十話『盗聴器の受難』
「ああ!?」
思わず叫ぶ僕。
構わず注ぎ続ける姫香さん。
百子さんは落ち着き払ってそれを眺める。
「あれえ、溢すなんて珍しいね~。拭くものないかな」
むしろ溢すというくくりの中に存在しているのかこれは。
「あるぞ。ほら」
所長が自分のデスクから引っ張り出してきたらしいハンマーを百子さんに渡した。
もうこの事務所は何があっても驚きはしないのでハンマーは完全スルーすることにして、『拭く』という用途に使われることはこれからも絶対にないと思う。
「ありがとう~」
びしょびしょに濡れた盗聴器を引っ張り出し、床に置くとためらいもなくハンマーを叩きつけた。
ガツン。
「うーん、硬いお茶だね~」
ガツン。
ガツン。
……えっと。
へったくそな演技と言うか展開だな! お茶が硬いってなんだ!
仕掛けた相手にばれないように盗聴器を外そうとしたんだろうけど、もうこれ駄目じゃないかな!
今盗聴している人絶対困惑してるよ! なんで水の音の後に破壊音がってなっているよ!
もはや無残な残骸になった盗聴器を見下ろして、所長は長く息を吐いた。
「これで自由に話せるようになった」
手段は選んで欲しかった。
百子さんはといえば満足げにハンマーを置いて、一仕事終えたと言わんばかりに額に浮かんでもいない汗をぬぐった。
「嫌な事件だったね~」
「ああ、本当に。ところでこれ燃えるゴミか?」
「燃えないゴミだと思う~。自治会の分別がまた厳しくなってるし」
「いやいやいやいや! なにやってんですか!」
「盗聴器を壊しただけだが。いかんのか」
「いかんでしょ!」
咲夜さんはすべてを諦めてちりとりと箒を取りに行ってしまったし、姫香さんは濡らしたソファをせっせとタオルで拭いている。
ツッコむのが僕しかいない。収拾をつけなければならない義務がある。
「なんでこんなまどろっこしい真似を!?」
「牽制」
なんだ、牽制か。
なら仕方ない…仕方ないのか?
「相手の場所を逆探知とかそういうので一網打尽にできないんですか」
「それが出来たら苦労しねえよ。盗聴器は電話と違って位置特定が難しい」
うっ。
どうやら表情からして本当のことらしい。もうすこし探偵というものは万能だと思っていたんだけどな。
帰ってきた咲夜さんが盗聴器の大きい破片を摘み上げる。
まじまじと観察したが、特に大発見はなかったようだ。というか。わざわざ盗聴器を作らせる組織のほうが珍しい気もする。
ちりとりに掃き集める咲夜さん。ぽいぽいと遠くまで散った残骸をちりとりに放り込む姫香さん。
緊張していた(んだろうか)空気が緩みはじまている中、所長は眉間にしわを寄せて天を仰いだ。
「しかし、こっちの分が少々悪いな。表に置いてあったバイクの車種で検討をつけられたんだかなんだかでマークされたことは分かったが、連中の素性も目的もなんも分からねえ」
「そうだね~。わざわざ『警察の方から』なんて、詐欺師みたいなマヌケな常套手段を使った割には隠すところはきっちり隠してた~」
「…そういえばなんで『警察』なんてわざわざ言ったんでしょうかね?」
「そりゃサク、そのほうが警戒もされないし『なにか言わなきゃ』って気にさせるだろ。国家権力が怖いのは誰だってそうなんだからよ」
機嫌が悪そうに彼は再び外をのぞいた。そして呟く。
「やっぱあの車だったか」
「は?」
「あの駐車場に見たことのない車両が止まっていた。ミスったな、誰かはらせておけばよかった」
「なんでわかるんです…」
「ケンちゃんは間違い探し得意だからね~。それの応用だよ」
間違い探しの応用ってなんだよ。
所長の知られざる一面が出てきたけど掘り下げるほど興味はない。
「ナンバーは念には念を入れたんだろうな、ガムテープが張りつけられていた。どっかのバカみたいに外してはなかった」
「はぁ。誰のことでしょうかね」
「お前だ」
すっとぼけた咲夜さんにまだ恨んでいるらしい所長の声が被る。
「先読みをしたと言ってほしいですね」
「なーにが先読みだバカたれ。そんなんだから胸がいつまでたってもそのままなんだよ」
「慎ましいと言ってほしいものですね」
また二人の言い争いが始まったよ。
しかも今回は所長の機嫌が悪いためにどんどんギスギスの高みを目指している。めざさなくていいから、そんなの。
「……」
ふと姫香さんを見ると、屈んで床を注視したまま固まっていた。片づけの最中に止まったという感じだ。
ゴキブリでもいたのかなと思ったが、彼女は見つけた瞬間容赦なく殺虫スプレーをかけるタイプだ。そもそもいない。
「にいさん」
姫香さんは頭を上げて所長を仰ぎ見る。
かなり珍しいことだ。さすがに二人は言葉を止める。
「ーーあん? どうしたヒメ」
「ペンダント、どこ」
「ああ、来客が入る前にしまった。どうしたんだ」
「同じようなもの、あったほう、いい」
「……理由は?」
姫香さんは立ち上がった。
「やつら、探しに来る。今夜にでも。だから、偽物増やして、騙す」
どうしてそんなことに思い至ったのか不思議だったが――僕もひとつ身に覚えがあった。
「――ずいぶんと部屋の中見回してましたもんね、あの人たち」
「それは気になったが…。ペンダントのことを知っているかも不明だが、仮に知っているとして――泥棒に早速はいるものかね。危険を冒してまで?」
「奴ら、時間、ないなら?」
「……」
「彼女、死んだ。それで計画、狂ったなら?」
「……」
「なりふり構わなくなる…?」
「そうなると~」
百子さんは困ったように人差し指を唇に当てた。
「添田洋介、だっけ? その人相当危なくない~?」