第24話 金縛り
意識ははっきりとしているのに体が動かない。かるい金縛りのような状態だ。恐る恐る目を開く。仕事で疲れて帰ったときなど、こういうことはたまにあったけれど、昼間、しかも電車の中で金縛りに会うとは我ながらほとほと情けない。
「寝過ごしちゃったのね」
そう口に出そうとして、それは失敗した。文字通りむにゃむにゃと口を動かしただけで、それは滑稽なほどに声にならない声であり、聴覚がしっかりしているのが疎ましかった。
まずは指先や足先に意識を集中して動けという命令を送り続ける。どうにもうまくいかない。
「このままだと・・・・・・」
そう思った矢先にそれは始まってしまった。
キーーーーーーン
強烈な耳鳴り
シュワーーーーー
炭酸の細かい泡の粒が耳の中ではじけるような音で満たされていく。
目に見えるものの遠近感がでたらめになる。近くなったり遠くなったり。やがて時間軸もいい加減になり、動いたり止まったり飛び越えたりする。こうなったらもう、念仏を唱えて備えるしかない。
アレが来る。
鈴の音、小さな鈴の音。小さな女の子の笑い声とともにこちらに近づいてくる。
アハハハ……、エヘヘヘ……
見たくないのに目を閉じることができない。聞きたくないのに耳をふさぐことができない。
チリンチリン……、リンリンリンリン……
鈴の音が増える。また別の女の子が近づいてくる。
フフフフ……、エヘヘヘ……
おかっぱ頭の顔のない女の子がわたしの周りをくるくると回りながら笑っている。わたしは必死で念仏を唱える。
「さよなら三角、また来て四角」
あの歌が始まってしまった。
「四角は豆腐 豆腐は白い」
わたしは小さいころ豆腐が嫌いだった。
「白いはウサギ ウサギは跳ねる」
友達が飼っていたウサギに噛まれて大泣きをしたことがある。
「跳ねるはカエル カエルは青い」
男の子にカエルを頭に載せられたことある。
「青いは柳 柳はゆれる」
柳はきらい。だって柳の木下には・・・・・・。
「ゆれるのは何? さぁ、あなたの番よ」
「いや、知らない。わたし、知らないもん」
「じゃぁ、教えてあげる。 ゆれるのはね……、ほら、こんなふうにゆれるのはね……」
「やめて、来ないで、あっち行って!」
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
誰かが優しくわたしの肩を叩いた。
「ここ、終点ですよ」
意識と体がわたしのものになった。
「あっ、すっ、すいません。ついつい眠ってしまって」
わたしの目の前にはとても優しい顔をしたおじいさんがたっていた。おじいさんの頭は見事に禿げ上がり、電車の電灯が反射して光っている。
「ありがとうございます」
わたしは立ち上がり、お辞儀をして、おじさんと一緒に電車を降りた。わたしたちが降りると電車の電気は消え、おそらくこの先にあるのだろう車庫へと向かって発車した。
少し寝汗をかいたようだ。気持ちが悪い。改札に向かって歩き出す。まるで雲の上を歩いているようなふわふわとした感じがおぞましかった。
「ゆれるは幽霊 幽霊は消える 消えるは電気 電気は光る……」
改札の出口で立ち止まる。
「光はおやじのハゲ頭」
わたしは病院にいくのを諦めて、懐かしい駅に降りてみることにした。
子供のころ、1年だけここに住んでいたことがある。小学校低学年。2年生の頃だったか。正直いい思いでは何一つない町だ。それはもうトラウマの1年といってよかった。
転勤が多かった父は、2年から3年で引越しを繰り返してきたが、この町での生活を最後に、ついに都内にマンションを買い、家族はそこに定住することになる。
わたしが住んでいた頃は、まだ、住宅もまばらで、ちょっとした空き地やため池があったりした。この土地になじめなかったわたしはありていに言えばいじめられていた。それは陰湿なというよりは、からかわれる対象だったということなのか。それまでコンクリートに囲まれて育ってきたわたしは、中途半端な自然というものがどうにも苦手だった。
その土地では当たり前の小さな生き物や雑草の生い茂る怪しげな雰囲気は、どうにも好きになれなかった。というよりは怖かった。そういう当たり前のものを怖がるわたしは、格好の餌食になった。ただ、それだけのことだといってしまえばそうなのだけれど、ともかくそんなわけで、わたしはこの土地で過ごした1年間は本当にいやで、いやで仕方がなかった。
「変われば、変わる物ね」
バブル期に開発が進み、立派な駅ビルが建ち、ロータリーが整備され、当時の面影はまったくない。いや、そもそも、わたしはここがどんな場所であるのか覚えていない。記憶はすっかり消去されている。でも、変わってしまったのは間違いない。それはわかる。
「でも、いやな場所には変わりはないわね」
ともかく昔すんでいたアパートを探してみようという気持ちになったのは、駅前がこれだけ変わってしまったのだから、もうそのアパートも跡形もないのではないかという、そういう期待があったからで、本当に見つかるとは、これっぽっちも考えていなかった。
「さて、どこをどう行けばいいのかしらね」
とても奇妙なことをしているという実感はあったけれど、この先奇妙ななことに遭遇するというような想像も期待も、警戒ですらわたしは、していなかった。だからわたしは、まったく無用心にこの町を散策することにしたのだった。




