第9話 モノクロのストレス
ワタシは、はっきりと自分のストレスを認識していた。そしてそれはつまり、ワタシ自信の欲求がどういうものなのかを認識しているということになる。
もっと、色鮮やかなデザインをしたい
世の中がモノトーンに染まっていく様を、じっと眺めていることなどできなかった。ある時期、そういった風潮に反発してあえてカラフルなデザイン案を何点も提案した事がある。それはことごとく却下された。センスがない。古い。仕事にならない。散々なことを言われた。傷ついた。思いっきり傷ついた。わかってはいたけど、わかってはいたけど、あんな言い方しなくてもいいのに。
ミサコが慰めてくれた。慰めてくれればくれるほど惨めになる。出口がない。時々ワタシは何をやっているのだろうという疑問で全ての思考が停止する事がある。これはもはや病気といっていいだろう、そう思ったとき、悩むこと、考えることをやめるべきだと思った。そしてそれは見事に成功したのだった。したはずだった。
最近は何も言われなくなった。言われたとおり、期待されたとおりに仕事をこなしている。
「なんだ。やればできるじゃないか」
最初はそんなことを言われたけど、今では何も言われなくなった。ミサコも声をかけてくれない。邪魔になら内容に、目立たないようにしていれば全てうまくいく。ストレスも感じなくなった。
でも、ストレスもないけど、同時に喜びもなくなっていた。
どんなに非難されようが、自分の思ったとおりの作品を作った時の喜びは、何物にも変えがたい充実感がある。かといって自己満足の作品を作ったところでそれはマスターベーションでしかない。出来上がった作品の素晴らしさをみんなで共有できてこそ喜びがある。
「南里君、南里君?おい、南里」
「あっ、はい」
不意に部長の声が遠くのデスクから聞こえてきた。いいえ、遠くなんかじゃないわね。
「すいません、ちょっと考え事していて……」
「あぁ、いいんだ。クライアントからOKがでたよ。あの内容でいいそうだ」
「あ、そうですか、わかりました。ワタシはC案の方がお薦めだったんですが……」
そう言い掛けて、言葉を止めた。もう、誰も聞いてはいなかった。
ワタシはそのままトイレに駆け込む。こらえきれないような嗚咽がこみ上げてきた。ぎりぎりのところで間に合った。わかっている。精神は誤魔化せても身体は誤魔化せない。お昼に食べたサラダの残骸が、トイレの渦に吸い込まれていくのを眺めながら、一つ大きくため息をついた。
用を済ませ、洗面台で顔を洗う。ぼんやりと鏡に映る自分の姿がなんとも不健康で汚らわしく思えた。不意に昔の童話を思い出す。
「鏡よ、鏡、世界中で一番醜いのは誰?」
鏡の中のワタシは沈黙を続ける。
「じゃぁ、これはどう?世界で一番優秀なデザイナーは誰?」
鏡の中のワタシはにやにやといやらしい笑みを浮かべながら、沈黙によってこたえる。
そ・れ・は・あなた……ではないことは確かです
ワタシは濡れたハンカチを思いっきり鏡に投げつけた。ハンカチは見事に鏡の中のニヤニヤしたワタシに命中し、下品な笑い顔をやめさせることに成功した。鏡の中のワタシの頬に涙が滴れていた。