第18話 白い男
オレンジ、紫、赤、黄色。色とりどりのネオンが怪しく街を照らしている。
ピンク、緑、青。派手に着飾った娼婦たちが色目使いでこちらを見ている。
茶色で薄汚れた野良犬がゴミ箱の残飯をあさっている。
空を見上げると果てしない闇が広がっている。
星も、月も見えない。
聞きたくもない音楽が心を煩わせる。でも、それがどんなメロディで、どんなリズムなのかまるでわからない。
色鮮やかに見える風景はどこかでたらめで、憂鬱さを秘めている。いや、むしろもっと攻撃的でさえある。
私の存在を拒むかのようにはかなげだ。
なぜだ? なぜ私の顔をみて笑う。
通り過ぎる女たちは、皆私をみて笑っている。真っ赤な口紅がいやらしく、さげすむように吊り上り、目はさげすむように垂れ下がっている。腫れぼったい瞼は、金や銀、ピンクや紫が入り混じったような複雑な模様をしている。
気持ちが悪い。
吐きそうだ。
通り過ぎる男たちは黒いスーツに身をまとい、下向き加減で足早に走り去っていく。
皆、私をさけるように遠ざかっていく。
目と目を合わさないよう、そして決して口は開かない。靴音だけが頭に響く。
私は狂ってしまったのだろうか?
いや、この世界が狂っている。
そう、なぜならこの世界は夢の世界。夢の中。私の夢。私の――
「あなたには治療が必要です」
最初、老人が目の前に立っているのかと思った。なぜなら突然現れたその男の髪は、真っ白であった。髪の毛だけではない。全身が白である。白衣に身をまとい、にこやかに笑っている。その顔は若々しく、とても老人にはみえない。ただ、妙に声だけはくぐもって聞こえた。
「あなたには治療が必要なんです。北村さん。北村誠二さん」
同じことを繰り返すのはこの男の口癖なのだろうか?
「北村さん。あなたは今、世界が狂ってしまったと思っていますか? それともあなたがどうかしてしまったのではないかと疑っていませんか? ご自分のことを」
どうにも話し方が気に入らなかった。一度言えば済むことを二度いう。言っていなくてもそう聞こえる。
「どうでしょう? 私は夢の中にいるのだから、どんなことが起きてもおかしくないと思っています。そう思う自分ですら夢の中の自分なのですから、問いも答えも意味はないと思いますが」
白衣の男はにやりと笑った。口元から白い歯が見える。目を見開き白目がより大きく見えた。
「そうです! そうですとも! この世界は狂ってもいないし、あなたもおかしくはなっていない。しかし、夢は、ただ夢というわけでもないのです。夢には意味がある。このような夢を見るからには、それ相応の理由があるのです。ご存知でしたか? ご存知でしょうね。きっとあなたなら、わかっていらっしゃる」
どうしようもない嫌悪を感じ、何か罵声を浴びせようとしたとき、めまいに襲われた一瞬目の前の風景がぐらりと揺れて元に戻る。私は少しだけよろけたが、次の瞬間、何事もなかったかのように平静を取り戻した。
おかしい。私は今、この男に罵声を浴びせようとした。だが、浴びせようとした動機をいつの間にか見失ってしまっている。消失したのか、吸い込まれたのか、奪い取られたのか。ともかくこの男に対する嫌悪感は消え失せ、私は戸惑うしかなかった。
「いけません。一時の感情に惑わされては、せっかくの治療も無駄になってしまいます」
「無駄? 治療? なんのことだ。私は病気なんかに――」
そこで私は何か大事なことに気が付いた。それが何かはっきりとはわからないが、気が付いたということは実感がある。
「そうです。夢には意味があるのです。よく覚えておいてください。また、お会いしましょう。あなたには、治療が必要です」
真っ暗だ。いや、薄明り。豆電球。
私は目を覚ました。目覚めたという実感はないが、目が覚めたのはおそらく事実だ。なぜならここは私の部屋で、私のベッドの上だ。状況から見て、私は眠り、夢を見て、そして目覚めた。
「病気……なのか?」
私は翌朝、会社に連絡をし、風邪を引いたので病院に行くと伝えた。




