一話『梅コーラ』
事務所には僕と咲夜さんしかいなかった。
姫香さんは一階の骨董屋で店番をしている。今頃は掃除でもしていることだろう。
「はい、そちらの番です」
「わざと不安定なところに置きましたよね!?」
「さあ」
僕らが何をしているかといえば、ジェンガをしていた。罰ゲーム付き。
この事務所、暇をつぶすためのゲームがたくさんあるのだ。オセロやパズルや知恵の輪だって多分探せばある。
それほど常日頃から閑古鳥が鳴いているのだが、こう、暇つぶしの方法じゃなくて仕事を増やす模索をしなくてよいのだろうか。
なんだか間違えた方向に力を入れている気がする。遊んでいる僕が言うのもなんだけど。
ゆっくりと積み木を引き抜いているときだった。
「…夜弦さんは姫香さんのこと、好きなんですか?」
「はっ!? あ、あー!」
動揺がダイレクトに指先まで伝わり、木の塔は脆くも崩れ去った。
ばらばらと甲高い崩壊音が事務所に響き渡る。
コンコンと床に落ちていく積み木を拾い上げながら咲夜さんは呆れた目で僕を見る。
「罰ゲームですね」
「いやいやいやいや」
今のはひどいだろ。
このタイミングで言うことじゃないだろう。じゃあどのタイミングで言えばいいのかと聞かれれば困る。
「あの…誰に聞いたんですそれ」
「私がそう思っただけですが」
ああー、自分で墓穴を掘ってしまった。
「好きなんですね、彼女のこと」
ジェンガを一から組み立てながら咲夜さんは義務連絡のように確認してくる。
どうして駄目押しのように。
掴もうとした積み木が見事に空振りして滑った。
なんというか、もっと盛り上がりそうな話なのに瑞々しさの欠片もないな。盛り上がっても困るのだが。
「待って、それいつから知っていました…?」
「半年前からです。あなたが彼女を目で追っているのに気がついて、ずっと」
「ぐわーっ!」
頭を抱える。
マジかよ、そんなにバレバレだったのかよ。
しかめそんな常日頃から冷静に分析されていたのかい。
とりあえず弁解に走らなければ。なんでそんなことする必要があるのか分からないけど!
ああそうか、照れ隠しってこういうことを言うんだね!
「いや、あの、なんというか妹みたいな感じなんで。ほっとけなくて!」
「はぁ。妹ですか」
「そうそう。妹が実際居たかは分からないけど…」
そこで一瞬咲夜さんの顔が曇った。おや、なにか不味いことでも言っただろうか。
すぐに表情は変わってしまったので、僕の見間違えかもしれない。
なんというか、苦手なんだよなぁこの人。避けるほどというわけではないけど、時たま見張られているような感覚になる。特に悪いことをしたつもりはないのだが。
そんな人がいきなり「好きなんですか?」とか聞いてくるものだから慌てるのも仕方ないだろう。よって僕はこのゲームに負けていない。うん。
…しかし姫香さんか。
いざそうかと言われると、どうなのだろう。
なんだろうな。好き、というよりもっと別のものがある気がする。
やっぱり出会いが出会いだから遠慮してるのかな。
一年半前のあの日、詳しくは覚えていないけど僕は姫香さんに救われたのだ。
汗ばむほどに雪が降っていた日。
僕に手を差し伸べて、「生きなさい」と、扉を閉めたのだ、か、ら……
…あれ?
なにかおかしくないか。
「いたっ!」
妙な矛盾に気がついた瞬間頭が割れるように痛んだ。
キンーーと耳鳴りが起こり膜を張ったように周りの音が遠ざかる。
心拍と同じリズムでずきずきと責め悩む。
「…大丈夫ですか? 夜弦、さん?」
咲夜さんが立ち上がったが僕は手で静止する。
たまに定期的に襲い掛かってくるのだ。だけどすぐに痛みは無くなる。そんなに心配することじゃない。
百子さんと話していた時も同様の痛みにあった気がする。あの時も過去の記憶に関係したことじゃなかったか。
なんだろう…そんなにヤバい事やらかしていたのかな。
「…ごめんなさい。変な話をしましたね」
申し訳なさそうに謝る咲夜さんの顔を僕はどこかで見たことはなかったか。
疑い出せばキリがない。
デジャヴを感じているだけだろう。なんせ一年も一緒にいる間柄だ、脳のどこかで都合のよい処理が行われている可能性もある。
「いえ…大丈夫です」
「ところで罰ゲームの話なんですけど」
「あ、やるんですか。そこは罰ゲームやらないとかそういう」
「慈悲はありません」
あってほしかった。
なんとなく、無理やり話を逸らしたような気もするけど。
咲夜さんが買ってきた期間限定品『梅コーラ』を飲むのが今回の罰ゲームだった。
どうやらゲロマズらしい。開発者は家族でも人質に取られていたのだろうか。そしてなぜそのようなものを購入したのか僕は理解に苦しむね。
ここで思いっきり拒否しても僕の威厳とかそういうものが無くなるのは目に見えてわかっている。
一口だけで許してくれないだろうか。
「さすがに全部はきついので、コップの半分で」
あー、許してくれたけど手加減はしてくれないかー。
しぶしぶコップに注がれた液体を口元に運ぶ。
弾ける炭酸の泡とともに梅のほんのりとした酸っぱい香りが鼻腔に届いた。だいぶ詩的に表現したけど、液体はドピンクだし、この時点で全く美味しさを感じられない。
なんだこれは。味の神への挑戦か。
ええい、ままよ!
「おーい、仕事だぞ」
口に含むとほぼ同時に、事務所の扉が開いた。
所長、百子さん、そして姫香さんがわらわらと入ってくる。
驚きすぎて、梅コーラが気管に入った。
危うくゲテモノで溺死するところだったのは言うまでもない。