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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第六話「黒百合が紡ぐ子守唄」
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黒百合、再会す

 レジナス王国北部には、国の食糧事情を支える穀倉地帯が広がっている。勇者ギルドを有するラスパが中心となり、比較的大きな町に集められた小麦や人手が金に変わってくれる。北部と呼ばれているが、それは王都を始めとする南側の人たちの基準でしかない。


 さすらいの吟遊詩人に尋ねれば、「北部とはデジレンス山脈の向こう側、つまりわたーしの故郷こそ大陸の中央なのですよ」と応えることだろう。


 東西に長く続く山脈を北へ越えれば、魔人種の住処へと辿り着く――尤も、その種族が存在していたのは神暦時代の終わりまで。永らく人間種を護ってくれていた山脈も、今や王国の敷地を狭める無用の長物、そのように言い放つ人もいる始末だ。


 デジレンス山脈を悪く言う者とは大抵は南側の民であった。アレクラのような村々に住む人々は、山の恩恵があってこその穀倉地帯であるとよく理解している。むしろ、山を越えたところで何もないことこそが北部の発展を助けた。他国との間に戦略的な意味はなく、王都の手が伸ばされることはない。魔物との大戦以降に進むインフラ整備の対象外となったことで、デジレンス山脈は神暦時代と同じ姿のままで残り続けた。


 自然豊かな山からは幾つも河川が伸び、その河口付近には肥沃な土が集められる――農業に適した地を見つけ、人々は山脈の麓へ東西に長く村を点在させていった。


 他方、河川の氾濫による水害も付き物の筈が、目立った災害は人類史に記録されていない。人間種の手が入らぬこの山奥では、ウサ耳を生やした少女が大きな狼を投げ飛ばしたり、カボチャと五穀豊穣の舞を踊っているといった逸話があるとかないとか。


 ともあれ、人の手が無暗に入らないことはいいことだ。無事に山から戻ったグラフォードは、安堵と焦燥、二つの気持ちを持って家路を辿った。大戦時に人間側へついた竜人はこの村の長閑さを気に入っているが、結局のところは彼も余所者だ。人間の拓いた田畑へは手をつけずに、今日も一日が終わろうとしていた。


 この男を見てまず目に入るのは、種族柄恵まれた体格であった。次いで、黄色がかった茶系の瞳に物憂げな色を見ることになる。村人の一人が“草臥れた竜”と言ったが、それはグラフォードを端的に表現した言葉であった。


「ただいま」


 出された声は小さく、扉は音を立てぬよう極力静かに閉められた。身体の大きな彼がすると窮屈そうに見えるが、何せ時間が時間だ。寝ている娘を起こしたら妻がうるさくなる。


「あなた……、帰ってたのね。今すぐ食事を――」

「何かあったのか?」


 食卓へ伏せていた頭をシオンが持ち上げるが、様子がおかしかった。疲れているならば娘と一緒に眠っている筈だと、グラフォードは真面目な顔を作る。


「そうか、フラティラリアのことか」


 すぐには答えないが、妻の視線が寝室へ向いたことで察しがついた。元々は活発であったが、娘は徐々に塞ぎ込んできているように思われた。心配はすれども、家を空けることの多い彼には打つ手も思いつかなかった。


 鱗の浮く肌や尻尾は大きなローブで隠しているが、年がら年中同じ格好なのだ。同じ年頃の子どもたちからは、どうしても奇異の視線を集めることになる。


「竜人の血が邪魔をし――」

「違う! そうじゃない!」

「……どうした、大きな声を出して。フラティラリアが起きるぞ」


 シオンの黒瞳が見開かれ、荒げた声が出された。尋常ではない姿を見れば、グラフォードは却って冷静になれた。妻に何があったかは聴いておきたいところだ。


 しげしげと見つめると、少し痩せた印象を受ける。綺麗な藍色の髪は振り乱され、堪えるように握り拳が作られていた。背丈は並だが、線が細い彼女は一層小さく見えた。周囲からは“北の魔女”と畏敬の念を集めているものの、グラフォードにとっては子を想い悩む妻であった。


「あなたは悪くないってことが言いたくて……。今日、言われたのよ“セルペンティア・ランギスに呼ばれたんじゃ”って」

「神に招かれることは、何もおかしいことではないだろう」


 竜人に遍く加護を力を振り分けるアギト・エギレアのように、信奉する者へ姿をよく現す神もいる。だが、シオンが嘆いたのはそのことではなかった。


「言葉遣いよ言葉遣い! 今朝まで普通に喋ってたじゃないの……、それに目がずっと紫になって――あの子すっかりランギス神と同調してしまったのよ」

「そう、か」


 短く一言を返すしかグラフォードには出来なかった。竜人の彼にすれば、神の力を得ることに悩む必要性を感じられない。一方で紫の瞳は邪神信奉者と宣伝して歩くようなものだ。アイリス信仰が主なこの地では損ばかりで得の一つもない。


「どうしてあの子なのよ……。四百年もの間、ランギス神の気に入る人間はいなかった筈でしょ、どうしてなのよ」

「まずは落ち着きなさい。これからどうするか、そちらの方が大事だ」


 シオンを椅子へ座らせ、グラフォードは後ろからその肩へ軽く触れる。妻から顔が見えない位置に立ち、ようやく彼も内面を表情に表わすことが出来た。


(フラティラリアの魔力は、神が目をつける程に高かったか……。やはりそれは、竜人の血の所為じゃないか)


 落ち着けと台詞を吐いた手前、堪え切れなかった苦々しい想いは表情だけに留められた。


「潮時だな」

「え?」


 ボソりと出された音に、シオンは顔を凍りつかせた。


 グラフォードがこの地を選んでいるのは、彼と同じく祖国を離れた竜人を探してのことだ。あまり西へ行けば故郷を離れ過ぎるし、南へ行くと人目につき過ぎる。


 十分に吟味して選んだこの地を棄てる、それはこの生活が潮時であるのだとシオンは受け取った。


「あ、あなた、まさか……」


 何を言うつもりなのか、まさか自分と娘を棄てて出て行くのではないか。心を乱す魔女は瞳を滲ませるだけで、それ以上言葉を紡ぐことも出来ない。故郷を失ったシオンには、他に行く宛ても頼る人もいない。


 妻の様子を特に気にするでもなく、竜人である夫は言い切った。


「俺のわがままもここまでだ。ファディアの里へ行こう、グリオ殿やジオールの力を借り――何故泣くのだ?」

「ご、ごめんなさい。何でもないから」

「きっと何かあったんだろうが、生憎と闘うしか能のない俺にはわからんよ。人間とは難しいものだ」


 もう何年も一緒にいるが、妻のことはわかった気になっても翌朝にはまるでわからなくなる。だからこそ面白いとも思うのだが、それらの言葉は照れがあって呑み込まれた。


 竜人とは闘う種族と彼は自覚しているが、我が子を思えば好き勝手に生きられたものではなかった。フラティラリアは魔女としての才能は愚か、竜人としても見込みが十分にある。この子が不自由のないところへ、そう考えられる程度にはグラフォードにも親としての自覚があった。


 彼はあてのない旅を続ける人生を送ってきたが、妻と眠る娘の顔を見ていると終着点というものが不意に見えた気がしていた。妹も家族を得て、同じ想いをしていてくれれば……、ふとそのように思った。


「さて、では村の人たちへ挨拶をせねばならんな……、誰だろうか」


 妻も移住に賛成であり、話をまとめにかかろうか。そのようなところで扉が軽くノックされた。夜中とは言わないが、太陽の昇り降りと生活を共にする村人にしては珍しい。


 二人が見つめ合って首を捻っていると、再びノックの音が響く。アイリスの神父が不足するこの地では、時折シオンに治療を求める者もいるが扉を叩く音には切羽詰まった雰囲気はない。


「私、出るわね」


 フードを被り瞳を紫に――北の魔女らしい風貌になったシオンが、扉をゆっくりと開いた。


「夜分に恐れ入ります。こちら、北の魔女のお住まいだと聞きまして」

「私がそうですが、貴方は?」

「おや、こんなに綺麗な方が……、ああ、すみません。魔女と聞くと老婆を勝手にイメージしてしまいまして。わかります? 子どもを攫って食べてしまうやつ、あの英雄譚の」


 来訪者は勝手に押しかけておきながら、随分と滑らかに舌を回していた。村では滅多に見ることはないが、行商がこんな風だったように思う――ヴァリスナードからは「よく喋るヤツ程気をつけろ」と忠告されたことを思い出して、咳払いを一つ。 


「北の魔女の評判を聴いて来たのでしょう? お喋りやおべっかは嫌いだと誰も教えてくれなかったのかしら」


 威圧的な口調と共に、少々魔力を高めて凄めば、来訪者は瞳を輝かせてみせた。魔女の力は絶大で、恐れ戦くものと憧れを示す者にわかれる。今いるのは後者で、シオンの経験上厄介な者であった。


「そう、その力、評判以上ですよ!」


 ローブの袖から球体が取り出されて光る。シオンの魔力に反応するように、紫の光を照らし返し始めたものを見つめて、ローブを着込んだ男は喜びを露わにした。


「それで貴方は、誰? 私に何の用?」


 夜遅くに派手なリアクションとパフォーマンスを見せられて、北の魔女はげんなりとした表情を隠さずに問うた。


「おっと、失敬」


 魔女に対して物怖じをせず、魔力の発露を喜び、魔導器を携帯したローブ姿の人物。ここまで特徴的であるのに、何故だかシオンは目の前の男を同業者だと認識出来なかった。


「わたし、工房の魔導士と呼ばれるものでして……」


 子どものように喜ぶ男の瞳が白色に輝いた。






 闘神が開いた道を抜ければ、濃い青を見せる空に薄い雲が流れているのが見える。暗がりから急に外へ出たものだから、小さな魔女は反射的に片目をつむってしまった。


「もう秋か……」


 光に慣れてくると、夏空とは異なる青をしげしげと見つめていた。いつの間にか秋になっていたことを実感しながら、人工魔獣が咆える地へ降り立った。周囲は騒がしく、それどころではないというのに空が綺麗だと思ってしまった。


「エルにも見せてやりたいのぅ」


 空を高く感じられるから、ティアは秋が好きだ。幼馴染の誕生日を祝い、自身の誕生日を祝い返されれば直に秋になる。暑さが引き、空気に落ち着きを感じられるこの季節が好きだった。


 成人を迎えた今でも、幼い頃と変わらずに彼女はこの季節が好きだった。


(そう言うたら、今年も祝えとらんな)


 落ち着いたらエルと一日デート――その言葉をまじないのように連ね、己に言い聞かせてきた。だが、今のティアは浮かれることもなく、空の少し下へと視線を向ける。折角の秋空にケチをつけるものがどうしても視界に入ってしまう。


 抜けるような空が目の前にあるのに、視界内にデカい虫が蠢いている。漫然と見つめていたが、ティアの瞳は紫の光を見つけた時点で鋭くされた。冷静でありたいのに、ぼんやりとしていたいのに許してもらえそうにない。


「ちっ……」


 もどかしさから舌打ちを一つ。少女らしさと魔女らしさの間で揺れながらも、状況把握に努めようとする。小声で呪文を呟いて魔物の分析を試みたが、手応えがまるでない――白色の煙に干渉されているとわかれば、より苛立ちが募った。


 芋虫のような姿のそいつは、変態の途中なのか大きな動きは見せない。身体を燻らせながら、紫の光と白色を撒き散らしては依然として健在であることを示している。その姿があまりに憎かったから、内側から噴き出す熱に焼かれてようやく冷静さをティアは取り戻した。


「母のことは急がんでいい。それより爺は、ヴァリス爺はどうなった」


 内から焼かれぬよう息を吐いて呟く間に、瞳が不自然なものを捉えた。地面に出来た大きな窪みへと視線を運べば、お目当ての老人がぐったりとして眠る様が映った。


 出来上がった窪みの中心はティアの背丈よりも深い。少しでも逃れようとしたか、ヴァリスナードは淵の辺りに埋め込まれていた。彼女の位置からでは顔以外はわからないが、とても無事に思えたものではなかった。


「爺っ……、遅かったか」


 衝動的に駆け出すティアの歩調も次第に緩まっていった。己が駆け付けねばと思っていたものの、程なくしてそれが傲慢であることに気づけた。


 倒れたヴァリスナードの傍には、既に何人もの人がいた。化け物へと単身立ち向かった男へ、人々が集まっている。


「死ぬな、死ぬなよ大英雄……」

「ああ、力が足りない。この人が死んでしまう!」


 騎士たちが必死の思いで治癒の魔法を紡ぐ。それは必死の形相であり、日頃ヴァリスナード派と対立している黒騎士らしからぬ姿であった。


 邪魔になったか、冑は剥ぎ取られていた。祈る彼らは恐慌状態に陥っている様を隠すこともしない。騎士然として立っていられない程、無力さを思い知らされた。目の前の化け物には凡そ太刀打ち出来ぬし、闘ってくれた大英雄を直ちに救うことも出来ぬ。


 出来ることは精々、逃げるか留まるかだ。


 人工魔獣はいつ動き出すかもわからない。言外の緊張から震えても、神官職は魔法を唱え、他の者は剣を構え続ける。ここで逃げては“終わってしまう”、騎士らは誰に言われるまでもなく直感的に気づいていた。


「クソ、クソ……。俺らの魔法じゃダメか」

「無駄口叩くくらいなら祈っててください!」

「うるせぇやってるよ、祈ってるよ! 敵対する大英雄を助けようとしてんだ、私は処罰も覚悟で――ああアイリスだ、クソったれ!」


 人工魔獣は動かずとも、その身から噴き出す白色の煙が迫る。逃げ出した騎士の何人かはそれに呑まれて倒れた。自分も逃げたい、助かりたい――そのような想いが溢れるが、彼らは祈り、魔力の限りに結界を張った。


「この状況でよくぞ踏み止まった。それでこそ黒騎士、それでこそアイリスの信徒!」


 荒れた地へ、声が響く。「誰も死なせるか」との台詞は、騎士たちの隊長からのものであった。


 スティン様、隊長殿……、癒しと結界を紡ぐ手は止められることなく、口々に彼の名が呼ばれた。黒騎士スティンは隻眼を晒しながら、隊へ向かって命じる。ヴァリスナードを、救国の大英雄を助けろ、と。


 叫ぶ彼は担いでいた副長を降ろし、今度は静かに言った。


「キャリーを見ていてくれ。大規模な結界を張ったおかげで、魔力切れを起こしている」


 スティンの視線を追えば、地面に大穴を見つけることが出来た。精霊が掘り返した穴だ。そこでは助かった者が、まだ生き埋めになっている者を助けようと必死だ。救いを求める者がいる。


「隊長はどうされる?」

「無論、立ち向かうのみ」


 大剣を構えると共に「ああ、アイリス」と短く祈る。ただそれだけのことなのだが、剣と祈りに生きるスティンがすれば、部下たちの目には何か貴いものとして映った。


「うわああぁぁっ!」


 誰かが泣くような叫び声を漏らして走る。白色の煙を前に固まっていた黒騎士たちが、その叫びに後に続いた。大英雄を救え、倒れた同胞たちを救えと鼓舞して回る。


「なんだ、人間も案外とやるじゃないか」


 騒々しいことこの上ない。日頃は嫌悪する音を耳にしながら、ティアは呟いた。これらが彼女の想い人が護りたいもの、ヴァリスナードが護ろうとしたものと思えば、いよいよ以て腹も決まった。


 中級の風魔法で煙を吹き飛ばし、ゆったりと歩きながらバカでかい化け物を見上げる。


「来たよ……、お母さん」


 見た目どおりの少女らしさで母に語りかける。それもしばらくとは続かず、すぐに魔女に相応しい表情に塗り替えられた。


 ヴァーヴァーヴァー――相も変わらず喚く魔物を前にして瞳は鋭く尖っていった。その場からは動かない人工魔獣であるが、身の危険でも覚えたか身体の側面から触手を伸ばして魔女を排除しにかかった。


 触手といえども、本体が規格外の大きさを誇る。成人男性に匹敵する肉の塊がティアへと迫った。


「魔女殿!」

「……ヌシは、あの時の黒騎士か」


 ティアが動くよりも先に、スティンは迫るものを両断してみせた。それを皮切りに次々と襲い来る触手に向け、大剣が暴れ狂いながら合わされる。


 時に薙ぎ、時に切り裂き打ち払って、剣は風を巻き起こす――人並ならぬ業ではあるが、魔法による奇跡・神秘の類ではない。己が内にある魔力を総動員して剣を振るう、ただそれだけのこと。だがスティンもまた、ヴァリスナードと同じく人間として足掻き続けてきた。


 悩み迷いブレてしまおうが、構わない。醜かろうが諦めはしない、それこそが脆弱な人間種に許される祈りだ。ただ折れることなく剣を振るい続ける、足掻き続けた者にだけ手を伸ばせる頂がある――そこに至った者を、人は英雄と呼ぶ。


 次の時代は必ず来る。予言した老人が倒れた直後、若者が剣を振り抗う様を見せつけてくれる。


(まるで嵐……。エルも剣が使えたなら、こうなれておったか?)


 黒騎士に護られるなか、ティアは呑気な感想を抱いた。無限に湧く泥人形(ゴーレム)が眠る神殿で出会った時から思っていたが、彼は何処となくエル少年に似ている。その英雄然とした姿に、見たかったものを一時だけ重ねた。


 触手を斬り、弾く黒騎士に護られて魔女はマイペースにスタスタと歩む。これから行う魔力行使を考えれば、ここで温存出来ることは御の字だ。


「ご苦労」


 いよいよ化け物まで魔法の射程圏内。そこでティアは労いの言葉を口にした。相変わらず魔女らしく可愛げのないものだが、横に並ぶ者が英雄であるのならば遠慮も必要ないだろうとの判断であった。


「どうする魔女殿、まだしばらくは耐えられるが」

「その内にネギの勇者が来よる……、そうじゃな、それまで眠らせてやろうか」


 ボソボソと話すティアの足がようやく魔物へと肉薄する。未だ触手が振りかぶられようが、冗談を言う余裕があった。


「何かお考えがおありか?」


 これだけの魔物を鎮める術などあるものか。アイリス神に祈る少年は生真面目な表情を隠すことなく問うた。嘘の吐けぬ不器用な顔だが、困ったことに彼女が好いた少年がするものによく似ていた。


「……子守唄でも唄ってやろうと思ってな」


 少女は身の内から魔力を湧き上がらせて人工魔獣(シオン)を睨んだ。


 信奉する神の後押しを得た今ならば、何でも出来る気がしている。紫の光へ視線を送れば、言葉や胸の内とは裏腹にティアの顔はくしゃりと歪む――十年も時が経つのに、母の姿はあの日のままであった。




「では()こうかの、妾のプレイヤーよ」


 いつもの不遜な口調を聴けば、何を悠長なと思わないでもない。しかし他に動ける者は自分と邪神だけ――周囲の時間が止まっているとわかり、ティアは神に倣ってのんびりと浮かび上がった。


「地上に干渉したらいかんのではなかったか? それに一方的に流れる時間を堰き止めるなぞ、どんな罰則(ペナルティ)があるやら」


 目的まではまだ少し。手持無沙汰ではないにしろ、少女は神へ意地悪くも問うた。邪神の方はといえば、まったく意に介した風もなく口の端を持ち上げては言葉を紡ぐ。


「心配なぞせんでもよろしいぞ、リックには干渉する意志はないからの。何の気なしに魔法を使ったらうっかり全世界の時を止めて、うっかり妾たちだけをその対象から外してしもうたのじゃ。まったく以て、問題はないぞ?」

「穴だらけの素敵な構造じゃな……」


 神とのやり取りに満足がいき、ティアからはそれ以上尋ねることもなくなった。


 行方不明になった母を救うことが望みであった。ただしそれは彼女だけの願いであり、付き合う神が割りを喰うことだけは避けたかった。


「何のかんので優しい娘御よな。妾に似ておけばもうちぃっとは人生を謳歌出来たじゃろうに」

「言葉遣いやら好みの男やら、似てしもうておると思うが?」

「妾と似とるか? それは気のせいじゃろうて」


 当のランギスはそう嘯いているが、神になる前の話し方は今のティアそのものだと他の神から聞かされていた。人生を謳歌出来たのかと問われれば首を捻るが、まぁ悪くなかったと思えてしまう。


 意図的に避けてきたことが二つあるが、その内の一つが母への罪悪感であった。紫の光が近づくにつれ、少女は噤んでいた口を再び開かずにはいられない。


「母には、悪いことをしてしもうてな」

「……好きに話せ、どうせ最期じゃ」


 恥もあの世までは持ってはいけない、そう後押しを受けてティアは続ける。


「母がいなくなった日は、ランギス神と()うた日なんじゃ。私なー、つい言うてしもたんじゃ」


 王国民が畏れる邪神と対面しても怖いものはなかった。己を心配するばかりで、何も言わぬ母をこれでようやく手助け出来る。そのように少女は子ども心ながら期待していた。


「紫の瞳になった私を見てな、泣きおったんじゃよ。お母さんの力になれると思っとったのに、私を化け物でも見るような目でな……。いや、今から考えたら戸惑っておっただけなんじゃろうけどな」


 遠い目をしながら言う魔女へ、邪神は首を傾げる。どうにも何が言いたいかがわからない。この期に及んで核心部分から逃げているようにも思えていた。


「そなたが何を言ってしもうたのか、それが肝心じゃろう。今この空間には妾とそなたのみ。言うだけはタダじゃ、言うてみせい」


 聴いてしんぜようと偉そうな物言いであったが、ティアはとんがり帽子を目深に被って口を開く。どうにも紫の光が眩しくて仕方なかった。


「お母さんなんか大嫌い、とな。まさかアレが最後になるなんぞ、思いもよらんもんで……、ついな。つい、言ってしもうたんじゃ」


 浮遊の魔法で上昇した二人は、ついに人工魔獣の核に差し掛かった。瞳を逸らしたいが、直視せざるを得ない。母はあの日と同じく、哀し気な表情で彼女の方を見ている。


 魔法を学べども、ブラックサレナと畏れられど、こんな姿を目にしてはティアはただの少女へと戻ってしまう。帽子のつばで遊び、躊躇する彼女へ嫉妬の神は豪快に笑う。


「良き哉。妾なんぞは母へ向かって、よくも産みおったな、などと言うてやったわ!」

「え、えぇ……」


 カッカッカと笑う神を前に、何とも居た堪れない気分に少女はなった。何を言っても不謹慎になるのではないかと、言葉を選ぶことも出来ない。


「まぁ、人の身でよくぞここまで来た。妾の母はもう死んでおるが、そなたの母はこうして生きておる。今言いたいこと言ってやれば、そんでよかろうぞ」


 特に返す言葉など必要なかった。破顔したランギスは邪神と呼ばれるには不相応な品位が感じられる――否、世間がこの神のことを知らないだけで、案外と面倒見のいい神なのかもしれないと考えを改められた。


「んじゃ、お頼み申す」


 最後に面白いものが見られた。ティアはいい気分のまま逝こうと神へ願う。


「ちょいと待つといい。時間は止まっとるんじゃから、焦ることはなかろう」


 掌を翳し、嫉妬の神は厳しい表情に切り替える。神らしく望みを叶えんとする前に、今一度問う。


「そなた、ティアよ。母親のことはそれでええとして、リックが選ぶプレイヤーのことはどうするんじゃ?」

「――っ」


 意図的に避けていたもう一つを突かれ、ティアは息を呑む。エル少年のことを考えてしまえば、ここに至るまでの決意が揺らいでしまうのではないかと思っていた。


 実際、心が揺さぶられてしまって魔女らしい表情を取り繕うことも出来ずにいる。


「私はな、生前その最期にこの世へ呪詛を吐いた。そりゃもうとんでもない悪態よ。その結果、嫉妬の神なんぞになってしもうてこの有り様……、ただな、妾を慕う神や妾が慕うヴァンデリック・ルファイドという不器用な神がおれば、まぁ、そんでよいと思う」


 じゃが、と信奉者とよく似た口調で神は続けた。


「ヌシな、そんでええんか? 母を救うことは間違いなく望みじゃが、救った後、ヌシは裸一つでその先へ逝けるか。恨み言一つ漏らさず、地獄へ落ちられるんか?」


 眉を顰め、ランギスは憂いを示す。それに対して、ティアは何も言えなかった。


 なまじ神と同調したせいか、ネギの勇者を好いたことも本当に己の意志であるかどうかはわからない。こんなあやふやな気持ちに、あの生真面目な少年を付き合わせてはいけない――今わかることはその程度だ。


「私は面倒臭い女じゃからな。最後くらい煩わさずにいきたいものぞ」


 ゆっくりと首を左右へ振り、少女はようやく帽子の先を持ち上げた。哀しむ母の顔が目に入り、いよいよ後戻りは出来ぬと感じられた。


「……そなたが選んだのであれば、それでよい」


 言葉とは裏腹に、ランギスの表情は複雑さを浮かべている。迷いを振り払うようにして、握られていた手が開かれた。


「これは?」


 驚くティアを置き去りに、紫色の魔力が魔法へ成らんと高められていった。時が止まっているにも関わらず、取り込まれたシオンの周辺が僅かにだが動き始める。


「哀しみに濡れるリックが時空間を操るならば……、憎しみに震える妾は、セルペンティア・ランギスはこの世の万物を操ってみせようぞ!」


 日頃は倦怠感を象徴する紫の瞳が絞られる。尖る瞳から溢れる魔力は、力強い言葉と共に神域の魔法を成立させた。


 指定された座標を完全に空間から切り離す荒業。人工魔獣に取り込まれたシオンが、魔獣との有機的なつながりを無視して取り除かれた。


 依然時が止まったままであるが、十年前から変わらぬ母との再会には相応しい。ティアは震えながら、ようやく解放された母の手を握る。


「フラティラリア……、お母さんは怒ってないのよ」

「知っておる――ううん、知ってるよお母さん」


 触れたことで、シオンもまた止まった時を動かし始める。彼女の中では十年前そのままで、成長を止めていた少女はこれで役目を果たしたと涙を流す。


 ごめんね、と呟いてティアは時間を進めた。少女の身では母程の魔力を賄えない――実年齢相応に身体を成長させては、掴んでいた母の手を離す。


「ありがとう、ランギス神」


 いずれ時が動き出せば、魔獣は崩れ去る。大質量の化け物が弾ければ周辺の人たちも無事では済まない。後のことはジオと精霊が片づけてくれると、ティアは母がいた空間に納まった。


「礼は全部が終わってから、直接言いに来るんじゃな」


 東の空に浮かぶ緑色の光へ視線を馳せ、邪神は魔法を解いた。


 そして人工魔獣は変わらず動き始める。変わったことと言えば、“あなた”と聞こえる鳴き声が、“エル”に変わった程度のことであった。


「ほれ見たことか、その選択はそなたの意志どおりじゃないではないか」


 嫉妬の神が険しい顔つきになっていたが、それを見届ける者はこの場にいない。




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