがとうとだけ答えて頭を一振りする。父には悪いが、いつまでもこうしているのは億劫であったのか、本人も無自覚の内に自宅の扉を開け放っていた。父の言ったまさかという言葉は、自分自身が一番強く感じているところだ。
人口の大半は農業なり畜産なりの生産業に携わっている――そんなことは羊を世話する子どもでも知っていることだ。しかし困ったことに、仕事というものは人の数程あり得そうなものだが、この世界では肉体労働が基本とされている。多くの人間を賛美したのか騙したのか、真偽は定かではないが額に汗をすることが美徳とされていることに間違いはない。
そんな世界の中で、マイノリティと言って差し支えのない精神労働、その中でも上位とされる神職に就くことなぞ、成人前の少女には想像もできないことだった。具体的に言えば、神の教えや生活の基礎を教える、儀式を執り行う職に就くとはこの村娘は夢にも思っていなかった。
「あー……前言撤回。想像つかないことって、幾らでもあるのね」
自宅の目の前、昼までは穴だらけだった地面が綺麗に整えられている様を見て、少女は独り呟いた。
先月にゴブリンが暴れてからそのままになっていたものが、ここまで一人の手で修復されていることには単純に驚いてしまう。そんなことは昨日の昼間に目の当たりにしていた筈だが、よりなだらかになった地面を見てしまっては仕方ない。あれから更に整えられていることは間違いないが、勇者の従者ならこれくらい為せて当然なのだろうか?
「考えるだけ、無駄なのかしらね」
はぁ、と溜め息とともにシスター見習いはぶつぶつと声を漏らす。それでも、彼女の表情は幾分か年頃の娘に相応しいものへ戻っていた。
こんな常識離れした人間がいるのかと思えば、少々気も晴れるものだ。否、勇者どころか精霊種などという途方も知れない存在と一緒にいたことに比べれば、自身の悩みなど小さいもののようにも思えていた。
「おや、どこの神官かと思えば、グリデルタ殿ではないですかな。よく似合っておいでですぞ」
「お世辞なら結構です! ただのシスターが神官と間違われるって時点で嘘でしょ?」
鍬を片手に汗を流す中年の男性へ、シスターになったばかりの少女は抗議の視線を送る。父親にニヤけられることも対処に困ったが、親戚のオジサンみたいな顔で話すこの男への返答にも困るところがある。厭ではない筈なのだが、どこか素直になれないことは自覚していたが、それ以上のリップサービスをするつもりもなかった。
「あれだけ荒れていた地面だったのに、よく直せたわね?」
気を取り直すためにグリデルタは話題を変えてみたが、見れば見る程に信じがたい。村の地面が平らに戻っているのは、一体如何なる加護のなせる業か。
「んー、まぁ修練を兼ねてのものですな。信仰により加護が得られるというのもありますが、我らが勇者が祈る神は少々特殊ですし……」
「そういうものなのかしら?」
結局は、勇者に追いつきたいがために鍛えた結果ですよ。疑問符を浮かべたグリデルタに、何事もなかったかのように半裸の男は笑っていた。明るい表情であったが、その声は幾分か陰が差し込んでいた。それでも、成人前の少女には男の機微は掴めないでいた。
むしろ、もうこの村を離れようか勇者が溢していたという情報の方が、彼女にとっては大きなことになっていた。
「勇者殿、幾久しくお健やかニ」
「若い者にはピンとこないかもしれませんが、健康が一番ですからな。お気を付けなさい」
「ああ、はい。実感がないですが、気を付けておきます」
世話になった老人たちの言葉に、勇者は笑みで答えた。嘘の吐けない性分なのは、彼が返した言葉からも見て取れる。異業種と呼ばれたゴブリンを倒した後、村からの歓迎すら断った彼は、夜半ゆっくりと村周辺を回っていた。
「本当に、何とお礼を言えばいいのやら」
「言葉の限り礼を尽くすがいいぞ」
言葉少ない勇者に代わり、村長の礼にはシャロが答えていた。随分と突っ込みどころが多い返答であったが、シャロが荒れた村の農作地にネギを大量に咲かせて帰ってきているため、勇者も反論は控えた。古今東西、戦争は飢えから起こっていると極論しても差し支えないと勇者は実感していた。結局は、毎日の衣食住が整えられていれば人は堪えることが出来る。翻して言えば、それらが保障されねば、人は武器を手に取ってしまう生き物なのだ。
「本当に、勇者様、精霊様には何とお礼を……」
「もういいぞ、村長?」
「いや、そういう訳にもいきますまい!」
冗談を言ってシャロは謝辞を遮ったつもりであったが、未だにイサックは頭を下げ続けている。人間が首を垂れようが彼女には関係のないことだが、ここまで引き下がらないとなれば勇者の足を止めることにもなりかねない。吟遊詩人が語る話の中には、救った村人に慰留され続け、生涯を小さな村のきこりとして過ごした男というものすらあった。そうなっては、シャロとしても面白くない。
「精霊様、村長の気がすまないってさ。もう少し丁寧に人間の話を聴いてもバチはあたらんだろう?」
「……ジオ、お前大分言うようになったな」
珍しく困っている彼女に向けて、勇者が煽るような台詞を吐くものだから、姉代わりのシャロとしては面白くない。うーん、と一言唸っていたが、やがて顔を上げると少女らしからぬ笑みを浮かべて彼女はこう言った。
「村長、くるしゅうないぞ。礼を尽くしたいのであれば、この村で起こったことは口外せぬことだ。ルファイドの力は秘匿されてこそ、真を発揮するものぞ。勇者を輝かせ続けたいなら、私の申しつけを努々忘れぬことだな」
「は、肝に銘じまして。この村で起こされた勇者の奇跡について、この私は一言も漏らしはしませぬ」
村を救い、新たなる作物を授けた精霊へ、村長は威勢よく答えていた。だが、端で聞いていた勇者は気が気でない。
(えーっと、この村で起きたことを口外しないってのは、どういうことだ?)
我が耳を疑うような言葉へ、勇者はしばし頭を回すことになった。これでも神官の息子として故郷では優秀とされていた彼だ。だが、理解が追いつかないというか、言葉を拒否したがっていた。
「うむ、よろしい……ジオ、解決したぞ? なんだ、面白くなさそうな顔をしているな」
「――か」
「なんだ、ジオ。お姉ちゃんも長年生きてて耳が遠いんだ。ハッキリ言ってみるよろし」
「今まで俺の活躍を摘んできたのは、お前か――と言ったんだよ!」
くわっと目を開き、勇者はここしばらく出していなかった大声を張っていた。それと同時に、父が無名であったことへの謎が一つ解けたような気もしていた。
「そうだよ。ルファイドは目立つの嫌いだし、グリオも宣伝して回るようなやつでもなかったんだ。それが今更何かあるのか?」
「……うん、もういい。もう、いいよ」
はあぁ、と大きく溜め息を吐きながら、村を救った勇者は肩を落とした。先代勇者と共に世界を回った精霊がこの有り様なんだ。道理でネギの勇者が無名な訳だと、少年は知りたくもなかった事実に眩暈を覚えていた。
そんな彼の肩を優しく触れるものがあった。歴史に名が刻まれずとも、人々の記憶には刻まれているに違いない。そのように思った勇者は、一度は下げた頭を悦びとともに持ち上げた。
「勇者様の業績は、このオッサンが心に刻んでおりますぞ!」
厭に白い歯を輝かせて、オッサンは勇者を慰める。だがそれは少年にとってみればどうでもよいことだった。名も無き勇者で終わった父の偉業を世間に認めさせたいそれが彼の動機の一つでもあるので、喜ぶに喜べないことだった。
「ああ、ありがとうな」
褒めてくれたことは確かに嬉しいものだ。だが、どうにも落ち込みが勝って勇者はトボトボと歩き、馬車の荷台へと身を投げ出してしまった。従者や精霊が何事かを続けていたが、積まれた牧草に身を埋めて瞳を閉じていた。
太陽が真上にやって来た頃、勇者一行を乗せた馬はカッポカッポと蹄の音を鳴らして村を離れ始める。一通りの挨拶済み、勇者が眠ってしまったとあっては、村に留まる必要も最早なくなっていた。
勇者様ー、と村人たちが声を上げるなか、息せき切った少女がお見送りの一段よりも一歩を踏み出している。踏み出したついでに、何かを叫んでいたが、眠っている勇者には見事なまでに届かないでいた。
「だーー、ふっざけんな!」
幾ら手を振っても、民衆に紛れて届かなかい。痺れを切らしたグリデルタは、走ってきた勢いそのままに利き手を大きく振りかぶった。
(なーにが、この娘は強いぞ、だ!)
心の中で吐き捨てた言葉ともに振り切られた手は、これでもかという程綺麗なフォームを取っていた。振り切られた腕、その指先は握られた物体が離れる最後の最後まで力が込められていた。
「お?」
最後の最後まで彼女が現れることを待っていたオッサンは、馬の歩みを止めることはなかったが、放物線を描くそれを見送っていた。華麗に放たれた石は、荷台へと突き刺さることが容易に想像される。普段ならば勇者を襲うものに険しい表情で迎え討つ彼であったが、この時ばかりは口元が綻ぶことを止められなかった。
「痛っ!? な、なに、魔物か? 魔物の仕業なのか?」
石の直撃を受けた勇者は、反射的に身を起こしていた。胡乱な頭のまま辺りを見回すが、それらしいものは目に留まらない。魔物といっても精々、老ゴブリンがにこやかに手を振っている姿が目に映る程度だ。
「がははは、勇者の癖に村人から石投げられてやんの!」
何が可笑しいか、横でくつろいでいたシャロが笑っている。しかしその笑いはオッサンが浮かべていたような柔らかないものだった。
「うっせぇな。こっちは二日続けて額に石を喰らってるんだぞ! もうちょっと優しく……」
寝起きに襲撃を受けた勇者であったが、語る内に何かに気づいた様子だった。石の直撃を受けた額には、村を訪れる前にはなかった筈のものが巻かれている。瞬間、改めて勇者は視線を見送っている村人たちへと向けた。
彼は借りていたものの存在をすっかりと忘れていたのだ。
「こらーー、勇者ーーーっ!!」
「あ、ごめ――」
これも反射的に謝っていた。見送る村人たちよりも三歩程前に出ていた少女が怒号を飛ばしていた。あんた忘れているよ、と少女は怒鳴り散らす。元よりネコのような瞳が印象的な少女であったが、今は仇を前にしているかの如くその目はつり上がっていた。
勇者は額に括りつけていた彼女のスカーフを外してみせる。だが、その姿に少女は一層険しい目をしていた。訳もわからなかった少年は、御者台にいる従者へ止まるように告げていたが、シャロもろとも全く彼の声には耳を貸さないでいる。
村人を守られたのであればそれでいい――これまでそのようにしか、この少年は考えてこなかった。否、その程度にしか村人には関わってこなかった。手に握りしめたものをどうすればいいのか、考えている間にも馬車は村から距離を広げていく。
「ごめんじゃない! それ、貸しにしとくから。高いんだからね!」
「お、おお……」
最期に大きな声をグリデルタが張り上げていたが、石を投げ声を張り上げた人物がシスターだったとわかり、あっけにとられるだけであった。
「わははは、愉快だねオッサン」
「愉快というよりは、満足ってやつですな」
村を離れ、馬車は街を目がけて疾走する。パカラパカラと軽快な足音が鳴る中で、少女と中年の男はとても嬉しそうにしていた。
「何で二人がそんなに嬉しそうなのか、よくわからん。まぁ、ゴブリンの手から村が救えたのは俺としても満足だが」
少年勇者は額をさすりながら二人の様子に首を傾げていた。何故彼女らが嬉しそうなのかが全くわからない。
思えば、石に括られていた手紙に気づいて音読してから二人はこうなのだ。何度考えてみてもさっぱりと理解が出来ず、勇者の首は更に深く傾いていた。
「ねぇねぇ、もう一回、もう一回手紙読んで!」
「……なんでだよ」
「いやいやいや、勇者殿を探して半日もグリデルタ殿は駆けずり回っていたのですから、読まねばならぬぞ勇者様」
あ、そう、と答えながら少年は再び手紙を開いた。急かされるのもなんだかなぁと思わないでもいたが、少女が想いを込めたものであるので、繰り返し読むことに抵抗はなかった。
「ありがとう、ジオ。次に貴方と会うまで、私ずっとシスターをしてるわ……グリデルタ」
「がっはっはっは。すごい、すごいよね、オッサン!」
「ええ、すごいですともシャロ様」
「……一体何なんだよ。彼女がこのスカーフをすごく大切にしていたって、言いたいのか?」
手紙を読み終えた途端笑う仲間たちに、ジオは口元を抑えながら半眼で睨んでみせた。子どもの頃に勇者を継いでから、名前を人から呼んでもらったのは、これが初めてであった。だからこそ、嬉しさは正直隠せない。だが、ここまで笑わずともよいのではないかとも思っていた。
「ああ、まったく気づいておりませんな」
「うちの勇者は本当に鈍いねー」
最早それらの言葉には答えず、勇者は再び牧草に身を埋める。ひょっとしたら、あのスカーフは母親の形見だったのかもしれない。そのように落としどころを自分でも用意するとこであった。だが――
「ジオ、シスターって神様にその身を捧げる存在だって、知ってた?」
「は?」
今更何を言っているのだろうか。こう見えて神官の家に生まれた少年にとって、そのくらいのことは知識として当然のように刷り込まれている。ただ、神に身を捧げるという言葉の意味はよく理解出来ずにいたのだが。
「勇者様は先代に似て、女泣かせですな……野暮な物言いですが、グリデルタ殿は結婚せずに待ってますよ、と仰っておられるのですよ?」
「……はあ!? ちょっと待て、ちょっと馬車止めて!」
ガバっと身を起こしてジオ少年は驚きの声を上げていた。行く村行く村で無名で通ってきた勇者にとっては、仕方のない話だったのかもしれない。吟遊詩人が語るような、村娘との恋模様なぞは無縁だと思い込んでいたのは悲劇というか、むしろ喜劇か。
「あーあ、ジオ、勿体なかったねぇ」
あの娘、成人したら美人になるよ。そんな風にシャロが煽るものだから、少年は尚のこと逸る気持ちを止めることが出来ない。
「お、オッサン、本当に馬車止めて。というか、引き返そう」
「馬車を止めてどうするのですかな?」
こうなりそうなことを予感していた従者は、朗らかに笑っては馬へ鞭を入れた。ヒヒンと嘶きが聞こえれば、馬車は依頼終了を告げるべく街へ逸った。
「ジオー、女の尻ばかり追っかけてたら、立派な勇者になれないとお姉ちゃんは思うんだよ。うん、試練なんだよ」
耐えてくれ、と勇者を導く精霊がかくものたまう。しかし成人したとはいえ、まだまだ若い勇者はとんでもない力で後ろ髪を引かれているのも確かだ。仕舞には荷台から身を乗り出すことすらしていたが、精霊の魔法によって止む無く押し留められてしまっていた。
「や、やめろシャロ! ネギの勇者なんて、びっくりする程モテないんだぞ? ここを逃したら、逃したら次なんてないんだ……な、頼むよ。村へ戻ってくれ!」
「うーん……」
人懐っこい赤い瞳を少女は勇者へと向ける。これ程に懇願してくるなぞ、ルファイドとの契約を望んだ時以来だろうか。真摯な瞳に、姉代わりは弱かった。出来ることなら、この愛すべき少年に人並の幸福を与えてやりたいものだ。
「ダメだ。オッサン、飛ばせ! 馬よ、天を翔けよ!」
「あいあいさー」
シャロの言葉にオッサンが鞭を強く握ったが、精霊の声を聞いた馬はそれよりも早くに力強く地面を駆けていた。この勢いであれば、夜になるまでには街へと着くことだろう。何事かを叫ぶ勇者の声を置き去りに、一行は新たな依頼を求めて次なる街へ急いだ。
無名の勇者の旅はこれからも続く。
次回、街へ討伐依頼完了を行うも、はした金しかもらえない勇者一行。
無名の勇者はギルドの勇者たちから冷笑すら受ける始末となり、従者のオッサンは天を仰ぐ。
そんななか、黄金の剣を持つ勇者と遭遇して一波乱。
第二話へ続く。




