ネギと村娘 6
異形のゴブリンから吐き出された炎が猛る。オークとも見間違う程の体躯をした者から放たれていたが、勢い大きさともに膨大な量であった。うねる赤は一瞬にして緑の全身鎧を呑み込んでいた。
「……」
鈍色の鎧を着たゴブリンは、一頻り炎を吐き終えると言葉もなく眼前を睨んでいた。口元から燻るものは、カハァという吐息に伴って未だくゆり続けている。
蓄積された痛み、感情を熱量へと昇華させる術。それこそが彼の、ヘスのとっておきであった。およそゴブリンには似つかわしくないこの特技、鎧こそ彼が人間へ復讐するための牙であった。
人間に虐げられ、里を追われた彼がここに至るまでには幾らかの月日があったが、それは今は問うまいとする。
(さて、どうしたものか)
ゴブリンは冷静になった、否――炎を吐き出し冷え切った頭で、視界を覆う黒煙を眺める。この技の欠点は、脳みそが沸き立つ程に苦痛を抱え込むということにある。ため込み吐き出すまでの間は、内にうねる熱に浮かされ、短絡的な攻撃しか取れない。
炎を吐いた今では、これまでの鬱憤を晴らすため、今度こそ人間の勇者を爪で撫でてやろうと気が逸っていた。
(……待て、待てよ。ここで、終わらせてよいのだろうか)
冷えた頭はしっかりと思考を進める。この炎は強すぎるのだ。放ったが最後、大型の魔物でも立っていられることはない。仮に立っていたとしても、炭化してその場に鎮座しているのみ。
完膚なきまでに叩きのめしたい強者に出会っても、納得するトドメをさせたことはない。何者にも負けぬ強さを願ったゴブリンであるが、炎を吐いた後は決まって白けてしまう。
「終わりは終わりか。となれば、次の人間だな」
勇者との決着は付いたことを、独白してみせた。
これは彼が自分に言い聞かせるための台詞だ。一度は解き放たれた感情も、人間への言葉を口にすることで再び赤黒く燃焼を始めることを、よく知っている。自らを奮い立たせつつ、ゴブリンは視界を回していた。
煙が晴れるまでは、後僅か。痛みに、怒りに脳が沸き立つ中でも、土地を奪ったものたちの姿が見えていた。爪はそいつらに振るってみせようと、全身を鈍色で包んだ魔物は笑う。ダメージを負う度に鎧は皮膚へと食い込んでいったが、これこそが己を強くするのだという確信があった。
炎を放ち、どこか白けてしまったとしても、彼の心の奥底にはいつまでも消えぬ業火が猛るのだ。人間に対する憎悪、それはいつまでも消えやしない。
「……忌まわしき神父とやらの目の前で、人間のメスガキを喰らってやるか」
不揃いな牙を剝き出しに、ヘスは嗤う。
これは、復讐だ。ただ魔物に生まれたというだけで彼を端へと追いやった者たちへの復讐だ。その中には、幼く弱かった頃の彼自身も含まれる。人間の報復を恐れて、自給自足の農耕へ生活をシフトさせようなどという者たちに追いやられていた、かつての自分こそ恨めしい。
ゴブリンが農耕をして、一体どうなったのか。結局は土地を奪われてひもじい想いをしているではないか。村にいるひ弱な同胞を見限った自分は、神の加護を受けて強くなった。途端に人間への恨みを持つものたちを従えるまでに至っていたではないか。
ヘスは、言わばゴブリンの勇者であった。苦難の末、魔物を虐げてきた人間を喰い散らかす力を手に入れた。最早、恐れるものはない。
例外が、彼が恐れるものがあるとするならば――
「……ったか?」
「――ッ!?」
薄くなった煙の向こうから音がした。恐ろしいものなどなくなった筈のヘスも、思わず息を呑んだ。
遠巻きに見ていた人間たちの声だと一瞬考えてもみた。だが、語尾しか聞き取れなかったが、煙が引くにつれて繰り返される音声はハッキリと彼に届き始める。耳に残ったそれは、ごく近距離から放たれたものだ。
「おい、オマエ……」
幻聴などではない。直近から届けられた声に、魔物は畏怖を覚えた。以前聞かされた時には冗談だと思っていたことが、現実に起こりつつある。
嘘か真か、魔物の間でここ数年囁かれている噂がある。強い魔物程、死ぬ前に眩い光を見ることになる――と。
「オマエ……あの娘を、喰らうと言ったか?」
炎で焼き払った筈だ。だが、薄くなりながら未だある煙を貫く緑色の光があることを、異形の魔物は確かに見た。
「ちょ、あれ、あれ――」
「まぁまぁ、落ち着いて」
先程まで声なき悲鳴を上げていたグリデルタは、ようやく声を絞り出していた。ぶんぶんと腕を振る彼女を、隣にいたオッサンが諫めるように後ろからまた体を抱えようとしてた。
「一々抱きかかえないでっての!」
騒がしくしていた少女であったが、やはり半裸のオッサンに抱えられるのは好まないようだ。これ以上掴まれてはかなわないと、黙ってグリデルタは腕の先、立てられた人差し指を勇者のいた先へ向けている。
「……何か不思議なことでも?」
「あいつ、何で生きているのよ!?」
一度は黙ったものの、オッサンが首を捻る姿を見ては怒鳴る声を抑えることが出来なかった。
地面から煙が湧きあがる程の熱量が放たれていた。常識の外にあるように見えた勇者であったが、まさか身を焼き尽くされても動き出すなどという芸当は、最早化け物と言う他ない。
「グリデルタ殿、見てみなされぃ!」
「何よ、もう」
どこか誇らしげなオッサンの声に、うんざりといった様を隠さずに村娘は示した先を見た。
指された先は勇者の足元。そこに転がるのは一本のネギだった。そういえば、少年がネギを帯びていたことを思い出す。
「――は?」
一体あれが何だと言うのか。首を勇者の従者へと向けても、誇らしげな笑みしか彼女の目には入らない。
「おや、勇者様が首にネギを巻いていた、その姿をご覧になってなかったか」
「……何言ってんの?」
驚きを通り越して、グリデルタは醒めた声を出していた。彼女には見えていなかったのだが、炎を吐き切ったヘス同様、随分と白けた表情であった。当の少年が向けられれば黙ってしまいそうな程の瞳であったが、オッサンは全く意に介さずご高説を続けていた。
「そう言えば、聞いたことがある。首にネギを巻くと、熱が下がる――と」
「は?」
オッサンの悪ノリであると信じたかった。そう思いたかったが、神父が神妙な面持ちで語る姿を見て、少女は間の抜けた声を出すしかなかった。出来ることであれば、誰も彼もの頭を全力で叩きたかった。だが、仮にも神と人を繋ぐ神父が言うのであれば、彼女は黙るしかない。
「おお、人間とは植物をも己が力とするのカ!」
恐ろしいことに、老ゴブリンすら勇者の従者が話すことを真に受けている。今度こそ暴れようかと思ったグリデルタであるが、半ば諦めて心の中で『ああ、こいつらバカなんだな』と呟くに留まった。極限に白ける少女を前に、男の弁は尽きない。
「迷信の類ではございませぬ! ですが、ネギ神様の加護を受けていない者は焼かれてしまいますから、真似は禁物ですぞ?」
「……もういいわ。黙って頂戴」
「そうですな。勇者様のご活躍を黙って見守りましょう!」
少女の言葉を是と取ったか。オッサンたちは、熱い視線をゴブリンと勇者の終幕へと向けていた。言葉には出さなかったが、グリデルタは、もうこいつらダメだわ、と心の中で呟いていた。
「お前、何者ダ?」
ヘスは問う。今や頭は冷静過ぎる程に冷え切っている。落ち着けばこそ、問答の一つでもせずにはいられない。
己の炎を受けてまだ立つ者がいることすらも、認めざるを得ないと理解を始めていた。現に存在しているのだから仕方がない。それにしても不可解なことは、未だ健在な身を示す者が脆弱な人間だということだ。
ネギの勇者が信奉する神は、自然を守る闘神であると語られている。その加護を受けた者の活躍は、これまでに吟遊詩人に謳われることもなかった。それが故にイマイチ信じられていないことも事実であった。それはさておき、このゴブリンが如何な加護を得ていたとしても、単なる熱以上の概念が込められていないのであれば、勇者は魔力で防ぐことが十分に出来ていた。
炎に包まれても平気であること、その仕組みを勇者は一々説明することもない――魔物に秘訣を教える必要もないが、勇者としての己にどれだけの加護が得られているかを語りつくすことは、とても面倒なことであった。
その代わりとばかりに、勇者は旅先での決まり文句を口にしていた。
「グリオって名前、知っているか?」
「緑色鬼だろ? 魔物を滅する魔物として、この界隈では最近になって有名になってきたな……それが、どうした?」
大柄なゴブリンが返す言葉に嘘はなかった。実際、グリオの通り名で強い魔物が狩られている。およそ人間離れした活躍をしてしまったがためか、吟遊詩人にではなく、魔物の間で語り継がれてしまっていたようだ。
「あー……そう」
グリオの名が知られていたが、勇者の表情は冴えない。強き魔物の話を振ってきた当人が黙るので、ゴブリンは何とはなしに所在なさげな気分を味わっていた。
そんなゴブリンを無視したい気持ちで溢れていた。グリオを名乗った勇者が魔物扱いされていたことを初めて知ることとなったのだ、それはそれは落胆したものだ。そりゃあ、吟遊詩人も語り継がないわ、と一方で妙に納得もしていたが。
「緑色鬼か……本来はグリーンオニオンだった筈なんだけどなぁ」
ボソリとネギの勇者が漏らしていたが、それは眼前の魔物にも届かぬ大きさであった。舌戦――であったのかも疑わしいが、ヘスはこのやり取りを続けていたら負けだと思うようになっていた。ゴブリンは駆け引きを苦手としているが、この人間には何も通用しないようにも感ぜられる。
何せ相手は、ありったけの憎悪を集めた炎をまるで意に介さない生き物だ。この炎で中級の悪魔ですら屠ったことのある彼は、無傷の生き物を前に、酷く自尊心を傷つけられてもいた。
「まぁ、いいか」
「貴様ッ!」
落胆の末、緑の鎧を纏った者が放った言葉は、このゴブリンの頭へ血を上らせるには十分であった。緑褐色の肌を幾分か赤に染めながら、ヘスは怒号を飛ばす。
まぁ、いいか――その言葉は既に己を障害とも思っておらぬことに相違ない。炎の後、相手が怯んだ時が最後だと決めていた。少年は今や守りに使っていた左手で頬を掻いている。これが、この時が最後なのだと決めた。今、決めた。
「死ねよ、人間!」
怒りに任せて、ゴブリンは一撃を放つ。これまでに攻めあぐねいていたのは、妙に攻撃を裁く左手があったからだ。どれ程勇者が早かろうとも、準備の整っていない今は守るも攻めるも不可能というもの。そのように、ヘスは思っていた。
「言い忘れてたわ」
グリオと言う名が誤解を受けていた――そのことに対しての落胆もあったが、魔物が動くとなれば話は別だ。勇者はゴブリンの様子には構わずに腕を振り下ろしていた。
彼なりに考えた結果が、この攻撃だった。右腕をそのまま放っては、ただの打撃だ。どうやって倒すかと悩んでいたが、ここに来てこの少年は引き絞った腕を踏み込みとともに天空から放つことを試していた。
彼自身、よくもわかってはいないが、これが最善だと思えたのだから仕方がない。人を喰らう魔物を前にした際、途方もない力が湧いてしまう。いつもは固めた拳をぶつけていたが、これが鋭く固めた手刀であればどうなるのか。剣を握れない己でも、魔を斬り裂くことが出来るのではないか、そのように思っていた。
「俺の親父――二代目ネギの勇者は、どうやら多くの魔を斬ったらしい。親父も、俺同様に剣が使えなかったらしいが、こうしてたのかもしれないな」
「貴様、何を、言って……」
次第にゴブリンの言葉は尻すぼみに消えていく。目の前の人間を襲う筈だった爪は振るわれることなく、その身体は勇者の立ち位置を通り越していた。
「勇者様、お見事です」
離れた位置より、結果を見届けた従者は満足そうに頷く。
「え、何? 決着付いたの? どっちが勝ったの?」
「グリデルタ殿、すぐにわかりますよ」
先代勇者とは異なる形であったが、確かに勇者は魔を斬った。違いはあれど、その結果は十分に満足出来る。大恩を受けた勇者の息子の成長を目にして、従者は何度も首を縦に振っていた。
「わかるって――あっ!?」
言葉の途中であったが、少女は驚きの声を上げる。
大柄な魔物が一歩、二歩と勇者から離れて彼女らの方へと近寄っていたが、本人が先程上げた声同様、動きは時間を経る程に小さなものへと変わっていった。その様が、端から見ている村娘にはよく見えていた。歩む毎に、右と左の半身が分かれていく様が――
「打撃、斬撃を無効化していたようだが……斬撃の概念を持った打撃、こればっかりはどうやら対象外だったようだな」
直立の姿勢へと戻った勇者は、魔物に背を向けて人たちの元へと歩みを進めていた。彼の背後では、大柄のゴブリンが二つに分かれて地面へと沈んでみせていた。
「オッサン、親父もこうして魔を斬っていたのだろうか」
彼を迎える人たちの中で、先代の勇者に救われた男は暖かい眼差しで彼を迎え入れる。その瞳と視線を合わせた少年は、どこか誇らしげに笑みを人たちへと返していた。




