彼なりの祈り方
震え上がりながら、村娘は考えつく限りの罵詈雑言を並べ立てる。
髪は茶、衣服は肘や膝に布があてがわれている。レジナス王国でよく見かける村娘そのもの――ただし、こんなに必死の形相はそうそうお目にかかることはない。
「またやっちゃった……」
癖のある日に焼けた茶髪を掻き毟り、呪詛まで吐こうとしたところで彼女は思い留まった。神様の存在を思い出しては、ハタとして両手の手指を絡めて組む。この形はアイリス教における祈りのポーズだ。
「また口汚い言葉ばかり――反省しています。父親の言うことも聞きます、嫌いな食べ物にも文句は言いませんし、弟の面倒もしっかり見ます。だから神様、主神様、邪神様――何でもいいの、私の村を助けて!」
一心不乱に祈るが、咄嗟に駆け込んだ空き家には誰もいない。彼女の声に応える者はいない。しばしの沈黙を経て、外から響く音に身を震わせ、組んだ手を離した。
「ああ、もう、どうしてどうしてこんな辺鄙な村にトロールが! 何もないじゃない、こんなところに何しに来るのよ!!」
反省を口にして直ぐ、またしても暴言が吐き出された。村の奥まで走り抜け、あばら家に一人。ガタガタと震える以外に出来ることは少ない。
「嘘だって言ってよ、襲われたのは三つも向こうの村でしょ? その話も冗談だと思ったのに、どうして次がここなのよ……。もっと他に狙うところがあるでしょうが!」
魔物との大戦時ならばいざ知らず、魔物の脅威が減ったこの時代ではトロールの襲撃すら大参事であった。成人を迎えたばかりの村娘は、先程から祈りと悪態を繰り返し続ける。
『白色光が出たぞ』
この村の老人が騒ぎ出したのはかれこれ三か月近く前のことになる。北方の穀倉地帯で上がった白色の光、それは魔神ムドラ・ヴォークリッサを象徴する色である。魔物との大戦を経験した者たちの心は乱れに乱れた。
白色は魔物に対する加護。遥か昔にアイリスの勇者に討たれはしたが、魔神は時を経ても尚、魔物を活気づけた。暁の勇者の敗北から一月、人間と魔物の状況が変わりつつあった。
「ヒィっ!?」
外から響いた鈍い音と光に、村娘は身を震わせる。逃げる最中、村に迫るトロールの姿をチラリとでも見てしまったことが災いした。人間よりも背は低いが、黒い体毛に覆われた上に顔は獣に近い――何処までも理解し難い存在である。
ゴブリン、ラミア、コボルト……。人間種に害なす魔物は多かれど、脅威の代表格であったオークは大英雄ヴァリスナードが念入りに殺しつくした。その結果、今やオークは絶滅すら危ぶまれている。
脅威の程度で言えば、この村で暴れているらしいトロールが今では筆頭に数えられた。集団で動き、人以外も狙うが、人こそが標的にされる。男は殺し、女は犯す。人間種としては堪ったものではない。その魔物らしい魔物が、穏やかさ以外に売りのない東部の村へ押し寄せていた。
「主神様邪神様、暁の勇者様、私はどうなっても構いません。ですから、家族を助けて!」
涙を溢しながら、村娘は懇願した。
ガタリ――あばら家が大きく揺れた時、彼女は「私を助けて!」と絶叫してしまう。命は当然惜しいが、それ以上に魔物に嬲られ続ける人生など悍まし過ぎて想像もしたくない。最大限の恐怖に煽られ、村娘は思考も放棄した。
「――――っ!」
目をぎゅっと瞑り、手を硬く握る。こうしている間にも、耳には大きな音が届いていたが、ただの村娘には何も出来なかった。
何も考えたくない時に限って考えてしまうのは何故か。こんなことなら幼馴染に自分から告白しておけばよかったか、などと今更なことを考えていた。一度未練を思うと、次から次へと溢れ出す――簡潔に言えば、死にたくない。
やり残したことを数えてしばらく。時間が経過しても、彼女はトロールに襲われることはなかった。
「……祈りが、通じた?」
頬に涙の跡を残したまま、村娘は恐る恐る戸に手をかけた。流石に警戒心は高く、意を決したところで扉は薄く開かれただけ。それでもトロールの一体が倒れ、絶命している姿が目に映る。正に奇跡であった。
(ああ、アイリス!)
絶対絶命を乗り越え、生まれて初めて真に祈りを捧げられたが……、時間を置かない内に、やはり呪詛を吐く。
「何よ、この世に神なんていないじゃない!」
自暴自棄になった彼女は、何者も気にすることなく叫んだ。
地面に横たわるトロールたちが天を仰ぎ見ている姿に、一瞬喜んでしまったことが恨めしい。何があったかは彼女にはわからないが、身体から生える紫の花に生気を吸われるようにして、魔物は一様にして干からびていた。
「殺すなら殺しなさいよ、この化け物!」
今度こそ扉を開け放って女は叫ぶ。群れをなして来たトロールが倒れても、彼女の目の前には恐ろしい化け物がいた。
緑色の金属を身に纏う姿は一目で人外とわかった。ところどころトロールの返り血を浴びていることから、獰猛な生き物であることが窺い知れる。
身体や拳は硬そうに見えるが、それ以上に言外の恐ろしさが感じ取れた。とにもかくにも、得体が知れない化け物の存在が、恐怖を煽り立てる。
口がないことは交信不可能を意味している。しかし何より恐ろしいものは、その化け物の瞳であった。実のところ、瞳かどうかすらも怪しい。自棄になって叫んだものの、村娘は先程以上に身体を震わせる。
人間で言えば瞳の位置に空いた穴はひび割れのように鋭く、更に眦は縦に割れている。そこから滾滾と漏れる緑色の光が、泣いているような怒っているような印象を見た者へと与える。
「もーーー、いやぁっ!」
魔物に囲まれた異常事態が続き、村娘は思考を弾けさせた。開き直りがあったのか、今度は祈りの出番であるのに暴言を続けた。
目の前にいる緑色をした鬼は、ただの村娘から見てもトロールとは比較にならぬ化け物であった。
魔物たち――その括りは実に雑なものだが、人間種に仇なす生き物はそう呼ばれている。
フルゥエラ大陸の西側、共和国に住まうエルフやドワーフは人間と共存出来るかはさておき、人間を襲うものでもない。魔物とは人間種以外で、人間種を脅かすものの総称であった。
さて、その魔物たちの一部が小高い丘でご機嫌よろしくしていた。皆一様にして笑顔を作るが、これは人間種と同様の感情表現ではない。これらトロールが浮かべる笑顔に見えるものは、より動物的な感情、攻撃性の現れであった。
「そろそろ行くカ」
ゴブリンと同程度の言語を操る者がそう言った。集まったトロールの中でも身体は一回りは大きく、他のものは頷いて従うことを示していた。
ここより三つ先の村をこの方潰してきたところ。その行動は至ってシンプルである。人間種の男は殺して、女は一通り愉しんでから殺すというものだ。
それが種の存続を危ぶんでのものかと聴かれれば、首を捻るところである。何にせよ白色光に活気づけられた彼らは、娯楽を求めて次へ次へと動きやる。三つも離れたこの村を次の標的に定めたことに理由は特にない。予測もつかぬ襲撃に人間が泣き叫ぶ様が愉しいから――あるいはそのような理由で、無秩序にこの集団は動いていた。
「行くゾーーッ!」
まとめ役のトロールの声は、勝ち鬨に似ていた。ただしそれは戦の終わりではなく、始まりであった。悦びがこれから始まる。
それに続く雄叫びもまた、種としての本能が満たされることへの期待に満ちていた。
「いーや、ダメだよ」
丘を降り、先遣隊に続いて人間種を蹂躙しようという正にその時、一粒の異物がトロールたちの動きを堰き止めた。
いつの間にか魔物の集団の鼻先に降り立ったものは、どこからどう見てもか弱い人間であった。少女が魔物の前に躍り出る――余りに強い違和感から、理解のためにトロールは対話を試みた。
「何だ、おまエ?」
身体の大きなトロールは問う。昔ならば、種が繁栄していた時代であれば、もっと知的なやり取りも出来た筈だ。しかしながら、大戦で数を劇的に減らした彼らにはこの問いが精一杯であった。
「私のことはどうでもいい。それよりも、この先には行っちゃダメだね」
うんうん、と首を縦に振りながら、その生き物は言う。あどけない言葉遣いであるが、少女は目を瞑ったまま余裕たっぷりといった様子が窺える。
華奢な身体に纏われたものはフードのついた純白のローブ。はみ出した髪はごく薄い藍色で、日の光を照り返して緑色に映っている。動作のついでにフードが外されれば、現れた顔にはふっくらとした頬が認められた。
人間種の幼体に間違いないとトロールの大将は判断した。
「待て、おまえラ」
大将は、沸き立つ同胞へと注意を促す。周囲からざわつきが届けられるが、それらを無視出来る程度には危機を覚えていた。何となく――感覚でしかないのだが、この少女は危険な気がして仕方がない。
魔物を前にして怯えることもない。その存在が未知数であることを補強するように、瞑られたままの瞳にトロールは関心を払った。
起こったざわつきが幾らか静かになったことを受け、緑色の髪をした少女は告げた。
「さぁ、お祈りの時間だよ」
「エ――」
勿体ぶって開かれた瞳の色は真紅。種族の成り立ちを越えた色を携えた眼は、この世界に愛される者の証左である。トロールの大将は、己の間抜けさを自覚しながらも意味のない呟きを溢してしまった。
それを知ってか知らずか、少女は手に持った分厚い本に視線を落として語り出す。
「人間種が闘神と呼ぶ、ヴァンデリック・ルファイドは言いました」
次の頁をめくる。一層勿体つけられている間に、標的であった村から悍ましい声が響いていた。人間種の叫び声は彼らの嗜虐心を満たしてくれるが、今聞こえたものはどこか生理的な嫌悪感をトロールたちへ導く。
「この世界が、争いを是とするのは仕方ない。生きるとは死ぬこと、死ぬとは生きること――」
「何を、言っていル?」
思わず、大将は質問をぶつけてしまった。周囲のざわつきが肌で感じられるのだ。
ここに来て村から上げられた大音量は、人間たちのものではないと気づいてしまった。トロールたちの中に不安が伝播していくが、少女はそれに構うことない。たどたどしい調子で、分厚い本の一節が読み聞かせられる。
「ただし、生を全う出来ないこと、その不条理は赦し難いとその神は言います。
生まれたばかりの赤子を喪った母よ、父を亡くした子よ。輩を救えなかった男よ、愛する者と永遠に分かれた女よ……。それらの哀しみは本当に必然であったのだろうかと、ルファイド神は嘆きます。だから、人間種が闘神と呼び習わす存在は言いました。
祈れ――と。
生の途上で笑顔を奪われた者を想い、祈りやれ。悲嘆に暮れたままに生きざるを得ない者たちこそ、祈り続けよ。
祈りのみが、我らか弱き存在が持てる奇跡の呼び水と知れ。そう言います。
只管に祈りなさい。敬虔な祈りの果てにこそ、救いはあらん。然らば、慈悲深い主神は不幸なる子らにこそ次なる生を、悩める我らには今生限りの生を導かん。
只管に祈りなさい。敬虔なる祈りの果てにこそ、救いはあらん。然らば、この世の不条理に対して、我は心優しき憤怒の化身を地に降ろし、不幸な子らを作り出したものへと罰を下さん。
輝かしき笑顔を奪うものへこそ、罰を下さんとする。そのようにルファイド神は、怒るように哀しむようにして、告げました。
……後ついでに、私の弟の望みも聞け。あの子の妹が再び笑顔で居られることを、ただただ信奉する神へと祈らん」
一節を読み終え、分厚い本は閉じられた。
パタンという大きくもない音が、一帯に響いた。それに続くようにして、瞬きの間に音は塗り替えられていく。
飛び来る緑の物が一団へと突き立ち、これから村を攻めんとした魔物たちが倒れて逝った。刺さったものは植物で、トロールの身体に突き立ったが最期、その身から生命を吸い上げて紫の花を球状に咲かせた。
「な、何だ、これハっ!?」
飛来する無数のネギを、トロール大将は手にした大振りの剣で払いのける。だが、こうしている間にも同胞たちは紫の花へと変わっていく。それはネギの花であるとわかるが、何故脅威となるかがわからない。飛び来る静かな暴力の嵐――まるで理屈がわからない。
「わからないのも当然。ルファイドの神秘は秘匿されてきた」
精霊である少女の言葉を耳にしているこの間にも、黒い体毛に覆われた同胞の顔が土気色へと変わっていく。その様は、単純に脅威であった。剣で迫り来るものを打ち払い続けた大将であったが、果たして後悔が待っていた。
「……何なんダ、こいつは一体何なんダ!? もうやめてくれ、助けてくレ!」
往生際悪く剣を振りながら、倒れる同胞を横目に魔物は懇願した。
これまでに殺してきた男、犯してきた女が出したもの以上の嘆きを、トロールは吐き出す。ネギを払ったとしても悪夢は終わらない。醒めないからこそ悪夢なのだと、それを知らしめるように、ゆっくりと新たなものが歩み来たる。
嵐のように飛来したネギも、ピタリと止まった。その代わりに村から緑色の鬼が歩み来る。泣き怒る異様なその姿は、魔物の彼からしても存外な化け物に見えた。
「死は生物の摂理。哀しいが、それはルファイドの徒として理解はしている……」
ブツブツと何事かを呟きながら、それは一心不乱に歩み続ける。全身を緑色で染めた姿は、これまでに見たことのない魔物である。ただし明らかな格上の存在を前にして、トロールの大将は錯乱するに任せて喚き散らした。
「ああ、クソ! とっととくたばっておけばよかっタ!!」
今となってはネギの刺さった仲間が恨めしい。死にはしたものの、顔色は悪いものの、そのどれもが安らかな表情をして絶命出来ているではないか。
口のない緑色の化け物が尚も念仏を唱えるようにして、何かを引き摺りながら歩み寄る。逃げればいい、逃げればいいのだが、何処に逃げても必ずや追いつかれる気がしてならない。ガタガタと震える他、このトロールに出来ることはなかった。
瞳と思しき位置に空いた二つの鋭い穴、その眦は縦に割れており、緑色の光が涙のように滾滾と湧き出している。泣いているような怒っているような姿の鬼が、祈りを捧げながらやって来る。
「理解はしているが、遊び半分で命が散らされること、ルファイドに神秘を託された人間種の勇者としては捨て置けぬ。生の途上で笑顔が奪われることなど、俺にはまるで納得出来ん」
ズリズリと音が聞こえてくるようだ。
引き摺られるものは、先遣隊のトロールたち。皆一様に苦しげに顔を歪めて絶命している。ネギを掻い潜った者はこうなるのだと知らしめている。既に多くの命を奪ったこの鬼は、まだまだ足らんと歩み来る。
「では、俺は祈ろう。それしか出来ないのであれば、届くまで祈り続けよう。あの子が再び笑顔を見せてくれるその時まで。貴様らも懸命に祈るといい。なに、心配は要らん……。その祈り、貴様らが信奉する神へと真に届いたならば、存外早くに転生出来得るかもしらん」
低い声で、深い慈悲と怨嗟の両方が届けられる。当然、その音はトロール大将の耳殻を揺らした。
己が、大戦時の屈辱に耐えて白色の加護を得た魔物が、こうまでも情けなく磨り潰されるのかと愕然とした想いが溢れ出す。
厭だ。あの緑の化け物が引き摺るのはトロールの精鋭中の精鋭だ。それを倒し尽くすなど、総大将の彼でも骨の折れること。それをして全くの無傷など不条理極まりない。
魔物の間での噂が思い出された。強き魔物程、死に際に眩い光を見ることになる――その光は鮮やかな緑色であると。
緑色鬼なる化け物の話は耳にしていたが、ここまでのものとは誰も教えてくれなかった。
「あ、あああぁぁアっ!」
情け容赦ない緑の鬼から視線を逸らして喚き散らせば、先程まで本を開いていた少女と目が合う。合ってしまう。
「みんな、ありたい己の姿を描きたまえ。そうあれますように!」
真紅の瞳をした精霊は、消え逝くトロールの命へも祈りを捧げた。




