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アンティーク姫のいる探偵事務所  作者: 赤柴紫織子
六章 スケープゴート
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第二十三話『間に合わない』

 白い通路を抜ける。音を立てないように気を使いながら戸を薄く開けた。

 誰もいないことを確認して、小部屋に足を踏み入れた。先ほどの部屋とは違う、まったく物の置いていない空間だった。二人用のソファがあるぐらい。

 部屋の狭さも相まってどこか息苦しい。

 特にここには用はない。さっさと通り抜けて、次のところに繋がっているのであろう扉を慎重に開けた。


 丸い部屋だ。どこにも角はない。

 天井の形はさながらプラネタリウムのように丸みを帯びている。少し前、百子さんと姫香さんで近くの博物館に見に行ったことがあったことを思い出させた。

 薄暗くて見えにくいが、中央をぐるりと囲むように何人かが――ざっと二十人ほどが長椅子に座っていた。


 その中央には長方形の白い台座がおかれ、そこだけ強めの光を当てられている。

 台座を挟んで対面するように小刀を持った人間と、白い少女に唯一仮面を被っていない男が立っていた。

 台座には黒髪の少女が目を閉じて静かに横たわっている。


 服装こそ変わっていたが、見間違えるはずもない――姫香さんだ。


 くらりとめまいがする。デジャヴを感じた。

 横たわった姫香さん。

 彼女に降りかかる運命は死だ。

 あの時は長谷だった。長谷が、姫香さんの耳たぶを食いちぎって、さらには首に歯を立てていた。


 今はそれの比ではない。

 小刀を持つ人間は両手で柄を持ち、ぴたりと姫香さんの心臓を狙っている。

 人間の急所。生物が生きる上で必要な臓器。失えば死んでしまう。


 僕は走り出す。

 クソ、銃でもなんでも持っていればよかった! 僕の射撃の腕はお世辞にもいいとは言えないが、少なくとも何かを変えることは出来ただろう。


 長椅子に飛び乗る。近くにいた誰かの頭を、肩を、踏んづけながら姫香さんのもとへ行こうとする。

 僕の存在に周りが気付くよりも早く、刃の切っ先が揺れた。光によって目の奥で小刀が鈍くきらめいた。


 間に合わない、と理性が悲鳴を上げる。


 嘘だろ。

 こんなに近くにいるのに。

 あの時とは違って強くなったのに。

 足を止めるな。間に合え。間に合え!


 絶望と焦燥に追い立てられながら足を動かす。

 最前列にいた人間の肩から飛び降りる。台座はすぐそこだ。

 もう少し、もう少しで――


 突然。

 白く、長い髪が視界の中で動いた。いや、それまでも見えていたのだが全く意識していなかった。

ふわりとワンピースの裾が踊る。

 すべてがゆっくりと動いているようだ。


 台座のすぐ横に立っていた白い少女が、前置きもなく姫香さんに覆いかぶさる。

 迷いを感じさせない動きだった。


「あ――」


 誰の声だったのだろう。

 もしかしたら僕の声かもしれないし、他の人間の声かもしれない。

 ただ、この一瞬、全員の言葉はそれ以外になかったはずだ。


 勢いは、刃は、止まらない。

 肉を穿ち、切り裂く音。

 湿った音とともにスローモーションの世界が解かれる。


 白い少女の心臓には刺さっていないだろう。だが確実に肺を刺した。

 それと、あの刃渡りでは少なからず姫香さんにも刺さったのではないか――と、妙に冷静に僕は考えていた。


 小刀を持っていた人間は、状況を飲み込めないように静止した後、ようやく自分が何をしたのかに気づいたらしい。

 柄を握る手が震えだす。面白いほどに全身から血の気が無くなっていった。


「う、う、うわぁ―――!」


 悲鳴を上げ、小刀を持っていた人間は目の前の事実を払うように腕を振った。

 だが指は柄から剝がれないままで、結果的に小刀が白い少女の身体から抜ける。

止める暇もなかった。直後に起こることを僕は知っている。大出血だ。刃が栓の代わりをしていたのに、それを抜かれたから。


 サァ、と白い少女の背中から血が噴き出した。

 勢いのあるそれは、僕に羽を連想させた。


 生暖かい雨は周りを赤く染めていく。付近の白を塗りつぶしていく。僕の靴にもまだらの赤がぽつぽつと出来る。

 白と赤のコントラストはひどく美しかった。


「ぜぇ、げほ、ぜ、ぜぇ」


 白い少女が苦し気に息を繰り返す。せき込むたびに血が口から洩れていく。

 彼女は震える手を伸ばし、意識のない姫香さんの頬に触れる。頬に短く唇を寄せた。


 それから首を回して、まるで最初から知っていたかのように僕を真っすぐに見つめた。

 僕は何も言えず、真っ赤な目を見返した。


「おにいさん」


 声はなく、唇だけの動き。

 だが確かに聞こえた。


「このこ、ころしてあげてね」


 僕は頷く。

 赤い眼が、嬉しそうに細められる。


 人の眼ではないと思った。

 何も知らなくて、何でも知っているような、そんな矛盾を孕んだ眼。

 彼女はそういう存在なのだとどうしてかストンと納得した。


 依然として目を閉じたままの姫香さんになにかをぼそりと言って――口の形はそのまま止まった。

 手から力が無くなりだらりと滑り落ちる。

 あれほどまでに輝いていた目の光が消えた。血はまだ流れたままで、しかし勢いは収まっていた。


 耳が痛いほどの静寂が、訪れた。

 誰もがこの現状についてじわじわと理解しているのだ。







 『かみさま』は、死んだ。








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