六話『はじめてのびこう』
「なんの電話だったの?」
「みーちゃん、ここ、いるらしい」
「ほんとう!?」
すっかり元気をなくしていた夏梨だったがその一言でぱぁっと表情を明るくさせた。
「じゃあこの公園を調べれば出てくるってことか!」
「良かったー、街の中をいつまでも歩き回りたくはないもん」
士気が高まる男子たちは次にどこを探そうかと相談し始める。
やがて場所も決まり、もう一度分担して別々に探そうと話がまとまった時だった。
にゃあ。
猫の鳴き声だ。
全員あたりを見回したが猫の影は無い。
にゃあ、にゃあ。
「兄ちゃんが鳴いてるの?」
「林太、てめぇあとでぶっ飛ばすからな」
「そばにいるみたいだ」
「みーちゃんどこ?」
にゃあ。
「…上」
姫香が呟くと一斉に上に視線が行く。
クスノキの枝に葉っぱとは思えないものがしがみついていた。
手と足が生え、耳が情けなく垂れ、毛皮はブチ柄。猫だ。
「みーちゃん!」
夏梨が叫んだ。
「みーちゃん! おいで!」
両手を上げるが少女の腕ではとても届かないところにいる。
また猫の方も震えておりその場から動こうとせずに弱弱しく鳴いている。
原因は明らかだった。
「降りれないんだ! ばかなやつ!」
「みーちゃんはバカじゃないもん!」
「どう見てもこれはバカだと思うんだけど…」
翔太の冷静なツッコミは流された。
夏梨が枕カバーを取り出すと、大地がそれを受け取った。猫を保護するためのものだ。これに入れてしまえば引っ掻かれたり激しく暴れずに済む。
ようしと彼は気合を入れ木にしがみつくとするすると登りはじめる。
林太は楽しそうに、翔太ははらはらとした顔で見守る。夏梨は猫に呼びかけており姫香はそれらを一歩引いて眺めていた。
猫が太い枝に居たのが幸いした。登ったのが小学生なのもあり、まだぎりぎりで枝が持ちこたえてくれたのだ。
猫は怖いのか動かず、大人しく枕カバーを被った。
「取った!」
満面の笑みで大地は言った。林太と夏梨が歓声を上げる。
途中まで降りて来た大地を翔太が抱え上げて地面に下ろす。
「ほらよ。重いなこの猫」
「ありがとう!」
枕カバー越しに夏梨はみーちゃんを抱きしめる。
最初は弱弱しく暴れていたが、覚えのある匂いに気付いたか大人しくなった。
「元気ないなぁ」
「うーん、疲れたんだとおもう」
「暑かったから喉乾いているとか? 早めにごはんとかあげたほうがいいよ」
「うん、早く帰ろうねみーちゃん」
ひょっこりと出た猫の頭にほおずりをする。
それを眺めていた姫香に夏梨は気付き、にこっとほほ笑む。
「アンティーク姫も、ありがとう」
お礼を言われた彼女はきょとんと首を傾げる。
「なにも、してない」
「おれたちと探してくれたじゃん」
「そうそう、あとはなんか調べてくれたんでしょ?」
それだけだ。
金を出したわけでもなければ、多数の人間を動かしたわけでもない。
目的の為に人を殺しただとか脅しただとかそういうこともしていない。
調べたことだって奪取したのではなくただ聞いただけに過ぎなかった。
純粋に、もしくは大真面目に姫香は考えている。
歪んだ世界で生きて来た彼女には、おおよそ理解のできないものだったから。
わずかな気遣いで礼を言われるとは思ってもみなかった。
当たり前のことを失認している。城野の妹を名乗るようになってから時間は立ったが、まだ常識のある人間とは程遠い。
どう言ったものか、姫香は頭をフル回転させたのちに小声で答えた。
「…別に」
それが今の彼女の精いっぱいだった。
○
夏梨の家で麦茶を飲まないかという誘いを姫香は断った。
普段動かないために体力の限界と疲労が出てきていたのだ。あと心労。小学生の体力に付き合えるほど姫香は鍛えていない。
残念がる小学生たちとどこかほっとしたような中学生に別れを告げ、一人帰路を歩いていた。
もうじき事務所にたどり着く角で、姫香とサラリーマン風の男がすれ違う。
何の気なしに彼女は男の瞳を見て目を見開いた。
二、三歩通り過ぎた後にゆっくりと方向転換をして男の後をつける。
もしもこれがいつものゴス服だったなら印象に残ってしまう上に怪しまれていただろう。しかし今の彼女はどこにでもいる夏休みの学生にしか見えない。
さらに彼女の義兄は探偵だ。実際にしたことはなくとも尾行の仕方は聞かされたことがある。
距離をあけて、万が一振り返って視線が合ってしまわない様に顔の向きに気を付ける。
神経質なのかやましいことがあるのかサラリーマン風の男は時折きょろきょろとあたりを見回していた。手元の携帯を弄っているふりをしてやりすごす。
やがて、さきほどの公園に着くと今まで以上に男は周りを警戒し始める。
姫香は立ち止まり公園の敷地内へ入るまでそこに待機することにした。
少し間を置いて覗くとサラリーマン風の男が藪に入っていく。
公衆トイレはすぐそばにある。わざわざ藪の中で致すのかどうか。
そのような変態ならば姫香とて興味もなくさっさとその場を後にしていただろう。
しかし彼女は動かずにその動向を余さず見ていた。
夏梨の笑顔と大地と林太の言葉が脳裏によみがえる。
それに男のあの瞳を見たならば――引き下がるわけにもいかない。
姫香はゆっくりと男の背を追った。