七.五話『さいかい』
あらかた掃除も終わり、掃除用具をしまうと姫香はぼんやりと店内から外の景色を眺めた。
このまま事務所に戻っても良かったが、依頼人がいる間は行動がかなり制限されてつまらない。ならば帰るまでここで好きに過ごしていた方がいい。
そのようなことを思いつつ椅子を引き、骨董屋のひんやりと静かな空気の中に身を置く。
足をぶらぶらさせながらずっと売れないままの壺の輪郭をなぞって遊んでいると、視界の端に白が映った。
反射的に立ち上がる。
疲れた様子で上下白の服を着た女が骨董屋の前を歩いていく。スマホで「見つからない」と焦燥しきった声で誰かに報告していた。
姫香は少し考えた後で『営業中』の看板を『御用のある方は二階まで』となるようひっくり返し、城野から渡されていたネックストラップのついた携帯を首にかけて外に飛び出した。
探されているのは昨日のあの少女に違いない。
ただの家出なら姫香も放置していたが、あの少女からは異様ななにかを感じ取っていた。
まず立ち寄った空き家と空き家の間には誰もいない。
つぎに薄暗い裏路地、小さな塗装会社の倉庫横、猫のたまり場。
人が隠れられそうなところを…時に寄り道しながら一通り探した後に、藪の生い茂る公園の前で足を止めた。事務所からは少し離れたところにある。
このあたりは無駄にいくつも公園があるのだが、ここはマンションの公開空地で管理があまり行き届いていない。おかげで外から中の様子が見れず危険だという意見があがっている。
それでも公園だ。隠れるにしてもこんなところには――と思いながらも姫香は足を踏み入れた。
居た。
昨日見た白い少女は、誰かが置き忘れたプラスチックの原色鮮やかなスコップを使い砂場で穴を掘っていた。その浅さからそんなに長い時間は遊んでいないらしい。
自分の手や足が汚れることを厭わないようだ。
「…ねえ」
姫香は少女の背中にためらいなく声を掛けた。
少女は振り返る。
眩しそうに細められた目は色素の薄い赤茶色で、肌も病的に白い。
――アルビノという言葉を姫香は知らない。だがその色が天然のものというのは分かった。
「あ、さっきの黒い子だ」
さっきというより昨日のことだが。
白い少女に近寄って目線が同じになるように屈むと、黒い少女はまじまじと相手の目を見る。
濁りのない、透明な、きれいな瞳が不思議そうに姫香を見返していた。少し疲れている。
「おまえは、誰?」
「わたし?」
いともすんなり彼女は言った。
「わたしは、かみさまよ?」
「……」
狂っているのか。自分のことを棚に上げ姫香は思う。
「かみさま、どうして、ここに?」
「お外のとびらが開いていたから、出てきちゃった!」
無邪気に白い少女は笑う。
無表情に姫香は質問を重ねる。
「お外」
「うん、かみさまは外にでちゃいけないんだけどね、開いていたから、出たの」
なにもかも理解できない。
だが、姫香はあくまで冷静に携帯を操作し義兄の電話番号を呼び出した。
見つけようとして結果的に見つけてしまったからには仕方がない。気になってしまったのも運のつきだ。
ここ二年でふたりも人間を拾っている城野ならなんとかしてくれるかもしれない。
どうにも放っては置けなかった。それは、多分――
『もしもし、どうした?』
四コール目で城野は出た。
特に慌ただしい様子もない。依頼人は帰ったのだろう。
「かみさま、拾った」
ありのままに簡潔に姫香は言う。
当然のことながら電話口の城野は困惑した。
『……は? 悪い、ヒメ。もう一度頼む』
「かみさま、拾った」
『それはどういう……』
いいかけて、城野はやめた。姫香は説明能力がけっこう低い。
なのでここで無駄に時間を潰すよりさっさと行動させようという英断だった。
『今どこだ。事務所まで来れるか』
行く。そう答えようとしたときに「見つけた!」と鋭い声が姫香の鼓膜を叩く。
そちらを見れば白い上下の服を着た男たちがいる。姫香と同じように一応公園内も見ようとしたのだろう。
「…っ」
『おい、ヒメ! 今のは!?』
応える暇もない。とっさに姫香は少女の手を取って走り出した。
事務所まで行けばこちらの勝ちだ。銃器を持った人間でさえ難なく屠ってしまう夜弦や咲夜がいるのだから。
…事務所にたどり着けることが出来ればの話だが。
後ろから迫ってくる足音。
必死で足を動かす。
裸足の少女には酷だろうが、今はそれを慮るほどの余裕はない。
しかし次第にふたりの足取りが重くなっていくのを姫香は諦めに近い形で感じていた。
そもそもアクティブに動けるほど運動神経がいい方でもない。
切れる息を自覚しながら曲り道にさしかかる。
もう少しで事務所だ――。
だが、その期待は意図もあっさりと裏切られてしまった。
角からやはり上下白の服を着た男が現れたのだ。
止まるわけにはいかない。多少無理な動きをしてでも避けなければ。
「捕まえろ!」
後ろから指示が飛ぶ。
姫香たちにとっては不幸なことに、立ちふさがった男の頭は回転が良かったらしい。
そうして、人を傷つけることにも慣れているようだった。
黒い少女を見下ろす目は、まるで潰れた虫けらを見るようで。
「汚らわしい手で神に触れるな」
自分に向けて拳が振り上げられるのを姫香は無感情に見上げる。
ほんの一瞬、幼き日に父に殴られた光景が蘇った。
鈍い痛みが頭を打ち、身体がよろめき地面がぐんと目の前に近づいて、そこで姫香の意識は落ちた。