三話『需要と供給』
「スナッフムービー、またはスナッフフィルム。巷では都市伝説扱いされているものだね」
なんとも言えない空気の中、一階から戻ってきた百子さんはぐるぐると室内を回る。
大まかな説明は所長が済ませてある。
「都市伝説扱い?」
「マスメディアの憶測、映画監督による偽の吹聴、勘違い…。そんな感じ」
「ははあ…」
「でもさぁ、今やインターネットでテロリストによる殺人実況が行われる時代だよ?
むしろ無い方がおかしいとあたしは考えてる。――現に、そこに実物があるしね」
不快気にデッキプレイヤーのそばに置かれている、先ほどのDVDを顎で指した。
「日本だけじゃない、どの国も存在はすると思う。…世界規模の話は今はやめて、一番身近な、あたしたちの手にわたってきたソレの話をするべきだね」
それもそうだ。
遠くの国事情に思いをはせているわけにはいかない。
咲夜さんが手を挙げた。
「この女性は誰ですか? どうやって入手を?」
「それは俺が。動画内で説明されていたように、三原志ちきこだ。二か月前に失踪して、両親が届け出を出していた。そして一週間前に、彼女の実家に直接送られてきた」
「直接?」
「ご丁寧に『娘さんからのビデオレターです』なんて手紙をつけてな」
「えぐいですね」
「うっわぁ…」
「おかげで母親のほうは寝床から動けなくなった。だからこっちが家まで出向いたんだ」
心配している矢先にそんなものが来たら当然見てしまうだろう。
それで再生されたのが娘の最期だなんてやっていられない。
「どうして、彼女?」
姫香さんが不思議そうにDVDを指さした。
所長は「そこなんだよな」と頬を掻いた。
「どうして三原志ちきこだったのか、どうして実家に送り付けたのか。それは今のところ見当もつかない」
「気持ち悪いですね。借金やトラブルは?」
「ない。両親や婚約者が知っている限りはな。豪遊が趣味でもなかったし、謎だ」
咲夜さんの言う通り、気持ち悪い。
無作為に選んで殺害しているのだろうか。
「あとひとつ。今回と関係ないとしても、スナッフムービー絡みでひとつ教えておこうか」
眉間を揉みながら所長はホワイドボードに近寄り、キュポンとペンのふたを取った。
「需要と供給の話だ。ツル、意味は分かるな?」
「さすがに知ってますよ」
記憶は記憶でも、僕が無くしたのはエピソード記憶だ。
以前の僕は一般常識をしっかり押さえていてくれていたようで助かった。
「SS級、S級、A級、B級、C級…まあざっとこんな感じに分けるとする」
所長は言いながらホワイトボードに書き込んだ。
…かろうじてアルファベットが読めるぐらいの字の汚さだ。相変わらず汚い。
「それまでスナッフムービーはここ――SS級と、一部のS級にしか売買されていなかったと仮定しとこうか」
きゅっとSS級に二重丸を付ける。S級には小さな丸を付けた。
その理由は分かる。
あまりにも売りさばけば足がついてしまう可能性がある。
そして、特別価値をつけたいのだろう。
需要が多ければ多いほど、供給は少なく。自然と値段もつり上がるに違いない。
市場の基本だ。
「しかし、だ。ここ最近、一から二年前ほどから――ふえているそうだ」
S級とA級、二つを大きな丸で囲った。
「待ってください。どこでそんな情報を? 違法な動画をほいほい教える馬鹿がいるのですか」
器用に椅子の上で体育座りをしていた咲夜さんが口を挟む。
「交友関係は大事だぜ、サク。…先代所長から仲良くしているのがいる」
「……」
「なんというのかな、仲介人さ。まさか直接売りつけるわけないじゃないか」
「はぁ。…まあ、分かりました。私には関係ありませんしね」
話が終わったのを見計らい訊ねる。
「それで、増えていることによって、何が起きているんですか?」
「これはあたしが入手したデータだけど、スナッフムービーが活発化する時期と同時に不審な失踪も増えてるの。いずれも、普通の子」
…やってられないな。
いつもどおりに出かけたら、誘拐されたか何かされて最終的に見世物として殺されるのは誰だってごめんだろう。
百子さんは話をするのも嫌なのか顔色が悪い。
もしかしたら殴り合い必須の現場に所長が積極的に百子さんをださないのって気遣っているからだろうか。
「言っておくけど、明確な関連は不明だよ。憶測でしかない」
「分かりました。しかし…ただ事じゃないですよね。どうして警察に行かないんだろう」
「三原志ちきこの親だって即座に探偵を頼るほど馬鹿じゃない。すでに警察に行っている」
「でも今までそんな話、聞いたことありませんよ。テレビも、インターネットも、僕が知らないだけかもしれませんが…」
「報道されるものがすべてではないよ、ヨヅっち。というかこんなの表に出たらどんな騒ぎになるか予想もつかないし」
そうか。報道されたら間違いなく欲しがる人間は出てくるだろう。
それでさらに需要が増えたら皮肉もいいところだ。
便乗犯だって出てこない根拠がない。
「それで、結果的にこの探偵事務所を頼ることになったようですけど。それにはなにか事情が?」
「どうせいたずらの類だって調べてくれないんだとよ」
「え? 見せたんですよね? いたずらでもさすがに…」
さすがにあれは。
取り締まる法律があるかは不明だけど、話ぐらいは聞きに行ってもいいのではないか。
「見せた。だけど反応は無し。そのまま回収されて知らんぷりとのことだ」
「…今見たものはなんですか?」
「婚約者が予備としてダビングしたものだってよ。…あいつも怪しいところあったよな…」
「ケンちゃん、それを言えば全部怪しくなってきちゃうよ~。そういうことでここに縋ってきたってわけ」
それはいいけど、なんで城野探偵事務所だったんだろう。
確かに一筋縄ではいかないような依頼は受けているけど…口コミでそういうのが伝わってしまったのだろうか…。
「警察としてスナッフムービーの存在がなにか都合が悪いか、それともその後ろで誰かが口止めをしているか。どちらにしろ、これ以上は動いてくれなさそうですね」
咲夜さんはだるそうに言う。
「所長。私たちは依頼人に何を頼まれたのか。そろそろ話してくれてもいいと思いますが」
「ああ。俺たちに依頼された内容は……ん?」
外で車が止まる音がした。
あまり広くはない裏道の道路であるし、信号がない止まる理由もない。
「タクシーだ」
窓から外を覗き見た百子さんが小声で報告した。
「おかしいな。今日は予約もなんにもないが」
「すっげぇ悲しくなりますね…」
「やかましい」
「……ねえ、もしかしたらあの人かも〜…」
神妙な顔で百子さんは言う。
あからさまに所長は顔を歪めた。
「なんでこんな時に…。ツル、ちょっとボードを消してくれ」
「はいはい」
直接『スナッフムービー』だとは書いていなくても、念には念を入れるべきだ。
どんなに字が汚くても、だ。
姫香さんがいつも通りに扉の前に立つ。その隣に所長も並んだ。
安っぽいチャイムが鳴ると同時に開ける。
「やあ、城野」
立っていたのは小柄の、ほとんど白髪のご老人だ。
所長はひどく嫌な声を出した。
「…どうも。何しに来たので?」
「ずいぶん冷たいな。年寄りだぞ、労われ」
「棺桶に片足突っ込んでいるくせにブォッ」
見事なアッパーが入った。
今のは所長が全面的に悪いと思う。
悶えるスキンヘッドを横目に、ぐるりとご老人は事務所を見回す。
「なんだ、ずいぶん所員が増えたものだな。アイツより人望はあるのか」
「このクソジジイ…それよりなんのようです」
「依頼だ」
ご老人はうっかり漏れたらしい所長の悪口をスルーして、下げていた高級そうなバッグからCDを取り出した。
言葉にしづらいけど、この瞬間みんながこのあとの展開を察した感覚があった。心がひとつになったというか。
「『スナッフムービー』の出所を追っていた捜査官が、殺された」