ネギと村娘 3
老ゴブリンに誘われ、勇者は村の奥へ足を踏み入れる。
村の中心部へと近づいている筈が、それに伴って随分と寂れた印象を受けてしまうのは何故か。勇者の疑問に答える者のいないまま、一行は大仰な態度のゴブリンの前へと踏み出ていた。
態度だけではない。遠目から見てもそれが一般的なゴブリンよりも大きなものであることがわかる。
村で見たものとは比べ物にならない。よくは魔物を知らないグリデルタであったが、あんな人外に立ち向かうなどは、正気の沙汰ではないということは理解出来ていた。
「ちょっと――」
大して歳の変わらない勇者を制しすべく声を上げていたが、大柄な男に肩を掴まれることで止められてしまった。
「グリデルタ殿、ネギの勇者を信じてくださいませんか?」
「……本当に大丈夫なんでしょうね」
大きな瞳を半眼にすぼめて、少女は抗議の視線を送っていた。勇者という称号の頭に“ネギ”がついてしまっているのでイマイチ信用出来ない、というかしたくはなかった。
だが勇者の仲間であるこのオッサンは、少女の抗議の視線などは意も介さずに、涼やかな表情をしている。村娘があーだこーだと唸っているこの間にも、緑色の少年は村で出会ったゴブリンを引き連れて歩みを進めていた。
「グリオ殿、あれが新しい頭首でス」
「ん、ああ……」
標的が見つかってもまだ付いて来ようとしていたヤーロへ、勇者は片手を挙げて答えた。案内役として、この老ゴブリンは十分に役目を果たしてくれた。
勇者には異種族であるゴブリンの表情は上手く読み取れない。だが、勇者が手を挙げたのと同時に新しい頭首とやらの眉間が微かに動いたことは、窺えていた。安全圏というのは、ここまでだ。
「下がっててくれ。ここまでありがとう」
ぶっきらぼうな口調は相変わらず。むしろ敵を前にしながら、ちょっと近所まで散歩でもしようかという程度に聞こえてしまう。
だが、平静に見えた勇者の態度とは裏腹に、その内面は荒れていた。怒っていると言っても差し支えはない。
村の最奥は、随分と寒々しい景色が広がっている。建物の数はぐっと減っており、尚且つあばら家のようなやっつけた建物があるだけだった。ここが今の村の中心であることは間違いない。それが確信できるからこそ、少年は怒りが沸き立つことを自覚する。
後ろで文句を言っているグリデルタの村であれば、村長の家や教会が据えられている位置なのだ。そうであるのに、ここには何もない。山の中にありながら、荒野に降り立ったかと錯覚する程、何も整えられていない空間に、一行は足を踏み入れていた。
(気に入らねぇ、な)
勇者はややもすれば飛び出しかねない悪態を、胸中へ納めることに必死になっていた。
一歩、また一歩とこの村の独裁者、人間の村を襲う者へと歩み寄る。
寝床程度しかない設備であったとしても、それで今の村には十分なのだとわかってしまった。新しい頭首とやらは、端から話し合いというものをする気がない。この生き物が決めるままにゴブリンが動かされていると、わかってしまったのだ。
ならば、勇者としては捨て置くことなど出来ない。少なくとも、彼の父親であれば、同じく立ち向かった筈だ。
自身の瞳が鋭くなることを自覚しつつ、勇者は魔物を睨み据えた。あちらがそうであるように、敵意を隠す必要はなかった。
「あんだ、てめぇハ?」
「……」
威勢良く近づく人間へ、大柄なゴブリンは声を上げる。突然現れた人間へ向けられるものとしては、当然の威圧であったが、勇者は臆するどころか睨みで返していた。
自分がまだまだ未熟であることを、この少年は自覚している。それ故に奢ることはないが、人に害を為して喜ぶ存在を前にすると、どうにも自制が利かない。何より、勇者としての直感が告げているのだ――このゴブリンは人を喰らうことを愉しんでいる、と。
「あいつ、大丈夫なの?」
「見ていてください、としか答えられませんねぇ」
不用意に距離を詰める彼へ、グリデルタは不安げな声を上げていたが、オッサンの返事は曖昧なものだった。
「まぁいいわ。結局は、あの勇者を信じろってことなのよね」
自分が声をかけたところで、彼は止められないようだ。信じようとは思っているものの、あんなに大きな魔物を前にしては、やはり不安が募る。勇者として認めたつもりもないが、人を守ろうとするあの少年は、無事でいて欲しい。
「しかし、心配なものは心配ですナ」
その不安は彼女だけものではなかった。新しいゴブリンの頭首をよく知っているからこそ、ヤーロは少女同様に思ったことを口にせずにはいられなかった。黙っていては、一層不安に陥ってしまうのだ。
一堂の視線は、魔物が持つ武器へと注がれている。
大木から削り出されたクラブをかかげる様は圧巻の一言――その武器に引けを取らない大柄な体躯は、優に百八十センチを越えている。それだけでなく、この個体は身にぴったりと合った鎧を纏っていた。ネギの勇者が緑のそれであるのに対して、彼のものは鈍色。粗削りの鉱石そのままのようなものに身を包んでいる。
背丈の話に戻るが、一般的なゴブリンに比して頭二つは抜きんでている。決して背の低い訳ではない勇者を、上から睨みつけていた。その巨躯が木偶の坊ではないことを主張するよう、張り出た筋肉は褐色ながら何とも色艶がよい。骨と皮が目立つこの種族にしては豊かな肉付きをしており、これが小柄なオークだと紹介されてもグリデルタは信じたことだろう。
「おい、人間。てめぇは何だと聞いていルッ!」
黙る人間へ、ゴブリンの若き先導者は苛立ちを募らせ、怒鳴っていた。だが、それですら情報収集であると知れる。その証拠か、顔を紅潮させて闘う姿勢を示しているものの、人間の勇者へは不用意に詰め寄ることもなかった。
「なぁ、オッサン」
火蓋が切られようとする中、猛る内心とは裏腹に、勇者は厭に冷えた声音で話していた。この時になって、何故この魔物に腹が立つかをようやく理解し始めていた。こうして話をしているのは確認のためだ。
その姿が異様に映ったからか、呼ばれた老ゴブリンはこれまた厭に淡々と答えていた。
「なんじャ?」
「聞きづらいことなんだけどさ。オッサンの目をえぐったのは――コイツだよな?」
「……ああ、その通りじゃナ。奴は、ヘスはワシを倒して、この村の指導者となっタ」
少年の声には、少しばかり逡巡してみせた。だが真っ直ぐに向けられた瞳から逃げることは出来ず、ヤーロは観念したように同意の言葉を漏らす。盲目の老人が出した言葉に含まれた色は固いものがあり、吐き出された以上のものが込められていると容易に推察できた。
「なるほどな。じゃぁ、アレは倒してしまっても、かまわんな」
緑色の金属に包まれた拳を固め、人間の勇者は更に一歩前へ出た。知り合ったばかりの老ゴブリンに報いろうとするその姿と表情は、勇者が魔物に向けるようなものではない。しかし、彼に付いてきた者たちには、その姿がこの場に似つかわしいものであると思えていた。
鈍色のゴブリンはあくまでも勇者の出方を窺っており、それを知った少年は焦ることなくゆったりと歩んでいた。魔物と永く対峙したことのない村娘は、不安から視線をさ迷わせていたが、少年の従者ににっこりと微笑まれてしまっては黙る他なかった。
若い勇者であるが、これまでも魔物と対話する場面は幾らもあった。出来る限り争いは避けたい――名声を求める少年であったが、このような考えを今でも大事にしている。
世界に平和をもたらした筈の父が、何故無名だったのか。オッサンから聞かされる英雄譚、その中での父はいつでも弱い者の味方だった。相手が魔物であったとしても、問答無用で殴りかかることはない。それを模範に少年はこれまで過ごしてきた。
だが眼前のそれは、弱者を甚振って喜ぶような生き物だ。少なくとも、こうして打ち解けられた老ゴブリンから光を奪うような者とは、仲良く出来る気がしない。少年は短く息を吐くと、固めた拳を引き絞りながら魔物とお互いに掴みかかれる位置までやってきていた。
「勇者殿っ!」
ヤーロは、声がしゃがれることにも構わず張り上げた。ここまで同族を屠ってきたこの人間の勇者は、確かに強い。だが、単に強いだけではヘスには敵わないのだ。
「ご老体、ここはグリオ様にお任せくださいな」
魔物との激突を前に、従者である半裸の男が声を上げた。心配などしないで欲しい、そのことから出されたものだった。シャロ程ではないが、勇者は魔力の探知が出来る。もっと大型の魔獣を倒した経験もある。何より部下もつれない単独のゴブリンに、ネギの勇者が負ける姿など想像も出来ないものだった。
「ふざけた人間ダ」
既に臨戦状態にあったヘスであるが、拳を振りかぶった勇者に対して、惜しげもなく必殺の態勢へと移る。ぶつぶつと呟きつつ、人間の子どもより大きなクラブが、握られた腕とは反対側の肩へと担ぎ上げられていく。それは、叩き潰すために作られた武器を扱うにしては、不合理な姿勢だった。
「ふざけてんのは、お互い様だろ?」
まだ手の届く範囲の外から拳を引き絞っていた勇者は、真面目腐った顔でそう答えるのみ。お互いに、常識ではあり得ない構えをしている。だが、そのどちらも己が勝つことを信じて疑うことはない。
「人間ガ。掛かって、こいヨ」
このゴブリンはニヤついた表情を隠すことなく挑発をしてた。少年が更に踏み込んでくるが、自分はこれでいい、このままでいい。
圧倒的なリーチを誇りながら自らは仕掛けることはしない。ヘスは恵まれた体躯のみでのし上がった訳ではない。この構えは敵対する生き物の数に関係なく、彼を今の地位へと押し上げたくれたものだ。
構えの意味を知らない少年は、相手の言葉に誘われるがまま、大股に距離を詰める。
「っ――!?」
正に訪れた人と魔の激突に、グリデルタはつい瞳を閉じてしまった。どちからが勝とうが、少年が無事で済むようには思えず、躊躇われてしまったのだ。
目を瞑る最後の瞬間、勇者がゴブリンの股の間にまで足を踏み込んだ姿までは捉えていた。上背で勝るヘスであったが、密着せんばかりに接近する者へはどうしても反応が遅れてしまう。当然のことながらこの間に、ゴブリンを原型がなくなるまで破壊してきた勇者の拳が迫る。
「――!?」
「掛かっタ!」
勇者の拳が鎧に触れたその瞬間、両者とも表情を変化させていたが、声を上げたのはゴブリンであった。クラブを解き放つ時をヘスは確信する。
まずは前段階として、上半身を捻ってみせる。鎧に誂えられた粗削りの鉱石が体の回転を拡大して、己へと向かう物理攻撃をあらぬ方向へと散らせてしまう――耐熱の他に、優れた魔法的加工のされた鎧の“刃滑り”を披露する。本来は対剣用のものであるが、金属に覆われた勇者の手甲も例外ではない。
「そして、終わりダっ」
この態勢は、相手の攻撃を無効化するのみに留まらない。捻った上体を戻す際、魔法によって加工されたこの鎧は一つの力を付加する。回転を増幅させるのは、何も外敵からの攻撃に対してだけではない。そもそもクラブは叩き潰すために構えたものではなかった。捻りを倍加するこの力を、破壊力へと変換するために担いでいるのだ。
捻られた上半身、更に捩じられた手首を返しながらクラブは横薙ぎへ放たれる。元々手足が図体よりも長いゴブリンにして、巨躯を誇るヘスがこの技を放てば、四メートル圏内のものを薙ぎ払うことが出来た。タイマンであろうが、一対多数であろうが、この特技を前に負けはない。
いつもの必殺の一撃を自信とともに彼は見送った。耳には、脆弱な人間の叫びが届いてくる。目に入った光景と音に、大柄なゴブリンは結んでいた口元を、思わず解いた。
「うわあぁぁぁ!」
緑の鎧を着た少年が絶叫を上げる。瞳を閉じていた村娘は、到頭決着が付いてしまったと理解した。それは恐らくは、彼女の想像出来もしない結果に違いない。
「これ、ハ?」
再び、思わぬタイミングでゴブリンが声を発していた。間の抜けた声の異様さに、グリデルタは事態の理解を務めるべく瞳を開く。しばらく暗転させていた視界は、すぐには像を上手く捉えてくれない。
「私、目がおかしくなったのかしら?」
信じられないといった表情で、開いた瞳を必要以上に大きくして少女は隣の男へ問うていた。
「ふむ。やはり、ネギの勇者は最強ですな」
「なんと、グリオ殿は真に勇者であったカ――」
ガッハッハと笑うオッサンは、少女の疑問に答えているようで答えていない。成り行きを見守っていた老ゴブリンも、光の届かない瞳を瞬かせて驚きを顕していた。
ヘスの放った武器が空を切っている。密着していた勇者に対して外しようもない筈であったが、現にゴブリンが利き手を振り切っているにも関わらず、勇者は健在だった。
少女が疑問符を浮かべたことに、無理はない。水平へ振るわれた筈のクラブは、地面へと突き立っているのだ。
「グリデルタ殿、なんてことはない。勇者の方が途方もなく力が強かった、そういうことですよ」
「はぁっ!?」
勇者の勝ちを確信していたオッサンは、再び豪快に笑う。勝ちは彼にとって当たり前であったが、ネギの勇者の活躍が嬉しくてたまらないといった風だ。
少女としては何とも信じがたいことであったが、受け入れざるを得ないのだろう。それは、勇者と実際に対峙していたゴブリンにも同じことが言えた。
「これハ、ばかナ……いや、ばかだロ?」
勇者の放った打撃は、彼の持つ鎧に無力化されている。それは間違いないと理解していた。だが、ヘスの足が地面から剥がされてしまっている状況は紛れもない事実だ。
拳が触れた瞬間、この勇者は人間離れした膂力を以て腕を突き上げていた。水平に振るわれた筈のクラブが地面へと突き立ったカラクリは、至って単純――とんでもない力で腕が押し出され、ゴブリンが体を持ち上げられていた――ただそれだけのことだった。
「勇者を名乗っているが、俺は剣が使えない」
勇者はそう台詞を吐きながら、ゴブリン共々突き上げた拳を一度引き戻す。
「おまえ、この――」
支えを失い、落下感を味わう中ではヘスは碌に言葉を紡ぐことも出来なかった。何せ、引っ込められた拳の行先が気になって仕方がない。密着状態から鎧を着込んだこの巨体を持ち上げる力だ。
守りの薄い顔へ向けられればどうなることか。そんなことは、想像もしたくない。
「一撃で切り裂いてやれなくて、すまんな」
気が気ではなかったが、緑の鎧を纏う少年がそう呟いたことは何とか聞き取れていた。否、何となくそう言ったのではないか、幻聴を聞いていたのかもしれない。
身体から拳が離れたことを理解できても、その後の挙動は認識出来る間も与えられなかった。引き絞られた緑色の塊は、再びゴブリンへと吸い寄せられる。次の瞬間、顔面を殴りつけられたそれは、直立の姿勢を保ったまま、ゆっくりと縦回転しながら後方へと吹き飛ばされていった。
「……ねぇ、あれって本当に人間なのよね?」
勇者の手の動きこそ捉えられなかったが、振り抜かれた拳を見ては信じざるを得ない。バカみたいにデカい魔物を素手で殴り飛ばすこの少年を、何と例えたものか。疑問を投げかけても、隣にいるオッサンは相変わらず満面の笑みを浮かべて答えてもくれない。
仕方がないので、少女はこの生き物は規格外なのだと勝手に結論付けていた。
剣を持たない勇者はいない。彼女の常識ではその筈だったが、彼にはどうやら剣は必要ないらしい。しかし、ぶん殴るだけで解決する勇者の姿など、吟遊詩人は語りたがらないだろう――少女は山中で感じた恐怖とはまた別に、この勇者が語り継がれない理由の一つへと何とはなしに思い至っていた。




