七話『ボディーガード』
なんかもう、帰りたい。
所長は思いっきり疲れた顔しておきながら僕を使って間接的に藤岡さんをおちょくっているし、藤岡さんは僕を相変わらず睨みつけてきていて、百子さんは警察の内部事情に苛立ち、咲夜さんは興味なさげに窓の外を見て、姫香さんは爪を弄っていた。
帰っていいかな。
駄目だろうな。
「…そういや、添田青年」
「ひゃい」
渡会さんとの会話が終わり気が抜けていたらしい添田君が背筋を伸ばす。
「あんたの依頼はなんだったっけ」
「ボディーガードです」
「そうだ、そこで話がいったん中断されていたんだよな。その理由は?」
「えっと…その、そちらの方々のような大層なものではないんです。本当に」
「むしろ同レベルの理由もってこられたら死ぬ」
まったくだ。
冷めてきているだろうお茶を一口すすると、彼はそっと口を開いた。
「どこもボディーガードを一人や二人は雇っているって話で…。祖父の話によれば、装飾品の延長という扱いだそうですが…あっ、別にみなさんがそういうわけではなくてですね」
「分かってる分かってる。大丈夫だ、あんたはそんなふうに人を見るやつじゃないから」
おろおろとする添田君に制止をかけて、ふむとこめかみに指をやる。
「要するに権力や財力を見せつける――という意味か?」
「かもしれません。本当は、祖父がいくつか紹介するとは言ってくれていたんですが…。慣れた方のほうが僕としても気が楽なので」
真っ先に思いついたのが城野探偵事務所だったってことか。
確かに慣れない場所へ知らない人間を引っ付けていくのはいらない気苦労をしてしまいそうだ。
でもいいのかな。自分で言うのもなんだけど僕たちも相当癖があると思う。
「それでここに、か…」
「はい。探偵が何でも屋ではないということは重々承知しています。でもその、特に会場で何をしろというわけでもないですし、そちらの――渡会さん、の依頼も出来ると思います」
「変な気をきかせているんじゃねえよ…。しかし、一人や二人をパーティー会場でつけるなんざちょっと妙だな」
「そうだね~? ただの交流なら逆に要らないと思うんだけど。麻薬取引だってそんなに手間がかかるとも思えない」
「いえ」
視界の端、咲夜さんが窓から目を離して僕たちを見た。
「ガードがみんなガードとは限りませんよ」
「どういうことだ」
「それっぽく扮している売人だとか、表に出てきてはいけない人間だとか…つまるところボディーガードに変装している人間がいる可能性だって否定できません」
「木の葉を隠したいなら森の中に、か」
「ドレスや上品なスーツの人は目立つけど、ガードマンはだいたい服装も決まっているし、わんさかいるならあまり個々に注目されないもんね~」
「でもなぁ…」
所長がしかめっつらをする。
「服装だけ周りと同じでも、顔まではどうしようもないだろ。ああ、サングラスをするなら大丈夫なのか」
「うん。それだけでもだいぶ容姿の特徴はなくなるかも」
ボディーガードのサングラスはただの威圧やおしゃれではなく、視線の向きを悟らせないための意味合いがあるんだそうだ。あとはフラッシュで目を眩むのを防ぐ。
確かに殴り合うとき視線を気にするし。次はどこを殴ってくるのかとか。
黒いスーツにサングラスと無個性に自己を沈めてしまえばよほどのことがない限り怪しまれることはない。高校生の野球部がどれも同じ顔に見えるのと同じようなものだ。
「前に暴力沙汰があって以来ガードを雇うのが慣例になっているというのもありそうだな。そこまでは調べていないが」
そこのおじいちゃんは添田君をいじめないでほしい。この子の心臓は小動物みたいなもんなんだから。
渡会さんの捕捉に所長は遠い目をしながら深くため息をつく。
わずかに唇がうごいた。
『めんどくせ』。
おい思考停止しないでくれ事務所長。
「しかしそうめったなことはおこらないと思うぞ、城野。それとも楽な仕事は嫌いか」
「うッ」
ああっ、所長が悪魔のささやきに負けそうだ。みんなペンライトを振って応援しよう!
確かに楽といえば楽だけど。
「我々の仕事はオマケのようなものでいい。集団の中から一つの物を見つけ出すのは得意だろう?」
「どうしてそんなことを覚えているかなぁ…」
腕組みをして目を瞑り十数秒ぐるぐると考えたのちに、彼は顔を上げた。
「金は貰うぞ」
「もちろん」
「添田青年も。ほんとうにここでいいんだな」
「は、はい!」
所長は僕たちをぐるりと見回した。
何を言うかは分かっていた。お人よしの彼のことだ。少なくとも添田君の依頼は請けるだろう。
パーティーの背景が不穏なのが気になるけれど、それは僕の考えることでも無かろう。
「添田青年の依頼と、クソジジイの依頼の二つを請ける。いいな」
異論はなかった。