誰かがどこかではじめているとき
「まったく、接客業というのはどうしてこうも――」
埃っぽく、うすら寒い空気の中で神崎はひとりごちた。
着ていたウェイター服を脱ぎ、元々の持ち主の死体の上に捨てる。
その横に置いてあった袋から自分の服を引っ張りだすと手早く身に付ける。
「――疲れるのかな。人を殺すほうがまだ楽だ」
死体の置かれている場所は従業員用のロッカールームや食堂が並ぶ階の、その隅にある掃除用具入れだ。発見されるのはこの後か、明朝。
どちらにしろその頃には神崎はいない。そしてそこまで警戒する必要がないと思ったのかここは防犯カメラが極端に少ない。
顔が割れるのは少し面倒だとも思ったが、表で堂々生きているわけでもないし少しの変装ぐらい慣れている。大事なのはこの計画が実行前あるいは実行中に露見し邪魔立てが入ることで、無事に終わった今そこまで気にする必要もなくなっていた。
『鬼』はひとつの組織であるから資金の入手は大事だ。麻薬の黙認をし、商売をやりやすいように世話をしてやっていたのに『国府津』に脅しでもかけられたか、あっさりと売り渡されてしまった。
そうして、『鬼』は終わった。
一番警戒していた内部の瓦解ではなく外部の裏切りによって終わるとは、当時の『鬼』のボスは何を思ったのだろうか。
主催者は二年も前に『国府津』へ『鬼』の情報を売った主犯だった。神崎が新たに組織をやり直すとして、裏切り者にはのうのうと暮らしてもらっては困るというもの。
だから慣れない潜入をし、主催者を殺した。
別に神崎本人がしなくても良かったとは思うのだが、顔を知っているために間違いがなく殺せると考えて自ら赴いた。結果的には大成功ともいえる。
ある意味では見せしめだ。
これで『鬼』壊滅時に一斉に掌返しした連中も怯えればいい。どちらにしろまだ何人かは殺す。
――それに収穫もあったし。
神崎は従業員用出入り口から悠々と外に出た。
待っていたのはベージュのドレスを着た女。機嫌悪そうに首を傾けると長いピアスがシャラリと鳴った。
「ナツミ。待たせたね」
「ええ、まったくよ」
「彼女には会えたかな」
以前情報屋から送られてきた画像データ。
愛しき少女と共に写っていた青年を調べれば、驚くべきことに二年ほど前から表に出なくなった『国府津』の一人息子だ。
もう随分前に殺し損ねた存在がなぜあんなところにいたのかは未だに分からないが、何らかの事情で実家の庇護の下から抜け出しているのは明白だった。――しかも、仇の娘を傍において。
今回はまったく出会えるとは思っていなかったが、奇妙な縁があるものだ。
しかし非常階段で出会った彼は全てを忘れていた。
殺すにしても――あっけなさすぎて。それに今殺せばどちらにしろ『国府津』が出張ってくるだろう。計画がめちゃくちゃになってしまう。
そうしてふと、この青年が居るというならあの少女もいるのではないかと気付いた。
そのために同行させてきた女――ナツミを使い、偵察させた。もともと内部状況を見させるつもりだったのでこの点でも運がいいと言っていいだろう。
「いたわよ」
「…そっか」
なにやらナツミの機嫌がよろしくない。
以前熱く少女のことを語って以来、少女の話題になると機嫌を損ねるようになってしまった。
今回もそのような感じだろうか。
「何があったか聞いてもいい?」
「何って、あのガキ、「おまえよりわたしのほうが美人だ」なんて言いやがったのよ!」
「それはそれは…」
あの少女らしい。
まあ、否定はできない。あの娘の顔の造形は完璧すぎるし、それをずっと神崎は見て来た。
だから少女とはタイプの異なった顔のつくりでないと見るに見れないのだ。一度美味しい料理を食べたらそれっきり不味い料理を食べられないのと同じように。
「名前は聞いた?」
「変なボディーガードの女たちが言ってたわ。『鏡花』。そんな名前だった」
「鏡花ねえ。…あんなところだから偽名の一つや二つ使っているか」
どちらにしろ、元の名前は忘れてしまった。
名前などただの記号だ。そこまで気にするものでもあるまい。
「あんな女のどこがいいの? あなたの趣味、悪すぎるわ」
「それは良く言われる」
どこがと言われればすべてだ。
神崎が望んだように、歪に育てたのだから。
ただ少しーー彼女に自己選択の意思が残ってしまったことと、完全には神崎の思うように染まらなかったのは心のこりだ。
それは取り戻してからゆっくりやっていけばいい。
「……どうして、そこまで執着するのよ。生きているって知ってからずっと探しているじゃない」
「まあね。ゆくゆくは必要な人間だから」
ナツミをエスコートするように外へ向かって歩く。
「ナツミはボスを知らないから、価値が分からないのかもしれないけれど――『鬼』の周りには人間の屑が、人でなしが、狂ったバケモノ共が寄ってくるんだ」
どういう理由かは知らない。
オカルトなものだったり、ボスそのものの手腕だったのかもしれない。
ただ一つ言えるとするなら彼の周りで流血は絶えることが無かった。
「あの娘は『鬼』の血を引いている。それをよく思わない連中に始末されたり、おれよりも先に利用するのがいるかもしれない――それともう一つ」
神崎は空を見上げた。
重い雲が垂れさがり、星は見えない。
「おれの手に負えないヤツらが、お嬢のそばに集まっているかもしれない」
…手遅れに近いことを、神崎はまだ知らない。