六話『髪のはなし』
家に帰るとおばさんが驚愕の顔で出迎えた。
手に持っていたタッパーが落ちる。
予想通りではあったが、いささかオーバーリアクションではないだろうか。
「え!? …え!?」
ご丁寧に二度見までしてくれている。
騒ぎに気付いて覗きにきたケンイチは、俺を見るなりその場に崩れ落ちた。ショックではなく、突然の笑いに耐え切れなかったのだろう。そのままひざを骨折してほしい。
「ケ、ケンジ、おまえ!」
笑いすぎて酸欠になりながらケンイチが俺を指さす。その指を折ってやろうか。
まだ実の両親を見てから続いている不機嫌さが直っていないのでなにかと過激に考えすぎであると自分でも思っている。
だが、体のどっかをこいつには折ってほしいとは常々感じているのでいつも通りと言えばいつも通りだな。
「髪はどうしたんだよ!」
「切った」
「剃ったっていうんだよそれは! まって腸捻転起こしそう」
勝手に起こしてくれ。
俺はずいぶんと寒くなった自分の頭を触った。ちりちりと頭にわずかに残った髪が存在を主張している。そんなに似合わないか。
「野球部にでも入るの…?」
「もう高校一年生の冬だし、それは難しいんじゃないかな…」
どこかズレたことを言いだすおばさん。
いまさら帰宅部があんな夏も毎日部活をしているようなところについていけるわけがない。
たしかにこの頭じゃ野球部みたいだな。学校でそのようなこと何度も聞かれるのかもしれないと思うと、今から少しうんざりしてくる。自分の判断なので文句は言えないが。
あのあと、目についた理容室に入って「三ミリで」とお願いした。
シャンプーすれば泡立つぐらいには俺も髪を伸ばしていたが、いまはシャンプーもいらない気がする。
店主は俺の表情から何かを悟ったのか、何度も覚悟は聞いてきたが理由は聞かなかった。そのほうがありがたい。もしかしたら失恋に思われていたかもしれない。
まあ…実質、失恋みたいなものだよな。
勝手に期待して勝手に裏切られているのだから。
「昨日のことが原因?」
おばさんはかわいそうなぐらいに狼狽えている。
確かにあの男子学生の母親にこの姿を見せたらどんな反応をするのか気になる。
「いや、イメチェン。真面目になったアピールをしていこうと思って」
「そうなの? でもますます近寄りがたい雰囲気になっているけど、大丈夫?」
「もしかしたら大丈夫ではないといいたいんですかおばさん」
そんなに怖い顔しているとは思わないんだけどな、俺。
たしかに夜にコンビニまでお使いしていると警察につかまって所持品改めされることはあるけど。いったい何が出てくると思っていたのだろう。
「似合ってるよ。似合ってるけど…」
彼女は頬に手を当てて、困ったように微笑んだ。
「ケンジくんの髪色、好きだったから」
俺は口元だけで笑った。
綺麗な黒髪を持つおばさんと同じく黒髪のケンイチの中ではよく目立つ髪色じゃないか、あれは。
血のつながりがないとすぐに分かってしまうぐらいには。
「おい」
「なんだよ」
風呂に入り、洗いも乾燥も非常に楽になってちょっと嬉しくなりながら出てきた俺をケンイチが呼び止めた。
「両親、見てきたんだろ」
察していたのだろう。当たって当然のような顔をして聞いてきた。
俺は黙って頷く。
「どうだった」
「どうだったって?」
「幸せそうだったか」
俺は、どんな顔をしているのか自分でも分からなかった。
怒っているのか、泣きたいのか、笑い飛ばしたいのか、いろんな感情がごちゃまぜになって、結局は無表情で頷いた。
「壊せるぞ。どうする」
「馬鹿言え。そんなことしても何も変わんないし、俺も子供じゃない」
そうか。奴はそれだけ言って、以後そのようなことを言ってくることはなかった。
あいつはあいつなりの方法で俺を慰めようとしていたのかもしれないと考えるようになったのは、ずっと後のことだ。それでもその方法はどうかと思う。