1章 2話
“ヒロイン”である可愛い後輩とさびれた街を抜け、いかにも違反な路駐の車の後部座席に乗り込むと、運転席から声が降ってきた。
「ちょっと遅いんじゃねーの、主人公さん?」
「せっかちすぎんじゃねーの、お義兄さん?」
お手本のような対句で皮肉を受け流す。
お義兄さん。その言葉から想像されるのは、世間一般的には笑顔が絶えない優しくて頼りがいのある男がイメージされるのではないだろうか。
残念だが、我がお義兄さんはそんなもんじゃあない。
「もう、兄さん。たばこはやめてくださいって言いましたよね?」
「それより酒の臭いもするんだけど?」
王雅《おうみやび》
瑞紀の実の兄にして俺の幼馴染。
幼少期から整った顔に加えて大人びた思考と振る舞いで、主人公の俺を差し置き神童扱いされていたイケメン。
ただ、雅は『神童』とは『腐敗』の枕詞とどこぞの誰かが言ったその例にもれず、腐敗した出来損ない。
雅の本家にはそう思われているようだが、俺は腐敗に関しては認めこそすれ、出来損ないとは思わない。
雅は俺の優秀な“親友”だ。
「で、今日も主人公補正をかましてきたのか?」
「前向いて運転しろよ……」
ホントに器用な奴だ。
「実際どうだったんですか、先輩」
「ん?お前応援に行ってたんじゃねーのか、瑞妃」
「私に野球のルールが分かるとお思いですか?」
軽く拗ねた様子の瑞紀とやっと前を向く我が義兄。
「9回裏ワンアウト1,2塁で俺の逆転スリーランってとこだな。で、その打ち上げで時間食ってたってわけだ」
「そりゃまた主人公補正だな、くそが」
毒つきながら、俺と瑞妃の間に置かれた荷物を指さし、クイッと酒を煽る真似をする。
俺と瑞妃を分断するクソデかい段ボールの中身も酒かよ。
まあ、最後のホームランのおかげで美人マネージャーに抱き付かれて機嫌の良い今日ばかりは雅と飲んでやらないこともない。
2つの缶のプルタブを空け、一方を運転席の雅に放り投げる。
「っ兄さん!」
瑞妃が缶の軌道を見て叫ぶ。
こぼれるっ。瑞紀はそう思って叫んだのだろう。
しかし、その缶は下向きになりながらも、1滴たりとも漏らさず雅の頭の上で止まっていた。
「さんきゅ、乾杯」
俺と雅は瑞紀の方を向き、ニヤニヤしながら缶を天へ突きあげる。
不思議そうな顔をする瑞紀。これ程美味いつまみもないだろう。
「もうっ。先輩はすぐに石を悪用するんですから。意地悪です。もうちょっと私を大切にしてください」
そう、これも石を使った軽い悪戯だ。
俺の4つもつ原石のうちの1つ、それは圧力を操るものだ。蓋の周りの圧力を軽く操作していたわけだ。
瑞妃が拗ねて俺を殴ろうとするも、酒の入った段ボールに挟まれた俺たちの距離は、瑞妃のリーチ外。ホント虐めがいのある可愛い彼女だ。
「今日だって、美人に抱き付かれて鼻の下伸ばしてましたし」
瑞妃の言葉は受け流し、投げつけてきた缶は気圧の壁で受け止めて……っておい。
「さすがに危ねえ!」
投げた本人は、ぷい、と窓の外へ顔を向け拗ねている。付き合って一年でDVか……。
「そりゃあ、お前みたいになにもしてやんない彼女持ってりゃ、浮気もしたくなんだろ。なんなら今度風俗連れて行ってやろうか」
どうしてここまで我が義兄は空気が読めないのだろうか。デリカシーはないのだろうか。
だが、我が義兄のいうことはなかなかに核心をついている。
1つ違いの俺と瑞妃は同じ中高一貫校の先輩後輩だ。幼馴染である雅の紹介もあり、付き合うまでは俺たちの関係は順調といえただろう。
しかし、問題があった。そこからが進まないのだ。
高2にもなって付き合い始めた彼女とsexはおろかキスもできない。さすがにこれでは、俺の物語を楽しんで裸待機していた人々も風邪どころか肺炎まで発症してしまう。
「まあ、お前にも問題があるんだぜ、主人公さん。そんなヘタレ主人公は俺は認めねえしな。それよか、あの“天才小学生”の方がよっぽど主人公してるぜ」
天才小学生、速水翔。
親も狙って名前を付けたのか、と聞くものに思わせる主人公のような名前の、未来を期待される小学生スプリンター。
小学6年にして突如陸上部に入部し、入部後三か月にして小学生の日本記録にも肉薄する山形の期待の新星。
これだけでも世間の目を引くには十分だったが、彼を一躍人気の人とした本当の理由はその記録の外にあった。
もとより整っていた顔が小学6年に上がると急に大人びはじめテレビ映えすること。
初の大会に応援に来てテレビに映った彼女がネットで話題になったことなど、上げ始めればきりがない……。
「こりゃあ、我らが主人公様よりも全然主人公してるんじゃねーか?」
足が速くてモテんのは小学生までに決まってんだろ、なんて言葉を吐こうものなら負け犬の遠吠えとなる。どこか勝てるとこはないか、必死に検索をかけているとネットで噂の彼女とやらの画像が出てくる。
(こりゃネットで人気になるわな)
小柄ながらも整いすぎず、愛嬌がある。きっとクラスで一番美人といわれることはないだろうが、一番好意を寄せられるタイプだろう。
しかし、次の画像は俺の予想を上回った。
「そして、なにより巨乳なんだよなー」
一分近い沈黙を破ったのは、沈黙を作った張本人である雅だった。
「で、お前らはどう思った」
またお前は沈黙を作ろうというのか。俺の心からの叫びは、しかし、遮られた。
「ちと、怪しいんじゃねーの?」
俺と瑞妃が顔を上げる。
怪しい。
そうだ、こいつは腐っても出来損ないなんかじゃあない。脈略のないKYな発言もホントは繋がってたんだ。
まったく、ホントに我が義兄は頼もしい。
「ってことで、宝探しの時間だ」