規則と罰則
「規則を破れば罰則。それは誰でも一緒……。勿論、我々神であってもね」
白色光に振り回されるフルゥエラ大陸とは別空間で、呟きが漏らされる。二対の腕と翼を持つ生き物は、琥珀色の灯る瞳で残念だと訴えかけていた。
開いた口にはギザギザの牙。そこへ招かれる紫色の光を呑み込んで、竜に酷似した姿のものは続ける。
「とは言え、多少の融通が利いても私は困らないし、誰も困らない。この結末は、むしろリックにとって都合がいい……。違うか?」
牙の覗く大きな口とはまた別の箇所から声は響いた。
光を吸い込んだものの中から背の高い女性が現れる。短く切り揃えられた髪の色素は薄く、瞳は琥珀色をしている――炎の神、進化の神と呼ばれるアギト・エギレアだ。いつもは眠たげにされている瞳が、今日は鋭く絞られていた。
たった今、罰則を与えられて眠ることになった邪神セルペンティア・ランギスとは、敵対している筈であった。それが何を思ってか、同胞であるヴァンデリック・ルファイドへ敵でも見るような目を向ける。
「言われてみればそうか。流石はアっちゃん! と言いたいが……、オレの利とやらは何処にある?」
椅子に身を沈めて眠るランギスを視界の端に収め、ルファイドはいつもの調子で問うた。邪神が罰則を受けたと同様、次はこの闘神がそうなる番だ。神が選ぶ勇者以外への直接介入をルファイドも行っている。
大いなる力を手にする神々は普遍的な存在だ。ルファイド然り、ランギス然り。ただ、それが素晴らしいことかと問われれば、この闘神は首を捻る。変わらぬことが格別の喜びだとは感じない。
神になる前と変わらず悩みに煩わされ続けるのが邪神ランギスだ。彼女を見ていると、ルファイドは心が荒れることを止められない――と言っても、神はやはり不変の存在である。すぐ様、揺れた心も元の位置に戻るのだが。
「……む」
思惑に耽っていたことに気づき、ルファイドは顔を上げる。
問いから数秒、エギレアの方を見れば何とも言えない表情が浮かべられていた。口を開けてはまた閉じと繰り返されていたが、視線が交差したのを認めると、観念したように話し始めた。
「利ってやつはわからないけど、リックの描いた通りに進んでいるのだと私は思う……。これ以上の説明は要らない。人間たちは我々を好き勝手に序列しているが、キミが一番強い神だ。単純な力比べならバイスやフレイルの方が上だけど、こと闘いとなればキミが一番」
「いやいや、オレなんかよりもアっちゃんのが余程強いだろ? 魔力量が桁違いじゃないかー、謙遜も過ぎれば厭味になるぞ」
オレが最強なら今頃主神になってるさ、平然とした顔でルファイドは溢す。
いつもの通り切り抜けようとしたが、エギレアの目が緩むことはなかった。
「謙遜って、それ、腹が立つよ。実に腹が立つ。エリーとランギスが強過ぎって言いたいんでしょ? それも当然知ってる。けどね、事ある毎に罰則を適用してランギスを弱体化させていってるのはリックだし、立ち合い人には決まって私を選ぶ」
不機嫌さは隠されることなく、疑問と一緒に投げ出された。ランギスの魔力を吸い取っているのだから、自分の魔力量が高いのは当然という想いがある。エギレアが不機嫌なのは、それ程の力を蓄えた己でもルファイドには勝てないという点だ。
主神と邪神が争うことを嫌っていることは理解した上で、エギレアは不可解に思う。最早、その争い自体が起きる筈もないのだから。ルファイドはわざと規則を破っているようにしか見えない。
「オレが何か企んでいるように見えてたのか。そもそも計画ってのは苦手だってば。悪だくみに限らずそうさ」
ルファイドは椅子に座り直して笑ってみせた。いつもの皮肉気な笑みも少々翳りがあった――日頃から仲良くしている神に疑われると、少しばかりだが傷つくところもある。
「違う。そこじゃない。計画云々はわからないけど、リックは悪者になろうとしている。我々には話すべきだ……、そんな傷つきましたよって顔するなら、私には話すべきだ」
「罰則明けにでも、またな」
皮肉さを潜め、力なく笑うことで応えに変える。
「リック、そういうところだぞ。だから、他の神々からアレコレ言われる」
理屈っぽいエギレアはまだ思うところがあった。しかし同胞がそう言うのなら追求することも控える。が、腹は立つので文句だけは言っておいた。
(罰則が適用されたところで精々七日程。我々神にすれば極僅かな時間に過ぎない)
言葉を呑み込んだ分、胸中で溢しては、竜と竜人に加護を与える神は納得しにかかった。次に目覚めた時には話してもらえるとあれば、焦る必要もない。
当面の間、話相手を失うことになる。しかし計画の苦手な友が立てたものの正体、それを推理しながら過ごすのも悪くはない。
エギレアの口が開かれれば、美貌に似合わぬ尖った牙が見える。魔力を吸い取ろうとした時、そのルファイドが手を挙げて制してきた。
「ごめん、アっちゃん、タンマ! もうちょい規則破らなきゃならんくなった」
「またシャーロットかい? リックは本当にあの娘にご執心のようだ……。それはそれとして、私が規則破りを見逃すと思うのか?」
あっちゃー、しゃーないな、そんな顔をしているルファイドへ向けて、琥珀の瞳はまた鋭くされた。しかし、日頃から皮肉気に笑ってばかりいるルファイドには嫌味も通じない。
「すまんな。オレはあの娘が可愛くて仕方ないんだ」
「シャーロットだけ?」
「……実を言うと、ジオグラフィカエルヴァドスも気に入っている」
出された言葉に、エギレアは目を丸くすることを止められなかった。人間種の勇者を育てながら、人間種の行く末には興味を持たない。ヴァンデリック・ルファイドは矛盾した存在だと彼女は理解している。否定されるかと思いきや、素直に認めてくる辺りが意外であった。
「そう言う訳だ。これからちょっと間、時を止める……。規則の二重破りをすると、どのくらい罰則がかかったけか」
事も無げにルファイドは言う。人間から闘神と畏れられるだけあってか、罰則を前にしても日課の散歩に出るくらいの気楽さであった。
「二重の罰則は、フルゥエラ大陸で言うところの一月。いいのか? その頃にはサリーの勇者がまた活動を始めている。リックの選ぶ勇者がどうなるか、今一番見ていないといけない時期だろ」
一体何の心配をしているのか。自分でも呆れながらエギレアは尋ねた。
「やー、オレがダメなら、その時はアっちゃんがアレを勇者に選んでもいいぞ」
「前にはあげないって言ってたじゃないか」
訝しんだ視線が投げられると、緑色の瞳をした神は軽く首を振って答える。
「譲るつもりはない。けどね、他の神の御手付きになるくらいならよ、アギト・エギレアに任せる方が余程いい……。そうだな、万一の時にはセルペの勇者も併せてもらってくれ」
告げながら、ルファイドは特定の生き物を除き世界の時間を止めてしまった。
しばらくの後――実際には止まっていた時間が動き出してなので一秒にも満たない後、エギレアは満足した顔を浮かべるルファイドからごっそりと魔力を吸い取った。
「リック、汚いぞ。前から思っていたが、キミは計略が苦手な割りに姑息だ。私はね、結構キミを好いているんだ。何せ私の話を一から十まで聴ける神がいない。それが何だ、リックは私以外のものばかり気にかけて……。いいさ、やってやるよ。私は小心者だからな。それは多弁なのが証明してるだろ? いいさ、ヴォークリッサが何を企んでいようが、リックの愛するものたちを護ってやるさ。だから、な……」
眠るルファイドを前に滔々と流れた台詞が、一度淀む。
「ありのままの私を肯定してくれるキミだ。目覚めたら、私の働きっぷりを厭と言う程誉めるといい」
言おうか言うまいか、少々逡巡してみせたが、我慢はよくないと尖った歯を見せてエギレアは語った。
秋口は何かと忙しく、季節の移り変わりを感じる暇がなかった。そのジオの頬を冷たい風が撫でていく。心地良さを覚える一方、足元に吹き散らかされる白色の煙に不快さも抱いていた。
「今、何て言った?」
冑を解かれた勇者は、狼狽する様を隠すことなく従者へと問うた。半裸の男は厳しい表情をして、人工魔獣の中から現れた女性はフラティラリアであると繰り返す。
「嘘だろ……」
目の前の女性は見覚えのあるローブを見に纏っているが、身長は高い。幼馴染の少女は、キリカと同じくらいの背丈しかなかった筈。記憶とはまるで符合せずに納得はいかない――であるというのにジオの心は激しく揺れていた。
「嘘じゃない。ティアティアはお母さんに見つけてもらうため、十二歳の頃から成長を止めていた。今目の前にいる彼女こそ、本来の成長したティアティアなんだぞ」
「……」
姉の言葉に、ジオは魔物に囚われた人物へ目を向ける。
言われてみれば確かにと思わないでもない。ローブの丈はこの女性が着るには短すぎる。ティアが急激に成長したと言われれば、納得せざるを得なかった。
何より、目の前の女性から齎される紫の光を見間違えることはない。
「だったら、だったら――」
鎧がチリチリと蠢き始め、ジオの頭を覆い直さんとする。だったら尚のこと納得がいかない。一度は収まった怒りに、再び腹の底から焼かれる想いに駆られる。
この足元の魔物はヴァリスナードだけでなく、ティアまでもペロリと平らげてしまったのだ。この事実を知れば、まだまだ青さの残る勇者はとてもではないが平静さを保てない。
「ジオ――」
魔物は絶命しておらず、足元では黒騎士を始めとする人間たちが事の成り行きを見守っているところだ。自制心を失った弟へ向かって、姉代わりは平手を振り翳す。
パチンと一発! 気合を入れ直そうとした寸でのところで、シャロのビンタは空ぶった。勢いは止まらずオッサンの剥き出しの上半身を打って手は止まった。
「痛いですぞ」
困ったような物言いであったが語調は柔らかであり、妙に嬉しそうでもある。年端のいかぬ少女が如き姿をしていても、シャロは精霊だ。動きを読んで躱すにはそれなりに頭の冴えが要求される。
「おぉ、ごめんよオッサン」
嬉しそうなのはシャロも同様であった。簡単にオッサンへ詫びを入れながら、弟へと向かい直る。精霊の真紅の瞳が捉えたのは、迷い悩みブレてみせようが意志の強い瞳であった。
「シャロ――否、姉さん、お願いがあるんだ。聴いてくれるか?」
「言ってごらん。お姉ちゃんはいつだってジオの味方だ」
にっこりと笑って精霊は言葉を待った。何の加護も得られていない単なる黒色を携えた瞳であるが、それがシャロには何よりも頼もしく映る。
季節は冬に差し掛かり始めていた。ジオは風の匂いが変わったことを覚えつつ、自身と幼馴染の誕生日が過ぎていたことに、今更ながら気づいた。
いつまでも勇者を夢見るだけの子どもではいられない。少年勇者は、嘗て大英雄が冗談交じりに出した言葉を思い返す。
「ティアを、護りたい……。俺に、ティアを護らせて欲しい」
間を十分に取り、ジオの呟きがなされた。
「オッケー」
勇者と契約した精霊は軽い調子で応え、「ルファイド、ごめーん。私が悪かった!」と天に向けて叫ぶ。
「一体何の――」
一体何の呪文、とオッサンは尋ねたかった。二代目ネギの勇者と共にシャロと旅をした彼にも、その意図は理解出来ない。
ただ、その呪文は絶大に効力を発揮する。オッサンは愚か、他の人間種、果ては足元の人工魔獣までもが動きをピタりと止めてしまっていた。
「さぁジオ、邪魔するものは何もなくなったよ」
時の止まった世界で、シャロとジオはゆっくりと歩き出した。




