二十六話『お手を拝借』
疲労のこもった息を吐くのと、最後まで立っていた人間が倒れたのは同時だった。
ひいふうと数を数えてみると一人足りない。逃げたかな。まだそのあたりにいるだろうか。相手にするのも面倒だし、僕もさっさと逃げてしまおう。
足元の死体を蹴り飛ばして姫香さんのもとへ向かう。
思ったよりも大きな祭壇だ。それこそ、小柄な女の子二人が並んで眠れるぐらいには。
そっと血に濡れた白い少女を抱き上げて姫香さんの横に寝かせる。もう力は抜けてずしりと重たい。
――死体の重みだ。
「…姫香さん」
彼女の胸のあたりが赤く染まっている。
そっと手を触れるとぬくもりのある液体に混じり布の裂けている感触が指先に伝わる。予想していたとはいえ、姫香さんにも刺さっていたのかもしれない。
生唾を飲み込みそこに人差し指を差し込む。
傷口に、触れた。めまいがした。この先に心臓がある。指を潜り込ませて、骨を潜り抜けて、掴める距離に。
こ ko に お ni ga い る 。
殺 su の に
今が も っ to も 良い タイミnぐ だ。
「…ん、」
姫香さんが何かをこらえるように息を吐いた。
いけない、痛かったか。
僕は慌てて指を離す。てらてらとした赤い液体が僕の体温によって乾いていく。
今のは何だったんだ。突如広がった頭のノイズを振り払うように首を振る。
「姫香さん?」
声をかけると、瞼が何度か動いた後にゆっくりと開く。
黒い瞳がのぞいた。
「…よづる…?」
「僕です、姫香さん。災難でしたね、帰りましょう」
「帰る…」
そこではっとしたようだった。
意識が急に覚醒したのか、僕の腕を掴む。
「鏡花は!?」
「鏡花?」
「『かみさま』だ! いっしょに、いっしょ…」
失敗した。
白い少女の身体をどこかに隠しておけばよかった。まさかこんなに必死に探すなんて。悪いことをした。
自分の隣で横たわる少女を見つけ、姫香さんは言葉を失ったようだった。
「…え?」
「…その――信者によって『かみさま』が殺されて」
「なんで…?」
言えるわけがなかった。
まさか姫香さんをかばって死んだなんて、そんなこと言えるわけない。
「あなたのせいですよ、『×姫』」
震える声が部屋に響き渡る。
同時に激しい頭痛が僕に襲い掛かる。なんだ? いま、なんて言っていた?
聞いてはいけないことを聞いてしまったような。
それを知ってしまったら何かが崩れてしまいそうな、そんな恐怖が僕の身を一瞬通り過ぎる。
頭を押さえつつ声のあったほうを見ると、『選ばれし使え人』たる男が立っていた。
片手には拳銃を携えて。
さっき一人足りないと思っていたが、まさかのあの人か。しかもご丁寧に武器を取りに行っていたとうだ。
「あなたを庇って『かみさま』は死んだんだ!」
それに加えて余計なことまでいいやがって。真っ先に殺しておくべきだった。
唯一仮面を被っていなかった彼の眼はまっすぐに姫香さんを見ていた。
「どういう、ことだ…夜弦」
すがるような目で姫香さんは僕を見上げたが、僕は何も言うことができずにただ彼女を見返すしかできない。
彼女が愚鈍であったならよかったのに。だが、残酷なことに姫香さんは聡かった。
「うそだ…」
うわごとのように呟き、白い少女の頬を撫でる。
もう少し時間がたてばすぐに分かるぐらいに皮膚が乾燥していくだろう。硬直も始まり、触った個所はへこんだまま戻らなくなる。逃れられない、死の証が直に出てくる。
そうなる前に姫香さんとこの場から去りたかったけれど、あの男はそうさせてくれないようだ。
「うそだ。だって鏡花、いっしょに、外、行くって――」
「嘘ではない! あなたの母だって、父だって、あなたが死ねば死ななかった! 次はだれを殺すつもりですか!?」
「――黙れ!」
頤を跳ね上げ姫香さんが叫んだ。
湿り気を帯びた、口げんかに負けそうな子供のようだった。
「私、誰も殺していない! みんな、みんな、殺していない!」
「いいや、殺した! あなたの母が死んだ理由を長谷から聞きましたよ! あなたをかばって死んだと!」
「それがなんだ! 私は、ママを、殺してなんかいない!」
「嘘をつくな、殺したんだ! 卑しい娼婦の娘が! 周りの命を吸って生きながらえる、――」
次に男が発したのは悲鳴だった。
僕がかたわらの死体からお手を拝借して投げつけたのだ。