十三.五話『いまわし電話』
少しばかり時は遡る。
夜の十時前。自宅で夕飯を済ませた後、再び城野と姫香は探偵事務所に戻っていた。
城野は昼間と服装はたいして変わっていないが、姫香の方はドレスのようなゴスロリ服ではなくズボンを履いた動きやすさを重点にした格好だった。
鍵を開けて入る前に周りを見回したが、今のところ不審な影は無い。巧妙に隠れているならどうしようもないが、そうだとするとわざわざ一般人二人にずいぶん手間をかけるものだ。
姫香が無言で城野の服を引っ張る。
「あん?」
「私、なぜ、信じたの」
姫香が独り言のように呟く。
――『やつら、探し、来る。今夜にでも』。
昼間の、姫香の言葉だ。
それをそっくり信じて彼が事務所に来たというのは、聞かないまでも分かることだった。
「ああ。あんたの勘は良く当たる」
「……」
「それだけじゃダメか? 一年半の付き合いだが、意味もない嘘をつくことはないって知っている」
「ついたら?」
「その時に考えよう」
短く答えて真っ暗な部屋に入る。スイッチを手探りで探すと目を刺すような光が広がった。
ざっと見回して最後と変わったところがないか確認する。何も配置は違っていない。
「異変は今のところなしか。さてどうすっかな」
「他は」
「サクも後で来る。先に言っておいたんだ。戦力として心強い」
ポケットから丁寧にたたまれたハンカチを取り出した。広げると金色の光が零れる。
遺骨ペンダントだ。
「ヒメ、後ろ向いてくれ」
チェーンの留め金を外し、指示通り後ろを向いた姫香にペンダントをかける。
「いいの」
「年頃の娘さんだろ。野郎が持つよりはマシだ」
「私、強くない。取られる」
「いいんだよ。守るから。俺も、モモも、サクも――」
そこで言葉を一瞬切った。
「――記憶を取り戻さなければ、ツルも」
「……」
姫香は何も言わず、ペンダントトップを服の下に隠した。
スマートフォンが震えた。城野のものだ。
持ち主は嫌な顔をして、通話をするかしまいか悩むように指をふらつかせた。
すごく嫌な予感がする。
逆探をつけるには時間がないし、なにより普段は椎名百子に任せているので使うのにかなり手間取るだろう。その間に着信を逃してしまう。
数秒悩んだのちにそばにあったテープレコーダーを起動させて、音量を最大限まで上げる。
「あー」
声の具合を確かめる。意を決して通話ボタンをスライドさせた。
「はいはい、何の御用ですかね?」
『冗談もほどほどにしろ、弱小事務所が』
濁った、ノイズまみれの罵倒が滑り出す。
ボイスチェンジャーだ。それでも苛立ちは隠しきれていない。
「はは、弱小ねえ」
『よくも遊んでくれたな。わざわざネックレスに電話番号をいれたのは? こちらへの挑発か』
「挑発ゥ? 何を言っているんだ、名も明かさぬ誰かさん。連絡しやすいように番号を書いただけだよ。そら、今みたいにな」
『黙れ、ちくしょうめ。お前たちさえいなければこんなことしていなかったのに』
「はいはいすいません。で? なんだよ。用件は? イタ電なら切るぞ」
言いながら、イタ電なわけがあるかと城野は胸の中でせせら笑う。
このタイミングでこの電話番号にかけたということは、IDストラップの中身を改めたということに他ならない。
そしてそのIDストラップの持ち主は――
『添田洋介の命を預かっている』
「ほう。とうとうそこまで行ったか」
姫香は無表情のまま通話を聞いている。
城野としても驚きはない。大方そんなことだろうと思っていたのだ。
いや。
どうせこうなると分かって連絡先を渡した。
「要求は?」
『本物を寄越せ。警察には言うな。いいか、分かっているな。こちらの言うことに従わなければ――』
「命は無い、だろ。安心しろよ、警察沙汰になると困るのはこっちも同じだ。アウトロー同士、やりあおうぜ」
『……』
無言になったのは何故だろうか。
事実警察沙汰になるとこの探偵事務所はいろいろ困る。外見や中身こそ問題はあるが、書類上まったく綺麗な者は五人の中で城野しかいない。
「そうだ、添田洋介って本当に生きているのか?」
『もちろん生きている』
「証拠聞かせろよ証拠」
『お前たちは本物を持ってくるだけでいい』
あちらも予想していたのだろう。なめらかな返事がいっそ心地いい。
眠らされているか、半死半生か、すでにこの世にいないか。
それは今から分かることだ。
「んじゃ、どこに行けば?」
すらすらと読み上げられたそこを姫香がホワイトボードに示す。綺麗な文字だが、すべてひらがなだ。
場所はぴんとこないがあちらに有利な場所であることは確かだろう。
どうも、ただ渡してはい終りではなさそうだ。ついでに始末するつもりか。
「ふーん。じゃ、今から行く。ちゃんと葬式の後片付けはしたんだろうな、叔父さん」
息をのむ声がした。
城野は凶悪な笑みを浮かべた。当てずっぽうもいいところだったがどうやら大当たりだったようだ。
"叔父や、親戚が――"という添田青年の漏らした言葉を覚えていたのだ。恐らくは無意識であろう。
身内でもずば抜けて厄介な相手だからそんなことを言ったのだなと。
『とにかく、来い。絶対だ』
捨て台詞を残して電話は切れた。
録音のスイッチを切ると息を吐いた。少々いじりすぎたかという反省だった。
「事務所を荒らされる可能性は低くなったが、代わりにこちらが出ないといけなくなった」
「行くの」
「当たり前だ。さすがに翌日惨殺死体が見つかりましたなんてニュースは見たくもない」
そのまま百子と夜弦に電話をかけようとしたが、手を止めて姫香を見た。
短く問う。
「来るか」
少女は頷いた。