十六話『対峙』
「こ、こちらです」
案内人がガタガタ震えながら手近なドアを指さした。
所長がそこを懐中電灯で照らしだす。うわ、錆びだらけだ。
廃墟で手入れもされていないとなれば仕方のない話である。
さて、馬鹿正直に開けるべきかどうか。
罠が仕掛けられていないとも限らないのだ。ここはすでに敵の本拠地、油断はできない。
あとこういうドアにはタライとかのトラップが設置されている。僕は詳しいんだ。何を隠そう数か月前に所長にそれをやられた。プロレス技をかけたのは言うまでもない。
そういう話はどうでもいいとして。
全員で疑わしげに眺めていることを感じ取ったのか、案内人は顔を青ざめていく。
…これはなにかあるな。
「私いきます」
咲夜さんが口を開いた。
「いーや、ここは俺が」
所長が同調する。姫香さんは小さく手を上げる。
「何言ってんですか、ここは僕にまかせてください」
僕も続いて、それから案内人に視線を移す。
日本人特有の『お前もやるよな?』という空気が流れた。
それに耐えきれなくなったのか、
「じ、じゃあ自分も!」
案内人が引きつった叫びをあげたので一番近くにいた僕が「どうぞどうぞ」とドアを開けて押し込んだ。
ドア入ってすぐ、こちらから死角になるところから鉄パイプが振り下ろされて案内人の頭にクリーンヒットする。そしてその場に倒れこんだ。
うわあ、痛そう。
…ま、自分から行くって言ったから仕方がないね。
「あ?」
殴った人のマヌケな声がした。
「こっちこっち」
呼ぶと、不遇な案内人から目を離したその人は僕を見た。
すぐに間違いに気がついたのだろう。殴り倒した人間には目もくれず、そのまま僕の元へと突進してきた。
パワータイプなんだろうけど、いかんせん遅い。
その場でパイプを振り回していたほうがまだ厄介だったかもしれない。
屈むようにしてするりと脇を抜ける。そこから片足を振り上げてお留守だったわき腹につま先を叩きこむ。
ふうん。脂肪だらけかと思ったら筋肉もそこそこあるみたいだな。どうでもいいか。
うめき声を聞きながら太い腕をつかまえて、自分の身体を回転させながら捻りあげる。
ボキンと相手の骨が折れる感触。
そのまま地面に叩きつけた。これでしばらくは動けまい。動けても逆の腕か、足を折るだけだ。
「手加減してやれよ」
一仕事終えた僕の横に立ち所長がつぶやいた。
「したつもりですが」
殺すつもりではなかったのでこの程度で済ませた。
何も考えなくても身体が勝手に動いてくれるから楽だ。それに、いざ危ない時でも自分の思ったように身体が動いてくれるのはありがたい。
所長が先を歩いていく。彼からボソボソと音がするのは無線機越しの百子さんの声だろうか。
どんな内容か気になったけどこんな時に呑気に聞いている暇はない。
◯
ドアを潜ると、ただっぴろい空間が広がっていた。
ぽつぽつと灯があるのは置くタイプのライトだろうか。
薄暗い中に見えた影はざっと五、六人。顔は良く見えない。
「来たぜ。手荒すぎるだろうがよ、歓迎が」
所長も応対が手荒かったけどな。僕もか。
「お前らのせいで…」
憎々しげに吐き捨てられた言葉は、ボイスチェンジャーではない生の声だった。電話の主と同じ人かは分かんないけど。
あと昼間に訪ねて来た二人組とも声が違う。片方は今後ろの方で伸びている。
ボイスチェンジャーまでする凝りっぷりだったのにいきなり手を抜いたな。もうここまで来て吹っ切れたのかもしれない。
よくよく目を凝らしてみると、お面や被り物と言ったものは誰もしていないように見えた。
フェイスペイントの可能性もあるけど、そんな手間のかかることしているんだったらスーパーの袋に穴空けて被ったほうがよほど簡易かつ経済的だと思う。
「顔を出しているってことは、そういうことですかね」
咲夜さんが小声でつぶやいた。
そういうことだろう。
"死人に口なし"って言うもんな。
「あの女性は…添田の伴侶はあんたが殺したのか?」
「違う」
誰のことを指してるかは向こうも分かったみたいだ。
相手の男性は噛みつくように反論する。
「勝手に死んだ。あいつが自分で橋から落ちたせいで、こっちが余計な手間を食らった」
ここまで来て殺したことを隠すとは思えないから本当のことだと受け取っておこう。
…死んだのはあの人だったんだな、結局。
追い詰められて死んだというよりも、最初から死ぬつもりだったのかね。捕まって情報を吐かされる前にって。
それはもう誰にもわからないけど。
まわりまわって結果的にこうやって探偵が息子救出のために殴り込みに来たのだから、無駄な死ではなかったと信じたい。
「よくうちの事務所に見当をつけたな。どっからか見ていたのか」
「どうせ誰かに頼ったんだろうと周辺を調べたら、昔にバカな弟をとっ捕まえた探偵の事務所があるじゃないか。どうせそこだろうと思ったらあたりだ」
「ほほう」
これもしかして添田一郎の依頼のことか。
「駅のロッカーからブツを持って逃げた女と同じバイクもあった。不用心だったな」
ナンバープレートはなかったけどね。
バイクにカバーかけとけばよかったけど後の祭りだ。
一つきっかけさえ見つけてしまえばあとは芋づる式だし、探偵事務所の存在を知られた時点で咲夜さんがカーチェイスしたこととか机の下に隠れたこととか意味をなさなかったってことになるな。報われねえ…。
馬鹿にしたような物言いを所長は一切無視した。
「ま、お話はこんぐらいにしといて甥っ子を渡してもらいましょうかね。叔父さん」
「…知ったような口を…」
あ、叔父さんだったんだ。この人。
また所長のハッタリだろうけど否定しないところを見るとそうらしい。偽っている線もあるが顔と声を晒しといて身分を隠す必要もなかろう。
というか添田一郎の兄弟どんだけだよ。敵ばっかだ。
などと思っているとさっと『叔父さん』は手を背中に回し、次の瞬間には拳銃を握っていた。
こちらも装弾されているかどうか。暗すぎてセーフティが見えないな。
所長は変わらず、むしろ面白そうににやにやと笑う。大丈夫かこの人。
「まずは本物のペンダントを寄越せ。話はそれからだ」
有利に立てたと思ったのか、『叔父さん』の声に若干の余裕が混じる。
余裕なのはいいけど、銃取り出したところで特に悲鳴を上げない一同をおかしいと思わないんだろうか。
いやおかしいだろ。なんでこんなに動揺もなく静まり返ってるんだろう僕たち。
拳銃を僕らには向けず、『叔父さん』は代わりに足元に向けた。
変に大きい塊はあるなと思ってはいたが。
目が慣れてきたのもあって、それの輪郭が見えて来た。
口を縛られた大きなズタ袋が、芋虫のごとくうごめいていた。