第23話 放浪
目は覚めているが意識が戻ってこない。激しい疲労感が体を動かすことを許さない。かといって今の姿勢はどうにも居心地が悪い。いや、姿勢の問題ではなく、場所の問題なのか。ともかく一刻も早くこの場所を立ち去らねばならない。
「寝過ごしてしまったか」
口にしたのか、思っただけなのか、それすらもはっきりしない。そのままもう一駅進んだところでどうにか体をお越し、駅のホームに降り立った。
「ここは、どこだ」
駅の案内を探す。こういうものは探しているときには思うようにみつからないものだ。駅員に尋ねようとしたときに、ようやくその案内板を見つけた。一瞬駅員と目があったが、私は強引に視線を外し、駅員は見て見ぬふりをしたようだった。
「だいぶ行き過ぎてしまったようだ。これじゃぁ、診察は受けられそうにないなぁ」
もともと乗り気ではなかった上に、思うようにことが運ばず、予定もすっかり狂ってしまったことに、いささか情けないことではあるが、それでもこの方がよかったのだと思った。そしてそう思う自分がいることに、いたずら好きの少年が共犯の悪友を見つけたような、子供っぽい感覚が妙に気持ちよかった。
「また、出直すとするか」
臥せってもいられない。ここはこの状況を愉しむくらいでなければならない。そう思ったら急にいくつかの生理現象が襲ってきた。
「まずはトイレ、トイレっと、見知らぬ土地で飯を食うのも気分転換になるだろう」
トイレの案内はすぐに見つけることができた。用を済ませ駅を出る。
「このあたりはほとんど来ることがないからなぁ」
駅前にはバスのロータリーとタクシー乗り場がある。バスの路線は2つか、或いは3つあるようだ。駅の周りには牛丼のチェーン店やハンバーガーショップが並んでいる。まだ12時にはなっていないが、そこそこ人が入っているのがうかがえる。
「まぁ、その土地ならではのものなんて、そこまでは望まないにしても、こういうところで食べるのは、なしだな」
寝て起きたせいか、ずいぶんと体が楽になっている。気分もいい。
「とりあえず、ラーメン屋でも探すか」
ロータリーを出るとちょっとした商店街のようになっており、人通りはまばらではあるが、飲食店や何年か、何十年前からずっと時間が止まっているようなカバンや帽子の専門店が並んでいる。
最初は食事をするところを探すつもりだったが、なんとなく散策してみたいという衝動を抑えることができなかった。
「なんとも懐かしい感じの町だなぁ。少し、奥まで行ってみるか」
おそらくはそんなに先までは続いていないだろう。駅前のロータリーから右にあるその道は15メートル先しか見えないように緩やかに左にカーブしていた。反対側はバス通りで、車の往来も激しいが、店らしいものは見えなかった。
理髪店の前には赤、青、白のサインボールがぐるぐるとまわっている。歯科の前には子供乗せ自転車が数台止まっている。おそらくは昭和から変わらない佇まいの建物が何軒も並んでいる。古本屋の前には1冊100円と手書きの立札が、本以上にすっかりくたびれている。
「本当に懐かしいなぁ……。うん? あれは確か……」
それはよくある。そう、よくある狸の置物である。高さは1メートルほど。店の前には準備中の札が立てかけてある。居酒屋だ。どこにでもあるようなこの組み合せを、懐かしいと思うこと自体はなんら普通のことである。しかし、この懐かしいという感覚は情景としての懐かしさとはちがう、記憶の中の懐かしさである可能性に戸惑ったのである。
「おかしい。ここに来たことはないはずなんだが……」
理髪店、歯医者、古本屋に居酒屋。一つ一つにしっかりとした記憶があるわけではない。しかし、この並び、そしてこの右にカーブした道のこの景色。その中でこの狸の置物はアクセントとしてしっかりとした記憶がある。あるように思う。
「この先に、何があるんだ。いや、なぜ私はここの記憶があるんだ。なぜだ……」




