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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
間章 グランギニョル
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十七話『通夜(後)』

 翌日。俺たちは東京の中でおそらくは一番大きい葬儀場ではないかという場所に来ていた。

 百子の祖父が大物なのだろうか。駐車場の段階で高そうな喪服をまとった人たちと何人もすれ違う。


「ケンジ」


 俺がきょろきょろしているのを見て、少し先を歩いていたケンイチが歩く速度を俺に合わせて囁き声で話しかけてきた。ケンイチは歩くのが早い。

 伊達メガネの奥から彼は俺に視線を合わせてくる。一言申す、というときの目だ。


「そういう人の見方は止めたほうがいい」

「見方って?」

「おまえ、足元から顔へ視線をあげていっている。されたほうはすぐに気が付くし、不快だなんだとイチャモン付けられたくなければ真っ直ぐ前を見ていろ」


 高そうな靴がどうしても目に入ってしまうのでどうやらじろじろ見ていたらしい。

 俺が黙って頷いて見せるとケンイチは鼻を鳴らし、また早足になった。

 わざわざこういう細かいところにまで口を出すことはめったにないので、ケンイチもケンイチなりに緊張しているということなのだろうか。俺はなんだかよく分かっていない。


 葬儀場の出入り口に墨で『故 鴨宮カモノミヤ千嘉良チカラ様』とでかでかと書いてある。画数の多い名前だ。

 こんな大きいところなのに他には葬儀が行われていないということは、意図的な貸し切りなのか、それともたまたまなのか。まあどちらでも俺には構わないのだが。


 車内でケンイチに教えられたこととして、この鴨宮家はインターホンや防犯カメラの大手メーカーの経営一族だそうだ。バイクや腕時計ならそれなりにメーカーを知ってはいるが、そういう分野は無知に近いので「フーン」程度である。

 それに一族のひとりであるはずの百子からはそんな話、一度も聞いたことがなかった。


 百子の通っていた学校はなかなかに金がかかるところらしいが(箱入りお嬢様が多かったと百子に聞いた)、それ以外で彼が大金を持っているという印象はなかった。

 一族の力を使えば辺鄙な地域の探偵事務所なんてところに就かなくてもいいはずなのに。


 エントランスで職員に受付へ案内される。

 受付の人間に「この度はご愁傷様です」とケンイチはしれっと言い放ち、「黒川アキト」「黒川カイト」というまったく俺たちに掠らない名前を二人分記帳して香典を渡した。香典にはきっちりお金を包んでいたので妙なところで真面目だと思った。

 黒川アキトというのはケンイチが昔つるんでいた知り合いだったそうだ。カイトはなんとなくらしいが。

 そんな知り合いの名前をこのような場で使っていいのかと聞いたところ、「あいつだっておれの名前でヤクザ相手にやらかしていたしいいだろ」と言っていた。今更ながらこいつの周りろくなやつがいねえ。


「…ちょっとトイレ行ってきていい?」


 場違いな感じがして(事実場違いではある)落ち着かない。

 さっそく一人になりたかった。


「場所は」

「分かる」


 親切に看板があるのでそれを辿っていけばいいだろう。

 ケンイチと待ち合わせを決めておいてトイレに急ぐ。


 少し遠い場所のトイレを選んだからか、近くのベンチで少女が座っている以外は人気がなかった。

 ようやく一息つけると思いながら中に入ると


「……」

「……」


 手洗い場のそばで少年が壁に寄りかかっていた。

 中学生ぐらいだろうか。お上品なブレザーを身に着けて、ネクタイには刺繍で校章が入れられていた。

 無言でじろりと睨みつけられた。なんだこのガキ。


 俺は少年のそばにある鏡に視線を動かす。

 ヅラを被り化粧をしたために普段とだいぶ印象の違う俺が佇んでいる。ちなみに化粧をしたのはケンイチだ。

 少なくとも今は出会って五秒で通報されるような顔をしてはいない。だから俺からなにかしなければチクられる謂れはない。言ってて悲しくなってきた。


「気分が悪いのか」


 声なんてかけないでいいのについやってしまった。気づいたときには遅い。

 少年は何も言わないまま俺の足元を見、上へと視線を移動させた。なるほど、腹立つなこれ。


「なんだ、外部の人間か」

「それがどうかしたのか」


 答えず、少年は俺の横をさっさと通り抜けていった。

 引き止めて問いただすほど俺も好奇心はなかったし、そんなことしたら警察呼ばれるだろうし悪目立ちしたら怒ったケンイチにより火葬場の中に放り込まれそうだ。


五十鈴イスズ、どうしたの?」

「なんでもないよ三四子ミヨコ。小杉になんか言われる前に戻ろう」


 外で少女の声と今の少年の声がする。

 足音が遠ざかるのを聞きながらため息をついた。


 あいつ、ハンカチ落としていったことに気づいていない。



 ケンイチは人込みを避けたすみっこのほうにいた。

 黙って立っていればそこそこに顔の良い男なんだけどな。表情を出した瞬間すべてが崩壊するが。


「なんだそれ」


 ケンイチは俺が手に持っているものを目ざとく見つけた。

 隠す必要もないので素直に見せる。


「トイレで子供が落としていった。見当たらないし、だれかに預けようと思って」

「…これを見て何とも思わなかったのか?」

「は?」


 呆れたようにケンイチがハンカチの隅に縫われている刺繍を見せてきた。

 デフォルメされた鳥の羽のようだ。藍色のハンカチ生地に金色の糸がよく映える。

 訳のわからない俺はケンイチを見る。ほとんど声はなく、唇だけの動きでケンイチは言った。


「鴨宮の家紋だよ」

「は?」

「つまりその子供は鴨宮家の濃い血族か、それに近い人間だったと思うがね」

「え、どうしよう」

「面白いから貰っておけば?」

「何も面白くねえよ…」


 爆弾を拾ってしまった気分だ。


「ま、誰かに預けるなら帰り際だな。今スタッフに預けると『あの方がお拾いになられましたよ』とか持ち主に直接言われかねない」

「それは嫌だな…とりあえず」


 そっとポケットにしまっておいた。

 まだ通夜も始まっていないのに疲労を覚えながら、気づかぬうちにさらに増えた黒い集団をざっと眺める。

 百子はどこにもいない。


「あいつなら親族の集まりにでもいるんじゃねえか、知らんけど」


 俺の考えを読んだようにケンイチは言う。

 親族の集まりか。葬式の時ぐらいしか会わない親族もいるだろうから、顔合わせでもしているのだろう。


「じゃあこのハンカチの持ち主もいるのかもな。あ、百子探して渡したほうが早いし楽か」

「だといいんだが」


 含みのある言葉だ。いったい何に対してのどういう意図の返事なのか俺には分からない。

 問おうとした矢先、館内放送でこれから通夜を行うというアナウンスが入った。


 ぞろぞろと動く黒い波を見ながらケンイチは小声で、しかしはっきりと言う。


「――通夜が始まる。ケンジ、よく見ておけ。人と人との醜い関係が最も強く出るのは、ここからだ」

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