緑色鬼と竜人 2
外套に大荷物を抱えた青年が、森の中を突き進んでいた。探検家に見えなくもないが、羽つきのとんがった帽子がそれを否定している。彼はつまるところ、吟遊詩人であった。
「なーんということでしょう」
グリデルタのいたイーシアを飛び出して、早一月。ネギの勇者が育った故郷を求めている間に、情勢は随分と変わっている。
信奉する神に授けられた“眺望の目”に魔物と人の姿が映ってしまい、ハインドが小声ながら驚きを表す。非力な身であるが、魔物に襲われる人を見てしまったのだからもう逃れようがない。
「そこの魔物、止ーまりなさい!」
ザザッと草葉を掻き分け、吟遊詩人の青年が飛び出した。眼前にはうら若き女性と、魔物――二足歩行の狼はコボルトという種族だ。瞳を鋭くさせてハインドを睨みつけていた。装備は腰布と大きな鉈のような刀で、随分と好戦的な姿に映った。
コボルトはレジナス王国よりも共和国に多く棲息している。この表現も人間種からの一方通行的な見方であり、本来は魔物ではなく亜人の筈。王国民のハインドも例に漏れず、獰猛な魔物と認識する。
「ささ、お譲さん、わたーしの後ろへ!」
コボルトの間に割り込む際、外套が大袈裟なくらい翻る。彼の頭の中では、ネギの勇者よろしく颯爽と助けに入れていた。背丈はハインドと変わらないくらいの女性だが、横目に入った身体は華奢なものだった。
護らねばならない、そのように吟遊詩人は息を巻いた。
「……失礼な奴だ。ジオール、その顔は何だ」
青い体毛に覆われたコボルトが眉の辺りを寄せて、不快感を露わにした。魔物扱いには慣れてもいるが、青年の向こう側で女――ジオールが笑っている姿には少々苛立ってしまう。
「お兄さん、ちょっといいかい?」
「なーんでしょうか。あれ、どうしてわたーしは腕を取られてるんですか?」
流れるような動作でハインドは後ろ手を取られる。続いて膝裏を軽く踏まれると、押し倒される形で完全に拘束された。
(おかしい。何故このような。後、うら若ーき女性の割には声質が低いですね)
違和感を覚えつつも、額が地面についた姿勢になったため、ハインドは状況の把握が出来ない。いくら不意を突かれたとはいえ、女性相手に為す術もなく捕まえられている。
「もしかして、これは新手の罠でーすか! 助けて、わたーしはただの吟遊詩人、おいしくなーいですよ!」
喚こうとも、拘束から逃れられない。腕は背中にして土下座のような格好をとらされている。その背中にジオールが腰掛けるだけで、最早ピクりとも出来ない。魔物とこの女性はグルだったのだと、吟遊詩人の青年は混乱に任せて叫んだ。
首も動かせないハインドだが、コボルトが近づいて来たことは気配でわかる。一層暴れてみるがうんともすんともいわない。
身震いしながら待っていると、面倒くさそうな声が上から届けられた。
「物騒なことを言うんじゃない。俺は――」
「ひぃぃ、怒りを買った! わたーし、魔物の怒りを買いました!」
「黙れニンゲンっ!」
震える人間種へ一喝。ようやく静かになった姿を見て、コボルトは威圧的にならないように努める。さて何を言わんとせんや、考えている間にまた人間は騒がしくなった。
「無理だ! 黙っていられるものだろうか? 子どもの時ならばいーざ知らず。わたーしは吟遊詩人リバーハインド。最期を前に、否、最期だーからこそ私は思いの丈を語り尽くしましょうとも!」
「……こっちの話を、聞きなさい」
「殺すのは後にしーてください。いいですか、わたーしにはネギの勇者を謳うという使命があーるのです。これを道半ばで断念せざるを得ない、この哀しみがわかーりますか? おぉぅ、ケイマラード! このわたーしにジーオの活躍を、最期の最期まで謳わせたまえー!」
追い込まれた吟遊詩人はともかく喋った。一度は怒りを押さえたコボルトも、無視をされて再び顔を赤くするが、ハインドの話っぷりを前に一周回って無感情になっていた。
相変わらず愉快そうなジオールを見ると、腹が立つを彼は止められない。こうしている間にも、ハインドは「最近最近、ある闘技場に緑の鎧を纏った勇者がおりました」などと謳い始める始末であった。
「いいじゃないティレン、この人は私を助けようとしたんだし。それにネギの勇者というか、エルの活躍は聴きたいもの」
ジオールが笑みを暖かなものに変え、謳い続ける青年を見る。
ティレンと呼ばれたコボルトは渋い表情は崩さない。ただ女性の尻に敷かれたものを複雑な表情で睨んだ。
「……あんたが言うなら、任せよう。ニンゲンとは複雑怪奇なり」
妙な取り合わせだ、呟くティレンは胸の辺りを撫でつけながら気を収めようとする。モフモフの体毛に手が沈む様に、ジオールは柔らかな笑みを向けた。
「これは失礼しました!」
黄金剣士との決着まで謳い切った後、何やら誤解が生じていたことをハインドは知った。すぐさま謝罪の言葉を出すと、妙齢の女性が手を振りながら笑って許してくれた。
「し、しかし驚きの連続です」
吟遊詩人であれども、年若い彼はコボルトのことを理解しきれていなかった。てっきり魔物だと思ったティレンが、温和な表情を向けてくれたことでようやく勘違いに気づいた。
とはいえ、彼の眺望の目にはこの先に多くの魔物の姿を捉えている。まだ気は抜けないし、何より豪快に笑う女性の正体に一番驚いた。
「あんたエルの友達なんだろ? まー、よくもあの堅物と仲良くしようと思ったね。母親として礼を言わせてもらうよ」
「いえいえ。ジーオは話のわかーる男です。王都に行きたいと言ったわたーしへ、通行証を惜しまずくれましたし」
おかげで大英雄とも出会えたのでした。告げるハインドを見て、ジオールはうんうんと頷く。改めて見ると、この女性は随分と変わった風貌をしている。
日に焼けた金髪は長く首元で括られている。大きな瞳は少女と淑女の中間を思わせるが、何より琥珀色が綺麗であった。また服装は森に入るとあって、黒皮に覆われていた。タイト気味に着こなされていると、否応なしに胸の大きさが目立つ。
「そうか、ヴァリスにも出会ったか。ハインドくんはもう身内みたいなもんだな」
嬉しそうに笑う女性であるが、吟遊詩人はこの間にも頭の中を整理しにかかる。
ジオの母親ということは、彼の母親と年齢は変わらないだろうこと。ジオの故郷にいつの間にか近づいていたこと。その故郷付近に魔物が大勢現れていること。
「ジーオールさん! 危険ですよ、魔物がこの先にいっぱいいるのです!」
母親らしからぬ様相であったが、今はさておく。ハインドとしては魔物の群れが迫っていることを知らせねばならない――小さな子どもの頃とは違うのだ。言ってわらからぬのならば、無理矢理に引っ張ってでも助けようと気概を見せていた。
「知っている。少し静かにしろ」
「ひぃぃ、ごめんなさい!」
冷静に放ったつもりだが、狼がごとき大きな口は少し開けば尖った歯が剥き出しになる。ティレンの言葉に、再びハインドは頭を抱えて俯いた。
「……そう怯えてくれるな」
少し傷ついたようにコボルトの武人は溢す。人間種に興味はないが、旅の友であるジオールに頼まれて彼は王国西部にいた。強すぎる魔物は減っても、未だ見境なく暴れるものどもがいる――それは共和国にとっても不利益を齎す。
「話が進まん。やはり任せたぞ」
モフモフの体毛を撫でながら、ティレンは目の前の女性へぶん投げる。実際、ジオールが「魔物の様子を見に行こう」と言えば、人間の青年は疑うことなく動き始めていた。
「あれは……、キノコ?」
「そうさな、キノコだな」
少し歩けば目の良いハインドには魔物の全容が見えてくる。
手足の生えたキノコ。それが隊列を作って歩いていた。時折胞子が撒かれていることからも、間違いはない。
「あっれー、遠目に見たら危ない気がしましたが、あーれなら何てことないですかね」
王国では余り見かけない魔物であった。しかしキノコには狂暴な牙も鋭い瞳も見つけられない。幼子のような手足をバタつかせながら歩く様は、愛嬌すら覚える。
「子ども大のキノコが歩いているだけで、十分脅威だろうが」
事情のわからぬ人間へ、コボルトはやれやれと頭を振った。それでも何が危険なのかわからぬハインドは首を傾げる。
「見てみな、ハインドくん」
木影からそっとジオールが指差す。隊列を組んで歩くキノコの前に、ウサギがまんまと姿を現していた。
ようやく異常を感じ取った獣であるが、時既に遅し。噴き出す胞子を吸い込み、倒れ込んでしまう。
「おぉう、何と凄まじい……」
「いーや、序の口さね」
見た目に反して年季の入った口調でジオールが言う。キノコの行列が通り抜ける間に、ウサギの姿は消えていた。
「え、消滅しーたのですか?」
瞳を瞬かせ、ハインドは疑問を唱える。横ではお気楽な人間に、ティレンが溜め息を吐いていた。
「最後尾、見てごらんよ」
忠告に従い瞳を凝らすと、ハインドは変わったキノコの姿を捉えていた。他と同じように子ども大のキノコが歩いているが、頭のてっぺんには長い耳らしきものが二つある。
「えー、想像したくもないのですが、あのキノコは」
「ご明察。あの胞子を浴びたら動物はキノコになるのさ」
さらっととんでもないことを述べるジオール。ハインドは思わずティレンを見つめるが、眉らしきものを顰めた頷きをもって肯定していた。
ざっと見て百体程の魔物の群れだ。これが数を増やしながら行進しているという。
今更ながら、吟遊詩人は実況したくなってきた。完全なる職業病であるが、見たことも聞いたこともないような事態を前にして好奇心が勝る。
「あーれはなーんなのですか? わたーしは吟遊詩人をしてますが、見ーたこともない」
手をブンブンと振る姿に、そりゃそうだわとジオールは冷静に返した。
「共和国にいる魔物なんだがね。それが何でか急に活気づきだして、原因は私も知らない。ティレンも知らないってんだから、困ったもんさ」
キノコの群れから距離を取りつつ、一行は歩く。この先、森の開けたところに集落があると聞かされれば、ハインドは慌てて質問する。
「そこ、ジーオールさんやジーオの故郷なのではなーいですか?」
「そうだね」
「らしいぞ」
淡々と答える女性とコボルト。益々もってハインドは唸る。
「大変じゃなーいですか! 何か連絡を、狼煙でも!」
「そりゃ考えたが、里の前に黒い鎧を着た妙な奴らがいてな。どう見ても里の連中じゃないし、困っていたところだ」
「……え、見てきたのでーすか?」
「ちょっと先回りしただけさね」
さらりと応えるジオールであるが、嘘を言っているようには見えなかった。早足で進むティレンも自然なことと受け止めている。
(流石はジーオの母君、人間離れしてらっしゃる……。それにしーても、黒騎士が王国の西端にまで出張っているとは)
胸中で適当な感想を浮かべながら、ハインドは窮地に立たされていた。元より闘うには向かない彼に出来ることは少ない。まして胞子を浴びるだけであのキノコの仲間入りするとなれば、もう手が出せない。
「ジオール、そろそろボーダーラインだ。あの黒い連中に何とか出来ると思えんし、このままだと連中もキノコになるだろ」
不吉なことをコボルトはストレートに告げた。確かにその通りだが、人間からすればどうにも納得がいかない。
「わかーりました、わたーしが出ます!」
「策は?」
変わらず淡々とした受け答えをするティレン。問われたところで、策などない。彼は吟遊詩人であれば出来ることは限られている。
「謳いましょうとも。キノコすらわたーしの語りで惹き付けてみせますとも!」
「……面白い人間だね」
歩むスピードは緩めず、ジオールは微笑んだ。なるほど、これなら無茶苦茶な息子の友達も務まるものだと妙な納得があった。
「ええい、俺は無理だと言ったぞ!」
腹を決めた吟遊詩人を横目に、ティレンも唸る。付き合いは短いが、友達の故郷が危機に瀕していれば助けねばなるまい――コボルトの彼は誇り高い武人でもあった。
「何にせよ、そろそろ決めないと。黒いヤツらのところへ出るわ」
キノコ集団の戦闘が木々を割って広場へと出た。
驚きを隠せない人間たち。剣や斧、槍に弓を各々構えて魔物へ身構える――奥に陣取った纏め役の黒騎士は観念したように布陣を整えるよう伝えていた。彼もまた大剣を引き抜き、人間の里へ魔物が迫らぬよう気を引き締める。
「ああ、もう時間がない。何を謳うか決まっておりませんでーした」
「何を悠長なことをっ!」
ティレンが唾を飛ばしながら叫んだ。この吟遊詩人が謳って惹き付けること、それが本気の作戦だとようやく気づいたのであった。
「どの神かわからんが、祈っておくか?」
冗談のようにジオールが言えば、真面目腐った顔でハインドは即答する。
「なら、闘神に祈りましょう!」
おぉ、ルファイド――呟いて何になるかはわからない。だが、祈らずにはいられなかった。
かくして、キノコの戦団が森の開けたところへ出た。黒い騎士団とはまだ距離がある。待機している黒騎士が体制を整えているが、触れるだけでキノコへ変容させる胞子は脅威。数の上では十分であっても、いずれ逆転してしまう。
「ち、援軍は間に合わないか」
大剣を担いだ黒騎士のまとめ役は観念した。年若い彼はアイリスの信徒であるが、思わず舌打ちをしてしまっていた。
白色光が空を打った。あれ以来、徐々に魔物は活気づいてきている。王国の端にこれまで見たこともない魔物の軍勢――正に今が過渡期。国教を護る騎士はアイリスへの信仰は胸に、博愛とは矛盾した力を望む。
「ようし、魔物ども! わたーしの話を聴ーくがいい!」
「あ、このバカ!」
ティレンの叫びも空しく、吟遊詩人は黒騎士と魔物の間に飛び出してしまった。テンション高く、再度ルファイドの名を口にしたハインド。
三者が入り乱れる混沌とした中、土と木々に囲まれた空間が歪んだ。
「え――」
「何だっ!」
戸惑う人々を前に、ジオールは走るのを止めて見届けた。「ああ、懐かしい色だね」呟く彼女の前、轟音と共に緑色光が地面へと突き刺さった。




