幸薄い男、寄付をする
「兄ちゃん、ありがとうな!」
咳が止まらないと嘆いていた男が、博愛の神アイリスもびっくりの笑顔を見せる。顔色の戻った男は、夕方を前に足早に帰路へと着く。
「毎度ありー」
王都で勝手に商売をするな――その言葉を都合よく忘れ、コーディーはネギの丸薬を言葉巧みに売りさばいていた。痛みを和らげ滋養強壮によく、その上旨い薬となれば胡散臭いことこの上ないが、そこは売り手の力量次第。
(ダメだ、まだだぞコーディー)
前にも似たようなことあったよな、などと軽いデジャブを覚えながら、男は用心深く周囲を見渡す。
王都と言えども、しばらく拠点としている町とよく似た部分がある。裏路地へ二三歩踏み入れれば、衛兵の目を掻い潜った商いに出くわした。そこに居る者たちは敬虔なアイリス教徒ではなく、彼らこそ薬を必要としている。
狙いが的中したコーディーは、己の商才を一人密かに称えた。銭勘定したくもなるところだが、裏の流通は物だけではない。物騒な男たちの姿も見えるので油断は禁物であった。
とはいえ、彼が銅像から元に戻って三日目、在庫の心配が必要な程の順調な売れ行きだ。
「平和になったと言ってもまだまだだよな、実際」
売上金の詰まった革袋を軽く放って、独り言ちる。重みを確かめるように投げたくなる程、薬が売れてしまうのだ。
主神アイリスに加護を受ける人々がいる一方、加護を得られなくなった者も当然にしている。自ら進んでか止む無くか、いずれにせよ同族の命を奪った者は加護を喪失する――それがこのフルゥエラ大陸における基本事項。
嫉妬の神セルペンティア・ランギスが病を振り撒くと言われ、王国では邪神と畏れられている。アイリスの加護である異常耐性を失った者にとっては、ただの風邪でも脅威であった。
「ご苦労さんなこって――違うか。旦那、こんな時は何て言うんだ? 旦那……、どうしてんだろ」
頭を掻きながらコーディーは王都の裏路地を歩く。彼が今いるのは、三つある区と区の境い目であった。彼が元に戻って三日、主であるネギの勇者は未だ行方知れずのままだ。シャロに聞けば「もう三日くらいは寝かせておいてやれ」との返答で、何を言っているかはまるでわからなかった。
「まーーー、愚痴っても仕方ないやな」
独り言を続けながら、コーディーは歩く。精霊がジオは平気と言うなら、それを信じるしかない。首を振っては、ジオの無事や騎士姉ちゃんと出くわさぬことを祈った。
「へ、へへへ。俺は今、一体どの神さんに向かって祈ったんだろうな」
アイリスの信奉者でないこの男は自嘲的に笑う。足を伸ばせば、すぐに聖地カルデレナだ。主神を蔑ろにするなど、お縄を頂戴しても文句は言えない。
だが区と区の境い目となれば、レジナス王の慈悲によってある程度は自由な信仰も許された。ジオがいれば「祈りたいと思った。なら、祈ればいいじゃないか」などと言ってもらえるところであるが、生憎と独り言に反応してくれる者はいなかった。
「怖いねぇ、まったくもって」
進むにつれ、夢破れた者やら何やらが路地の隅に転がる姿が目に映る。
正直言って、ぞっとしてしまう。下手をすれば己がこうであるし、下手をしなくともこうなる未来が見えてしまう。身近な権力者や実力者にすり寄って生きるしかなかったコーディーは、誰に向かって祈ればいいのかがわからない。
理不尽な暴力からは足を洗ったつもりだが、頭の方はまだまだ習慣を引き摺っている。気が重くなってきたなと思ったところ、足が前に進まなくなった。気の迷い、ではなく物理的に止めらたと気づき、苦笑いを一つ溢す。
「まーたお前さんかよ」
服の裾を掴む者へ向けてコーディーは糸目で睨んでみせた。長い黒髪に、意思の強そうな瞳が特徴的な少女だ。野暮ったい外套にすっぽり包まれている。
既に気づいていたが、手足の長い青年は少しばかり嘆きたくもなった。ずっしりとした革袋と子どもを交互に見つめては溜め息を吐いた。
「おじさん、連日ご苦労さんなこった。今日も見ていくだろ?」
お代は見てのお帰りね――裾から手を離し、少女は路地裏でくるりと身を翻す。返事が出るのも待たずに、ショーが幕を開けた。これぐらいは逞しくないと、子どもが稼ぐことは出来ない。
「よっ、クレア!」
「待ってたよ」
「ああ、何と愛らしい……」
クレアという名の少女が躍り出ると、くたびれた大人たちは目に輝きを取り戻りして声援を送った。外套が脱ぎ棄てられ、小麦色の肌が露わになる。腰元にはスカートが残るが、上半身は胸元だけを布が隠している。
肌の露出は多いが、踊りで鍛えられたクレアは色気よりも健康さが目立つ。愛嬌が勝っていた。一部の男を除けば、観客は彼女の笑顔につられて笑顔を見せる。
「はーい、今日も見てってね。お捻りたくさんもらえたら、明日も来るよ!」
元気一杯に少女は現金な言葉を出してはステップを踏む。
大通りは石畳で整備されているが、こちらは土や石が残った未舗装の道が残る。人の往来で雑草こそないが、ステージとしては何とも粗雑なものであった。しかしこここそが彼女の舞台だ、何より愉しそうに少女は踊り出す。
「へい、おじさん! ミュージックぷりーず」
パチンと指を鳴らし、少女はコーディーへ目配せしていた。溜め息交じりに、手足の長い男は担いでいたものを構える。
「わーったよ、好きに踊りなさいな」
何をしているんだか、そう思わないでもない。器用貧乏な彼は権力者の気を惹くために様々な芸を齧っていた――その内の一つ、楽器を奏で始めた。裾を掴まれた時から逃げられないので、もうどうにでもしてくれよという心境は、顔色からも窺えた。
億劫そうな息が一度は吐かれた。奏者の心情はさておき、袋と複数の管を合体させた楽器が、ブオーンと音を立てながらオクターブは高い音と混ざってメロディを奏で始める。
「いいね、おじさん!」
長いスカートを掴み、少女は笑顔で踊る。糧を得るためのもの、しかし何処からどう見ても愉快そうな表情でクレアは足を運ぶ。
奏でられたものは音階を基調とする単純な楽曲であったし、奏者はド素人もいいところ。だが舞台も路地裏で、ゲリラ的に行われるものとしては十分であった。
クレアが足を上げるとスカートが翻り、それだけで動きのダイナミクスさが伝わる。何より、その踊りには感情が詰め込まれていた。ツギハギのあてられたスカートであるのに、それが揺らめく度に衆目は歓声を上げる。
(何だってんだよ、まったく)
胸中では不平を洩らしつつも、踊り子につられてコーディーの表情は明るいものへと変わっていた。
「あっはっはー!」
少女はご機嫌よろしく踊りを繰り広げる。お世辞にも上手いとは言えないコーディーの演奏であるが、この場の誰も彼もが笑顔で手拍子を送った。
ただただ愉快であった。踊ることが楽しい。みんなが笑顔であることが楽しい。こんな踊りに演奏を添えてくれる人すらいる――クレアは小さな身体を振りしきって、路地裏を舞台に踊る。
「よっと、おしまい!」
コーディーからの、そろそろ勘弁してくれという視線を察知して、踊り子は手を叩いて終わりを告げる。手の平が合わさり、パンと音を告げると同時に、軽快に運ばれていた足も地面を蹴って動きが止まった。
「いいぞ、クレア!」
「最高だ! 痛みを忘れたよ」
路傍に転がっていた男たちは、少女へ称賛の声を送る。
王都とは言えども、ここは場末だ。ここにいるのは傷つき倒れ、未来から目を反らしていた人たちだ。それも、今は嬉々として声援を送る風景に塗り替えられていた。
「あーい、ありがとしたー」
踊り終わったクレアは額に汗を浮かべたまま、満面の笑みで腰を追って礼を述べる。右へ左へ頭を下げた後、脱ぎ捨てた外套を広げてお捻りを求める。
場は沸き立ったが、投げ入れられる銭は歓声に比べて随分と少ないものであった。手足の長い男は頭を掻きながら、少女へと近づいていく。
「コーディー、お代!」
「ちょっ、俺に出演料を払うべきだろうがっ!」
驚いたようにリアクションをとった青年であるが、それはポーズでしかない。幾らかだけ硬貨を抜き取ってはポケットにしまい、少女が広げる外套の上へ革袋を乗せてやった。
「毎度アリ~」
十分過ぎる程の重みに、クレアは一層の笑みを浮かべる。
「本当にありがたく思ってんのか?」
毒づきながらも、コーディーは満更でもない顔をしてみせる。
「そんなこと言って、おじさん笑顔だよ。あたしのこと好きなんでしょ? ん? んーー?」
「やめとくれ。成人前のお嬢ちゃんに恋してるだなんて、冗談でもいけねぇ。あっしの主の看板に傷がついちまう」
ずずいと身が差し入れられるとコーディーは困った顔をして上半身を逸らした。
だが一方で、彼女の笑みには魅力を感じている。場末に暮らした彼からすれば、自らの芸で人々を楽しませるクレアの姿は、ジオと同じくらいに眩く映ってしまう。
王都で夢破れた大の大人たちが、小娘の姿に歓声を上げている――リバーハインドこの場にいたならば“これぞエンターテイーメント!”などと言わんばかりの光景であった。
「いいか、クレア――」
「わかってるってば。コーディーさんからもらったのは、あぶく銭。贅沢しようなんて思わないし、中身を誰にも見られることはない。あたしはこれから大通りに出て、弟妹たちへパンを買って帰る……、これでいいよね?」
身近い付き合いだが、コーディーの言わんとせんことがよく理解されていた。それがわかれば、手足の長い男は首を深く縦に振った。薄幸さが霞むような笑顔が浮かべられているのだが、本人は無自覚なままだ。
(旦那の優しさが移っちまったか)
クレアはまだまだ子ども、成人手前の少女だ。その表情には純真さと無防備さが備えられている。危なっかしく思えるので手助けしてやりたいが、王都暮らしでもない彼に出来るのはショーの代金を手渡すくらいしかなかった。
「くそっ、あのチンピラ……」
「うらやましいなぁ、おい」
「でも俺らには銭がないぞ」
みんなのアイドルであるクレアが、チンピラに特別な笑顔を向ける。大変面白くない光景が広がり、不満は隠されることなく囁かれていた。蓄積されたところへトドメの一発がぶち込まれた。
「こらクレアぁ!」
「げ、ヤバっ……」
ライサお姉ちゃん、と溢してクレアは顔色を青くした。
興行を終えたばかり、ずっしりとした革袋を外套ごと後ろ手に隠す。己の身は手足の長い男の背後へ回って、少女はおどおどとしてしまっていた。
気忙しそうな声、それは彼女が身を置く教会のシスターから出されたものだ。出来ることならば颯爽と走り出したかったが、路地裏は建物と人でごった返しているために初動が遅れてしまった。
「まったく貴女は、またこんなところで……。いえ、踊りが悪い訳ではないんですよ? この場所が悪い訳でもないんですよ? ですけどね、アイリス様を思えばこういったことは――」
「まぁまぁシスター、そういきり立たんでもええじゃねぇですか」
抗議の声を聞き流しながら、コーディーは現れた女性ともども回れ右をしてみせる。肩を掴まれた女性はシスターであれば、「ちょっと、離してください! 女性の肩を不用意に抱くなんて、神罰が下ります!」などと割合きつい言葉が返ってくる。
暁の勇者に女性の扱いをご教授願いたい――モテない男は手を離して、得意な舌戦へ持ち込むことにした。
「そうは言わんでおくれなさいな。クレア嬢ちゃんの踊りは悪くないんだろ?」
「えぇ、まぁ」
「なら問題なしだ。あっしも演奏なんてもの、久々に楽しませてもらえましたし。見ず知らずの人を笑顔にするなんて、魔法でも出来ないことですぜ?」
吟遊詩人も真っ青なペースで捲し立てるコーディーだが、ライサも黙ったままではいない。
「だからって、金品をせびるのは――」
「私利私欲ってんなら、あたしもどうかと思いますけどね。聞けば世話になってる教会のためだなんて、泣かせるじゃねぇですか? 銭払ってるのは、嬢ちゃんのおかげで笑顔になった人たちだ。代価を頂戴したら、主神は罰を与えるんで?」
「クレアのような真っ直ぐな子に、罰は下りません!」
笑いながら告げる男と、眉を顰める女。対比が利いているが、シスターという性分からか、彼女はコーディーに睨みを利かせる。
「楽しむことは悪くない、むしろいいです。ですけど、クレアは吟遊詩人じゃないですし、嫁入り前の娘がするには、その……」
ちらりと瞳を向けると、嬉しそうな男たちの顔が目に映る。確かに悪くはないが、中には鼻の下を伸ばしている者もいる。それがどうにも腑に落ちないと、アイリスの熱心な信徒は表情を曇らせる。
賛成しかねるのは、妹分が肌を大きく露出させている点であった。
「あー、そいつはあっしも気がかりですわ。ならこうしよう、教会で踊らせよう」
「えぇ?」
突然の申し出に、ライサは困惑を隠せなかった。教会で興業をするのは是か非か、堅物シスターは妹分の安全と秤にかけて唸る。
「踊り子の衣装としては無難な方ですけどね、心配なら目の届くところに置けばいいんさ。クレアが懸命にしてること、それをおたくが認めないでどうするんさね?」
「部外者が何て言い方するんですか! わ、私がクレアを認めてないですって? 私はこの子が心配なだけです!」
言葉の波に押しやられ、ついでに痛いところを突かれ、シスターは本職すら忘れて怒鳴ってしまった。ここいらが潮時と、コーディーは飄々とした顔のままだったが、これまで以上に真摯に言葉を紡いだ。
「なら、本人とじっくり話してやってくれませんか? 部外者が口出しすることじゃないってのは、わかってる。けどね、クレア嬢ちゃんが大好きな姉ちゃんに隠れて踊るってのも、何だかなと思うんですわ」
「……この子と、話す?」
「そうさ、嬢ちゃんもその内に成人すんだろ。あんまり子ども扱いしてやらねぇでくれよ、シスター」
出された言葉に、ライサはただ黙った。真っ赤だった顔色も戻り、口元に手を当てる姿は考え込んでいるようであった。
「余計なことしちまった、すまねぇな嬢ちゃん」
「ううん、いいよ。あたしのために言ってくれたんだもん。おじさんさ、小悪党風の顔つきなのに優しいよね」
にっこりと笑いながら、クレアは長い腕に巻きつくようにして抱きついた。普段なら鼻の下を伸ばすコーディーだが、今日ばかりは「そんなんじゃないさ」と薄く笑うに留まる。
相変わらず、クレア目当ての男たちが嫉妬しそうな空気が流れていた。そこへ再びシスターが割って入る。
「嫁入り前の娘が不用意に抱きつくんじゃありません!」
「あひゃっ!」
細いライサからは想像もつかない程の大音量。思わずコーディーから手が離れるが、背後に回って振り出しに戻った。
「こっちに来なさい、帰りますよ!」
頭から湯気が出て、ベールが浮き上がる程の剣幕が続く。部外者がこれ以上はと思ったコーディーであったが、頭を掻きながら口を挟む。
「ライサさんね、そういうところよ? 頭ごなしに怒っちゃあ、嬢ちゃんも素直になれねぇってば」
「え、あ……、はい」
今度こそ、シスターは冷静に頷いた。目の前にいる荒くれ者の方が、自分よりも余程真っ当なことを言っている。隠れるようにしてしまった妹分は、何か言いたげにしつつ視線を彷徨わせていた。
「ああ、アイリス――ごめんねクレア。お姉ちゃんが悪かった、教会に戻ってゆっくり話を聴かせてもらえる?」
神へ祈るとともに、ライサは妹へゆっくりと手を伸ばした。未熟さに気づくことも、アイリス神の教えの一つだ。
伸ばされたものをクレアが掴むと「私の方こそ、心配かけてごめんなさい」と告げられた。怯える様子は特になく、意思の強そうな瞳が戻っていた。
余計なお世話を焼いたと思うが、クレアは誰かと重なるようで放っておけない。堅物シスターの眉も下がったことを見届けて、コーディーはようやく帰路につくことが出来そうであった。
「おじさん、ありがとね! ほら、ライサお姉ちゃんもお礼を言って」
歩き出した男の背中へ向け、少女はにこやかに手を振っていた。横にいるシスターは眉を顰めながらであるが手を振る。妹に倣っているが、甚だ不本意であるため「ああ、アイリス」などと贖罪を兼ねた祈りを溢してしまう。
「……おじさんに、ちゃんとお礼してよ」
「オジサンアリガトウ」
「お姉ちゃんってば!」
仲睦まじい姉妹のやり取りを背後に、コーディーはどこぞの勇者のように手を振りながら去って行く。二人の微笑ましさに触れ、やさぐれた青年は今度こそ笑顔を浮かべていることを自覚していた。
「そこの兄ちゃん、ちょっと待ってくれないか」
「へぇ、何でございやしょ?」
すっかり日が傾いた路地裏で、コーディーは声をかけられ振り返る。
「知り合いによく似ていてなぁ」
「あー、どこにでも居てる顔ですからね」
では、あっしはこれで――言い終える頃には全力でケツを捲る。ネギ売りの最中、老若男女に声をかけてきたが、今声をかけてきた人物はそのいずれにも当てはまらなかった。
(黒騎士と関わり合いにはなりたかねぇ)
全身を黒く染め上げた男に、不自然にならないように距離を取りつつ、手足の長い男はすぐにでも飛び出す体勢を整えていた。逃げ腰の彼に対して、黒騎士の男は意外にも冑を外して高らかに笑う。
「腰抜けコーディーとはよく言ったものだ。私だよ」
「あん?」
「髭を剃っているからわからんか? ディネスだ」
ゆったりとした言葉遣い、癖のある茶髪を短く刈り込んだ男は知己へ接するように柔らかな笑みを浮かべる。
「ああ、おたくか。何、今は黒騎士やってんの?」
ゴツゴツとした傷の入った頬、男が言うように髭を足せばその昔つるんでいた人物に符合する。コーディーは逃げ出すことはしないが、半身の姿勢を保ったままで気楽に告げる。
「相変わらず人を信じないようだ……。私はキミによくしていた方だと自負しているのだがね?」
「よく言うぜ。おたくを信じてよかったことなんか一度もねぇよ」
黄金剣士トリルの従者になるよりも前、故郷を離れたばかりの頃にディネスとは出会っていた。
恰幅のいい体格に加え、剣の扱いも上手だったとコーディーは記憶している。騎士を目指していると聞かされていたが、黒騎士になっているとは夢にも思わなかった。
「この数日、よく利く薬を売り捌く者がいると耳にしてな。聞けば、口の達者な手足の長い糸目だと、それはもうコーディーではないのかとすぐに思ったのだよ」
温和な表情で、ディネスは語る。まるで旧友に向けるもののようだ。
「よしてくれ。おたくにそこまで親しくされる謂れはねぇよ」
一方のコーディーは、幸薄い顔を顰めて言葉を吐き捨てた。対峙する相手は困ったように頬を掻いている。
「黒騎士さんよぅ、おいらに何の御用で?」
苛立ちを抑えるようにして、コーディーは腰元に収められた短い曲刀に触れる。見た目は穏やかだが、極力関わり合いになりたくない相手だ。まして、黒騎士という立場にあるならばとっととこの場を離れた方がいい。
だが、因縁ある相手を前に、手足の長い青年はしばし言葉を交わすことを選んでしまった。
「世間話、ではいけないか? 久々に旧友を見かけたんだ、昔話に花を咲かせたいじゃないか」
「……嘘くせぇ。俺の近況を尋ねて己の足しにするって言った方が、余程信じられらぁ」
「ではそれで。黄金剣士の元についたと聞いたが、当の勇者は投獄されている。今は何をしているんだ?」
直球ド真ん中。むしろその方がわかりやすいと、コーディーは曲刀から手を離して相手を指差す。
「別の勇者の元で働いてんだ。今のあっしはただのしがない薬売り、おたくの期待にゃ応えらんねぇぜ」
「……黄金剣士が戻って来るなら、どうだ?」
「あ?」
不穏当な発言に、思わず眉根を寄せてしまう。だが、コーディーとしてはようやく納得行くところであった。
目の前にいるディネスが、ようやくらしい顔になっている。人の良さそうな顔を隠れ蓑に、腹の中ではよからぬことを考える人物だ。
「トリル殿は収容されてから、真面目に罪を償っている様子。そもそも悪事は彼の父、ヘジワースが主導していた話だ。その上、ヘジワース殺害容疑は晴れている」
直に娑婆へ出てくるだろう――告げる黒騎士の顔には、歪な笑みが浮かべられていた。
「そういう筋書か……。吟遊詩人が無実を謳えば、ここではそいつが真実になっちまう」
「筋書が何かはわからないが、一緒に来ないか? 私の目的は黄金剣士をこちらへ引き入れること。コーディーが首を縦に振ればすぐに決まる話だ」
ディネスの話を他人事のように手足の長い青年は聞いていた。
まったくもってバカげた話だ。元従者とはいえ、コーディーは黄金剣士トリルに手酷く裏切られている。更には今仕えている人こそ、トリルを倒したネギの勇者だ。
ついでに、目の前の男がしでかしたことは忘れない。話には乗らないと決めた上で、コーディーは友好的に見える表情をして、握手を求めた。
「柄にもなく考えちまったよ。今の主は頭にバカがつくお人好しでね」
「そうか、キミも元々はお人好しの部類だ。腰抜けなどという不名誉な二つ名も、コーディーの優しさの表れだとエリカは言っていたな」
ディネスが女性の名前を出しては下卑た笑みを浮かべる。幼馴染の名にコーディーは動揺したが、表情にはおくびにも出さなかった。
「商談だけにしてくれ。俺としては、黒騎士が黄金剣士を欲しがる背景が知りたいね」
腰抜けと呼ばれようが、争いは避けるべきだ。情報をいただくだけいただいて、早々に離れようと幸薄い青年は計算し始める。
「これ以上ヴァリスナード派を増長させたくない。これで伝わるか?」
問いには無言で頷き、コーディーは相手を見る。厭な笑みが消えたことで、ディネスの酷薄さが一層に滲み出ている。
(ガッシュが王都に滞在してればいいが……。ダメな時は大英雄、または騎士姉ちゃんの力を借りるか)
よからぬことを考えていたとしても、黒騎士を相手に真っ向からケンカを売る訳にはいかない。今のコーディーにとっては、命の恩人であるネギの勇者一行への義理が勝つ。
「ディネス、即答はしかねるから連絡先を教えてくれ。俺は今日の宿を決めるから、それから落ち合おう」
一旦は距離を取ろうとすると、黒騎士は冑を被りながら言葉を放り投げてきた。
「オマエ、本当に変わったんだな。教会のガキに銭をくれてやるなんて、随分いい人になったじゃねぇか」
「……何?」
素顔の見えない状態で出された言葉、そこに無機質さを覚えてコーディーは身構える。この場の空気が揺らめいだようで、悪寒を覚えた。
「トリルとのつながりがなくなったことは知ってたさ。私の狙いが何か、知りたくないか?」
「ベラベラと語っちまっていいのかよ」
いつでも逃げ出せるよう気を張り、ディネスを睨み据える。
ディネスの口振りでは、クレアとのやり取りもお見通し――ヴァリスナード邸に身を寄せていることも筒抜けと思った方がいい。
「いいさ。ここでお前を捕まえたことに意義がある。暁の勇者が資格を失っている今が、我々にとっての好機」
「俺の知ってるディネスらしくなってきたじゃねぇか。ついでに教えろよ。おたくは俺を狙ってどうしようっての?」
「暁の勇者にえらく気に入られてるそうじゃないか。オマエ人質に出来れば、言うことないだろ?」
冑の下で嗤っている様が浮かぶ。我慢をしてきたが、ここまでだ。
「ちっ、本性隠す必要もねぇってことか」
舌打ちの音を残しコーディーは後ろへ飛び退る。実力ではそこまで引き離されていないと見積もってはいるものの、後のことを考えればここで黒騎士と一戦交える訳にはいかない。
「逃げるのか? 腰抜け」
焦ることなくディネスは歩き出す。心なしか先程から感じられる空気の揺れが強くなってきている。
「逃げるさ、腰抜けで結構!」
勝てる時以外は逃げろ――ジオの言葉を思い出しながら、長い手足を振って青年は一目散に走り出した。
「逃げられんさ」
「魔法だぁ!?」
空気の揺らめきの正体は、ディネスの魔力が魔法へと昇華していく際のものであった。成立した魔法は煙となって、路地裏を瞬く間に白へ染め上げる。
「やべぇやべぇ、メチャクチャやべぇ!」
必死に走るが、既にコーディーもその身を煙の中へ置いていた。ネギの勇者、その従者になって抵抗力が上がったお陰か、彼には魔法の影響が今は見られない。
それでも未知の魔法、まして魔神由来の白色を見せつけられては逃げの一手しか思い浮かばない。
「――痛っ」
視界不良のなか、何かにぶつかる。姿勢を崩しはしても転ぶことはなかった。ぶつかる距離になって、目の前に人がいることにようやく気付いた。
「おい、おたくも逃げろ。魔法が使われて――」
相手を慮って出した言葉が途中で遮られた。出会い頭にぶつかり、気づけばコーディーは口を押えられ、羽交い絞めにされる。
男は一人ではなかった。足元から伸ばされてきた腕に両足が掴まれた。
(クソ、逃げられんってのはこういうことか!)
男たちに押さえ込まれ、コーディーの毒づきが止まらない。
紛れもない危機であるのだが、腰元の曲刀へ指を触れさせながら迷いに迷う。“人を殺してはなりませんぞ”今更ながら、当たり前のその言葉が彼に愛刀を抜くことを躊躇させた。
「離せよっ!」
結局刀を抜くことは諦めて抵抗を試みる。
口を塞ぐ手を噛みつけた。羽交い絞めにしている男へは、その眼の辺りへ長い指を引っ掻くようにして滑り込ませる。掴まれた足には力がかかっていても、ジオと殴り合い鍛えたコーディーは止められない。
「どうした、ディネス! 魔法は驚いたが、これじゃあ俺は止めらんねえぞ」
狙いは自分を捕まえることと、高を括って青年は注意を惹き付ける。これで相手の出方がわかるだろうというところで、腹元に鋭い痛みを覚えた。
(痛え……、え、何これ。嘘だろ)
余程声に出したかったが、周りがよく見えないので己が弱っているような言葉を出す訳にはいかない。
見れば、腹にナイフが刺さっている。目にすれば鋭い痛みから、何とも言い難いものへと変わる。じくじくとした痛みに変わり、高熱を出したのかと思える程の怖気が襲った。
「……こちらの目的は、身柄を捉えることと言ったろう。抵抗するからそういう目に遭う」
黒騎士は煙の影響がないのか、ナイフの刺さったコーディーが見えているようであった。冑の下からくぐもった、面倒くさそうな声が続けて上げられる。
「魔法とは便利なようで、面倒なものだ。捕まえろという命令であったのに、抵抗されたら身を護るためにこうなるのか」
すっかりとコーディーへの感心を失い、ディネスは嘆息する。
「予定変更だぞ、コーディー。暁の勇者は後回しにして、まずは教会の取り潰しだ。オマエと関わる女はな、みんな不幸になるんだよ……。まぁ、これから死ぬ人間にはもう関係ない話だわな」
高笑いを残し、黒騎士は煙の外へと出て行った。
(マテ、このクソ野郎……)
腹を刺され、額に脂汗が浮かぶ。最後にディネスが吐いた台詞が不穏に過ぎる。今直ぐにでも駆け出したいところであったが、魔法の影響下にある男たちがコーディーの四肢を再び拘束していた。
(ああクソ、嬢ちゃんに何かしてみやがれ)
覚えていろ――そう溢そうとしたコーディーの背中へナイフが突き立てられた。




