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十五年前『瞳の色』

 『仕事』の処理が終わり疲れを引きずりながら神崎は帰路についていた。

 僻地とも言えるところに建つ、元は宿泊所兼遊技場だったところが、現在『鬼』の活動拠点となっているところだ。


 バブル時代のなごりだ。管理人の命はそれこそはじけ飛んだらしい。

 残ったのは建物と不気味な噂。夜な夜な管理人の亡霊の悲鳴が聞こえるとまことしやかに囁かれているらしいが――蓋を開ければ簡単な話だ。実際に中で拷問を受けている犠牲者が騒いでいるだけなのだから。

 噂の真偽を確かめようとする野次馬や寝床を求めてやってくるホームレスはやっかいだが、一般人はどのような理由であれこの不気味な建造物に近づこうとしなかったのである意味適した環境にあると言えた。


 とにかく――神崎はここへ嫌でも戻ってこなくてはならなかった。上層の人間ならば都会で悠々と暮らしているのだろうが、彼はまだ新人の身分だ。

 一度足を踏み入れた以上『鬼』から逃げることはできない。

 外部と関わりを極力持たない代わりに、内部で求められる結束はいっそ病的とも言えた。


 来るものは選び抜き、去る者は殺す。

 極端な例だがあながち間違えてもいない。

 逃げたとしても、結局は捕まり連れ戻される。その後に行われるのは凄惨な見せしめだ。

 神崎も脱走した一人が殺されていく過程を目の前で見せられた。…感情は一ミリも動かなかったが。



 下っ端の身分である彼の部屋はとにかく遠い。

 さっさとシャワー浴びて眠りたいという衝動に身体を任せて歩き続ける。

 ようやく自室が近づいてきた。

 が、安堵は出来なかった。


「お嬢? どうしたんです」


 神崎の部屋の前で少女が体育座りをしている。その横には同期の長谷がいたが一旦無視をした。

 半年前に連れてこられたとき真新しいランドセルも一緒だったので恐らくは小学一年生だろう。そして一番年齢の近い神崎と長谷の二人が世話役を任された形だ。それでも十三、四は違うというのに。


 少女の前で膝を折ってまじまじとその顔を見る。

わずかに桃色に色づいた頬、その片方が痛々しく腫れていた。


「頬が…痛かったでしょう。どいつにやられました」


 少女は沈黙を保ったまま。

 神崎は眉をひそめた。ここまで口数は少なかったはずだ。


 仕方ないのでおどおどとこちらを見ている長谷に視線を向ける。


「何があった」

「な、殴られた」


 それは分かっている。

 言葉の代わりにとりあえずぶん殴った。


「いってぇ!」

「冷やすぐらいは思いつけなかったのか」

「どうやって!?」


 左の頬を今さっき殴ったので次は右を殴った。


「お前に期待したおれが馬鹿だった…」


 もともと長谷は頭のめぐりが悪い。

 妙なところで人を集めるカリスマだが、基本的には生死を問わず人間を解体することに性的興奮を覚えるどうしようもないクズだ。

 物わかりの良さで言えば少女のほうに大きく軍配が上がる。


「いつ、どこで、誰に、どうしてお嬢が殴られた」

「ええと、今日、ここで話し合いに来たボスが、なんでだか知らないけどお嬢を殴った」


 そういえば上層部で会議がある日だった。神崎らにはほとんど関係のない話だが。

 いくら裏の社会を牛耳る組織の一角とは言え表だって集まるわけにもいかないので定期的にこの建物へ集まっている。


「…『ボス』がお嬢を殴っただと?」


 今まで関わろうともしなかったのに。


 昔の話だ。ボスに抱かれていた娼婦が子供を孕んで逃げたという。

 自分のわずかな弱点でも潰したかったのだろう。血眼になって探し、ようやく見つけたのが半年前だ。

 娼婦は殺された。その死体は長谷が遊んだ。

 その娘――神崎の目の前にいる少女は、どうしてか生かされた。


 利用価値があると踏んだのか、自分の遺伝子から生まれた子供を消すのが惜しかったのか、それとも――子供を殺すという罪悪感が恐ろしかったのか。

 どれかは分からない。ただ、ボスは小心者であるというのは間違いがない。

 少女は名前と自由を奪われ、飼い殺しになった。

 その身体に流れる血ゆえに誰も相手になろうとはしないし話しかけもしない。おかげで神崎と長谷にべったりと懐くありさまだ。


「なんていうのかな、やっぱ父親だから気になったんだろ? 無謀にも会いに行って、いやぁ肝が冷えたっていうか。やめようって何度も」

「お前の感想は求めていない。起きたことだけを言え」

「……。最初は怒らなかったんだよ。ま、向ける目は父親の目じゃなかったけどさ…それで、お嬢がなんか話しかけたんだ。そしたら…」

「そしたら?」

「なんだか分からないけど…真っ青になってもう二度と喋るなって怒鳴って殴ってさ。空気が静まり返ったよ」


 そこから上手く逃げて来たらしい。

 よく処分の一つも受けなかったものだと思ったが、そういうところは抜け目のない男だ。


「お嬢。ボスには言いませんから、何を話したか教えてくれませんか?」

「……」

「ね?」


 わしゃわしゃと雑に頭を撫でながら優しく話しかける。

 成人の女なら大体これで落ちるがさすがに年端もいかぬ少女には効かなかった。元から期待もしていない。


「明日はおれ暇なんで、アイス食べに行きましょう。なにがいいですか? チョコ? いちご?」

「俺はチョコミントがいいなぁ」

「黙ってろカス」


 苛立ちと共に足を蹴っ飛ばした。


「お嬢、これはおれたちだけの秘密です」

「…ほんと?」

「ええ。ずっとないしょのことです」


 少女はためらいがちに、かすれた声を出した。


「…目」

「目?」

「あのひと、きれいだったの。ガラスみたいにとうめいで」


 はて、と神崎は首を捻った。

 『鬼』のまなこは日本人特有の黒に近い茶色だ。とても透明とは言えない。

 そもそもあの大男には全く似合わない単語であった。


 だがメルヘンチックな妄想をそのまま口に出しているにしては顔が真剣そのものだ。

 この幼さである程度の空気を読めている少女がそのようなことをあの男に言うかも不明だ。


「ママがよろこんでくれたから。だから、あのひともよろこんでくれるかなって」


 自分の母親を目の前で殺すように言った男を喜ばせようとする精神は理解できない。

 一種の防衛反応かもしれない。捨てられない様に――殺されない様に――本能的にすり寄りに行ったのだろう。


「目の色を、ですか? 目の色を褒めてあげようとしたんですか?」

「うん」


 子供特有の視点の違いだろうか。

 神崎は自分の目を指さした。


「…じゃあ、おれはどうです? きれいですか?」

「ううん」


 はっきりと否定された。

 少しへこんだ。


「かんざきは、いろがまじってる。はせは、まっくろなの」

「…?」

「あのね、かんざきも、はせも、『おあそび』のたびにいろがいっぱいふえてくんだよ」

「まさか…」


 『おあそび』は少女に対する言い訳だ。

 犯罪行為をしていると幼い少女にはまだ言えない。


 そこではっと気づいた。

 長谷はその性癖ゆえに『鬼』にスカウトされた。元から無差別で人間を殺すような男だったのだ。



 だから神崎よりも人を殺した数ははるかに(・・・・)多い・・



 あまりにも幻想的ファンタジーな話だが、仮にこの少女が瞳から『罪』を見ることが出来るのならば。

 罪を重ねるごとに色が重なるなら。


「あのひとはね、ママみたいにきれいなめをしてたの。きらきらしてて、おみずみたいにきれいなの」

「それを…ボスに言ったんですね?」

「うん」

「今おれに言ってくれたことと、同じことも?」

「うん」


 六年ほど前、未熟な組織だったとはいえさすがに娼婦までも人殺しの道具にはしなかっただろう。孕ませるぐらいだ。本当に性欲解消としての娼婦だったに違いない。

 それに金で雇う人間ほど信用できないものは無いと、『鬼』は何度も口にしていた。


 だからもし少女の母親が誰一人殺したことが無いとして。

 その瞳が、ボスと同じ色だったとして。


 ーーつまり。


「…もう寝ましょう。明日は好きなものを買ってあげますよ」


 そっと少女を抱き上げた。

 ちいさく熱いその身体を大切なものを扱うように腕に力を込めた。


 一度落ち着かせないとこの少女はさらに壊れてしまう。

 むしろそれでいいのかもしれない。

 こんなところで幼い子供が正気を保つことが出来るわけがない。


「ねえかんざき、わたしはもうおしゃべりしちゃダメなの?」

「おれらの前でちょっとだけならいいですよ。ただ、あの人の前では絶対やめてください」

「うん…」


 ゆっくりと歩き出す彼らの背中にすっかり置いてきぼりにされていた長谷が追いすがる。


「な、なあ、神崎。どういう意味だ?」

「…本当に分からないのか?」

「だってわっけ分かんねえもんよ!」


 少女の頭を撫でながらどうしたものかと悩む。

 今のところ長谷は信頼のできる一人ではある。

 彼が興味あることは人間を解体することだけ。それ以外はまるで無欲だ。

 ここでだんまりを決め込み関係に亀裂が走ってしまうのも厄介なので教えることにする。


「絶対誰にも言うなよ。おれだけじゃなくて長谷、お前も殺されるぞ」

「わ、分かった。なんなんだ」


 誰もいない場所だが、耳元で囁く。



「…『鬼』は自分の手で人を殺したことが無い」



 絶句する長谷をその場に置き去りにして、神崎はわずかに笑みを浮かべる。

 この事実がどのように転がるか彼にはまるで見当もつかなかったが――それでも、このドブのような日常から楽しい未来だけは期待できた。

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