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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第六話「黒百合が紡ぐ子守唄」
122/202

ジオとティア

「ティア、聞こえるか?」


 眠るように瞳を閉じた幼馴染へ向かい、ジオは声をかけた。


 魔物の背中は、殻が剥がされてピンク色の肉が曝されている。さらに肉の裂け目から核となった少女は姿を見せていた。シャロから「ティアは魔物の核代わりになっている」と聞かされていたが、改めて見るとジオも納得出来た。


 成長した姿にばかり目が囚われていたが、その半身は魔物の身体に埋まっている――煌々と灯る紫色の光も、本人の意思でそうしている訳ではないようだ。


「返事がない……。念のために訊くが、この時間が止まっている中で動けるのは、俺とシャロだけ?」

「うんにゃ、ティアティアもそうだぞ。ルファイドの魔法、それは正にこの世の神秘なり」

「そうか。じゃあ、もう少し根気よく声をかけた方がいいか。それとも他にいい手はあるか?」

「ほほぅ」


 ジオの問いに姉代わりは思わず唸った。「何、どうしたの」と続けられたため、何でもないと答えつつ、首がゆっくりと振られた。


 弟は冷静になっているだけでなく、いつの間にか一端の顔つきになっていた。今更ながら感心が漏れたのだが、それを口にすることは憚られた。代わりにいつもの調子でシャロは語る。


「ティアティアは物理的に人工魔獣とくっついてるから、フツーに呼んでも返事は出来ぬのだ」

「どうしたらいい?」

「ハッハッハ、そこはお姉ちゃんにお任せあれだ」


 このためにお姉ちゃんも動けるようにしてもらっているのだと、世界の時が止まるなか、シャロは握った拳を緑色に輝かせる。


 刻印(マーク)――短く呪文が唱えられると、緑色光は少女らを魔力の力でつなぐ。奇跡を起こす姿はどこか厳かで、精霊然としてジオには映った。


「ティアティア、聞こえていますか。私は今、貴女の心に直接――痛たっ、切っちゃったよ!」


 精霊の神秘的な姿は長くは続かなかった。交信が出来なかったようで、すぐ様、うがーっと唸り声が上げられている。


 永い年月を経て力を溜め込んだ精霊ですら、頭を抱える始末。だが上手く行かずとも、ジオには道筋が見えてきていた。姉がそうしたように、彼もまた神妙な顔つきで魔法を唱える。


(刻印)


 声に出されることはない。祈りと同じく、何度も反復された所作はするりと幼馴染の少女と彼を繋ぐ、筈であった。


 思考を焼く火花がパチっと弾け、ジオの魔法は打ち消される。


「痛っ――切るって何だと思ったが、無理矢理に魔法を切断されんのか」


 右目の奥にやや痛みを覚えつつ、ジオは弱ったなと呟く。眼の奥、頭の中に静電気でも弾けたような感覚であった。痛みそのものは大したことはないが、魔法が無理に捻じ切られているのだ、負荷を考えると無策に突っ込んでいい話ではなかった。


 さてどうしようかと姉の方を見ると、何とも言えない複雑な表情が浮かべられている。具体的には、恨みがましい瞳が向けられている。


「何を怒ってるんだよ」

「べっつにー」


 片方の瞳を絞り、口の端が引っ張られている。出された言葉とは裏腹に、シャロが不満全開であることだけは鈍い少年にも理解出来た。フォローせねばと思うが、この表情は見たこともないもので、気の利いた台詞も浮かびはしない。


 時間が止まっているとはいえ、魔法にも限りはあるので悠長に過ごしてはいられないだろう。ここで時間を取られすぎるといけない。


 シャロの機嫌を今損ねるのはマズいと、ジオはいつものように腕を組んで眉間に皺を寄せてみせる。そんな様に見兼ねたのか、シャロは複雑な表情をした理由を話し始めた。


「……精霊の魔法でも無理だったのに同じこと試すとか、お姉ちゃんを信じてないんじゃないかと思ったぞ。そんなにティアティアに教えてもらった魔法は高級だったのか、そんな風に思ったらお姉ちゃんはお姉ちゃんでいられなくなる程の激情に駆られたり駆られなかったり。でもでもでもね、私はお姉ちゃんだから折れてやろう。いいさ、ティアティアを救いたいって気概に免じて許してやる」

「申し訳ない」


 長回しの台詞であったが、言われてみればその通り。


 姉のことを信じていない訳ではないが、人工魔獣に囚われたティアが不憫で、待つことが出来なかった――それは言い訳だと胸中で反省しつつ、ジオは寛大な気持ちで許してくれたシャロに向き直る。


「無理矢理引っこ抜いたら、ダメか?」

「いいよー、それでティアティアが爆発四散してもいいなら」

「ダメってことじゃないか……。そもそも、ティアはどうやってあの中に入ったんだよ。オバさんの代わりに入ったって、どうやったんだ?」


 話が進まないのはいつものこと。ジオは根気よくシャロに問うた。彼女から齎される情報は随分と断片的なので、ここいらで整理が必要だ。


(母親を引き抜いて、ティアを代わりに入れることが出来たのだから、同じことが出来ねば筋が通らないだろ)


 砂漠蟲の例があるだけに、無理にすれば巨体を支えた魔力が大爆発するとはわかる。何か方法がある筈だ。


 真面目な表情の弟に詰め寄られると、再度精霊らしい顔つきをしてシャロは応える。


「セルペーさんが魔法を使ったんだよ。一切の物理法則を無視して、ティアママだけを取り除いた……。私か? ジオの望みは極力叶えてやりたいが、私では同じことは無理だぞ。時が止まっている状態で干渉するなんてとてもじゃないけど出来ない」

「打つ手なし、なわけないよな」

「もちろんだとも。ジオはお姉ちゃんが如何に計算高く生きているか、よく知っているだろ?」

「……」


 姉の計算通りという言葉程、当てにならないものはなかった。それは身を以って理解しているが、否定してまた機嫌を損ねられてもことなので、ジオは黙って見つめることを選んだ。


「沈黙は肯定の意に取ってよし。ジオがお姉ちゃんを褒め称えたところで、そろそろ本題に入りたい」


 ご機嫌な様子から、後半は心なしか表情に陰りを携えてシャロは語り出す。大事な話をする時の彼女は、大抵このような顔つきになる。ジオは引き続き黙って先を待った。


 今度こそ待つぞ、という弟の姿勢が整えば、シャロの小さな口が開かれる。


「ジオ、今お前は分岐点に立っている。妹の時とは違う、お前が自分の手で、自分の意思で選ぶことが出来る」

「分岐点、か」


 話の途中ではあったが、少年勇者は言葉を噛み締めるために繰り返し呟いた。恐らくいつもの問いが投げかけられるだろうと察し、少し間を空けることを求めていた。


 永らく続けられた問答にも、そろそろ答えが必要であった。それは精霊との契約――否、約束にも関わる話だ。


「これから、お姉ちゃんがルファイドから借りている力をジオへ預ける。凄く強い力だから、使い方を間違えてはいけない。それはわかるね?」


 微塵もふざける様子はなく、ジオは身を引き締めた。


「いつものおさらいだよ。ジオはどんな勇者になりたいの――鬼だと人間に怯えられても強くなりたい? グリオのように全てを棄ててでも、強くなりたい? それとも、オッサンのように人間を護れるようになりたい? ジオが憧れる勇者って、なーに? 今、お姉ちゃんに教えて」

「……俺は」


 ティアを助ける方法を求め精霊に迫ったが、今では逆に真紅の瞳に迫られている。シャロの問いは形を変えるが、いつだって本質的には同じ問いである。


 どんな勇者になりたいのか、今よりも大きな力を手にする前の確認が今なされている。


「今まで言えなかったけどさ」

「うん」

「じっちゃんが倒されてるの見て、あん時は怒りしかなかったけどよ……。今なら、言えることがある。いや、言わないといけない。そう思うようになった」

「ジオが言わねばならないこと、それはなーに?」


 いつものとおりにシャロは話を促していくが、表情は別人のようでもある。幼い顔にあった愛くるしさは抜け、代わりに膨大な魔力を真紅の瞳に灯す。契約を結んだ時と同じく、精霊は少年を試す。


 姉であることに変わりはないが、今のシャロは精霊として役割を果たそうとしていた。それがわかり、ジオも彼が思う勇者らしいものへと顔つきは変わった――引き締められはするが、彼がごく最近までしていた張り詰めたものや、厳しいものではない。


 改めて決意を固め、三代目ネギの勇者は問いに応えんとする。


「俺は、二代目ネギの勇者を必ず(・・)越える。この言葉を出すのに時間がかかったが、今ならばシャロやじっちゃんの前でも言い切ることが出来る」


 その決意を正面に受け、精霊は次なる問答へと移る――表情はまだ人間には近寄り難いもののままで。


「ティアティアを助けるためではあるが、大き過ぎる力には、必ず反動がある。一時的であれ、勇者としての力を失う可能性もある。それでも、ジオはあの娘を救いたいか?」

「どんなことがあろうと、ティアを救うことに迷いはない」


 真っ直ぐに見つめてくる真紅を、じっと見返して勇者は告げる。今彼の胸にあるものは、直前に見た夢の光景だ。それが彼の成りたかった勇者へと導く。


「じっちゃんと約束したんだ。親父が護ったものはもちろん、護れなかったものも、俺は護る。そんな勇者に、俺はなりたい」

「……」


 今度はシャロの方が沈黙してみせた。間を取り、可愛い弟の出した答えを吟味している。


 瞬きを繰り返し、やがてシャロは精霊として出された答えに応じた。


「二代目ネギの勇者であるエン■■■■オウが一子、ジオグラフィカエルヴァドスよ。幼き頃に交わした契約の元、精霊シャーロットは貴方にヴァンデリック・ルファイドの秘匿すべき神秘を貸し出そう。それが貴方の望みであるのならば、私との契約が今も尚よろしければ、祈るがよい」


 神妙に言葉が運ばれる。ここにいるものは、神が起こす奇跡の代行者である。にも関わらず、告げる精霊の顔はいつもの姉らしいものであった。


「ありたいように、あるがままに――おぉ、ヴァンデリック!」


 年月を経て変わったものはあった。だが、ジオは変わらぬ想いを証明するようにして、祈ってみせた。




 寒風吹きすさぶ、しかし身を切るとは言えない。寒さは直近の温かさを思い起こさせてくれる――それが彼女の原風景だ。


 秋の終わりに生まれた彼女、フラティラリアは季節の移り変わりを好ましく思っていた。


『トカゲ女が来たぞ』


 悪意こそなかれど、傷つくものはあった。寧ろ、その傷が己と他人を明確に分けてくれるものと理解した。口にすれば母が泣く畏れがあったため、それは彼女の小さな胸にだけ仕舞われた。


 邪神に選ばれる程度には聡明であったフラティラリアだ。蓄積されていく何かが器から毀れそうになれば、人間よりも遥かに強い父へ溢すことで凌ぐことが出来た。


「フラティラリア、今は辛いだろうが直に季節は移る。花の時期と同じさ、人間ってやつはそこ程永く同じことの出来ない生き物だよ。なんて繊細な生き物なんだろうね」


 闘うしか能がないと嘯く父であったが、実に多くの言葉を尽くした。実際、季節が変わる頃にはフラティラリアを揶揄する声も減っていた。


 嫌がらせはまるでなくなった訳ではない。父の言葉を信じてからかいに乗らなかったから、次第に興味が失われていっただけだが、それでも彼女にとっては父の結果どおりに動いたことは奇跡のようであった。


「母上、聴くとよい!」


 ある日のこと、フラティラリアはシオンを前に普段は見せぬ明るい声音で言った。母も信奉する神、セルペンティア・ランギスに呼ばれたことを才能溢れるこの少女は声高に伝えた。


 北の魔女と人々に畏れられる母を、強い力を不本意に得た彼女を喜ばせたかった。しかし、シオンの強張った表情しか得られなかった。


「お母さんなんか、大嫌い!」


 衝いて出た言葉は、これまでずっと少女の傷となった。まさか母と永遠に会えなくなるとは夢にも思わない。


 二代目ネギの勇者に背負われ、目覚めればルファイド教信仰の強い西の僻地であった。


「フラティラリア、お前が無事でよかった」


 伯父と名乗る半裸の男に迎え入れられども、両親を失った少女は心を開くことはない。何故なら、伯父の肌には鱗も尻尾も見つけられずにいた。フラティラリアは、血縁者が居ようが同族はただの一人もいないのだと思った。


「キョウジ……、悲嘆に暮れているところすまないが、ちょっと下がってろ」


 ぶっきらぼうな口振りで、少女をここまで運んだ勇者が告げる。この勇者は眩い緑色をしており、見るからに強そうであった。だが、彼女には無関係だ。勇者の妻は父の妹らしいが、それもどうやら同族には思えなかった。


 そもそも、人間と竜人の混血であるフラティラリアにとって、全く同じ生き物など見つけることが難しい。


 彼女に残ったものは、シオンへの悔恨。あの時、自分が母を悲しまさなければ父もいなくなることはなかったのだ。そのように幼い少女は思い込んでいた。


「フラティラリア、紹介したいのがいる。俺の倅で、歳はキミとそう変わらない」


 伯父も叔母も後ろへ下がった後、勇者に手招かれて少年が姿を見せた。黒髪黒目、伯父の色と同じであれば、フラティラリアは嘆息とともに俯く。この少年が悪い訳ではない。ただ、何を施されても心は動かず、同情される程に心は乾いた。


「フラティラリアじゃ」


 伯父が五月蠅く言うため、少女は渋々名乗った。目の前の少年が何を言ったかは正直なところ覚えていない。何せ、この後のことが衝撃的であったからだ。


「よろしく」


 無理矢理手を握られた時、ようやくフラティラリアは顔を上げた。先程はきちんと見ていなかったが、その笑顔に何故だか心を掴まれた。


「エル、女の子相手なんだ。あんたがリードしてやんな!」


 少年の名はエルというらしい。これまた、よくわからぬが妙にしっくりとくる響きであった。


「えーっと、フリチラリアだっけか。よろしくね」


 それは名の由来になった花の名であって、自分はフラティラリアだ。よく名前は間違えられるが、不快なだけ。だが、今この時は少し寂しく思ってしまう。


「おい、フラティラリアだと言ったろ。間違えるなよ」

「あ、うーん、フラリライア?」

「違う。ヴァリスからも聴いてたろうが……」


 全身鎧を着込んだ男の声に、少年は困ったような顔をしていた。おかしなことに、父親に対して緊張しているようであったが、フラティラリアも知る大英雄の名が出されると少年は頬を綻ばせていた。


「そうか、ティアか! 僕はジオグラフィカエルヴァドスだ」


 長いからジオでいいよ、そのように少年は笑っている。フラティラリアが呆気に取られたのは、またしても手を握られてしまったからだ。力加減が苦手なのか、大きく手が振られて身体がよろめいた。


「あ、ごめん。僕は不器用で……。闘うしか能がないんだよ」

「エル、父さんや叔父さんの口真似しない!」


 へへへ、と笑って誤魔化そうとしていたところへ、ジオールの雷が落ちた。


 フラティラリアには不思議なことばかりであった。人々が笑い合う姿もそうだが、自分が怖がられることがない。何より、手が握られたままなのに不快に思うこともなかった。


 不快どころか、懐かしい感覚すらあった。


「ティア、でいいよね。また僕は間違えちゃったかな?」


 キョロキョロと目を泳がせる少年は必死そのもので、ついにフラティラリアは吹き出してしまった。えーっ、と驚く姿がまた彼女のツボであった。出会ったばかりなのに、妙な安心感がそこにあった。


「間違っとらん。ティアでよいよ、エル」

「よかった。だけど、僕のことはジオと呼んでね」


 少年の言葉は聞こえていたが、「わかった、エルと呼ぶ」と少女――ティアは応えた。


 困った顔をしていたとしても、エル少年が怒ることはなかった。


(ああ、そうか)


 手が離された時に少し残念だと思い、ティアはこの少年から得られた安心感の正体に幼いながら気づきを得た。


 父や母とはまた別に覚える安堵。ここには自分と近い生きものがいるのだ。父のような不器用さ、母のような優しさ――少年の匂いとやらは、ティアに同族がここにいることを教えてくれていた。




 ベーブーと叫ぶ自身の声で、ティアは目覚める。夢に見たのは想い人と初めて出会った頃のこと。


 視野に白く靄がかかった状態のまま、彼女はエル少年を探して泣き喚いていた。紫の光を撒き散らしながら手当たり次第に求めるものを引き寄せようとする。


 人間を、竜をも優に超える巨体となった彼女であるが、錯乱したまま鳴き声を上げた。


(母が救われたならば、よかった)


 意識は混濁しているが、一方で酷く冴える部分もある。ランギス神の加護のお陰で、ラスパの町で伯父が見せたものと同じくしていた。白色の煙が齎す状態異常は狂人化に読み替えられ、人工魔獣となったティアは身体に引き摺られて暴れ尽くす。


 冴えている頭は、他人事のようにその光景を見ながら、母が解放されてよかったと思う。が、そこに満足感はない。母は永らく苦しんだのだと、同じ境遇になってしまえば改めて思い知らされていた。


 靄のかかる視界の先には、求める人の姿がある。手を伸ばせば届きそうなのに、いくら触手を伸ばしても掴むことは出来ない――さらには小さな虫たち(・・・)が邪魔をしにくる。


(あれは黒騎士、人間じゃ……)


 わかっていたとしても止められない。頭は冴えているのに、心と身体が泣き喚く。大剣を翳して立ち塞がる黒騎士が煩わしくて、ティアは触手を振る手を止められない。


 もうやめてくれとも思ったが、身体は魔物のものだ。止められる筈がない。人の心を持ったまま、それでも人間ではないティアは嘆きをどこにぶつければいいかわからず、目の前の人間たちを叩き潰すことへ躍起になっていた。


 そして背中に衝撃を受けた。虫と同じ複眼は、空から落ちてきたものが緑色の光であったと捉えている。求めるものによく似た色であったが、痛みに激情する魔物はやはり止まらない。


 ようやく動きが止まったのは世界が止まったのと同時であった。自分では最早コントロールも利かず、自身が魔物に成り果てたのだと改めて思った。


『ティアティア、聞こえていますか。私は今、貴女の心に直接――』


 魔物と化した己に話しかけてくれるのは嬉しかったが、声が厭だったのでティアは魔力を振りし切って耳を塞ぎにかかった。


 深刻な状況では聞きたくない声だったのだろうと、半ば無理矢理納得してもいた。


『ティ――、聞こえ――か?』


 その後に響いた声はとても好ましい。だが音量が小さかったために、ノイズと判断してティアは先程と同様に耳を塞ぐ。


 母が、自分が愛しい人を求めて泣き喚いていたのだ。中途半端な声は、諦めかかった心に酷く刺さるから聞いてなどいられない。


(有り得ない。そう、有り得ないんじゃ)


 瞳を開こうにも、視界は不明瞭。ティアは我儘に付き合おうとしてくれた少年の姿を幻視して、それを振り払うように己へ言い聞かせた。


 前々からわかっていたが、自分の想いは独り善がりだ。理想の勇者を目指して走り続ける彼の邪魔でしかない。わかってはいるが、この世に一人しかいないであろう同族を前にしてしまえば、この我儘を止めることも出来ない。


(デートだなんだと、よくもまぁ……)


 妙に冴える頭が恨めしかった。期待はその都度裏切られつつも、自分勝手に抱いたものと納得している。それでも時折その彼が見せる優しさに期待を持ってしまう。


 自分は何と不出来な生き物か――他の女がきれいな笑みをエル少年へ向ける度、ドス黒い感情が腹の中を暴れ回る。だから、泣き喚きながら暴れる魔物になることは必至であったと、残った理性で押さえにかかった。


「ティア!」


 今聞こえた声も幻聴と、少女は瞳をキツく瞑って振り払おうとした。


「聞こえてるんだろ、返事しろよ!」


 振り払おうとしても声は続く。無視を決め込もうとしたが、無理だ。幻聴であろうとも、彼の声が聞こえるだけで嬉しくなってしまう。期待するだけ無駄だと思ったとしても、心が震わされてしまうのだ。


「エル?」


 ついに、ティアは幻聴に向けて声を上げてしまった。魔物になっていなければ、瞳から涙も零れていただろう。


「そうだよ、俺だよ。聞こえたか……」


 声の他にふぅ、と溢された息も感じ取れた。話し声の感覚とは明らかに異なるこれを、ティアは覚えている。ルファイド神由来の魔法、刻印であったかと記憶が呼び起される。


 記憶が鮮明になるにつれ、自分が母の代わりに魔物になったことを実感する。嬉しさがあったにしろ今更であった。今は白い靄に覆われた紫の瞳を、ティアは強く瞑ろうとした。


「バカ野郎、目を開けろ!」

「な――」


 ぶっきらぼうな物言いに、少女は驚きから目を開いた。それで何が変わるのだろうかと思ったが、声を聞いた以上の驚きが待っていた。


「お前、お前……」


 声は出されたが言語にはならぬ。時の止まった世界で瞳を開けば、エル少年が悲痛そうな面持ちで立っていた。迎えに来てくれた――自ら頭を突っ込んだこの状況、だがそのように思ってしまった。


「泣いてるの?」


 思わず、日頃の言葉遣いを忘れて少女は問うた。少なくとも、緑色の全身鎧を纏った勇者が弱っているように見えた。それは行き惑った己よりも所在なさ気で、どうにか助けてやりたいと思える程だ。


「泣いてないけど、泣きたい程だよ!」


 ティアが好ましく思った優しい顔を、少年は泣いているのか怒っているのか、どちらとも判別できないものに変えている。何故かはわからないが、そこには必死さがあった。


「お前がこんなになって、俺は……。いや、今はそんなことどうでもいい」


 帰ろう――刻印の魔法で伝わるのは、今出された言葉だけ。瞳を逸らしても、不器用さを隠すために少年が強く頭を振る姿が浮かんでしまう。


「ダメじゃ」

「何で!」

「迷惑を、かけ過ぎた」


 誰に対して、そのようにエル少年が言っているが、ティアはゆっくりと首を振る。


 応えることも憚られる。父に母に、大英雄に二代目ネギの勇者に、何より目の前の少年勇者に迷惑ばかりをかけてきた。これ以上は我儘ですらなくなると、少女は言葉を出すことも抑え込んだ。


「そういうことじゃ、そういう小利口なことが聴きたいんじゃねぇ! お前、もう戻って来ない気か?」


 根気よく続けられる問いかけにも、いい加減心苦しく思い始めていた。彼女の心にあるのは、戻ったところで迷惑がかかる。これに尽きる。


「お前な、ティアな、今更だぞ……。お前、俺の死後の魂引き取るって約束したろ!」

「いや、それは――」

「うるせぇ! お前勝手過ぎるぞ、ふざけんなよ!」


 説得に来た筈の人物が怒りを爆発させているので、遂にはティアも黙ってしまう。レスポンスがなくとも、泣き怒る少年の苦言はまだまだ続いた。


「お前な、デートってやつをするんだろ。約束守れよ!」

「う、うるさいわ、バカ!」


 堪らず少女は喚き返した。


「ヌシな、私が戻ったところでどうなるんじゃ!」

「俺が安心出来る!」

「な――」


 時間が止まった世界で、一瞬追いかけるようにしてティアの時も止まった。それは物理的なものでも魔法的なものでもなかったため、やがて口が開かれる。


「ええぃ、五月蠅いわ! エルは私がおらんでも何とでもなるじゃろ。デートしたところで、他の女への教訓にされるのが目に見え――」

「知るか! 俺はデートが何かもわからん。ティアが教えてくれないと何ともならんぞ!」

「な、何を開き直っておるのか。アレはどうした、カンナは、エドワンは」

「カンナさんはもう結婚してるし、エドワンは戦友だろうが。何を言ってんだ」


 好いた男の女関係を邪推とわかりながらも、勘繰らざるを得ない。彼女でもないティアは確かめるように言葉を出すが、順にきっぱりと言い切られていた。


「じゃぁ、グリデルタとやらは?」

「……そ、それは今関係ないだろ」

「サヨナラ」


 的外れであろうが、どうしても期待は抱いてしまう。それが今正に打ち砕かれ、ティアは殻に篭ろうとした。


「お、お前、待て、待て待て待て! 俺の話は終わってないぞ。えと、何だ、その――」


 魔法に依る声だけのやり取り。そうであったのに、魔物となったティアは今更ながらきちんと目を開いた。


 紫の瞳が捉えたのは、魔法に集中しながらも懸命に言葉を探す少年の姿であった。


「俺はデートとやらをしてみたい。そうだ、それだ! いいか、ティア。俺はお前を待ってるんだぞ!」


 ああいや、デートも暁の勇者復活の後だが、などと尻すぼみに声は小さくなっていったがティアは胸が熱くなる思いを覚えた。だから、少女は問う。


「人工魔獣から私をひっぺがしたらどうなるか……。エルはともかく、ネギの勇者は耐えられんじゃろ?」


 自身の想いを再認しつつ、出したものは意地悪なものであると自覚はする。自覚したところで、少女にはどうしようもない不安があった。グリデルタとやらがどうはさておき、これだけ暴れ回っては戻る場所もない。


「俺に任せろ」

「え?」

「任せろと言っている。信じなくてもいい、俺がすべてを引き受ける」


 だから帰って来て欲しいと、ジオは言い切った。


「私が戻ったところで……」

「何度も言わせんな! 前にも言ったが、俺にはお前が、ティアが必要だ!」


 不必要な程、力強く声が上げられた。


 魔物に囚われつつも、ティアはキョトンとした顔を見せていた。


「頼むよ。戻って来てくれ」


 出されたものは情けない声であった。だが、それだけに本心からであるとティアには理解出来た。それでも自分が迷惑をかけてしまうものと思えば、ティアは言い淀む。


「繰り返しになるが、俺にはティアが必要だし、俺はまだティアに何も返せていないんだよ」


 勇者である立場をかなぐり捨てた言葉であった。納得いかないことは幾らかあったが、勇者だけをしていたい男が、これ程に言葉を尽くしたことが、ティアには響いた。


「わかった」


 人工魔獣から核である己を引き抜けばどうなるか、それが最後まで気にかかっていたが、それすらも任せろと少年は言った。


 ならば全てを信じてしまおうと、夢に見た、初めて出会った時の感覚を信じてティアは瞳を閉じた。瞼の裏には幼馴染の頼もしい姿だけが浮かぶ。


「ありがとう」


 短く返して、ジオは刻印の魔法を打ち切った。


 程なくしてルファイドの魔法の効力が切れる。時が動き出すに合わせ、ネギの勇者は緑色の魔力を放出してみせた。


 全てを細い腕で抱きかかえようとする少年は、魔物を取り囲む黒騎士たちに被害が及ばぬよう緑色の魔法を展開する。



 

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