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BLOODY CHAIN Ⅱ  作者:
第一章 死にたがりの死神
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03 大きな想定外

ドミニカ:マダリア王国王女付きの侍女頭。

リリア:マダリア王国王女。

サント:黒衣の異邦人。

ジュリア:マダリア王国聖騎士。親衛隊隊長。

ドリス:マダリア王国聖騎士。親衛隊副隊長。

 ドミニカはその扉の前で一度大きく深呼吸した。

 昨夜からずっと開かずの間と化していた扉に、軽く握った拳を当てる。

 起床の時間はとうに過ぎていた。

 いつもならば問答無用で押し入って、寝ぼけ(まなこ)の主を叩き起こすところなのだが、今日はそれが(はばか)られる。

 ただでさえ口に出すのもおぞましい一連の事件が起ってから、日が浅い。

 ここ数日、自分の主が少々神経過敏になっていることに、優秀な侍女頭はちゃんと気がついていた。

 そして昨日の王女の様子を思い出して、ドミニカはざわめく胸を押える。

 怒られてふてくされているのかと思いきや、思いつめた表情で一緒に父王の許へと行ってほしいと請われ、諌める前に案じる気持ちが先行した。そして、先客のあった王を待つ間、控えの()で待機していたはずの王女は、王と対峙する前に急に部屋を飛び出して行ったのだ。

 結局父と対面することなく寝室に閉じこもった王女の様子を、国王に相談すべきかとも思ったのだが、先触れもしていなかったのでそれも憚られた。

 国王も事件後の采配に未だ忙しい身なのだ。

 舞踏会の招待客達に対する陳謝や賠償、それに箝口(かんこう)の徹底など能事(のうじ)に追われている。王都警備隊への追及と被害に対する補償、新たな編成の要請等、数え上げればきりがない。

 そんなわけで王に相談することもできず、何やら尋常ではなかったリリアの様子に、何事があったのかと気が気でなく、結局この一晩は満足な睡眠は得られなかった。

 従者の身分で主に対してその胸中を強引に問い質すことなどできかねる。侍女である自らの身を(わきま)えているドミニカは、リリアがその胸襟(きょうきん)を開いてくれるまで待つことが己の職分なのだと心得ていた。

 普段どんなに親しく交わり、時には親子のように叱り甘えられる関係を築いていたとしても、主従の間には踏み越えてはならない一線が必要なのだ。ただでさえ上下関係を蔑ろにしがちなリリアには大事なことだった。

 王のように己の立場を理解した上で行動するのならまだしも、リリアにはその認識がまだまだ甘い。

 誰とでも隔てなく交われる――、それは彼女の持ち味でもあるのだが、度が過ぎればそれは美点ではなく欠点にもなりえる。時には差別化が必要な事だってあるのだ。そうでなくては秩序は守られない。

 知らず、とりとめもなくなっていく思考にドミニカはふるふると首を振った。

 「そっとしていおいてくれ」と悲鳴のように言われ、結局彼女はこの時間まで寝室の扉を叩くことができなかったのだが、未だ起きだしてくる様子の見られない王女に、覚悟を決めた。朝食の時間はとっくに過ぎており、予定されていた午前の授業も全て延期にしてもらったのだ。不貞寝にしては、長すぎる。

「リリア様、いい加減お起きになってください」

 ノックの後に両開きの扉を押し開く。

 締め切られていた窓掛(カーテン)を豪快に開ければ、中天に昇り始めた太陽が燦燦と室内を光の中に導いた。

 天蓋に覆われた寝台に近づき、帷帳(いちょう)を掻き分ける。

 中央で布団の中に丸まっている盛り上がりを見つけ、腰に手をやると大きく息を吸い込んだ。

「リリア様! とっくに起床時間は過ぎてますよ!! いつまでそうやっているおつもりですか!」

 もそもそと布団の中から、それこそ芋虫のように這いずり出てくることを予測していたドミニカは、ピクリとも動かない塊に眉尻を上げる。

「そうですか。そっちがその積もりなら、私にも考えがありますよ」

 そう言って布団に手をかけると一気に捲り上げた。

 そして、ドミニカは目を点にした後、絶叫することになる。

 大声を出して宮殿中を走り抜けるまで後数秒。






 高い隔壁で囲まれていた王都を出るとなだらかな平野が続く。

 四頭立ての馬車は王都を離れ川沿いの街道を走る。

 悠々と流れる川のほとりには葦が群生し、水鳥が羽を休め、あるいは餌を探して水面にくちばしを突き立てていた。幾艘かの小舟が緩やかな川の流れの中で、網を巻いて漁をしていた。川べりでは女達が洗い物をしながら、井戸端会議ならぬ川端会議に花を咲かせている。渡し守は見事に(かい)を漕ぎ、すいすいと水の流れを操っていた。

 古来から大河の氾濫に頭を悩まされてきたこの国は、治水事業に心血を注いできた。

 堤を築いては流され築いては流されを繰り返しながら、川の暴怒を鎮めることを国家の命題と定め、人々は石を積み上げ樹を植えた。

 (せき)を造り人口用水路を発案してからは、治水工事は格段に進み、運河としての機能をあわせ持つ灌漑(かんがい)施設が多く誕生した。

 豊かな水資源は、時に人々の喉を潤す飲用水に、時に汚れを落とす浄化水に、時に土地を潤す灌漑用水に、または水流を用いての運行手段や、外敵の侵入を阻むための(ほり)、あるいは大衆浴場の給水源としてなど、大いに利用された。

 井戸へ補水するための地下水路や、洪水を避けるための分水路、給水排水を受け持つ上下水道など、あらゆる導水路の組織的な整備は、今や他国に類を見ないほどに発達している。人を生かしも殺しもする河と真摯に向き合ってきた、古代アストラハンの民の汗と涙の結晶の産物であることは疑いようもない。

 豊かな大地は豊かな水から生まれ、最大限に水利を発揮したアストラハンの人々は、たゆまぬ努力の末に黄金の国を創り上げた。古代の人々にとって、治国の要は、土ではなくむしろ水だったのだ。

 氾濫を繰り返すたび運ばれた土砂は豊富な養分を含み、人々はそこで農耕を営むことを覚える。

 田園では植えられた苗がすくすくと伸び、緑の絨毯を敷いていた。

 さわさわと風に揺られて幼い緑が揺れる様はさわやかだ。

 畑を耕す人々があちこちで作業をしている。青空の下、その顔はどれも明るい。

 水車が回り、牛が荷車を引く。

 都門を抜け、北東に向かって馬車は走る。

 ジュリアとドリスは馬車の前後でそれぞれ愛馬に(またが)っていた。

 流れ続ける景色の中でも空は雄大だ。

 天候は穏やかで、薄い水色の空に霞のような雲が溶け合っている。

 吹く風は清涼で、春の匂いが鼻先をかすめた。

 遠くで誰かの笑い声が聞こえ、ドリスは口元を緩めた。

「平和だねぇ」 

 この国が、二十年程前には亡びの道を辿るか否かの瀬戸際にあったのだと思うと感慨深い。一連の王都での事件を思えばこそ、変哲のない見慣れた景色が得難いもののように思えてくる。

 馬車の前方で馬を駆る相棒は生真面目な顔で手綱を握っているのだろう。

 今、ジュリアの頭の中には昨夜の王の言葉が何度も何度も去来して、周囲の景色に気を回す余裕はないに違いない。

 やがて河の沿道を逸れると、なだらかな丘陵地帯に入り、生い茂る樹の群れが目立ち始めた。

 遠くにある山影は逃げることなく鎮座している。その連なりはあたかも天に楯突く壁のようだ。

 そろそろ太陽が下降を始め、一日の半分も過ぎようとしている。

 休憩時だ。昼飯にしようぜと声を張り上げようとした時、馬車が徐々に速度を落とし始めた。


「ここでいい」

 停めた馬車から降りてサントは言った。

「ここでって、もしかしてこの森突っ切るつもりか?」

 戸惑った顔で自分を見る御者のモロー氏を尻目にドリスは馬から降りた。

 ピネレー山脈の南麓(なんろく)に広がるこの国の北方は森林地帯になっている。

 ジュリアは慎重な面持ちで言った。

「確かにこの森を抜ければ国境はすぐですが、安全の保障はできません」

「あんた達は帰れ」

 黒衣の裾を翻した背中は、鬱蒼と茂る木々の群れを見つめたまま背後を振り返らない。ジュリアの眉根がかすかにひそめられた。

「道案内もなしに徒歩で行くつもりですか? この森は、我々でさえ知悉(ちしつ)しているとは言いがたい。狩で入る一部を除けば、そこはもう我々の管轄外だ。この森は〝影隠しの森〟と呼ばれています。昔からならず者達の不干渉地帯として放置されてきた場所です」

「嘘か本当か、怪しい風説は腐るほどあるな。一度入ったら二度と戻れないとかな。〝何が潜んでいるか分からない〟って曰くつきの森だぜ」

「今から戻れば夕刻には城に着く」

 男達の忠告を歯牙にもかけず、サントはゆっくりと馬車の荷台を見やる。

 まるでこちらを顧みないその態度に、ジュリアの瞳に焔が宿った。

「私は国王陛下の聖令により動いています。それは簡単に反古(ほご)できるものではない」

 冷静な口調の中に隠しきれない苛立ちがにじんだ。

 初めてサントはジュリアを振り返る。

「誇りを傷つけたなら謝ろう。だが、あんたの使命やら矜持(きょうじ)は俺には無価値だ。そんなものに付き合ってやる暇はない」

 今度ははっきりとジュリアの眉間にしわが寄った。

 思わぬ展開に、顎をさすりながらドリスは二人の様子を観察する。

 城を出てから態度の変わった――いや出会った頃に戻ったというべきか――サントに、珍しく他者に対して自分の内憤を隠忍しきれていない相棒。

 まぁ、後者は当初から前者になにかしら思うところがあったようだが、今回の王命によりそれにいっそう拍車がかかったか、いつもの冷静さが少し足りない。取り繕ってはいたが、昨夜王の話を聞いてからジュリアの心中が見かけほど穏やかではないことをドリスは知っていた。王が関わると頑になる嫌いのある相棒に、内心溜息をつく。

「残念ながら、そんな簡単に〝はい、そうですか〟と引き下がれるほど誓いの刀は軽くないし、こいつは王のこととなるととことん石頭だ。俺はともかく、ジュリアは折れない。使命が果たせなきゃ、命を絶つとも言い兼ねないぜ」

 肩を竦めてドリスは言った。

「そうも言ってられないだろう」

 サントは先程からおろおろと成り行きを見守っていた御者に視線を移す。

「荷台には何が?」

 突然話を振られたモロー氏は、まさか話の矛先が自分に向けられるとは思っていなかったため、ぎょっとしたようにサントを見、それから助けを求めるような視線をジュリアとドリスに送った。訝しげな二人の様子に、しどろもどろに答える。

「畑の肥料が何袋か積んでありますけど……」

 自分は何か悪いことをしたのだろうかと気が気でない様子のモロー氏を哀れんだのか、ドリスはおもむろに馬車の荷台に歩み寄った。

「荷台がなんだって?」

 馬車の点検は城を出る前に一通り済ませてある。別に怪しいものなんてないぞ、そう言ってやるつもりで幌を開け積荷に掛けられた覆いを大きく捲り上げて、――ドリスは眉をひそめた。

 御者の言った積荷の陰に隠れるように置いてある、布に包まれた塊。

「……」

 ちょうど小柄な人間が一人、膝を抱えて丸まったくらいの大きさだった。

 いやいやいや、まさか。

 自分が検分した時にはなかった、見覚えのないそれに、嫌でも良くない予感が募る。

 恐る恐る手を伸ばし、――そしてドリスは固まった。

 明らかになった不審な積荷の正体に現実逃避したのが数秒、どんな顔をすればいいのか思案に困った末に、ドリスは乾いた笑いを漏らした。大仰に溜息をつき、サントを振り返った。

「…最初から、気づいてたのか?」

 無言で佇むサントからの返答を諦め視線を戻す。

「俺の目の錯覚じゃあ、ないんですよね」

「どうしたんだ、いったい」

 痺れを切らしたジュリアが怪訝な面持ちでドリスの隣へと足を向け、荷台の中を覗き込んだその瞬間、彼の思考は停止した。

「え」

 視界に入ったのは淡い褐色。

 膝を抱えてうずくまり顔を膝頭に埋めている、その後頭部から緩く編みこまれて背中に落ちるつややかな髪の色には、見覚えがある。己の主より幾分か薄い、赤い花が映える胡桃色の……

 いやいや、まさか。

 その時、小さな後頭部がかくりと揺れて、ゆっくりと持ち上がった。色づいた豊頬とほころびかけた花唇、小さく形の良い鼻。顔にかかった後れ毛が吐息で揺れ、意味を成さない小さな声が可憐な唇から漏れた。伏せられていた睫毛が震えながら上下に瞬くのを呆然と見守る。

 かすんだ寝ぼけ(まなこ)が光を集束しながら緩やかに覚醒していく様は、本来なら穏やかな微笑みを誘うはずなのに、ジュリアの顔は明らかに硬直していった。

 (きらめ)く星を閉じ込めたその瞳と目が合った時、愕然とした思いが声となってジュリアの口から零れ落ちた。

「リリア、さま…?」

【能事】…なすべき事柄。

【胸襟を開く】…心中をうちあける。

【知悉】…知り尽くすこと。

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