三話『はじめてのめらんこりぃ』
「あれ? アンティーク姫だ」
「ほんとだ」
「どうかしたの?」
小学生三人組が驚く。
日傘を差し、首からはガラパゴス携帯を下げたゴス服の姫香がゆっくりと歩いて来ていた。
その格好はどう甘く見ても炎天下向きではない。
「うわあ、あつくねえの?」
「少し」
「なんかにぶいところあるよねぇ」
いくら夏用の風の通りがいい素材で作られた素材といっても、その布の量と色の前ではほとんど無意味に終わる。
本当は着替えてから行けと城野に言われていたのだが、着替えている間に三人組が居なくなるということを考えてそのまま押し切ってきたのだ。日傘は同じように熱射病を心配した百子が渡してきた。
血の繋がりがないのにどうしてこうも面倒を見てくるのか、彼女には理解ができない。
「んで、どうしたの?」
大地が首を傾げる。
林太、夏梨も不思議そうな顔をしていた。
さすがに黙っていると話が進まないということを一年と数カ月がかりで理解していたので、姫香は口を開く。
「わたしも、」
一緒に行く。
そう言おうとして、
「いれて」
意図しなかった言葉が漏れた。
姫香は自分の口に手を当てわずかに目を見開く。
あまりにも自然に言ったことを、いや、どこか慣れ親しんだようなセリフに驚いたのだ。
三人は顔を見合わせて、口をそろえた。
「いーいーよっ!」
「…どうも」
どうしてそんな言葉が出たのか、心当たりはあった。
姫香にもかつて同い年の子供たちと遊ぶときよく言っていたから。ずっと昔、彼女が彼女でなかった時に。
○
「やっぱいないなー」
民家と民家の間、車の下、公園――。
目星のつくところをあらかた回って彼らはため息をついた。
学校から言い渡されている「学区内のみ」という行動制限を律儀に守ってはいるが、それでも小学校中学年にはかなりの範囲がある。
体力のない夏梨はばてており姫香と手を繋いで半ば引きずられるように歩いている。
探してもらっている身だからか文句は一言も言わず、だが顔はずっとしかめっぱなしだ。
太陽は傾き始め、橙色に変わってきている。
「今何時だ?」
「えっとねー。…あ!おれ今日塾だ!」
林太が叫び、大地は不満げな声を上げた。
「がり勉かよ」
「ばーか、母ちゃんがうるせえんだよ」
「じゃあまた明日にする? ほら、夏梨も死にかけてるし」
男子二人が目を向けると、姫香が日傘の陰に入れてやりながら介抱していた。
もともと夏梨はアウトドア派ではなかったらしい。
姫香はよく城野によって外に連れ出されているのでそこそこの体力はある。
「そうだなー。じゃあ明日、でっかい木のある公園で」
「分かった」
「はーい…」
「アンティーク姫、公園分かる? 分かるよね」
大地に話を振られて姫香は目をしばたく。
「…わたしも、行く?」
「明日なんかあるの?」
「…ないけど」
強いて言えば骨董屋の管理がある。
しかし閑古鳥が鳴きっぱなしなので空けても特に困りはしないだろう。
「時間は一時なー」
「うーい」
姫香が来ないという可能性を微塵も考えていない。
今日来たのならば明日もそうだろうという、子供らしい思考だ。
そこに一つの疑いも挟まない。
「じゃあおれたちこっちだから」
林太は事務所のある方向とは逆の道を指さす。
なんとなく流れについて行けず、姫香はただ頷いた。
「明日は動きやすいカッコで来いよ、お姫さま!」
「バイバイ」
「ばいばーい!」
あっさりと彼らは別れていく。
当然だ、今日別れても二度と会えないわけではないのだから。
裏の社会でないかぎり。不運に見舞われないかぎり。
平等に明日はやってくる。
ふっと少女は『鬼姫』でも『姫香』でもない頃の、母から貰った本当の名前を名乗っていた時を思い出す。
錆びついた記憶が現在と混じりあう。
黄色い帽子。名前シールの貼られた色鉛筆。机。誰かが黒板の前で喋っている。
隣の席の同級生の性別すら覚えていないが、立派な消しゴムを持っていた。
――溢れた記憶を締めくくるように、赤いランドセルがよぎる。
あれは彼女の母と共に失われてしまった。傷がつく前に。背負って学校に行ったのはわずかだ。
同い年に囲まれていたのも、ほんの短い期間だけ。
思い出に駆り立てられたからなのかもしれない。
無意識のうちに息を吸い込み自分でも驚くほどの大きな声で叫んだ。
「また、明日!」
大地、林太、夏梨の三人は振り返り手を振る。
姫香はぱたりと日傘を落とし、その背中が曲がり角に曲がるまで見送り続けた。
○
事務所に帰った時、城野は少し驚いたようだった。
「なんだ。そんな顔できるのか」
姫香は自分の顔を触った。どんな顔をしていたかは、分からなかった。