第6話 出口
北村誠二は家を出た。
家から駅までは歩いて10分。自転車を使っていたこともあったが、少しばかり体重が増えてきたことを気にしだした頃に、「ちょうど」と言っていいのかどうか、或いはやはり、単なる偶然、そして確率論の問題なのか、5年間乗り続けていた自転車が盗まれてしまった。盗難届けを出す気にもなれない。うっかりカギをかけ忘れたのは自分なのだから。
「この街でカギをかけずに自転車を止めるって言うのは、どうぞ盗んでくださいっていっているようなものだ!」
自分の住んでいる街を説明するのに何度かそんな表現をした事がある。別に表に見えて治安が悪い街だとは思わない。人が多いのだ。ピッキングや車上荒らしの件数は近隣の地域ではトップである。不名誉な記録ではあるが物騒な事件――傷害事件や暴行事件などはあまり耳にしない。耳にしないだけで、ないということはないだろうが、テレビのニュースに取り上げられるようなことは、少なくともここ数年はなかったように思える。
自転車と徒歩でそれほど移動時間が変わるわけではない。しかし、劇的に変わる事がある。それは風景である。自転車に乗って走る街中と自分の足で歩いて見える街中では、目線の高さ、細い路地の小さな闇、街の雑踏が全く違うものになる。
「へぇ、こんなところにこんなお店があったんだ」
自転車で通勤していたときには気付かなかった飲食店、或いは狭い路地にひっそりと暮らす野良猫たち、コンビニの前でたむろをしている少女たちの笑い声、路地の植え込みに力強く咲いているタンポポの花。少し目線が変わるだけで、街の風景はがらりと変わった。
だが、それはいい。今は問題じゃない。いや、大きな問題だ。
もしも自分が未だに自転車を使っていたら、こんなに苦しまずにすんだのかもしれない。夢の記憶名断片は、街中のいたるところに無作為に放置され、数メートル歩くたびにまるで衝撃のように私の頭を襲う。気が狂いそうだ。
「デジャブというのはもう少しぼんやりとしたものだろう」
私は勝手にそう決め付けた。そうするしかなかったし、それはどうでもよかった。ただ問題は、記憶とともに襲ってくる衝撃、いや衝動、いや何だかわからない気持ちの高ぶり、そして嗚咽。
「くそう!なんなのだ!まったく」
私は仕方なしに走り出した。駅まではあと100メートル、いや200メートルか。ともかく一目散に駅へと走り、やっとの思いで駅のホームにたどり着いた。安全地帯……やっと一息ついた。いつもどおりの風景。大丈夫。もう大丈夫だ。
私はまだ時々襲ってくる嗚咽をどうにかこらえながら、朝のラッシュの中で少しずつ、本来の自分を取り戻していった。
「この息苦しい世界こそ、俺にとっての安息の場所なのかよ」
思いっきりの皮肉を追い詰められた精神状態の中から紡ぎ出す。大丈夫、もう大丈夫だ。いまなら、そう、冷静に考えられる。やればできるじゃないか。そうだとも、俺は冷静さ、夢ごときに日常を脅かされて、まったく情けない。情けないが……
私は気がついた。言い知れぬほどの高揚感の後の余韻がある。なぜかはわからないが自分の中には確かにそれはある。いったい何をなしえたのかはわからないが妙な達成感がフツフツと沸いてくるのがわかった。まるでそれは悪夢というプールの中を潜水で泳ぎきったかのような達成感であり、一人でいると自我が確認できずに崩壊していく様を、ぎりぎりのところで持ちこたえたような狂気からの回避――しかしそれは生きている限り、決して逃れることのできない定めでもあり、タイトロープのほんの一瞬の休憩場所にたどり着いただけに過ぎない。
満員電車が、なんら普段と変わらぬ日常への入り口、或いは悪夢からの脱出口であると北村誠二が思うようになるのは、それから数日経ってからのことである。