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BLOODY CHAIN Ⅱ  作者:
第一章 死にたがりの死神
9/12

08 闇の胎動

ナギブ:自称悪の手先(外道)

マッド=サイエン:いかれた科学者(安易なネーミング)

 ()め殺しの窓をポツリポツリと零雨(れいう)が叩く。

 蔦葛(つたかずら)の這いかかった(すり)硝子(ガラス)越しに見える色は、鬱然とした緑に閉ざされ、ぼんやりとかすんでいた。

「それで? 進捗(しんちょく)状況のほうは?」

「薬で自食作用(じしょくさよう)を完全に食い止めるのはやはり難しい。今の所は持って数ヶ月。それも、陰気に満ちたこの場所だからこそだな。この地を離れればもっと早まるだろう」

 乳鉢(にゅうばち)の中で何やらすり潰しながら、マッド=サイエンは答えた。

 天井高くで灯燭(とうしょく)が部屋全体を明々と染めている。

 作業代の(ふち)を一周するようにいくつも据えられた燭台の明かりが、マッドの手元を照らしていた。

 血色の悪い(まだら)模様の肌が薄汚れた白髪の下に見え隠れしている。ぼさぼさの髪は手入れされた様子もなく伸びるにまかせ、顔の半分を覆っていた。はれぼったい目に光る瞳は小さく、口からは乱杭歯(らんぐいば)が覗く。一見して年齢を推し量るのは難しい。若くはないが、老いてもいない。

「まぁ、それも今後の実験次第だな。ここは実に快適な試験場だ。外に出れば希少価値の高い植生の宝庫。被験者にも事欠かない」

「まぁ、いなくなっても誰も気にしないような木偶(でく)が腐るほどいるからねぇ。手応えのカケラもない連中だったが」

「あれだけ、試し斬りをしておいてよく言うわ。まぁ、おかげでしばらくは持ちそうだ。どれだけ自我を残せるかが、今後の研究課題だな」

 ふんふんと鼻歌まじりのマッドに、ナギブは適当な相槌を打つ。

 部屋の壁に隙間なく据え付けられた棚には、用途不明の奇怪な器具やら見ているだけで呪われそうな怪しげな物体が陳列されていた。

 それらを手にとって眺めながらナギブは口を開く。

「それよりも性能を上げて欲しいね。独活(ウド)の大木が何体いたところでせいぜい盾にしかならんよ。粗悪な玩具(おもちゃ)で遊んだってちっとも面白くないったら。攻勢の取れない軍隊じゃ戦争なんてできっこない。捨て駒だけじゃ、勝利には程遠いさね」

「簡単に言ってくれるわ。だが、まぁ、精神遅滞の復元に関しては見通しが立ちそうだ」

 勝手に触るなとマッドに睨まれ、肩を竦めたナギブは、不可思議な形態の物体を棚に戻して言う。

「そりゃあいい。言うこと聞かない軍隊に価値なんてないからねぇ」

「甘いな。知能が高い方がむしろ統率は取りにくくなる。繊細な要求にも応えられるという利点は自我の発生という可能性をも同時に生み出し、ひいては反乱分子を招くという危険因子をも含んでいる」 

「だからいいのさ。調教のしがいがあるってもんだろう? (はな)から従順な兵隊なんて面白くないねぇ。屈辱に顔を歪める奴に強制するのが醍醐味ってもんだ」

「大した指揮官様だな」

 言って、マッドは乳棒を持つ手を止めた。

 ぴゅーぴゅーと音を立てて湯気を噴き出している茶瓶を火から下ろすと、近くにあった器に茶漉(ちゃこ)しを据え、乾燥した茶葉越しにお湯を注ぐ。

 その器を差し出されたナギブは露骨に顔をしかめた。

 作業台の上には怪しげな液体やら固体やらが入った同じ器があちこちに置いてあるのだ。

「ただのお茶だ」

 そう言ったマッドは何の躊躇もなく同じ容器に()れられた自分の分のお茶を飲んでいる。

 ナギブは一応は受け取ったものの、口はつけずに容器の中を疑わしそうに見つめた。

「これだから科学者って奴はいけないねぇ。自分の研究以外はとことん無関心ときてる」

「なんとでも言え。それよりそっちの塩梅(あんばい)はどうだったんだ。こっちはすでに最終段階に入っているが、今後の参考のためにも是非途中経過を聞いておきたい。報告(レポート)次第では改善点が出てくるかもしれないからな」

 結局渡されたお茶には口をつけず、ナギブは肩をすくめる。

「それが思わぬ蹉跌(さてつ)をきたしてね。欺魄(ぎはく)の連中はまぁ体のいい捨て駒にはなったが、それなりに強い奴相手ではやっぱりだめだな。動きがとろすぎるし、弱点が分かりやすい。動きも単調で、複雑な命令は回路が通ってないから対応できない」

「やはり精神遅滞の復元は急務か」

 難しい顔で言ったマッドに、ナギブは続ける。

「それから、サムドロスはだめだった。邪魔が入ってね」

「マダリア国王とは対面できたのか?」

「ああ、実に素晴らしい鬼気の持ち主だった。惚れ惚れするほどにね。ああいう自戒の強そうなタイプが狂気に堕ちたらどうなるか、非常に興味深いねぇ」

 うっとりと語るナギブに、マッドは会ったこともないマダリア国王に同情した。それで、と先を促す。

「いい所までいったんだがなぁ、サムドロスが往生際で理性を取り戻してな。まったく忌々しいったら。飼い犬に吠えられる程度なら痛くも(かゆ)くもないが、しょんべんひっかけられたらさすがに殺意がわくだろう?」

「……その割には随分楽しそうだな」

「ああ、楽しくて仕方がないよ、今、俺は…」

 ナギブは数週間前の夜会に陶然と思いを馳せた。


陵暴(りょうぼう)(あか)

〝塗り潰される思考〟

〝沸騰する血液〟

〝未知の混乱〟

〝脳内に響き渡るけたたましい警鐘音(エマージェンシーコール)

〝発狂の一歩手前の世界〟


 全身の毛穴が膨らんで肌が粟立ったかと思ったら、ぶわりと噴き出してきた大量の汗。

(冷や汗?)

(この俺が?)

 そう思った瞬間、ナギブの心に沸き上がってきたのは、紛れもない高揚感だった。

 己に怖いものが少ないということをナギブは知っている。

 彼が何よりも恐れるものは〝退屈〟だった。

 一閃の眼光で自分の存在そのものを縛り付け、一方的支配を受けるよりほかない圧倒的な暴掠(ぼうりゃく)の力。

 鳥肌が立ったのは、何も恐れからのみくるのではない。

 〝恐怖〟よりも〝好奇心〟が勝った。

 エクスタシーにも似たしびれるような刺激が全身を走った、――あの瞬間の恍惚。

 あれは天啓だ。

 かつて神の声を聞いたという異国の預言者も味わったに違いない驚喜。

 彼がその僥倖(ぎょうこう)に遭遇したのは、あの夜で二度目だった。


「それで今度は彼を篭絡(ろうらく)するというわけか」

 マッドの声にナギブはふと現実に立ち返り、寝台に横たえられた一人の青年に目をやった。

「〝母親に捨てられた子供〟か。まぁ、お(あつら)え向きの一品さねぇ」

「――〝血で繋がる憎しみの連鎖〟。それこそがこの呪法の鍵だからな」

「母の愛に飢えた子供の呪いだって?」

 ぴんと来ないというようにナギブは眼鏡のヘリを押し上げる。新調したばかりの仮面にまだ馴染んでいないらしい。

「生まれたばかりの赤子にとって親、特に母親の愛情の有無が、最も直接的かつ根源的な死活問題につながるのさ。母親に育児放棄された子供は自然界では生き残れない。母に愛を求める行為は、生物の種として原始的に組み込まれている生理的機能、――〝生きたい〟という欲求の現われなんだろう」

 一息ついてマッドは続ける。

「産んだ子に弱った自分の体を喰らわせて自ら子供の栄養になる種だっている。偉大なるは母の愛ってわけだ」

「えげつない話だな、それ」

 嫌そうに顔をしかめたナギブに、おや、とマッドは片眉を上げる。

「お前のような人非人(にんぴにん)にも、人並みに母親への愛はあるわけか?」

「見損なってもらっちゃ困るねぇ。自分を生んで育ててくれた人間への恩ぐらいは残ってるさ。まぁ、それも十一の時までだったがな」

「なんだ、御母堂はすでに鬼籍に入った身か」

 お前の親の顔が見てみたいと常々思っていたのに、残念だとうそぶくマッドに、ナギブはさらっと爆弾を落とす。

「ああ、俺が殺したからな」

 飄々と言ってのけた男に、一瞬寒々しい沈黙が部屋に落ちた。

「……どの口が母への恩を語るんだ」

 信じられないと首を振って見せたマッドは、まぁナギブならあり得る話かと瞬時に納得した。怖い怖いと、茶をすする。

 首を振った拍子にマッドの白髪が舞い上がり、ナギブは飛んできたふけを嫌そうな顔でかわしながら続ける。

「恩があるって言ったのは嘘じゃないさ。お袋は俺の原点だからな」

「よく言うわ。お前も母を憎んだ口か?」

「いんや、いい母親だったと思うぜ。どこにでもいる平凡な。保守的で適度に権力志向。愚痴ばかり吐いてたな。己の不幸を見つけるのが、天才的に巧かった」

 感慨深げに言うナギブに、マッドは呆れた。

「とても恩ある母に下すと思えない評価だな」

「そんなことないぜ。別に嫌ってたわけでもないしな。溺愛されたわけでも、冷遇されたわけでもない。普通の範囲でかわいがってもらったさ」

「それなら何故殺した。母親自身がそう望んだか?」

「さて、何でだったかねえ」

 とぼけた顔で首を傾げるナギブを見て、それが偽装(フェイク)なのか本気なのか判別つかなかったが、本当に忘れていたとしても不思議ではないとマッドは思った。

 この男は、狂気の果てや絶望の末にではなく、己の理性の下で、己の感興(かんきょう)のために、人を殺す。

「参ったねぇ。俺も歳か。大した理由じゃなかったはずなんだがなぁ」

 腕を組み、首をひねるその動作には、人をおちょくったような観がある。己の手で母親を殺したことにいささかの痛痒(つうよう)も感じていないようだ。

 だが、まったくもって遺憾なことに、そのナギブの神経を疑うほど上等な神経を、マッド自身もまた持ち合わせてはいなかった。

「あの時の肉を裂く感触は覚えてるんだがな。血が噴き出て、俺を産んだ女の顔が驚愕と絶望に染まった時のあの瞬間の恍惚は、今でも忘れない。最高に傑作だった」

 殺した理由よりも殺した過程を先に思い出す辺りに、ナギブの性情が(うかが)える。

「俺はずっと、人を殺してみたかった。子供特有の純粋な好奇心ってやつさ。――ああ、確かお袋はこう言ったんだ。〝生きていても何も面白いことがない。死んだ方がいくらかましだ〟ってね。俺はチャンスだと思ったね。お袋は俺に似て気分屋だったから、気が変わる前に殺さなきゃって思ったんだ、確か」

 うんうんと頷くナギブを白い目で眺めながら、マッドは言う。

「お前のほうがよほどえげつないわ。人の子とは思えんな」

「死んだ人間を切り刻むのが好きなお前に言われたくはないねぇ」

「あれは純粋なる知識欲だ。人体の不思議を解き明かすには実際に解剖して検証してみるのが、最も理に(かな)った方法だ」

「理に適っていても、倫理には(もと)るわなぁ」

「よせ、お前の口から倫理なんて言葉を聞いた日には耳が腐り落ちるわ」

 大袈裟に肩を竦めて見せたナギブは、眼鏡の奥でにぃと笑う。

「まぁ、ようするにだ。俺の初体験は俺を産んだ女だったてこと。なかなかに倒錯的だろう」

「…俺はたまにお前の頭の中がどうなっているのか解剖してみたくなるがな。人の皮をかぶった別の生き物でも不思議はない」

 外道二人はどこまでいっても外道だ。にいと、唇の端をあげて笑ったマッドに、お前らはどっちもどっちだと突っ込んでくれる人間はいなかった。唯一の第三者である青年は未だ深い眠りについている。

「産まれた時から俺は俺さ。人としての情ってやつを、母親の腹の中にでも置いてきちまったんだろう。文句なら俺を産んだ女に言ってちょうだいよ。――まあ、俺に言わせりゃ、人間を善人だとか、悪人だとか、そんな風に区別するのは無意味(ナンセンス)さね。面白いか、退屈か、そのどっちかだろ」

 そう軽口でかわすとナギブは窓辺に身を寄せて、振り続ける雨に濡れる大きな闇の塊に目を凝らした。

 外に太陽が昇っても、樹の葉に閉ざされほとんど日が射す事はない場所だった。

「それにしても陰気な場所だ。こんな所に吸い寄せられてくるんだから、こいつもよっぽど陰気臭い」

 横たえられた青年を見てナギブは言う。

敷衍(ふえん)して言うのならば、ここは始まりの森なのさ。産褥(さんじょく)の大地。母体の森。その胎内で、今胎児が胎動を始めている」

「さしずめ、あんたは産婆(さんば)ってところかい?」

「助産士と言わんか」

 そう言って、死んだ人間を生き返らせる秘術を手に入れた男は、己の飽くなき欲求を満たす幸運を手に入れたことに、快哉(かいさい)の笑みを浮かべた。

()め殺し】…枠の内に造りつけにし、開閉できないようにされたもの。

【零雨】…静かに降る雨。小雨。

進捗(しんちょく)】…物事が進みはかどること。

【自食作用】…生物が死後、組織中に含まれる酵素作用で次第に分解する現象。自己消化。自己分解。

蹉跌(さてつ)】…失敗すること。つまずくこと。

陵暴(りょうぼう)】…人を痛めつけ乱暴する。

暴掠(ぼうりゃく)】…暴力でうばいとること。

僥倖(ぎょうこう)】…思いがけない幸せ。偶然の幸運。

感興(かんきょう)】…興味を感ずること。面白がること。また、その興味。

【痛痒を感じない】…痛くもかゆくもない。

敷衍(ふえん)】…のべひろげること。分かりやすく言い換えたり詳しく説明したりすること。

産褥(さんじょく)】…出産時に産婦の用いるねどこ。

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