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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
間章 グランギニョル
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五話『家なき子』

 俺はケンイチから勉強を教わったことはない。

 代わりに、喧嘩の仕方だとか、人の簡単な心理の読み方とか、悪いお仕事をしている人と顔を合わせるとか、そういう教育には悪いことは教えられた。

 何の役に立つんだと常々思っていたが。

 まさか、こういう私情のために使う日が来るとは思わなかった。

 俺の手元にはプリントされた紙。今日使う路線と、実の両親が住んでいる家への地図が印刷されている。

 こんなことができる技術さえなければ、もしかしたらそれなりにモヤモヤを残しつつも平穏に暮らせたとは思うのだが。技術を持ってしまったからにはやるしかない。動けるのなら動いてしまうのが俺だ。


 JRの下り線に乗って数十分、そこから乗り換えてさらに数十分。

 俺の住んでいる場所からここまで計二時間の旅路だった。


 まったく知らない街に降り立つ。

 …もしかしたらここに住んでいたのかもしれないなど考えながら地図の通りに歩いていく。

 見つけた。地図では分からなかったが、小さなアパートだ。

 アパートの一階に住んでいるとのことなので敷地内には入らず、外壁から目を凝らしながらドアの表札をひとつひとつ確認していく。


「…あ」


 あった。

 前田というのが、俺の実の両親の名字だ。


 そしてここで困ってしまったわけで。家を見つけたところでどうするんだ。

 確かに両親の様子を見たいと思ったが話したいまではいかない。今まで一切あちらからコンタクトを取りにきたこともないので、俺に対する愛情はないんだなと予想はしている。

 そこまで元々するつもりはなかった。


 実の母親は俺を学生のころに出産して、しばらくはおそらく見栄を張るため乳を与えていたが、数週間経って育てきれないからと交番の前に置き去りにしたのだ。

 そうしてまわりまわって遠縁の城野家に引き取られることになった。実の母親とおばさんは遠い血縁関係にあたるのでまったくの他人というわけではないが…他人だろうな。ケンイチからすれば全くの赤の他人だ。

 この話を小学生のころ、おばさんの親戚に酒の席で余さず聞かされたのも嫌な思い出である。


 苦いものを口の中で感じながら、それでも、せめて顔だけでも見たいと思う。

 そわそわとした気持ちを持て余しながら待つこと、三十分。前田家のドアが開いた。


 ててて、と出てきたのは小学校低学年ほどの少年だった。


「ほら、シュウト! 早く出かける用意して! シュンスケはそこで待ってて!」


 日の光をあびると茶色に見える髪。

 鼓動が早くなる。


「つかまえたっ。ほらシュンスケ、お兄ちゃんとママが来るまで待ってような」


 目つきが少し険しい男が少年を抱え上げ抱っこをする。

 遅れて出てきたのは、女と少年よりもう少し大きい少年。兄だろう。


 女の髪はやはり幼い兄弟と同じく、光によって茶色に見える髪色だった。

 俺と同じ、髪だった。

 シュウトという少年と男の目つきは似ている。

 それもまた、俺と同じものだった。


 つまり?

 あの一家は――そう、一家だ。ひとつの家族。そして俺と同じ血が流れている子供がいる。

 俺を捨てて、年月が経って、子供をまた生んで育てている。

 あの幼い兄弟は俺のものとはかすらない、違う名前をつけられていた。別に普通の家が同じような名前を兄弟に付けるとは限らないけれど。

 ――もう、俺はあそこにいないのだ。いやそもそもいなかった。


 あの家では、俺という存在はいないものとして完結していたのだ。


 アパートの敷地から出てきた一家は俺の横を通り過ぎていく。

 何も気づいていない。

 まさか、馬鹿みたいに突っ立っている若い男が実の息子だなんて思いもせずに。

 楽しげな声が遠ざかっていく。


「ばっかみてぇ」


 呟いて、駅へとふらふら歩いていく。

 こうなるって予想していてもよかった。

 でも、本来いるべき場所に俺の席が一切用意されていないなんて――考えたくもない。


「ばっかみてぇ、ほんと」


 それしか、言えなかった。



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