アイリスの子らに祝福を 1
コーディーは不機嫌だった。
ジオから今朝早くに連絡があった――太陽が昇る前で辺りは真っ暗な時刻だったが、別にそのことで不機嫌になった訳ではない。凡そ一月振りに主に会えると、それはそれはわくわくしていたものだ。
踊り出したくなる気持ちを堪えて準備をしていたところで、黒騎士に絡まれてしまった。そのことが彼の機嫌を損ねていた。ネギの勇者に仕えるまで碌に祈ったことのないコーディーには、彼ら黒騎士の言う“信仰心”というものが理解出来ない。
コーディーの気持ちはさておき、王国は暁の勇者ガッシュの結婚に湧いている。サリナ・アイリス神に現今でただ一人選ばれた勇者を、アイリス信奉者は大いに祝福する。その一方、博愛の徒と嘯きながら傲慢な態度を崩さないのが黒騎士連中だ――コーディーの偏見も多分に含まれるが、何かと因縁があっては幸薄い顔を固くしてしまう。
一月前に白色光が灯った日も、彼は主と共に黒騎士を相手取っていた。魔物退治が勇者本来のお役目であるが、ジオは横暴を働く者がいれば、誰であろうと敢然と立ち向かってみせる。長い物に巻かれて生きてきたコーディーにとって、青臭い台詞を真顔で吐き続けるジオはやはり眩く映る。
「んんっ」
苛立ちを振り払うようにしてコーディーの喉が鳴らされた。らしからぬ顔をしていたと、眉間を揉み解して表情を取り繕った。
いつまでも他人にイラついているのもバカらしい――背の高い門の裏に馬車を止めると、窮屈な御者台から長い手足を下ろした。
「コーディー、何かあったら声かけてくれな」
「ありがてぇ、ほんとに遠慮はしませんぜ?」
いつものヘラヘラした顔で、村の青年へ軽口が叩かれた。ここ最近何かと物騒な状況が続いている。コーディーを案内したのは監視役の者であり、革鎧を着込んでいる。
「腹立つ連中がいりゃ、気のいい人もいるってこったな」
小さな村では余所者は紛れもない異物でしかない。しかしコーディーの会話術もあってか、随分とスムーズに馬車を中に留めることが出来た。おぉ、ヴァンデリック――無意識に祈っていたことに気づき、薄く笑う。
「主神アイリスのお膝元だぞ、誰に祈ってんだか」
今彼が立ち寄っているのは、シレンという名の小さな村であった。
王都トトリから北西に位置する最も近い村で、一見しては好立地。だが間に川を挟んでいるため宿場には向かない――勿論橋は掛けられているが、やや大きめの馬車を持ち出したコーディーはひやひやしながら渡った程だ。
細い橋は明らかに大型の馬車の往来を拒んでおり、ここは王都の近くにありながら地方の素朴な村そのもの。暁の勇者が成婚したことを喜びつつも、村の雰囲気は随分と地味であった。
「ところで、この村の特産品って何ですかいね?」
思ったよりも早く到着したために、暇を持て余す。王国を取り巻く情勢が気になるコーディーは世間話を始めていた。
「菜種だよ。料理にも油の原料にも使えるし、観賞用としても売れる」
「へぇ、一粒で何度もおいしいんすなぁ。でもあの橋渡るのは大変でしょ?」
「いや、三か月前まではそうでもなかったんだよ……」
答える青年の顔が曇る。世間話程度のつもりであったが、尋ねれば「白色光の影響で活気づいた魔物を王都に近づけてはならない」という理由で元あった橋は壊されてしまったとのことであった。
「コーディーは王都から来たんだろ? 大きな馬車だからさ、貴族がこんな小さな村に来たのかと驚いたよ」
「騒がせてすんません。あっしを見てわかる通り、主は優しいお人だ。お祭りに水差すようなことはしやしません」
「うわぁ、嘘臭い。まぁ、あんたが悪い人には見えないけどな」
青年が持ち場へ戻って行く様を、コーディーは長い手を振って見送った。初対面でも和やかにやり取り出来たことは喜ばしいが、相手が苦笑いを浮かべているのは疑問だ。
「最近は優しいおじさんで通ってるんだけどなぁ……」
納得いかぬと、高い門へ背を預けて村の外を見る。ただ立つだけでは手持ち無沙汰であるので、主がよくするように腕組みをして待っていた。
まだまだ早朝の時間帯で、日が昇ったばかり。気長に待とうと思っていたコーディーだが、細い目が前方に何かを捉えた――魔力を瞳に集めることはすっかり癖になっており、橋を馬車が渡っているのだとわかった。
「あ、旦那、旦那ーーっ!」
王都に永らく滞在していたコーディーから見ると、随分と小さな馬車であった。勇者が乗るには粗末なものかもしれないが、間違いない。
あの馬車に主は乗っている筈だ。御者台には手綱を引く髭の男、その隣には半裸の中年を見つけて走り出す。
「こっちですぜ!」
テンションの上がったコーディーの声が小さな村に響く。たった一月であるが、随分と時間が経ったように思えてならない――それ程にレジナス王国の情勢は大きく変化していた。
「すっかりお世話になりましたな」
「よしてくれ、おたくらのお陰で無事に帰ってこれたんだ」
御者とオッサンのやり取りを聞き流しつつ、コーディーはキョロキョロと視線を振った。主は何処に? その疑問に答えるかのようにベンが口を開く。
「小さな村だが、今は神父さんも来ている。鎧の兄ちゃんを診てもらってもいいんじゃないか?」
「げ、旦那は病気になっちまったんですかい!」
一大事だと長い手足を振ってコーディーは荷台へ。オッサンの制止も間に合わず、飛び乗る――ほぼ同時に不可視の衝撃を受けて地面へ縫いつけられた。
「い、痛ぇっ! 何だ、オッサン、何が起きた! 旦那、旦那はどうした!」
パニックを起こす薄幸の男へ、今度は紫の光が届く。まるで金縛りにあったように身体が動かなくなると、魔法を受けたのだとようやく理解した。「喧しい、騒ぐな」億劫そうな声も何だか懐かしいものであった。
魔女の怒りを買ったというか、またしてもやらかしてしまったようだとコーディーは顔を顰める。反省する彼の横へ誰かが下りてきて、手が差し出された。
「出迎えに来てくれたのに、すまんな」
「旦那ー」
情けない声だと自覚しつつも、出された緑の手が握られた。ぐいっと引き上げられるとジオの顔が見える――顔つきはいつもの主だが、少し顔色が白っぽく見えた。
「大丈夫なんで?」
「ネギ食っときゃ治るだろ」
いつものぶっきらぼうな口振りを耳にして、ようやくコーディーは安心出来た。暁の勇者が復活したとはいえ、この王国にはジオが必要だ。王都に一月留まる間にその思いは更に強くなった。
しかし何でまたジオが弱っているのか、疑問に思っていたところ荷台の上からもう一人の人物が下りてきた。
「調子に乗って広域魔法を使おうとするからそうなる……。ここ最近、私もヌシも加護が上手く働かんことは確認したじゃろが」
ぶつぶつ文句が出ているが、コーディーは違和感を持った。魔女の声はもっと高かった筈だ。まさか病気になったのは姐さんの方か、そのように思って振り向いたところで、電流が彼を駆け巡る。
「旦那!」
「どうした、そんな殺気の籠った目をして」
戸惑うジオにはお構いなしに、コーディーは指を突き出してみせる。オッサンも何事かと一瞬顔をそちらへ向けたが、まぁいつものことかとベンへ改めて丁寧な挨拶を続ける。
「旦那はいつもそうだ、会う度に美人の姉ちゃんを侍らせて!」
「美人ってお前な……」
「ほぅ、私は美人ではないと?」
正直なところ面倒臭い――ジオはそのように思ったが、後ろからティアに話しかけられて額に手を当てて唸った。
「――だよ」
「何、聞こえんなぁ?」
「お前は美人だよ! もう、勘弁してくれ……」
膝を折りたくなる程の脱力であったが、村人の手前、ジオは勇者としての矜持で踏み留まった。後ろでティアがにやついているのがわかるが、からかわれるのがオチなので振り向かない。
それよりも、従者の方がまだ怒っていることが不思議であった。仕切り直しとばかりに指がジオへ突き付けられる。
「話は終わってねぇですぜ……。あっしはね、旦那はすげぇなと思ってたんですぜ? あーたみたいな勇者、見たことねぇもん。女に持て囃されなくとも、あんた立派な勇者だ。んだけど、それが何なんさね」
「おい、コーディー。お前何か勘違いしてないか?」
「いーや、言わせてもらう! 朝一番から俺を呼びつけて――と、これは従者だからいい。そうじゃなくて、体調悪いらしいって聞いておいら心配したのも損ですわ。こんな美人の姉ちゃんとよろしくして病気って、あーたね、ティアの姐さんに悪いと思わないのか!」
一気に捲し立てられ、少年勇者は再び額に手をやり俯く。従者がこうして心配してくれることは嬉しいのだが、明らかに勘違いをしている。頭が痛くなってきたが、どうにか正さねばならないだろう。
「お前さんね、勘違いしてるから――や、やめろ、バカ!」
「端から見たら私はエルの情婦に見えるらしいじゃないか。情婦って、自分で言っててどうかとは思うが、それならそれでくっついていても問題なかろう?」
言葉が出されると、ジオの顔色は白から赤へ変わる。鎧に覆われているとはいえ、腕に絡みつかれると困り果ててしまった。背丈の低い頃ならばまだしも、成長した彼女に近づかれることには未だに慣れない。
鎧の切れ目からは柔らかい感触が伝わるし、とてもいい匂いがする。女性に免疫がないことは自覚していたが、ここまで酷いものであったかと落ち込みもした。
その彼の心を知ってか知らずか、従者は自由に口を開いてみせる。
「ああくそっ、羨ましい――じゃなくて、旦那! その美女は何なんだ!」
「ええぞ、もっと言うてやれ、幸薄いの。ほれエル、私はヌシの何なんじゃ?」
「お前ら、わかっててやってるだろ……」
げんなりとした表情を隠すこともなく、ジオは彼女がティアであると伝える。すると、コーディーは大口を開けて驚く。「知ってましたぜ?」などと告げてはいるが、どう考えても無理がある――杖を構えるティアを前にすれば、文句は出せなくなるものだ。
「いいさ、コーディーがこうして迎えに来てくれただけで、十分さ」
気持ちが腐りそうになれども、ジオの目線は先へ向けられた。王都トトリへ、彼が愛する人々の元へと既に気持ちは逸っている。
馬車を用意してもらえたことで、次へと向かう気満々の彼だが、外套が引っ張られたことで首をカクンと後ろへと倒す。
「何すんだよ……」
後ろへ首を倒したまま、目の動きだけで外敵を追いかける――果たして外套を握るのはティアであった。
「んで、結局私はエルの何なんじゃ?」
妙に期待の篭った視線を受けるが、ジオは淡々と答えた。
「そうやって追及する内は、幼馴染だよ」
えー、と残念そうな声を聴きながら、勇者は馬車へ身を移した。ティアからの追求がしばらく続くも、不機嫌そうにしている内にコーディーが馬へと鞭を入れる。
やや険悪な雰囲気が馬車内に渦巻けども、何喰わぬ顔でオッサンが微笑む。それだけでネギの勇者一行は旅を続けることが出来た。




