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〜永遠の追憶〜 -if-

作者: TAKA丸

〜永遠の追憶〜第一部は、

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第二部は、

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にて販売致しております。

 柔らかな木漏れ日がカーテンの隙間から室内に差し込んでいる。

 時計の秒針も心なしかゆっくりと動いているように思えるほど、穏やかな朝の訪れである。

「ん……」

 頬に当たる暖かな光を感じ、涼はベッドの上で寝返りを打った。

 決して不快ではないが、まだ眠りの世界から現実に戻る事を拒み、顔を陰になる方向へ向けて再び夢の中へ落ちて行く……。

 涼が再度、夢の世界へと旅立って暫くすると、部屋のドアが静かに開いて誰かが中へ入って来た。

「やっぱり、まだ起きてない。 ……いつまで経っても直らないんだから」

 呆れたようにクスリと笑い、その人物は忍び足で涼の枕元へと近付いて行く。

「もう、わたしが起こしてあげる訳にはいかないんだから、ちゃんと一人で起きる癖を付けなきゃ駄目だよ? ……だから、今日は起こしてあげない」

 そして、まだ惰眠を貪っている涼の顔を覗き込むと、そっとその顔を近付けて行った……。




「やっべーっ! 寝過ごしたぁぁーっ!」

 ドタバタと慌てて階段を駆け下りて洗面所に飛び込むと、これまたいつもの如くバシャバシャと顔を洗い、ガシガシと乱暴に歯を磨き、髪の毛を適当に……いや、今日ばかりは適当に整える訳にはいかないのだ!

「だぁぁぁぁーっ! 何でこういう時に限って寝癖が酷いんだよっ!」

 もういい! 仕方が無い!

 いつまでも髪型を直している時間の余裕は無いのだ!

 どうせヘルメットを被ってしまうのだから、向こうへ着くまでに寝癖も直るだろう。

「あ、そうだ! 何か少しでも腹に入れておかなきゃっ!」

 今日はゆっくりと食事をする暇など無いのだから。

 そう思ってダイニングに走り、電子ジャーの蓋を開けると……ご飯が無い。

 テーブルに置かれたカゴの中に……パンが無い。

「ちくしょう! 相変わらず休みの日には何も買ってないのかよっ!」

 普段なら、こんな時には雛子に泣きつくところなのだが、今日はそういう訳にもいかない。

 涼は泣く泣く食事を諦めて自分の部屋へ取って返し、荷物を抱えて火の元と戸締りを確認すると、庭先からバイクを引っ張り出し、エンジンをかけると同時に猛スピードで走り出した。

「くっそーっ! 人生初めての遅刻だっ!」




「皆さん、お早うございます」

 純白のリムジンから降り立った美耶子の姿に、その場にいた人間の視線が釘付けになった。

 決して華美ではないが、安かろう筈が無いと思わせるに充分なドレス。

 普段は和服でいる事が殆どの美耶子だが、ドレス姿もまったく違和感が無い。

 そればかりか装飾品も無いというのに、美耶子本人の美しさに今日は一段と磨きがかかっている。

 ちなみに隣に立つ雅も、美耶子とお揃いの物を着用している。

 双子姉妹の揃い踏みという事もあって、更に周囲の視線を集めているのだが……。

「こういう時に姉さんと一緒に行動するのイヤなんだけどな〜……」

 雅は自分と美耶子に少し差があるような気がしているらしい。

 傍目には判らないが、きっと微妙な違いという物があるのだろう。

「まあ……。 雅ったら、そんな寂しい事を言わないで下さい」

「だってさぁ〜……」

「わあ……雅ちゃん、凄く素敵よ」

「雅お姉ちゃん、綺麗〜!」

「え? ……そ、そう? そんな言い方されると、なんか照れちゃうな〜」

 佐由美と圭江が世辞ではなく本心からそう言うと、雅の機嫌は途端に良くなった。

 そういう佐由美も今日は薄く化粧をしており、普段とはまた違った印象を与える。

 着る物や、ほんの少しの化粧だけでも、女性はかくも美しく変身するものなのだろうか……。

「琢磨、解ったか? 女性には、ああして本心から賛辞の言葉を贈るのだ」

 真一郎は、ボケっと美耶子に見とれている琢磨に向かい、したり顔で言った。

「お、俺はいつだって本心から物を言っているぞ!?」

「勢いだけで堂々と言い切るのも考えもんだぞ? そこに照れや戸惑い、感嘆の感情が入るから真実として伝わるのだ。 こういうのは微妙なんだよ」

「だそうよ? 胡桃沢君」

「むう……。 なかなかに難しい物だな、浦崎……」

「はい……」

 琴音に話題を振られた皐月は、琢磨と顔を見合わせて互いに頷きあった。

 何しろこの二人ときたら、女性に関してはまだまだ修行不足だ。

「ま、二人とも、この俺様を見習ってだな……」

 とは言っても、あまり流暢に誉めまくるのも問題なのだが……。

「ところで……胡桃沢先輩は、もう妙蓮寺先輩に……?」

「ん? 俺が妙蓮寺に……何だ?」

「何? 浦崎君、わたしの事呼んだ?」

「あ、いえ、何でもありません」

「そう……? あ、雅、髪が跳ねてるわよ? こっちにいらっしゃい、直してあげる」

 琴音は高校を卒業してからも、雅とちょくちょく連絡を取り合い、

 雅が同じ大学に進学して来てからというもの、以前にも増して姉妹のような付き合いを続けている。

「いつまでも待たせていては、良くないと思いますが……」

「浦崎、さっきから何の話しをしているんだ? 会話はもっと簡潔明瞭にするものだぞ」

「琢磨、やめとけ。 胡桃沢先輩は、そういうのは涼と互角なんだからよ。 妙蓮寺先輩、色々と苦労してるんだ……察してやれ」

 雅と楽しげに何やら話している琴音を見遣りながら、真一郎は切なそうに言った。

「成る程……それでは心労が絶えんだろうな……」

 そういう琢磨だって、最近になってやっとそこまで理解出来るようになったばかりなのだから、あまり人の事は言えまい。

 一同がそんなやり取りをしていると、また一台の高級車が入って来た。

 黒塗りのリンカーン・コンチネンタル。

 運転手の開けた後部ドアから颯爽と降り立ったのは……。

「あら……。 こんな所に全員集合して、何を退屈そうにしていらっしゃいますの?」

「美奈ったら! おはようございます、皆さん」

 開口一番で言う美奈に、相変わらず紫がフォローを入れつつ挨拶を交わす。

 この図式は、きっといつまでも変わらないのだろう。

「お早う御座います、一之瀬さん、阿達さん」

「お早う美耶子さん。 ……で? まさか、私の迎えに出ていた訳でもありませんでしょう?」

「わたしも、たった今着いたばかりですので……」

 美耶子が首を傾げていると、

「いや、実は……涼の野郎が、まだ来てないんですよ」

「それで、俺達がこうして待っている訳なんですが……」

 と、真一郎と琢磨が言った途端、

「はあ? ちょっと! それ、どういう事よっ!」

「呆れた方ですわね、こんな日に遅刻するなんて」

 雅と美奈が同時に怒り始めた。

 日頃バーチャルな世界でコミュニケーションを密にとっているからだろうか、こうしてリアルの世界に出て来ても息は合っているようだ。

「美奈さん! これは、どう処理すべきだと思います!?」

「そうですわね……。 雅さん、ちょっと耳をお貸しなさい。 私に良い考えがあります」

 美奈は腕を組み、細く長い人差し指を口元に当て、その唇の端に酷く冷酷な笑みを浮かべた……。

「こ……怖……」

「真、放っておいて良いのか……?」

「俺に何とかしろって言うなよ? 俺にだって、出来る事と出来ない事がある」

 とそこへ、

「すみませーん! 遅くなりましたぁぁぁーっ!」

 息を切らして駆け込んで来たのは、恵と里美と、

「バカ野郎! てめえら金払えっ!」

 タクシーの運転手にお釣りをもらっている作矢だった。

「いいじゃない、それくらい出しときなさいよ! ホントにケチくさいんだから、五作は」

「フざけんなっ! 俺は今月ピンチだって知ってるだろうがっ!」

「作矢君、あとで払うから今は出しておいて。 わたし、細かいの持ってなくて……」

「里美は甘いなあ……わたしは意地でも払わないからね」

「こンの野郎〜……!」

 相も変わらずヤイヤイと言い合いを続ける作矢と恵を見て、一同はクスクスと笑い合った。

 こんなやり取りを見ると、まるで高校生の頃に戻ってしまったような気さえする。

「全員でここに突っ立っててもしょうがねえな……。 みんな、とりあえず中に入ろうや」

 真一郎の言葉に従って、一同は建物の中へと入って行った。




「おい環、涼の野郎はどうなってんだ?」

 窮屈そうにネクタイを左右にずらしながら恭一が言った。

 普段ネクタイなどする事が無い恭一にとっては少々鬱陶しいようだ。

「さあ? さっき電話したら留守電になってたから、家は出たみたいよ?」

「おいおい……。 ところで、こちらのご両親も姿が見えねえが……」

「お父様がダダこねてるみたいね」

「どこの家庭も母は大変だな……。 俺は特にやる事もねえし、ちょっと一服して来るよ」

 恭一が部屋を出ると、環は鏡の前に座る娘の後ろに立ち、その肩にそっと手を置いた。

「うん、とっても綺麗よ……」

 環は鏡越しに映る、椅子に座ったその娘に、感無量といった感じに声をかけた。

 思い起こせば、ここに辿り着くまでには色々な事があった……。

 それは決して平坦な道程ではなかったものの、今この瞬間の前では些細な事のように思えて来る。

「涼の初めての遅刻が今日とはね〜……。 いいネタが手に入ったわね。 これで一生苛められるわよ」

 それを聞くと、鏡の中の顔は 『しょうがないなぁ』 と言いたげに、しかし幸せそうに笑った。

 そう……今、自分はこれ以上無いくらいに幸せなのだ。

 油断すると涙が溢れてしまいそうになる程に……。

 静かに目を閉じ、その幸せを噛み締めてみる。

 数々の思い出が、まるで昨日の事のように思い出される。

 しかし、あの楽しかった日々は過去の物ではなく、これからも永遠に続いて行くのだ……それが何より嬉しい。

 と、そんな風に考えていると、突然ドアが開き、

「悪いっ! 遅れたっ!」

 けたたましく中に飛び込んで来た人物がいた。

「お馬鹿っ! そんな解りきった事を言う前に、もっと大事な事があるでしょっ!」

「へ? 何かあったっけ……?」

「はぁ……。 ねえ、こんな馬鹿でホントにいいの? 今からでも中止に出来るわよ?」

 苦笑しながら言う環に手を取られ、静かに椅子から立ち上がるその娘を、涼は言葉も無く、ただ見つめていた。

「ほら! いくら何でも、もう言うべき言葉は見つかったでしょう?」

「あ、ああ……」

 涼は一歩二歩と近付き、笑顔を浮かべて言った。

「綺麗だよ……利恵」

「ありがとう、涼……」




 バージンロードを、洋二に腕を預けた利恵が静かに歩く。

 その先には、直りきらなかった寝癖をつけたままの涼が、緊張した面持ちで立っている……。

「う……うう……」

「ちょ、ちょっと、お父さん! まだ泣かないでよ!」

 さすがにこのタイミングで泣かれては、歩き辛い上に照れ臭い。

 利恵は慌てて小声で洋二に言った。

「これが泣かずにいられるか! 大事な一人娘が盗られる瞬間なんだぞ!」

「ほら、お母さんが睨んでるわよ? あとで怒られたって知らないから」

 利恵に言われて洋二が視線を廻らすと、本当に祥子がこちらを睨んでいるのが目に入った。

 まあ、こういう日に父親が泣く気持ちも理解出来なくは無いのだろうが、さすがに利恵と同じで、もっとあとにしてもらいたいという気持ちが、その眼差しにありありと伺える。

「う……。 し、しかし、今日の父さんは怯まんぞ!」

「はいはい。 わたしが出て行ったら、もう一人作ってちょうだいね? あ、わたし妹がいいなぁ〜」

「またこんな気分を味わうのはゴメンだ! 今度は男の子がいい!」

「頑張ってね、お父さん」

 クスクスと笑いながら利恵が言うと、洋二はやっと顔に笑みを浮かべた。

「……涼の奴、斬新なヘアスタイルしとるな」

 真一郎が苦笑しながら、隣に座っている琢磨に言った。

「大方、寝坊したもので直している時間が無かったんだろう。 しょうのない奴だな、まったく。 ……ところで、真」

「ああ、解ってる……やっぱ複雑だろうぜ? 祝福したい気持ちはあるだろうけど、色々な感情がゴチャ混ぜになってるだろうな……」

「そうだな……」

 二人は少しだけ首を動かし、自分達の斜め後方を見た。

 そこにはポニーテールを解き、サラサラのストレートヘアになった雛子が、真っ直ぐに利恵を見つめて座っている。

 やがて利恵は、雛子の隣に差し掛かった。

(ヒナちゃん……)

(利恵ちゃん……)

 一瞬、お互いの目を見つめ合うと再び視線を戻し、利恵は前に歩を進めた……。

 教会内にパイプオルガンによる厳粛な演奏が響く中、洋二と利恵は静かに祭壇の前に到着した。

 そして利恵が洋二から腕を離し、今度は涼にその腕を託す。

 その際、洋二に一睨みされて、涼と利恵は一緒に苦笑した。

「バージンロードって、結構長いんだな……。 待ってる間に欠伸が出そうだったぜ」

「そうだね〜……。 それに天井、こんなに高かったっけ? リハーサルの時には、もっと低く感じたんだけどな……」

「しかも、このキャンドルライトと花の豪華さと来たら……正規の値段は想像もしたくねえな」

「さすが登内家御用達だね……」

 通常、一般人の結婚式で、この教会が使われる事など無い。

 当然ここを使う人間はそれなりの地位にある者か、もしくはかなりの財力を持っている者に限定されるのだ。

 それがどうして二人の結婚式をここでしているかと言うと……まあ、説明する必要もあるまい。

「雅がどうしてもって言うから使わせてもらったけど……」

「分不相応な事をすると、あとでバチでも当たりそうな気がするよな……しかも、料金設定が世間一般並みにされてるし」

「あんまりお金の事ばっかり言いたくないけど、やっぱり考えちゃうよねぇ……」

 しかし、式の最中にいつまでもそんな事を話している訳にはいかない。

 二人は厳かな雰囲気の中、再び真剣な表情を浮かべた。

「やれやれ……」

 利恵を涼に託した洋二が祥子の隣に腰掛けると、いきなり祥子にお尻をつねられた。

「いたた! 何するんだ祥子!」

「まったくもう……最後くらい父親らしく毅然と出来ないんですか?」

「父親らしく? していたじゃないか。 あれこそ全国の父親の気持ちだ」

「あなたはいつから父親代表になったんです?」

「母親には解らんさ、娘を盗られる父親の寂しさは……」

「そうですか。 じゃあ、あとで一緒に父に訊いてみましょう? あなたにわたしを盗られた時の気持ちとやらを」

「……それは遠慮しておく」

 そして全員が起立し、賛美歌の斉唱が始まる。

 その後暫くの間、聖書の朗読に祈祷、式辞と牧師さんのワンマンショーが続く。

 だが、圭江はすっかり飽きてしまい、先程からしきりに欠伸を繰り返している。

「圭江、お行儀が悪いわよ?」

 そういう佐由美だって少し退屈気味なのだが、やはりここは姉としての威厳を保たなければいけないので、圭江に注意する事を忘れる訳にはいかないのだ。

「だって退屈なんだもん……。 ねえ、お兄ちゃん達、まだキスしないの?」

「そっ、それは誓いの儀式なんだから、見世物みたいに言わないのっ!」

「だって〜……。 タマは、それが楽しみで来てるのにさあ……」

「そんな不謹慎な事を言ってると、今にバチが当たるからね?」

 まったく、そんな所ばかり大人びてるんだから……と、佐由美は苦笑した。

「わたし、あそこに立ちたかったな……」

 純白のドレスに身を包み、幸せそうに微笑んでいる利恵を見ながら恵は言った。

「恵……」

「でも、しょうがないよね。 涼先輩が選んだのは、利恵先輩なんだもん。 ヒナ先輩でさえ選ばれなかったのに、わたしが選ばれる訳ないよね……」

「……恵? お祝いしに来たんだよ? アタシ達」

「そんな事解ってるわよ……。 それに、アタシって言うな! わたしと言え!」

「はいはい」

 大丈夫。

 恵はちゃんと理解しているし、心から祝福する気持ちがある。

 里美は安心して笑った。

「では、指輪の交換を……」

 宣誓が終わり、牧師の言葉で指輪が用意される。 

 しかし、運ばれて来た台の上には指輪が一つしか乗っていない。

「あれ? ……涼、わたしの指輪は?」

「さあ?」

「さあって……まさか、忘れて来たんじゃないでしょうね!?」

「冗談だよ。 ……ほら」

 涼が利恵の左手を取り、ポケットから取り出した指輪を薬指にはめた。

「お前、これがいいって言ってたろ?」

「うん……。 これじゃなきゃダメなんだ」

 それは利恵の誕生日のプレゼントとして……クリスマスプレゼントも兼ねて、利恵の一時帰宅の日に涼が初めて贈った指輪。

 利恵が病に打ち勝つまで……涼が再び迎えに来るまで……。

 その約束通りに、涼が大切に預かっていた指輪……。

 涼と利恵が手を合わせ、その上に牧師が手を重ねて神の恵を祈る。

 そして、二人が正式に夫婦になった事を宣言すると、再び全員が賛美歌を合唱した。


 その後、牧師が神に祈りを捧げ、一同は静かに黙祷する……。




「おめっとさ〜ん!」

 涼と利恵が教会の外に出ると同時に、真一郎の掛け声と共に物凄い量のフラワーシャワーとライスシャワーが二人に襲い掛かって来た。

「おめでとう、高梨さん」

「琢磨様、もう高梨さんではなくて、宇佐奈さんですよ?」

「あ、そう言えばそうですね。 しかし、それだと呼び辛いな……」

 今までずっと呼んで来た名前を、いきなり切り替えるのは難しい。

 しかも、自分の親友の苗字に 『さん』 を付けて呼ぶというのも、どうにも抵抗を感じてしまう。

 かといって 『利恵さん』 と呼ぶのはもっと抵抗を感じる……。

「お、俺はどうしたらいいんだっ!?」

 祝福のライスシャワーをかけるのも忘れ、琢磨は真剣に考え込んでしまった。

「二人とも、おめでとう!」

「宇佐奈! 我が陸上部の期待の星を奪いおって! 幸せにしなかったら、ただでは済まさんぞっ!」

 琴音と皐月が並んで涼達にフラワーシャワーで祝福する。

 そう、二人は本当に嬉しかった。

 琴音もそうだが、皐月にとっても利恵は妹のような存在である。

 それが今、自分の目の前で幸せに包まれて笑顔を浮かべている……これ以上の喜びは無いのだ。

「涼、大事にしてやれよ! 利恵ちゃん! 何かあったら俺の所に来るんだぞ!」

「恭一が言うと、何か別の意味がありそうな気がするのよね……」

 環は、ジトっとした視線を恭一に送りつつ言った。

「だいいち、何で利恵ちゃんが恭一の所に行かなきゃなんないのよ」

「いや、俺もそろそろ身を固めようかと思ってな」

「……わたしの娘に手を出したら殺すからね」

「じょ、冗談に決まってるだろ! バキバキ指を鳴らすなっ!」

 しかし、その場合には環が手を下すまでも無く、雅配下の者の手によって瞬殺されるであろう……。

「涼先輩! おめでとうございます!」

「利恵先輩、おめでとうございます! お二人とも、お幸せに!」

 作矢は、尊敬する真一郎の無二の親友である涼と、憧れの先輩である雛子の親友である利恵の二人が結ばれた事が、心底嬉しかった。

 それは隣に立つ里美も同じようで、作矢と顔を見合わせてニコニコしている。

 その場にいる全員が二人の門出を祝い、祝福しているのだ。

 涼は利恵の手を取りながら階段を下りつつ、みんなからの祝福を受けている自分が信じられなかった。

 何となく他人の結婚式を中継で観ているような気分だ。

 けれど隣りで笑っているのは間違いなく利恵だ……本気で愛した女性が隣りにいる……。

 だが、そんな気分を味わっている最中にも、撒き散らされる祝福のシャワーは減るどころか、どんどんその量を増して行く。

「きゃあっ! ちょっとちょっと、こんなに撒く物じゃないでしょ〜?」

「うわっぷ! てめえ、真! 俺の顔面ばっか狙うなっ!」

「ふっふっふ……甘いぞ、涼! お前を狙ってるのは俺様だけじゃないのだ!」

「え……?」

 真一郎に言われて見ると、ぶつけ易いように涼の側に立っているのは、

「おめでとうございますぅーっ!」

「渾身の力を込めて、お祝いしてあげるわっ!」

「娘をよろしく頼むぞ!」

 恵に雅、それに何故か洋二までが加わっている……。

「あら、紫は加わらないの?」

「わ……わたしは、ぶつけるよりも、ちゃんと祝福してあげたいわ」

「……では、高梨さんにぶつけましょうか? 大丈夫ですわ。 これだけの量ですもの、誰がぶつけたかなんて判りはしません」

「美奈っ!」

 美奈を叱りつつ、しかし、紫は嬉しそうだった。

「雅と恵ちゃん、それにお父さんと……三人で連合軍になったみたいね。 敵は涼一人みたいよ?」

「カンベンしてくれよぉ〜……ん?」

 ふと気付くと、その三人の陰になるようにして、誰かが涼に投げ続けている。 

 しかしながら、それは涼まで届かず、すぐ手前に落ちてしまう。

 小柄な女の子……。

 もう見慣れてしまって、どんな格好をしていても一目で見分けられる女の子だ……。

「ヒナ……」

「……」

 雛子は無言のまま、顔を俯き加減にしてチビチビとライスシャワーを投げ続けている。

 涼は利恵の傍から離れると階段を下り、真っ直ぐ雛子の傍へと近付いた。

「あ、涼……」

 突然、自分から離れて行った涼を呼び止めようとした利恵だったが、向かう先に雛子がいる事に気付くと、そのまま言葉を飲み込んだ。

「ヒナ」

「……」

 目の前に立った涼を、雛子は微妙な表情を浮かべて見上げた。

 ずっと昔から変わらない身長差……。

 いつも無意識に、この角度で上を見上げてしまう癖が付いている事に気付いたのは、いつの事だったろう……。

「ここなら届くだろ。 ……ちゃんとぶつけろよ?」

「涼ちゃん……」

「ヒナ、俺は……」

 雛子は手にした籠を足元に落とすと、そのまま涼に抱きついた。

「何も言わなくていいよ、涼ちゃん……判ってるから。 ちゃんと解ってるから、わたし……」

「ヒナ……」

「幸せになってね……。 絶対に利恵ちゃんを幸せにしてあげてね?」

「ああ、約束するよ……」

「絶対に絶対だからね? 約束破ったら、怒るからね?」

「ああ、解ってるよ」

 涼は、二、三度雛子の髪を撫でると、静かにその肩を掴んで自分から離し、雛子に背を向け、利恵の元へと戻って行った。

「……もういいの? 涼」

「ああ」

「それじゃ……。 お〜い! ブーケトス、いっくわよ〜!」

 利恵が後ろを向き、思い切りブーケを投げようとした瞬間、女性陣の目付きが変わった。

「むっ!? これは、わたしが頂きますぅっ! 雅先輩になんか負けません!」

「何のっ! 恵ごときに渡してなるものかっ!」

「二人の目の色が違う……」

 ガシガシと肩で互いを牽制しあう雅と恵を見て、里美は参加するのはやめようと思った……。

「なあ琢磨、俺が取ったら幸せになれるかな?」

「お前は嫁に行く気かっ!?」

「琢磨、俺様を貰ってくれ」

「……地球が砕け散ろうとも断る。 いいから大人しくしていろ」

 本気でブーケを受け取りに行こうとする真一郎を、琢磨は襟首を掴んで引き止めた。

「それっ!」

 利恵の手から放たれたブーケは綺麗な放物線を描き、待ち受ける女性陣の上へと飛んで行く。

「お姉ちゃん、タマがもらってもいいんでしょ?」

「う〜ん……。 圭江には、ちょっと早いわね」

 内心、自分も取りたいなと思いつつ、佐由美は圭江と手をつないだまま、ブーケの行方を目で追っていた。

「今だっ!」

「あっ! しまったっ!」

 恵と雅がジャンプして取ろうとしたが、運悪く二人の指先が同時にブーケを弾いてしまった。

 ブーケは再び弧を描き、更に後方へと飛んで行く。

「あらあら、わたしの方へ飛んで来ましたねぇ……えい」

 何を勘違いしたのか、美耶子はブーケを打ち返して、明後日の方向へ飛ばしてしまった。

「ちょっと姉さん、何やってるのよっ! 受け取らなきゃダメでしょ!?」

「あら、みんなで打ち合うゲームではないのですか?」

「……どんなイベントよ、それ」

 そして、美耶子に弾き飛ばされた可哀想なブーケは、

「と……取っちゃった……」

 雛子の手の中に収まった……。




 披露宴会場は和気藹々とした雰囲気で満たされていた。

 当然、会場のどこを見ても笑顔以外の顔は無い。

 男性陣はネクタイを緩めて上着を脱ぎ、すっかり寛いでいるし、女性陣は皆それぞれ談笑して盛り上がっているようだ。

『え〜……。 それでは新郎側のご友人を代表致しまして、掃部関真一郎様より、ご祝辞を賜りたいと存じます』

 司会進行役の皐月の紹介を受けた真一郎はおもむろに立ち上がると、景気付けの為か、ピッチャーに入っていたビールをそのまま一気に煽り、マイクが置かれている場所まで歩いて行く。

『あ〜あ〜……テステス……。 こほん……。 涼君、利恵さん、ご結婚おめでとうございます』

 真一郎は真面目な顔をして友人代表の挨拶を始めた。 

 それを聞いた会場の一同は、全員意外そうな顔をしている。

「ほう? 真にしてはマトモな出だしだな」

「いくら掃部関先輩でも、祝辞くらいは真面目にやるんじゃないすか?」

 素直に感心している琢磨に、一応、真一郎の二代目を自負している作矢は言った。

「わかんないよ〜? カモ先輩だもん。 ……絶対に何か企んでるに決まってるって」

 それに対し、絶対に真一郎が何かしでかすと期待している恵は、クスクスと笑っている。

「掃部関君て、そういう人なの?」

「まあ見てなさいよ、橘さん。 絶対に面白いから」

 高校三年間を通して真一郎を見て来た雅も、その行動パターンは知っている。

 やはり恵と同様、何かやってくれると期待しているようだ。

「雅ちゃんも恵ちゃんも……悪趣味だよ?」

「何々? ヒナお姉ちゃん、何が始まるの? タマにも教えてよぉ」

 しかし圭江だけは、よく状況が飲み込めていないようである。

『私、掃部関真一郎は、新郎の涼君とは中学時代からの友人でありまして、新婦の利恵さんとも、やはり中学時代からの友人であります。 思えば、この晴れの善き日を迎えるまでには、そりゃあもう色々な事がありました……。 ですが今となっては、それも懐かしい思い出の一つに過ぎません』

 一部の期待を他所に、淡々と真一郎の挨拶は続く。 

 それはいかにも友人代表の挨拶らしく、聞いている来賓の中には、ウンウンと頷いている者までいる。

「……なんか調子狂うな」

「真君が真面目に挨拶してる……。 やだなあ、何だか不気味だわ」

 涼も利恵も、いつもの真一郎らしからぬ挨拶に戸惑っているようだ。 

 しかし、真一郎が最後まで真面目に挨拶などする訳も無く……。

『思い出……それは人を語る上で無くてはならない物です。 という事で、まあ良い機会ですから、涼君の人となりでもお聞かせしましょう。 この宇佐奈涼という男は、そりゃあもう鈍感で、世間の事情に疎くて、ましてや男女の機微など微塵も意に介さないという、実に阿呆な奴でして……』

 徐々に変わって行く話の流れに、会場の一部からはヒソヒソと何かを話す声も聞こえ始めた。

 まあ、真一郎の事を知らない人もいるのだから、それも当然だろう。

「ほらほら、段々カモ先輩のパターンになって来た〜!」

「恵ったら、何を期待してるのよ!」

「何が起こるか楽しみね〜」

「雅先輩も! ……あれ? 二人とも、お酒呑んでるっ!?」

「無礼講じゃ。 硬い事を言うな、里美」

「そうそう」

 普段、顔を会わせれば言い合いをしている雅と恵だが、酒の力もあるのか妙にコンビネーションがいい。

 そうしている内にも真一郎の挨拶は進み……。

『だが、涼君は優しい! 本当に優しい奴なんです! 私もその優しさに惹かれ、抱かれてもいいと思った事も一度や二度ではありません!』

 真一郎は拳を握り、それを胸の前でかざして力説する。 

 もう既に自分の世界に入ってしまっているようだ。

「気色の悪い事をぬかすなっ!」

「あはははは。 いつでも言って、貸してあげるから」

 ようやくいつもの真一郎らしくなったので、涼も利恵も笑っている。

 やはり真一郎はこうでなくてはと、二人で顔を見合わせ、頷き合った。

 そして真一郎はスタンドからマイクを外すと、ゆっくりした足取りで涼と利恵の傍まで歩きながら挨拶を続けた。

 が……。

『……しかしながら、その優しさが時に人を悲しませたり、傷付けたりする事もあります。 その為に、今日まで何人の女性が涙を流したか知れません!』

 涼を見ながら含みを持った笑顔を浮かべ、真一郎は言った。 

 少々酔いが回っているのか、その顔は幾分赤いように見える。

「はあ? いきなり何を言い出してんだ、お前は。 俺は女を泣かした事なんてねえぞ? 男以外と喧嘩した事ねえし」

「何ですって……?」

 涼は解っていないようだが、それを聞いた利恵が黙っていよう筈が無い。 

 普段どんな態度をとっていても、利恵が想いを寄せるのは涼ただ一人なのだから。

「おい、真! 何を……」

 思わず腰を浮かせた琢磨だったが、これはどうしようもないと判断したのか、再びその場に腰を下ろした。

「始まった〜! カモ先輩オンステージ!」

「いいぞ〜掃部関君! もっとやれ〜!」

「まあ……。 宇佐奈君は、いじめっ子だったのですか?」

 雅と恵は大喜びで真一郎にエールを送っている。

 どうやら既に酔っているらしく、涼が困った顔をするのが楽しいらしい。

 美耶子は相変わらず的外れな事を考えているようだが、そこから少し離れたテーブルでは……。

「涙を流した女性ですって……。 誰の事かしらね? 紫」

「さ、さあ? 少なくとも、わたしには関係無いと思うけど?」

「宇佐奈君も業を背負っているわね。 ……その内、誰か乱入して来るのではなくて? 刃傷沙汰にでもなったら怖いですわ」

「……美奈、いい加減にしないと怒るわよ?」

「はいはい」

 どうも最近、美奈は真一郎の悪い影響を受け過ぎているようだ。

(掃部関君にも、あとで少し言っておかなくちゃ……)

 と、紫は静かにワイングラスを傾けた。

 しかし、今回の主役はと言うと……。

「……何人もの女性? 涼……どういう事……?」

 真一郎の口から飛び出した言葉で、利恵はかなりエキサイトしている。

 まあ、衣装が衣装だけに、いつものような蹴りは飛び出さないが、今にも涼の胸倉を掴みそうだ。

「し、知らねえよ! おい、真! お前、何適当な事言ってんだ!」

『私は、その全てを見て来たのです! その度に、私もその切なさに涙しました……ええ、そりゃあもう一緒に泣きましたとも! どうしてこんな男が女性に人気があるのか全く解りません! 私の方が何倍も素敵だと思うのですが……涼君、その辺どう思います?』

『知るかっ! 俺にマイクを向けるなっ!』

『そんな事より! その何人もの女性ってトコを詳しく話しなさいよっ!』

『知らねえって言ってるだろ! 俺にそんな事出来ると思ってんのか!?』

『あんたや琢磨君みたいなのが意外と危ないのよね〜。 一見すると真面目そうなんて人は、裏で何をしてるやら……』

 利恵は、横目でチラリと琢磨を見遣って言った。

「なっ、何で俺までっ!」

「琢磨様、どういう事です……? 返答次第では、敬慕する琢磨様と言えど許せません!」

「美耶子さん、落ち着いて! 俺には疚しい事などありませんよ!」

「酷いわ浦崎君! 姉さんを弄んだのね!」

「雅さん、それは誤解だ! 俺は何もしていない!」

「わ、わたしは……わたしは琢磨様の何なのですかっ!? はっきりと仰って下さいまし!」

「美耶子さん……。 そ、それは……」

「すぐに言えないところが益々怪しいわ〜っ! 可哀想な姉さん……」

 一途さにかけてはメンバー内で一、二を争う美耶子に、この手の冗談は通用しない。

 調子に乗った雅まで参加して、誤解は大きく広がって行く。

 そして徐々に混沌として来た会場に、更に真一郎の声が響く。

『ま、結婚前に遊んだ男は後で真面目になるってえから、それはそれでいいんじゃねえか? 何はともあれ、カンパ〜イ!』

『真! てめえは……誤解を解いてから結論を出せっ! 俺は何もしてねえっての! ……だから、俺にマイクを向けるなっ!』

『そ……それじゃあ、結婚した後が危ないって事!?』

『利恵! お前も、いつまでも真と一緒になって遊んでんじゃねえっ! ……つーか、それ以前にいちいちマイクで喋るなっ!』

『ではここで、とっておきの話しをしてやろう! こいつは昔、とある場所で……』

「掃部関、お前はもう下がれ! 危なくて敵わんっ!」

『ちょ、ちょっと胡桃沢先輩、これからが面白くなる所なのに! 実はこいつは……モガモガッ!』

 真一郎は皐月に羽交い絞めにされたまま、ズルズルと会場の外へと引きずられて行った。

 その際、何か叫ぼうとしたのだが、皐月に口を塞がれた為、その声は会場内には届かなかった……。

『え〜っと……司会が中座してしまいましたので、あとはわたしが引き継ぎます。 では新婦側のご友人を代表致しまして、登内雅様よりご祝辞を賜りたいと……あ! こら、雅! ちょっと待ちなさ……』

 何とか場を繋ごうとした琴音だったが、そこまで喋ったところで雅にマイクを奪われ、

『何で……? ど〜して宇佐奈君は、アタシを選んでくれなかったのぉぉーっ! あんなに尽くしたのにぃぃーっ!』

 雅の魂の叫びとも言える台詞が会場内を駆け抜けた……。

 琴音は必死にマイクを奪い返そうとするが、酔った雅の力は想像以上に強く、全く歯が立たない。

 そればかりか……。

『雅先輩っ! それなら、わたしだって言いたいですぅっ! わたしだって……わたしだって一生懸命やったんですぅっ! それなのに……何でですかぁっ! どうしてわたしを捨てたんですかぁっ!』

 と、恵まで乱入して来た……。

「あ……あなた達、酔ってるわねっ!?」

『琴音先輩! こんな日に酔わなくて、いつ酔うんですか!』

『わたしは……わたしは涼先輩に、ずっと酔っていたかったのに……。 利恵先輩のバカーッ!』

『よ〜し、恵! もっと言ってやれ! 利恵のアホーッ!』

 酔った時に出る言葉には、多分に本音が含まれている事が多い。

 それは受け取り手や言う人間にもよるのだろうが、雅と利恵の場合、どちらもお互いに本音をぶつけ合う関係の上に直情径行型である為、素面か酔っているかなどは一切考慮されない……。

「……何だとぉぉぉぉぉ〜っ!?」

「こらこら利恵! 酔っ払いの言う事に、いちいち反応すんなって!」

「何を呑気に構えてんのよ……大体! 涼が早くハッキリしなかったから、こんな事になるんでしょっ!」

「俺のせいかよ……」

 涼に文句を言ったあと、利恵はテーブルに置きっ放しになっていたマイクを掴むと椅子から立ち上がり、

『ほ〜っほっほっほ、何とでもお言い! あんた達が何をどう言おうと、負け犬の遠吠えにしか聞こえないわ!』

 と、高らかに勝利宣言とも取れる発言をぶちかました……。

『おのれ利恵ぇぇぇ〜……! 絶対に宇佐奈君を奪ってやるからね!』

『覚悟するです、利恵先輩っ!』

 雅と恵は互いに肩をガッチリと組み、利恵に向かって中指を突き立てて吠えまくる。

『面白いわ! やれるもんならやってごらん!』

『やってやる……やってやるわよっ! 佐伯さん! アタシ達に協力しなさいよね!』

「わっ、わたしっ!?」

 ハラハラしながら事の成り行きを見守っていた雛子だったが、突然話を振られて、どうしていいのか解らないようだ。

 でも本音を言えば、ちょっと協力したい気持ちが無い訳でもない……。

『宇佐奈君を盗られて悔しいでしょ? 悔しいわよね? ……もしも悔しくないなんて言ったら絶交よっ!』

『ヒナ先輩! わたし達と共に頑張るですぅっ!』

「何でぇぇぇ〜……?」

 この一連の流れを目の当たりにした両家の親戚一同は、皆一様に頭を抱えていた。

 ただ……。

「う〜ん……。 ここまで女の子に人気があるとは知らなかったわ」

 環は腕組みをしながら、その様子を眺めていた。

「涼なら俺の二代目を継げそうだな」

「恭一の跡なんて継いで貰ったら困るわよ」

「何でだ?」

「利恵ちゃんを殺人犯にする訳にはいかないでしょ?」

「被害者は涼か……納得だ」

 きっと、その時には止めに入っても無駄だろうと恭一は思った。

 絶対に環も共犯になるだろうし……。

「……やはり、この結婚は取り止めにした方がいいかも知れんな」

 洋二は眉間に皺を寄せながら言った。

 可愛い一人娘の相手として、涼は申し分無い男だと思っていたのだが、真一郎の話や雅達の言動を聞いていると、段々不安になって来たのだ。

「さすが、わたしの息子になる男の子ね。 これくらいの器量が無くちゃ困るもの」

「おいおい祥子、あとで泣くのは利恵なんだぞ?」

「大丈夫ですよ。 だって、利恵が選んだ人ですもの。 自分の娘の目を信じなくちゃ」

「……そういう言い方はずるいぞ」

 どうやら両家の母親だけは、何の心配もしていないようである……。




「一番、掃部関真一郎! 困った時の琢磨をやるますっ!」

「やらんでいいっ!」

 無事に結婚式も披露宴も終わり、今は気心の知れたメンバーで二次会の真っ最中である。

 さすがに涼や利恵の家では全員を収容するだけのキャパは無いし、店に入ると言っても、このメンバーでは時間無制限になってしまうという事で、結局、毎度の如く登内邸の大ホールに集まる事になったのだが……。

「はいっ! メインの料理が出来ましたぁっ!」

 雛子が額に汗を浮かべつつ、登内家の給仕やメイドと共に次々に料理を運んで来る。

 当然、厨房では一流の料理人達が腕を振るっているのだが、その中に入っても雛子はまったく引けを取らないどころか、いつの間にか主導権を握ってしまっていた。

 最初は研究の為に見学していたのだが、その内に自分も参加したくなってしまったのだ。

 料理好きの性である……。

「押忍っ! 五味作矢、誠心誠意、心を込めて頂きますっ! ソースの一滴も残さない覚悟でありますっ!」

「こらあっ! 俺様を差し置いて先に食うなど十年早いわっ! 引っ込んでおれ小僧!」

「俺は雛子先輩の料理を食うチャンスなんて滅多に無いんす! 相手が掃部関先輩だろうと、これは譲れねえっす!」

「ならばっ! この俺様を倒してから食うが良いっ!」

「腹ペコ小僧の底力、甘く見ない方がいいっすよ……!」

 真一郎と作矢はナイフとフォークを使い、テーブルの上に並べられた料理の争奪戦を始めた。

 カキン! カキン! と、激しい鬩ぎ合いが続く中、

「宇佐奈さん……わたしはね、嬉しいんですよ? お宅のご子息は、そりゃあ立派な若者ですからね……ええ、文句なんてありませんとも!」

 洋二が環に向かって何やら愚痴り始めた。

「あ、はあ……。 それはどうも……」

「でもですよ? ど〜してわたし達ではなく、あなたと同居するんでしょう? あんまりだと思いませんか? あんまりでしょう? 宇佐奈さんっ!」

「あなた、呑み過ぎですよ! 申し訳ありません、宇佐奈さん……」

 祥子が洋二を諌めるのを、環はクスクスと笑いながら見ている。

「お寂しいんですわ、仕方ありませんよ」

「寂しい? わたしが? じょ〜だん言ってもらっちゃ困ります! これからまた一人……いや! 十人は家族を増やして見せますよ!」

「あ、あなたったら! そんな事、大声で……」

 周りをキョロキョロ見回しながら慌てている祥子を見て、環はまた笑った。

「お名前は、もうお決めになったのでしょうか?」

 別のテーブルでフルーツを食べながら、不意に美耶子が言った。

「利恵は宇佐奈君の苗字を使う事にしたんだって。 アタシは高梨涼ってのもいいと思ったんだけどね。 ……あれ? 姉さんも知ってるでしょ?」

 雅も同じテーブルで、カクテルを呑みながらリラックスしている。

 やはり雅にはフォーマルな服は少々窮屈だったようで、今は着替えてホっとしている。

「いえ、そうではなくて、お二人のお子様のお名前です。 男の子でしょうか? それとも女の子でしょうか? わたしは女の子がいいですねぇ」

「ええっ!? 何よ、もうそんな事になってる訳っ!?」

「あら? だからご結婚されたのではないのですか?」

「姉さんて、時々物凄い事口走るよね……」

 しかし、これでは二次会と言うより、ただの大騒ぎ会場のようである。 

 何しろ主役の二人はそっちのけで、各自思い思いに盛り上がっているのだから。

「何だか、わたし達の事はどうでもいいみたいねぇ……」

 盛り上がっている会場内を見渡しながら、利恵は苦笑しながら言った。

「……ま、手間がかからなくていいけどな」

「あはは、そうだね」

 と、主賓席で涼と利恵が話していると……。

『皆様、ご静粛に……。 雅さん、デルタオペレーション発動です』

「あ、は〜い!」

 いつの間にか美奈がマイクを手にして、ホールに設えてあるステージに立ち、話し始めた。

 雅は美奈の言葉を聞くと、恵を従えていそいそと会場内を飛び回り、行く先々で何やら笑いながら話している。

『本日、この善き日に、宇佐奈涼君と高梨利恵さんは晴れて夫婦となられた訳ですが……私は納得していませんの』

 一瞬、水を打ったように静まり返ったあと、ホールにはザワザワと声が出始める。

「美奈さん、どうしたってんだ?」

「何だ? 真、お前の企画ではないのか?」

「いや、俺は何も仕込んでないよ」

 大抵、この手の事には真一郎が絡んでいるので、琢磨はてっきり真一郎の企画かと思ったのだが、どうもそうではないらしい。

「ちょっと美奈! 突然何を言い出すのよ!」

 紫が美奈に向かって言うが、それを無視して美奈は続ける。

 やがて雅が三人に近付き、ヒソヒソと何かを伝えると、真一郎と琢磨は俄然ヤル気になったような表情を見せた。

『お二人が結ばれる事について、私は何の異存もございません……。 が! この宇佐奈涼という男は事もあろうに、本日……遅刻という大罪を犯したのです!』

 主賓席に座る涼をビシ! っと指差し、普段よりも厳しい眼差しで美奈は言った。

「た、大罪って……」

「う〜ん……。 まあ、確かに誉められる事じゃないわよね」

「何だよ利恵、お前まで……」

『お二人は神の前で永遠の愛を誓い合いました。 ……しかしながら、そんな事では、私はこの男の罪を許す気にはなれませんわっ!』

「そ〜だそ〜だぁ! さっすが美奈さんですぅっ!」

「美奈さ〜ん! カッコいい〜!」

『ありがとう』

 恵と雅の声援を受け、美奈は右手をかざし、それに応えた。 

 そして再び涼と利恵に視線を戻すと、

『さて……。 お二人とも、ステージにお上がりなさい』

「あ、はい。 涼、行くよ」

「え? 一之瀬さん、俺も?」

『……早くなさい』

「はい……」

 いつもよりも迫力を増した美奈の言葉には逆らえず、涼は素直に壇上に上がると、美奈の隣に立った。

「あの〜……それで?」

『宇佐奈君……貴方、神様を信じていないんですってね?』

「うん」

『では、その前で誓った愛など、私は信じられませんわ』

「でも、そういう儀式なんだし、しょうがないんじゃないかな?」

『そうね。 ですから今この場で、もう一度、私達全員に誓いなさい』

「……はい?」

 全員に誓う? 何を?

 涼は少しの間、呆気に取られたように美奈を見つめていたが、やがて事の重大さに気が付いた。

「ちょ、ちょっと待って! それって、もしかして……」

『ええ、その通りです。 『はい誓います』 の一言だけで私達を納得させる事など、不可能と知りなさい』

「そうねえ……。 確かに遅刻の事を有耶無耶にするのは、今後の為にも良くないわね」

 美奈の言葉に、利恵はウンウンと頷いてみせた。

「何言ってんだバカ! お前、これから何させられるか判ってんのかっ!?」

「あら、別にいいじゃない」

「冗談じゃねえ! 俺は逃げる!」

『そうはいきませんわ! 雅さん、フォーメーション・アルファ!』

「ラジャー!」

 涼はステージから飛び降りて逃げようとするが時既に遅く、ステージの下では会場の全員が涼の逃げ道を塞ぐように人の壁を作っていた。

 成る程……朝、美奈が雅に耳打ちしていたのは、これの事だったのだろう。

「真! お前、俺のダチだろう! 裏切るのかっ!」

「お前は俺様の心の友だ、裏切るような真似はせん」

「だったら……!」

「しか〜し! ……面白そうなので、今は忘れる」

 駄目だ……既に真一郎はノリノリである。

「琢磨!」

「人間、諦めが肝心だ」

「そうだね。 涼ちゃん、もう観念しなさい」

「ヒナ、お前まで〜……!」

 涼は他に脱出する場所は無いかと探してみるが、ステージの袖やホールの出入り口には、美耶子率いる登内家SP部隊が涼の一挙手一投足に注視して、蟻の這い出る隙間も無い程、完璧な布陣を敷いている。

 勿論その先頭にいるのは、右近、左近の両名である。

 仮に外へ出られたとしても、そこには一之瀬の手の者も待ち受けているだろう……。

「涼、諦めろ。 もうどこへも逃げられねえよ」

「初々しい二人の門出を、みんなで祝福しようってのよ? ジタバタしないで素直に祝福されなさい」

「恭さん! お袋まで……」

 最強コンビまで涼の敵に回ってしまっては、脱出の希望は完全に断たれてしまった事になる。

 もしも無理矢理に脱出を図ろうとしたら……。

(……下手に逃げたら大怪我じゃ済まないな、これは)

『さあ! 誠心誠意、心を込めて誓いなさい』

「くそ〜……! 解った解った! 解りましたよっ!」

 涼は半ばヤケクソ気味にステージ中央に戻ると、美奈からマイクを受け取り、利恵の正面に立った。

「ったく……。 一度しか言わねえからなっ!」

「え〜……?」

「何度も言うような事かっ!」

 涼は、二、三度軽く咳払いをすると覚悟を決め、大きく息を吸い込んで……。

『俺は……宇佐奈涼は、高梨利恵……じゃねえや、宇佐奈利恵を生涯……命を懸けて愛する事を誓いますっ!』

 と、それだけ言って、涼は美奈にマイクを返し、ステージを下りようとする。

 が……。

『お待ちなさい、まだ終わっていなくてよ?』

「……え?」

『では、誓いの口づけを』

「やっぱり……」

『さあ、早くなさい』

「ちょっと待ってよ……って! 何でみんなステージに上がってるんだよ!」

 ジリジリと会場の全員が涼に詰め寄って来る。

 涼はその光景を見て、以前レンタルビデオで観た 『ゾンビ』 のワンシーンを思い出していた。

「ほら、どうした涼! 男なら、ビシっと決めろ!」

「涼、みんなの期待を裏切ってはいかんぞ?」

 真一郎も琢磨も、もう完全にノってしまっているらしく、涼の味方はしてくれそうにない……。

「お、お前ら、他人事だと思いやがって!」

「利恵、しないならアタシが代わりにしちゃうけど?」

「フざけんじゃないわよっ! 涼、さっさとしなさいよ! 雅の魔の手が迫ってるでしょっ!」

「涼ちゃん、相変わらず往生際が悪いねぇ……」

「とってもロマンティックですねぇ」

「どこがだよっ!」

 と、美耶子に怒鳴っても事態は一向に好転しない。


 もうダメだ……。

 もう、どこにも逃げられない……。






「うわぁっ!?」

 カチコチと、時計の秒針が時を刻む音がする。

 見慣れた風景……ここが自分の部屋だと気付くまで少し時間がかかった。

「何だ、夢か……。 あ〜……まだ心臓がバクバク言ってるよ」

 ボリボリと頭を掻きつつ、涼は暫くベッドの上で呆けてしまった。

「……まったく」

 ブツブツとぼやきながら、ノソノソとベッドから出て階下へと下りて行く。

 洗面所へ入り、バシャバシャと顔を洗い、ガシガシと乱暴に歯を磨き、髪の毛を適当に整える……いつものパターンだ。

「さてと、朝飯でも食うか……」

 と、ダイニングに入って電子ジャーの蓋を開けると……ご飯が無い。

 テーブルの上のカゴにも、パンの一切れも入っていない。

「……どうして休日っていうと、こういう状態になってるかな?」

 涼は仕方なく自分の部屋へ戻り、財布を手に、コンビニへ行く為に外へと出た。

「あ、おはよう、涼ちゃん」

 外へ出ると、相変わらず日課の掃除に精を出している雛子に出会った。

 お隣さんならではの朝のひとコマである。

「おう、おはようヒナ」

「どこか行くの?」

「コンビニ。 例によって朝飯の買出しだよ。 まったく、悪い習慣が付いちまったよな〜……」

「そっか。 でも、いつもは用意してくれてるんだもん、お休みの日くらいは大目に見てあげなきゃね」

「ま、それもそうだな……。 んじゃ、行って来るよ」

「行ってらっしゃい」




 コンビニでおにぎりやスポーツドリンクを買い込むと、涼は近所の公園へと向かった。

 毎年見事な花を咲かせる立派な桜の木が何本も植えられているここは、涼にとっても小さな頃からの遊び場だ。

 それだけに思い入れもあるし、たくさんの思い出もある……。

「え〜っと……この辺でいっか」

 ベンチに腰掛けて袋からおにぎりを取り出すと、包みを開けてパクつき始める。

「フム……。 たま〜に食うと、結構旨いな」

 一つ目を食べ終わり、二つ目を出そうと袋に手を入れたところで、急に涼の目の前が真っ暗になった。

「だ〜れだ?」

「……こら、悪戯すんなよ利恵」

「あら、よく判ったわね? つまんないの〜」

「一発で当てられなかったらヘソ曲げるくせに……」

「随分と美味しそうな物食べてるわね?」

「旨いよ。 パートのオバちゃんの愛情がタップリ詰まってるからな」

「あはははは」

 一応、涼としては多少の皮肉を込めたつもりだったのだが、利恵には通じなかったようだ。

 いや、意味は理解出来ているのだろうが、それをいちいち気にするような事が無いだけなのだ。

「どうだ? 調子は」

 涼は二つ目のおにぎりを食べ始めながら、スポーツドリンクを利恵に手渡して訊ねた。

 利恵はそれを受け取ると、涼の隣に腰掛け、美味しそうに一口飲んだ。

「うん、絶好調よ。 このぶんなら今度の大会は優勝ね」

「しかし、いつまで続けるんだ? 少林寺拳法。 陸上はまだしも、格闘技は心配の種だぞ」

「そうねえ……。 涼が、もうやめてくれって泣いて頼むまでかな?」

「……じゃあ、一生続けられるな」

「あら、どうもありがとう。 旦那様の許可が出たからには、頑張って続けるわ」

 二人は一緒になって笑った。

 何気ない風景……。 

 けれど、この二人にとっては掛け替えの無い瞬間……。

「ねえ、涼……」

「ん?」

「わたしね、今、すごく幸せだよ。 涼と一緒にいられて……本当に、そう思う」

「……」

 しかし涼は、利恵のその言葉を聞いても何も言わない。

 何やら変な顔をしているだけだ。

「ちょっと……何黙り込んでるのよ、失礼ね。 せっかくわたしが……」

「……」

「……涼?」

 涼は無言のまま利恵のスポーツドリンクを引っ手繰ると、ガブガブと飲み、目に涙を浮かべながら大きく息を吐いた。

「はぁ〜……」

「どうしたのよ、涙なんか浮かべて……感動?」

「いや、おにぎりがノドに痞えた……」

「この男は……。 で? 何か言う事は無いの?」

「死ぬかと思った……」

「ちがーうっ!」



 変わらない二人……。


 いつまでも……どこまでも……。



 2002-2004、2005、2006 (C)〜永遠の追憶〜 -if- 製作委員会

             (C)TAKA丸

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― 新着の感想 ―
[一言] 第一部、二部がサイトから消えましたがなぜですか?
[一言] HAPPY end. てとこでしょうか。本当に人生は後悔が多いですよね(笑) 後戻りできない…それだけ慎重に豪快に真っ直ぐに、生きていきたい。
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