緑色鬼と従者 2
カナン亭を飛び出すや否や、ジオはキョウジに向かって右のストレートを放つ。ゴブリンの頭を粉砕する威力があるが、それは当たればの話だ。
拳が到達するよりも速く、オッサンの蹴りがジオの顔面に迫る。
「あっぶねー……」
「それはこちらの台詞かと思うのですな」
咄嗟に左手で顔を庇うと、掌には相手の足裏が掴まれていた。先に攻撃した筈が自分が喰らっている――ソバットという名前であったとジオは思い出す。目の前から突然消えるような動きは面白い。危ないと言いつつも、彼の顔には笑みが浮かんでいた。
「え、えー……、あれは何してるの?」
「またやっとるのか」
遅れてラフィーネとティアが姿を現した。それぞれ驚きと呆れを顔に浮かべていた。
少年が拳を打ち抜けば、オッサンは上体を反らして躱して腕を取る。続き関節技をしかけられるが、ジオは取られた腕を相手ごと強引に地面へ叩きつけてみせる。地面にぶつかる前にオッサンは技を解いて、背後へ回り込む。
「そーう、れいっ!」
後ろから抱きつく姿勢が出来上がり、声と共にジオは後方へ投げられていった。うつ伏せに落ちていく少年勇者であるが、地面を蹴って無理矢理にダウンを回避してみせた。
「まだ本気を出してないってのに、相変わらず強いな」
変わらず笑顔でジオは走り出す。いつものやり取りだ。殴り合い、人を魔を越えようと足掻き続ける姿がそこにあった。
久々に再会したオッサンの強さに安心し、少年勇者は普段は人に向けない蹴りを繰り出す。単純な蹴り上げ、だがこれはつい先日トロールを倒しつくした必殺の一撃である。
「む――」
つま先に得た感触は軽い。衝突の瞬間に腕を引いて勢いが殺されていた――それでも流石はネギの勇者か、勢いは死んでも威力は十分に乗って入れば、オッサンは跳ね上げられる。
「本当に、強くなりましたな」
噛み締めるようなオッサンの台詞が、ジオの頭の上で響く。蹴り上げられながら、中年は少年の頭を掴んで勢いそのままに投げていた。
大したダメージもなく、二人は再度距離を空ける。笑う少年と厳しい表情を浮かべる中年。
「やはり、本気を出さねばなりませぬな」
「お?」
両手にぐっと力を入れると、オッサンは全身の筋肉を漲らせる。
(許せ、フィー)
ふんぬぅ、という声と共に筋肉は弾ける。珍しく纏われていた衣服が弾け飛んでは、程よく脂肪をまとった肉体が露わになった。その肌には白い紋様が浮かんでいる。
「あーー、キョウジさん!」
ラフィーネが叫んでしまうのも無理はない。実家の父へ結婚の挨拶のため、拵えたスーツが弾け飛んでいた。
「そうこなくっちゃな」
一方、オッサンに対峙する少年は笑みを不敵なものへと変えた。目の前にいるのは父と旅をした、人のまま人間種を越えた者。魔法など使えなくとも、魔力の運用により肉体は下手をすれば勇者である彼よりも頑強である。
「来なさい、ジオ様!」
「もちろんだ!」
叫ぶ両雄。互いに振り被った利き腕を打ちつけた。結果、ガタイのよい方が吹き飛ばされていった。
「流石は三代目ネギの勇者、ですな」
地面にぶつかる際に、先程打ち付けた右手下ろしてオッサンは勢いを殺しにかかった。だが、魔物を簡単に屠る彼の主の一撃は重く、随分と後ろへと流されていった。
「え、どうなったの? どうなったの、ティアちゃん!」
勇者たちの動きを追い切れず、目を右へ左へとしていたラフィーネが隣の魔女へ助けを求めていた。
ふっとんだのはオッサンだが、喋れているのもまたオッサンだ。拳を振り抜いたジオが黙ったままであることが腑に落ちない。
「見たまんま。伯父上が元気で、エルが気を失っとる……」
「キョウジさん、勝っちゃったの?」
「驚くこっちゃないないぞ、いつもどおりさね。魔法まで使い出したら別じゃけど、格闘なら伯父上のが上じゃからな」
ふぅ、と息を吐きながらティアは立ったまま気を失った少年の元へ歩む。互いに拳をぶつけ合うと見せて、オッサンは途中でその軌道を変えた――その拳はジオの顎元を揺らしていた。
「伯父上、今更なんじゃ。エルをどうしたいんじゃ」
じとーっと細めた瞳で睨んでみると、伯父の方は困ったように頭を掻いている。少女にしてみれば、ネギの勇者が強くなる道は既に見えている。徒党を為す魔物すらものともしないネギの雨、魔法の修練すら始めたジオに敵はないと思っているところだ。
「どうもこうも、な。ジオ様が心配で戻って来たという訳ですな」
「……さよか。私こそがエルを助けてやりたいもんじゃが、私よりエルの力になれるなら、もう何も言うこともなかろうぞ」
溜め息を重ねて、ティアは崩れかかったジオを支える。彼女に魔法を学び出した彼は、圧倒的な力を持っている。二代目ネギの勇者を知らぬ魔女であっても、遜色はないと胸を張れる――だが、伯父は心配気に勇者を見つめている。
「んあ、意識飛ばしちまってたか」
やっぱりオッサンはすげぇな、嬉しそうにする幼馴染を見て、ティアは眉間を押さえて出したい言葉を呑み込んだ。負けたのに嬉しそうな姿は理解に苦しむ。だが、嬉しそうにしているのだから、野暮な言葉を挟むことは避けたかった。
「ごめんな、ティア」
渋い表情をしていたところ、ジオから声がかけられる。魔法を教えてもらったのに、鍛えてもらったのに負けてしまった、そんな詫び入った気持ちが見えた。
「構わんて。なりふり構わずなら、ヌシの勝ちぞ?」
「そりゃ勿論。と言いたいが、どうだろな」
「なんじゃそりゃ。エルな、妙な謙遜は却って失礼になったりするが――」
「いやいや、オッサンは強いって。もっと言えばさ、俺には迷いがあって、オッサンにはないんじゃないかと思う……」
右の拳を握り締めてジオは呟く。
一月ばかり前、ヴァリスナードにもらった言葉がまだまだ消化しきれていないのが実際であった。認めづらいが、実際にジオは悩み迷い、ブレている。
ただ、諦めることはない。偉大なる勇者であった父を追い、今も燃えてはいる。
「あんな、エル」
見兼ねた少女は呟くようにして言葉を出していた。気負うジオの姿がどうにも見ていて辛いものがある。
「伯父上はまぁ強いぞ。じゃがな、それ以上に伯父上を前にした時のエルが弱くなって見える」
「ん? 何だそれは」
いつもの真面目にもとぼけた表情を少年は浮かべる。いつも通りならば、適当にツッコむティアであるが今日は相手に倣って真面目に返した。
「伯父上が強いのはな、当たり前。年齢はエルの倍以上じゃ……、ヌシな、何処の部分で伯父上と張り合う気なんじゃ?」
「そりゃ、技でさ――」
「嘘つきやれ。技術で勝つなら、伯父上の真似の一つでもしとるところじゃろ。そうでないなら魔法でぶっ飛ばすか、緑色鬼になってぶちのめさええんじゃ」
「む、むぅ……」
いつもならば擁護してくれる幼馴染が、ここに来て厳しいことを言う。ジオは説明つかぬことを前に唸り、いつものように「俺は闘うしか能がないからな」などと溢していた。
「バカ言えよ。闘う脳があるなら、伯父上なんぞ疾うに越えておるて」
「むぅ……」
出す言葉出す言葉が叩き潰されて、いい加減少年は黙るしかなかった。こんな時、オッサンならばどうするのだろうか。逃げる訳ではないが、疑問を解消すべく視線を遠くへやってみせた。
「すまん。フィー、機嫌を直してくれまいか?」
そこには情けなくも妻へ頭を下げる男の姿があった。
「知りません」
その妻はプイと顔を背けてしまう。冷静になる程に、スーツを破いてしまったことに怒りが湧くのだ。そもそも、商人の家に婿入りすることを決めたのはオッサンだ。もう闘わないと言った矢先にこれなので、ラフィーネの機嫌は随分と損なわれていた。
「困りもうした。フラティラリア、私はどうしたらよいのだろうか?」
恥も外聞もない。中年は全力で姪へ助けを求めていた。
「エル、よく見やれ。あれがヌシの末路よ」
「えー……、なんだろ。ちぃっとばかし厭かな」
オッサンは強い。だが、妻はもっと強かった――その事実はともかくとして、少年勇者は首を捻る。
伴侶は大事にすべきだし、いずれは己もそうなるのであろうかとも思う。ただし、勇者として走り続ける内は女性に現を抜かすこともない。
幼馴染の少女が溜め息ばかりを吐いてしまう程度に、ジオは堅物に育っていた。




