九話『討ち入り(後)』
ケンイチは不用意にも部屋の中心、まだ理性はあるらしい若い男のもとへずかずかと近寄った。
俺も一瞬ためらいはしたが、さすがに離れるなんて怖くてできないので慌てて後を追う。
「誰だ?」
ろれつの回っていない口調でいかつい兄ちゃんが言う。足元には注射器が転がっている。
相手も俺たちのことをいかついと思っているんだろうな。
「だーれだ。当たったらグアム旅行連れて行ってやるよ」
「挑発するのやめろっておい…」
ケンイチの肩を掴んだものの、はたかれた。ほんと許さねえからな。
「警察か?」
「さぁて」
早くもいかつい兄ちゃんはいらだったようだ。
気持ちはよく分かるけれど、それではそいつの思うつぼだぞ兄ちゃん。
「どっちにしろ仲間じゃねえんだろ。殺そうぜ」
「埋めればばれやしねえよ」
「バラバラにしてトイレに流したほうが簡単だって」
物騒なことを言いながら男たちが集まってきた。その数、十五人。あとは床に転がったり座り込んでいるので、全員を相手するわけではないにしても…これは、大丈夫なのか。
ぴりぴりとした嫌な空気が肌を滑る
緊張や、そういうものとは違う――これは、殺意?
目の端に何か煌めくものが見えた。
俺が反応するより早く、ケンイチの腕が視界にかぶさる。湿った音。
「いって」
呟いてケンイチは腕に刺さった七徳のナイフを抜き取った。
ぼたたっと血が床に落ちる。それを見て引くやつが何人か。
俺は息の吸い方も忘れるぐらいに慌てる。
「おい…ッ!?」
「こんぐらいなんでもねーよ。お前になんかあると万里江さんがうるさいんだ」
小さな声でケンイチは言った。
それでも。こんなの。意味のない言葉が俺の口から漏れ出る。
クククとケンイチは面白そうに喉で笑った。
「おら、生きてりゃいくらでも謝らせてやるから生きて出ようや」
確かにそうだ。とりあえずここに居る奴らをボコって――生きて帰りたい。
どうにか隙を、隙を作って、抜け出さないと。
でもこんなヤク中たちをゆすれる言葉なんてあるのか?
麻薬バイヤーではないということは分かっているだろう。…それを、騙すか? 今から?
震える手を握り締める。
今しかない。ためらっている時間はどこにもないのだ。
「残念だ。こんなに歓待を受けたから俺を誰だか分かっているのかと思ったんだけどな」
苦し紛れのハッタリだ。声だって少し震えて、ちゃんと発音もできたかどうか。
それでも目を丸くして見ている人間が何人かいるので手ごたえは感じた。虚勢を張って笑みを顔に張り付ける。そこにいる俺の挙動を見守っているケンイチみたいに、ニヤニヤと、不敵に。
「俺に見覚えはないかよ? なぁ?」
「お、お前まさか…!」
「そのまさかだよ。こんなことして、」息を吸う。「どうなるか分かってんのかァ!?」
思ったよりも声が出ておそらくこの場の誰よりも驚いている。俺が。
というか俺は誰に見えているんだ。
「どう落とし前つけてもらおうか!? ああ!?」
ちょっと気持ちよくなって言い過ぎたけど、下手をすれば落とし前を付けさせられるのは俺たちなんだよなぁ。
ここからどうしようとケンイチに目配せして気が付いた。
完全に周りがケンイチから意識が逸れている。今ここは俺のオンリーステージだった。
そのことに今ヤツも気づいたらしい。俺を見てにやりと笑う。嫌な予感しかしない。
「おらぁ!!」
とりあえず手近な奴を殴りだした。薬のせいか瞬時に抵抗ができないらしい。
ボーナスステージだと言わんばかりにさくさくと屠っていく姿は、俺にどうしてこいつに養子縁組の許可が出たんだろうと考えさせられるものだった。
「全員気絶させろ!」
「んな無茶な!?」
ああ、でもやるしかないんだろ!
本当に人使いが荒いクソ野郎だなこいつ!
アホみたいに殴って殴られてもみくちゃになって蹴り飛ばして頭突きして。
どうにかよろよろとレストラン跡を出た時には夜はすっかり深くなっていた。
薬をつかっていると痛みとか恐怖が鈍くなるらしく、そうとう力を入れなくてはいけなかったので非常に疲れた。
「依頼人に代わりに警察に通報してもらった。ずらかるぞ」
「それまあいいんだけどさ…あんた、傷は…」
「知り合いの整形外科がいるからそこにいく」
「こんな夜に!?」
「えー、大丈夫だろたぶん。寝ていたら叩きおこせばいいし」
「あんたの知り合いはなんか、クズかかわいそうかの二択だな…」
殴られた。このぐらい元気あるなら大丈夫か…。
そういえばと、ふと思ったことを口に出す。
「これ俺が居なかったら一人で行っていたのか?」
「いーや。まさか? 別の奴誘っていた」
「はぁ!? じゃ、じゃあなんで俺を連れて行ったんだよ!?」
「人件費が安いから~。ほーらサイレン近づいてきたぞ急げ~」
「こ、このクズ~」
「万里江さんには秘密だからな~」
それは確実に守ろう。
今日のことはおばさんには口が裂けても言えない。
〇
翌日。
やはり傷もあって昨夜の狂乱はごまかしきれず、帰ってきたおばさんは俺たちを正座させて一言呟いた。
「……遺憾の意です」
意味は分からなかったけど、めっちゃ怒っているのだけは理解した。