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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
一章 遺骨ペンダント
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二話『依頼人と鍵』

 ゆらり、ゆらりと。

 ひとつの曲がり角から姿を現したのは黒い服――喪服の女性だった。


 結わえてあっただろう髪の毛はぼさぼさになっており、衣服も埃だらけでシワが出来ている。どう見ても普通の状況ではない。

 塀に手を当てて女性は大きく乱れた息を整えている。走ってきたという感じだろうか。痛々しいほどの靴擦れが出来ているのがここからでもわかった。血が出て真っ赤だ。


「……」

「……」


 絶句する僕、無言で相手を窺う姫香さん。

 息苦しい沈黙と空気の重さをたっぷり味わった後、女性はようやく顔を上げた。

 疲労が濃く滲んだ顔。焦燥に追われた表情。


「えっと…こちらに御用です、か? お茶とかありますので、なかへどうぞ」


 頭が真っ白になったが、なんとか形式通りの言葉を出すことが出来た。

 しかし安堵をするにはまだ早かったらしい。

 女性は申し訳なさそうに頭を振る。


「ここでお話を聞いてもらっていいでしょうか――? 時間が、ないのです」

「時間がない」


 僕がおうむ返しに繰り返すと女性は頷いた。

 どういうことだろうか。何か切羽詰って…はいるから、話す時間さえも惜しいということなんだろうけど。

 いやでも話してくれないと分からないよこれは。


「受け取ってほしいものがあるのです…」


 からからの口で紡がれた、か細い声。

 姫香さんは返事をする代わりに女性に近寄った。さすがに危ないと言おうとしたけれど、目で制された。


「これを」


 ゆるりと彼女はカバンからなにかを取り出す。そして一瞬のためらいの後に、姫香さんの手のひらに載せた。

 日に照らされてそれは鈍く光った。


「……鍵?」


 小さく呟やかれた疑問の声。

 それにこたえることはなく女性は深く頭を下げた。疲労の表れか、艶が失せた髪の毛が揺れる。

 そう言えば女性の顔色もかなり悪い。葬式にでも行っていて疲れたか、それとももっと別に彼女を悩ませるものがあるのか。


「…事態が片付くまで、中身のものを預かってください。――これだけは守りたいんです」


 焦っているのか、ずいぶんな早口だ。


「どうか、どうか捨てないでください。そして他言もしないでください。おそらくはあなたたちを危険に晒してしまいますから」


 いや、ちょっと待ってくれ。


「なにを…なんでそんな危険を呼ぶような代物を僕たちに寄越すんですか? 貴女はここと何の関わりが?」


 僕はたまらず姫香さんの横に立ち質問する。多少きつく言いすぎたかもしれない。

 だけど当然のことだろう、いきなり鍵を押し付けて危険だのなんだの言われ、問いたださない理由なんてどこにもない。


 僕の反応も予想していたのか、女性はたじろぐこともせずまっすぐにこちらを向いた。


「昔、夫の添田一郎が前にここで助けてもらったと聞きました。…おそらく、そのことに詳しい方がいらっしゃるかと思います。いざとなったら頼るようにと言われました。なので」


 ここへ来たと。


「あ、そう、なんですか…」


 僕は新入りなのもあり詳しくない。そのため威勢良かった口調も尻つぼみになる。

 所長なら知っているだろうか。

 隣で姫香さんは鍵を小さな手に握りこんでぼそりと聞いた。


「誰、渡す?」

「息子の、添田洋介に…。ここの存在は知っているはずです。彼が取りに来たら…どうか」


 姫香さんは頷いた。


「でも…あなた自身が持っていては駄目なんですか?」


 馬鹿な質問だと言っていて思う。それができないから預かってくれと言われているのに。

 それと僕の言葉が少しだけふて腐れたようになったのは、まあ、ご愛嬌と言ったところか。

 正直不信感はいまだ拭い去れていない。

 もしかしたら盛大ないたずらだってことも否定しきれていないのだ。さすがにそれは考えすぎかもしれないけど。

 でも僕が決めることではない。依頼受託は所長が決める。そして多分、受けるだろう。

 女性はどこかあきらめたようにほほ笑んだ。


「わたしはもう、だめです。これ以上は誰にも迷惑をかけないように遠くへ行きます・・・・・・・――それではお願いします」


 それだけ言ってお辞儀をして、怯えた表情で辺りを見回してから来た道をよろけつつかけていった。

 ヒールを履いているのにあっという間に見えなくなった。あれ足くじかないんだろうか。


 ではなく。

 厄介事を押し付けられたのだ。

 それと同時にあの女性も面倒事に突っ込もうとしている。

 不味い展開になってきたと思わざるをえない。


「追いかけてきます!」


 物思いにふけっていたらしい姫香さんは、我に返ったように僕の手首をつかんだ。危うくつんのめりそうになる。


「いけない」

「でも、」

「だめ」


 ぐ、と姫香さんの指に力が入る。

 全く痛くはない。が、ここまで反論に出るのは珍しい。


「だめ」


 もう一度言われてしまった。おまけに首まで振って。

 仮にも彼女は上司、下っ端の僕がここまできて逆う道理もない。


「…分かりました」


 それでも信じきれていないのか、僕を引っ張りずんずんと二階の事務所へ歩いていく。

 こんな事態じゃなければめちゃくちゃうれしいシチュエーションなんだけどな。

 階段を上る前に軽く振り返る。

 『遠く』という言葉に若干の嫌な予感をおもう。

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