十四話『ふたりでおしごと』
その依頼は、端的に言えば捕獲だった。
隣町での話だ。男二人が最近夜道で女性を襲っては暴行と強姦を繰り返しているという。それは俺も依頼が来る前から聞いていた。
その男二人の親――つまり犯人はバカ息子どもということになる――がそこそこ名の知れた有力者なので被害者を脅したんだかなんだかで被害届を出させず、現状泣き寝入り状態。
そっからどういう経緯をたどったのか俺にはわからないが、ともかく城野探偵事務所に依頼が回ってきた。手段は問わないからバカ息子どもを捕獲してこいと。ネズミ退治よりも杜撰な指示である。
渡会のおっさんの依頼だろうな、とうすうす感づいていた。
こういう暴力が伴う依頼はよほど機嫌が悪くない限りケンイチも同行しているのだが、今日は俺と――椎名だけ。
つまり、あいつは機嫌が悪い。
ケンイチは、渡会のおっさんの依頼を最初はあまり受けようとしない。仕事の内容が気に入らないというわけではなく、渡会のおっさんが気に入らないのだ。
おばさん関連で深い溝があるし、そのおばさんはーーもういない。ケンイチとしては会うたびに不愉快な相手であるのは間違いないだろう。
俺もどうにかなるとか楽観的に考えてしまっていたが。
ナイフ持っている相手と対峙すると、やっぱりどんなクソ野郎でも傍にいてほしいとは思ってしまう。主に盾として。
「シッ!」
アホなことを考えていたらナイフが胸に伸びる。ガラスがすべて割れた小さな廃工場の中、やたらとまぶしい月光が刃を一瞬煌めかせた。
斬りつけられる。
弾く。
俺を襲撃してきた人間は驚いた顔を見せたが、別に魔法ではない。防刃ベストをこの熱帯夜に着ていただけだ。それがバレないように羽織りものもしているのでクソ暑い。
俺はメリケンサックルを嵌めた利き手で相手の顎を殴ると、すぐに沈んだ。
ホッとする暇もなく、隙を狙って襲撃してきたやつに肩を斬りつけられる。ベストだから肩までは守ってくれないのが欠点だ。
ただごくごく浅い傷だったらしく、腕は問題なく動く。稼動するかすぐ試したから間違いない。結果が、たったいま鼻の骨を折ってうずくまる男が証明している。
俺は仕事が終わったら電話するようにと渡された電話番号を携帯に打ち込んだ。
電話に出たのは女性で、俺からの番号からだいたい把握していたらしい。場所だけ伝えると、相手は礼を言ってすぐに切った。ちょっとかわいい声だったので残念と言えば残念である。
「しかし、出てくるまでのほうが時間かかったな…」
倒すのに五分もいらなかった。
おびき出すまでに二時間もかかったのに。この熱帯夜に屋外で二時間だぞ。ふざけるんじゃねえ。
「あーあ」
肩から腕と指を経由し血が滴る。コンクリートに落ちると、いまだ熱を持つ地面はわずかに血液を乾かした。
懐中電灯の光を傷周辺にあててみる。遠慮を知らないのか流れ続けている。
ポケットティッシュか何かあったかな。
「ケ、ケンジさ…」
声をかけられて振り向く。
隅で呆然とした様子で地べたに座っていたのは椎名だ。
いつもきれいに整えている髪は乱れていて、服は汚れ、襟もとが無理やり開かされたようにしわが寄っている。なんとなくそれが気に入らず、足元で伸びている男を蹴り飛ばしながら椎名のそばに寄った。
「…なんかされかけたか」
椎名は無言で首を振る。
ほんの少し前、バカ息子どもが完全に油断しきったところに俺が襲撃を仕掛けたので具体的にそれまで椎名が何をされそうになったかは俺にはわからない。
それでも、愉快なことではないだろう。
「…囮を、あんたの頼むのはやめたほうがよかったな」
「どうして?」
「気分の悪い思いをさせちまった。俺はこれがいいと思ったけど、あんたのことは考えていなかった」
暴力に。暴走に。非常識に。非合理に。
俺は、慣れてしまったのだ。
対して椎名はどうか。
彼がこの事務所に努めて半年たつとはいえ、現場に出たのは片手に数えるほどしかない。
それに山奥である意味下界の浅ましい事もろもろから守られてきた「お嬢様」がこんなこと慣れているわけなかった。
女が狙われているなら女に近しい外見をした椎名を囮に奴らをおびき出せばいいと言い出したのはクソ上司だった。
それに同意したのは、俺だった。
今思い出せば椎名は困ったような顔をして小さく頷いていた――。
かといって俺が囮になった場合、誰が引っかかるんだ。
「怖かったなら嫌っていえばいいのに…言わなきゃわかんねえだろうが」
「君にだけは言われたくないよ…。肝心なところで大事なこと言わないじゃない…」
「うっ」
痛いところを突かれた。思わず明後日の方向に視線をさ迷わせる。
いやなんかタイミング伺っている間にどんどん話が流れて結局切り出せないだけであり、別に話したくないわけではないんだよ。
どう煙に巻こうか考えていると、椎名が少し怪訝な顔で俺の腕をじっと観察した。
「…血? 君…ケガしてる?」
椎名が青ざめるのはいつものことだ。
こいつは血とか痣にあまり耐性がない。
殴り合いのけんかなんか普通の学校ならいざ知らず、女学院では絶対にしなかっただろうしな。
「ああ、たいしたことねえよ。だいぶ血も止まってきたし」
傷口に目をやり、椎名に再び視線を戻してぎょっとした。
涙がぽろぽろあふれ出している。
「おまっ、嘘だろ、泣くなって」
「ううー…」
「こ、ここで泣くなよ。なんで泣いてるんだ、ちょっと、泣きやめって」
「ケンジさんが死んじゃうぅー…」
「こんなケガで死なねえから! いつも依頼のたびにケガしてるだろ俺!」
「今日は死んじゃうかもしれないじゃないぃ」
「勝手に殺すなよ! さてはかなり動揺してるな椎名!?」
後処理にきた人間が来るまで椎名はずっと泣いていた。
今度から椎名をこういうことに使うのはやめようと思った。