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BLOODY CHAIN Ⅱ  作者:
第一章 死にたがりの死神
3/12

02 立つ鳥跡を濁さず

サント:マダリア王国に現れた謎の人物。幻の一族らしい。国王と因縁あり。

ジュリア:マダリア王国聖騎士。親衛隊隊長。

ドリス:マダリア王国聖騎士。親衛隊副隊長。ジュークは偽名。


ダリ:街の住人1。ダフ屋。

ボイル:街の住人2。“大男におまかせ”店主。

シャルル:街の住人3。“大男におまかせ”従業員。

「城で使っている馬車じゃ目立ちすぎるからな。お前も敬遠すると思ってよ」

 そう言ってドリスは一台の幌馬車(ほろばしゃ)の前にサントを連れてきた。

 素木を組み合わせて造られた頑丈なその姿は確かに実用一辺倒の飾り気のないものだった。

 屋根のついた御者台と後部座席の後ろに、(ほろ)で覆われた荷台が連結されている。四頭もの馬が先頭で、黒衣を全身にまとって現れたサントにじっと視線を注いでいた。

「こっちは定期的に城に食材を仕入れてくれているモロー氏だ。馬車は彼の私物。とりあえずは王領郊外まで行き掛けに乗せてもらえるよう頼んどいたから」

 その説明に、ずんぐりむっくりとしたなかなかに体格のよい男性がかぶっていた帽子を胸に抱いてぺこりと頭を下げた。

「乗り心地がいいと保証はできませんが、それでもよろしいのなら」

 恐縮してそう言ったモローに、サントは無言で一揖(いちゆう)した。

 馬車全体を見渡し、周りを歩いて一周したサントは馬車の後尾、幌の一部が開け放された荷台の奥を見据えて一瞬止まる。

 ここに野菜などを乗せて運ぶのだろう。今は、荷はほとんど積まれておらず洞穴(ほらあな)がぽっかりと口を開けているようだった。

「どうした?」

 黙って荷台の奥を見つめるサントに気がついたドリスが声をかけると、「いや」と言ってサントは足元を返した。モロー氏の前まで来ると、今度は丁寧に頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 「はい、こちらこそ」と慌てて頭を下げるモロー達から離れた場所で、ジュリアは独りそれらを見守っていた。閉ざしていた口をここで初めて開く。

「そろそろ出発しましょう。とりあえずは王都を出てからです」

「っと、ジュリア。俺とサント、その前に途中で寄りたいところがあるんだが、いいか?」

 何を言い出すんだ、こいつはと露骨に眉をひそめたジュリアと、フードの下で同様に眉をひそめただろうサントに、ドリスはまあまあと笑った。


†††


「ここか?」

 サントの声に、ドリスはまあなと相槌を打った。

「お前だって多少は世話になっただろう。旅立つ前に挨拶の一つぐらいしていっても罰は当たらないぜ?」

 〝大男におまかせ〟とでかでかと書かれた大きな看板のある店先に、サントとドリスは立っていた。

 人影はまばらで、朝の光が通りを照らしていた。

 ジュリアとモローには別ルートで先に都門を抜けてもらった。渋ったジュリアに、お前がいると目立ちすぎると言って、ドリスは強引に押し通したのだ。

「あっ!!」

 その時、近くであがった聞き覚えのある声にドリスはひょいっと愛馬の向こうに視線を向けた。

「おお、ダリ、ひさしぶり」

 こちらを指差して目を見開き固まっている、ひょろりとしたそばかす顔の少年に、ドリスは軽く手を上げる。

「ちょうどよかった。お前に会いに来たんだ」

「ジュー…っじゃなかった……、ドリス、さん? っていうんだっけ?」

 眉を下げて、どう接したらいいのか分からないと顔に書きながら、ダリはためらいがちに訊いてきた。情けないその顔に、ドリスは苦笑する。

「んー、どこまでばれてんの?」

「城の使いで来たって人が、あんたのこと副隊長って呼んでた。偽名を使ってたって……」

「シャルルも偽名って知ってんのか?」

 ダリはぶんぶんと首を振った。

「シャルルには言ってないぜ! ボイルと俺で協同戦線を張ったからな! 俺達が(しら)を切り通すのにどんだけ苦労したことかっ! シャルルなんてお前がなんか悪いことやらかしたんじゃないかって心配してたんだからな!!」

 恨めしげに睨めつけてくるダリに、ドリスは悪い悪いと笑った。

「じゃあ、ジュークでいいや。それより、ダリ、お前に預けてた担保。まだ売っぱらってなかったら、返してもらえるか? 金持ってきたからよ」

「あ、ああ! 大丈夫。売ったりしてないよ!! 俺んちじゃ心配だから、おっやっさんの店で預かってもらってたんだ!!」

 外套の内側から、紙幣が入った包みを出して見せたドリスに、びっくり仰天しながらダリは答える。

「ちょうどおやっさんの所に朝飯食いに来たところだったんだ。なんならジューク達も食ってけよ。おやっさんもシャルルも、二人が来たって知ったら喜ぶと思うぜ!!」

 嬉しそうにそう言い、店の玄関に手をかけたダリはサントにも「久しぶりだな。元気してたか」と声をかけて、勢いよく扉を開けた。カランカランと鐘が鳴り響く。

「よかったら、御前試合の話とかも聞きたいんだけどっ!!」

 満面の笑顔でそう言ったダリは、二人の返事を聞く間もなく店内で声を張り上げた。

「おやっさーん!! シャルルー!!」

「こらっ、ダリ!! 朝っぱらからタダ飯たかりにきやがったのか!! まだ開店前だ! 客の迷惑だって何度言えば分かる!!」

 しかし、そう応じるボイルの声量も、宿泊客の睡眠に気を使っているとは言いがたい。

「そんな事より! ジュークとサントが来てくれたぞ!! 何か作ってやってくれよ!!」

「なにっ!?」

 ボイルは驚いてカウンターの内側から身を乗り出した。

 戸口に苦笑しながら「よお、」と片手を上げる色男と、無言で会釈する黒衣の人物を見つけ目を丸くする。

「お、お前ら…」

 二の句が告げなくなっているボイルにドリスは肩を竦めて見せる。

「久し振りだな、おやっさん。変わらず店は儲かってるか?」

「あ、ああ」

 ダリと同様、「どう接していいか分からない」と顔に書いてあるボイルに、ドリスは言う。

「別に態度を改める必要なんてねぇよ。ジュークって呼んでくれて構わない」

 顔の前で手を振るドリスに「そうか…」と拍子抜けしたような面持ちでボイルは言った。

「なぁ! それよりシャルルの奴は!? あいつが一番ジュークのこと心配してただろう?」

「外だ。朝市で食材買ってきてくれるよう頼んだんだ。もうすぐ帰ってくると思うが……」

 そこにドリスが割ってはいる。

「っと、悪いが、お二人さん。ゆっくりしている時間はねぇんだ。これから王都を出なきゃ行かなくてな。ダリ、急いでくれるか?」

「えっ、そうなのか?」

 露骨に残念そうな顔をしたダリに、ドリスは持っていた包みを渡す。

「上乗せ分は迷惑料だと思ってとっといてくれ」

 ダリが不思議そうに紙幣の枚数を数えると、二十枚もある。倍額になって返ってきた。驚いて顔を上げたダリにドリスは言う。

「口止め料込みだ」

 ぱちりと片目をつぶって見せたドリスに、ぶんぶんと首を縦に振ったダリは、金庫を持ってきてくれるようボイルに頼んだ。

「なぁ、それでさ、ジュークって実際のところ、何の副隊長なんだ?」

 声を潜めて尋ねたダリに、ドリスは「秘密」と鼻の前で人差し指を軽く振った。

「なんだよ、ケチ。水臭いぞ」

「いや、だってお前ら、聞いたら幻滅すると思って。聞かない方が幸せだってことも世の中にはあるだろ?」

 ダリは口を噤む。確かにそういうこともあるかもしれない。何だかドリスの口から答えを聞くのが怖くなってしまった。

「サントはさ、王様に会えたのか?」

 話を変えてダリが尋ねると、それまでずっとドリスの後方で黙っていたサントは頷いた。

「無事に会えた。いろいろと力になってくれてありがとう」

 そう言うと、手提げ金庫を抱えて戻ってきたボイルとダリに向かって深々と頭を下げた。

 ダリとボイルは驚いて大袈裟だと手を振った。

「俺達は何もしていない。御前試合に召喚されたのだって二人の実力だろう」

 その時、鐘の鳴る音と同時に女の声が割り込んできた。

「ねぇ、おやっさん、店の前に何だか立派な馬が……」

 両手に食材を抱えて入ってきたシャルルは、そこに懐かしい二人の姿を見つけて立ち止まる。

「あ…」

 言葉を失くして立ち竦むシャルルにドリスは声を張り上げた。

「いやーーー、シャルルちゃん!!! 久し振りっ!! 元気してた!?」

 両腕を広げてシャルルを抱きしめようとしたドリスはその手に抱えられた荷物に気づくと、ひょいっとそれを取り上げてボイルに押し付ける。そして、準備は整ったとばかりに「さぁ、この胸に飛び込んでおいで」と再度両腕を大きく広げた。

「…ジューク」

 シャルルは赤茶の髪を翻しドリスに抱きつくかと思いきや、硬く握った拳を無防備な鳩尾に捻じ込んだ。

「ぐえっ」

「あんたねぇ、どれだけ心配したと思ってんのよ! 王宮からの使いだって人が、あんたらしい人を探しに来てたみたいだけど、あんた、何かしょうもないことやらかしたんじゃないでしょうねっ!! 今日はきちっと答えて行ってもらうわよ! 何だか知らないけど、あんたのせいで、私がどれだけ恥ずかしい思いをしたか、分かってんの!!」

 腕を組んで憤然と仁王立つシャルルは、腹部を押えてしゃがみ込んだドリスを見下ろした。

 ダリとボイルは顔を真っ青にして、酸素の足りない水中の金魚のように、口をぱくぱくさせた。

「シャルルっ! お前、なんてことすんだ! ジュークはな、王城の」

「いやー、シャルルちゃんてば、いい拳持ってんのね」

 ボイルが続けようとした言葉を遮って立ち上がったドリスは、眉を下げて笑った。

 「効いた効いた」と腹をなでたドリスは、くるりとシャルルに背を向けてボイルに金庫を開けるよう促す。

「ちょっと、ジューク、聞いてんのっ!?」

「ごめんね、シャルルちゃん。今日は担保返してもらいに来たの。サントを送ってかなきゃいかんから、これ貰ったらすぐ行くわ」

 気配を消していたサントの存在を思い出したシャルルは、顔を赤くして「騒がしくしてごめんなさい」と謝った。国王陛下には会えたかと訊かれ、頷いたサントはシャルルに対しても世話になったと頭を下げる。慌てたシャルルは、ダリとボイル同様自分は何もしていないと大きく手を振った。

「これでいいか?」

 小型の金庫の鍵を回してかちゃりと開けると、ドリスが書いた血判所の下に、質草(しちぐさ)として預けていた金鎖(きんさ)の首飾りが出てきた。下げ飾りは金製の小円盤で、その中に赤子を抱く母親の姿が刻まれている。十万ダルの担保としても見劣りしない逸品に見えた。

 余談ではあるが、ダリはこう見えて実は目利きとしてそれなりに有能だった。それというのも、母方の祖父が王都の外れで骨董屋を営んでおり、彼は幼い頃祖父の家によく預けられていたために、自然鑑識眼が養われたのだ。祖父は小さい店ながら鑑定士としては優秀で、彼は孫を殊の外可愛がった。今は、その祖父も引退し息子、――ダリにとっての伯父に、跡目を譲り隠居生活を送っているのだが、その伯父が商売上手で見所のありそうなダリを、跡継ぎとして鍛えようと人知れず画策しているのは、また別の話である。

 ――閑話休題。

 ドリスは箱の中に収められていた首飾りになかなか手を伸ばそうとしなかった。

 不思議がる周囲の眼差しを歯牙にもかけず、不自然なほどの時間、その首飾りをただ、見つめていた。

 あまりにドリスが微動だにしないので、次第に周りの視線が不審がるものへと変わっていく。

 じっと、金盤の中に刻印された聖母子像を見ていたドリスが、ふっと息を吐くと、知らず息を詰めていたダリやボイルも、肩から力を抜いた。

 ドリスは深々と溜息を吐いたかと思うと、ようやく箱の中に手を伸ばし、金の鎖を指先でさらった。

「結構、大事なものだったんじゃないのか、それ。安物じゃないだろう?」

 初めて見た深刻そうなドリスの横顔に、店で思い入れのある骨董品を何十分と眺める祖父の深い眼差しと通じるものを感じて、ダリは静かにそう言った。

 珍しく神妙なダリの声に、ドリスは苦笑する。

「手放しても、よかったんだけどな」

 それでも結局こうやって引き取りに来ている自分自身にドリスは呆れる思いだった。もし、既に売り払われてしまっていたら自分は一体どうしただろうと考えて、結局答えに辿り着く前に、ドリスは首を振って不毛な自己観察を終えた。

 自分の見たことのない顔をして首飾りを見つめるドリスに、シャルルは不機嫌そうに腕を組んだ。

「それって、女物でしょう? 忘れられない(ひと)でもいるんじゃない?」

 ドリスは、髪をかき上げ首に鎖を通すと、下げ飾りの円盤を服の下に隠した。

「シャルルちゃんてば、大正解」

 打って変わって満面の笑みで答えたドリスに、シャルルはきょとんとしたかと思ったらきゅっと眉を吊り上げる。

「あんたみたいな女ったらし心配した私が馬鹿だったわよ、この女の敵!!」

 カウンターに置いてあった、買ってきたばかりの果実を投げつけると、ドリスは片手でそれを受け止める。

「まぁまぁ、シャルルちゃんてば、焼きもち焼かないの」

「誰があんたなんかに焼きもちなんて焼くもんですか!」

 憤慨しきりのシャルルに、ダリとボイルはあちゃーと、顔を見合わせる。

 火に油を注いで怒りを煽ろうとしているかのようなドリスに、サントはフードの下で眉をひそめた。

「不誠実な男なんてろくな目に合わないわよ。その首飾りの持ち主だって今頃どこかで泣いてるでしょうよ!!」

「そんな責められるようなことした? 俺ってば」

「自覚がないなんて末期ね!」

 顎に手をやり、ドリスは芝居かかった仕草で首を傾けた。

「でも、男女のことなんて、一方的にどっちかが悪いなんてありえないじゃない? 俺は女に無理強いしたことはないよ。むしろ、口説いても振られることの方が多いしね」

 シャルルは顔を赤くして絶句した。怒りの為に唇がわなわなと震える。

「それは何? 私にも責任があるとでも?」

「ないなんて言わせない」

 きっぱり言ったかと思ったら、ドリスは顔をだらしなく崩した。

「そんなにカッカしなくたってさぁ、シャルルちゃんだって何もあの夜、俺に一生を捧げようなんて一大決心して抱かれたわけじゃないでしょう? たまたま意気投合して、酒の力もあって、ベッドになだれ込んだ。少しでも抵抗したなら俺はやめたよ? 仕掛けたのは確かに俺だ。けど、了承したのはシャルルちゃん。それにシャルルちゃんだって初めてじゃなかったよね。飲み屋で働いているんだ、客と色っぽい関係になることだって珍しくなかったんじゃない? 少なくともそういう男がいるっていうことを知ってたはずだ。現に俺に誘われる前は他の男達に言い寄られてたよね。俺の不実を一方的に詰る権利が、シャルルちゃんにあるの?」

 シャルルは羞恥と怒りに、目に涙を溜めていた。激情を押し殺すような低い声で言う。

「私をそこらへんにいる尻軽女と一緒にしないで」

 雲行きの怪しくなってきた店内に、ダリが勇敢にも茶々を入れようとしたら、思いがけなくサントがそれを止めた。それを横目にドリスは続ける。

「シャルルちゃんが誰にでも股を開く女だなんて思ってないよ。ただ間違っただけさ。けれど、自分の選択ミスを全部俺のせいにするのはおかしいでし、」

 ドリスが最後まで言い切る前に、シャルルは動いた。

 パシーンと高い音が浅黒い頬で弾け、波打つ髪が大きく揺れて彼の顔を隠す。

「最低ッ!!」

 睨み付けてくる彼女に、ドリスはずれた顔を正面に戻す。しまりなく笑って言った。

「けど、気持ちよかっただろ? シャルルちゃんだってあの夜を楽しんだ。一夜限りのお遊びだったと思えばいいじゃない」

 シャルルは一瞬とても傷ついた表情をすると、近くにあった水の入った水差しごと、ドリスに向かって投げ付ける。水は容器を飛び出してドリスの顔面に雨を降らし、水瓶は肩に当たって地に落ち砕けた。

「あんたの顔なんて二度と見たくないッ!!」

「残念だな。俺はシャルルちゃんのこと気に入ってたのに。もう一度お相手願いたいぐらい」

 濡れた前髪をかき上げながら、最後までへらへらした顔を崩さない男に、シャルルは深く失望した。

「……二度と、私の前に現れないで」

「分かった」

 あっさりと承諾したドリスは、シャルルに背を向けると懐から出した紙幣を「弁償代」と言ってカウンターの上に置く。

 シャルルはそれを見届けずに、身を翻した。

 最低な男だと分かっているのに、未練なく向けられた背に、鈍く傷つく自分がいる。それを認めるのが嫌だった。

 がらんがらんと乱暴な鐘の音と扉の開閉音が静かな店内に響く。

「あ、シャルルっ!!」

 ダリは男女の修羅場に口出すことができず、店を飛び出していったシャルルの背を見送ってから、眉を下げてドリスを見た。無言で店の外を指差すドリスに戸惑い、ボイルが難しい顔でしっしと手を振るのを見ると、ためらいがちに頷きシャルルを追った。

「あ~~~、おやっさん、手拭いを貸してもらえると嬉しいんだけども……」

 非常に言いにくそうに言ったドリスに、ボイルは難しい顔のまま布巾を手渡す。低い声で言った。

「……シャルルの名誉のために言っておくが、あいつがこの店で働き始めてから関係を持った男は、あんたが初めてだ。あいつの家には幼い弟妹がいてな、長女のシャルルは朝も夜も家族のために働いている。あんたの誘いに乗ったのだって、素行の悪そうな連中に言い寄られて辟易してた所を、あんたが助けてくれたからだろう」

「分かってるよ、んなこたぁ」

 ふ、と淡く笑ってドリスは言った。

 思いがけず深い声に、ボイルは更に顔をしかめる。

 つき返そうと思って握っていた弁償代金を持つ手から、力が抜けた。

 心底腐った男なら心おきなく罵倒できるものを。この男は別の意味で性質(たち)が悪いのだと悟る。

「殴ってやろうかと思ったが、やめた。急いでるんだろう。さっさと出て行ってくれ」

 背を向けて床に落ちた硝子瓶の破片を拾い始めたボイルに、「騒がしくて悪かった」と言ってドリスは店の出入り口に向かって歩き出す。

「……お世話になりました」

「あ、ああ」

 丁寧にお辞儀するサントに、ボイルは「餞別だ」と言って買ってきたばかりの果実を手渡した。

「達者でな」

 サントは無言で一礼し、ドリスに続いた。

 二人が出て行った誰もいない場所で、厄介な男に惚れてしまったらしいシャルルを思い、ボイルは深い溜息を吐いた。


 店を出て馬を()きながらドリスは言う。

「あ~、やばい。時間くったな。ジュリアの奴に睨まれる」

 ぼやくドリスに、馬を挟んで隣にいるサントは無言のまま足を進める。

 ぽっくりぽっくりと歩く青毛の馬はドリスの髪同様に、黒い(たてがみ)を揺らしている。なんとはなしに黒い体毛に手を滑らせながら、気まずい沈黙に声を発した。

「何も言わないんだな」

「……」

「お前は女を守れない男が死ぬほど嫌いだって言ってなかったか?」

「……そうだな」

 そっけない言葉に苦笑する。

「軽蔑する?」

「べつに」

「冷たいねぇ。もう少し会話をつなげようとする努力をしてみようぜ」

「……随分と屈折した優しさだな」

「あん?」

「罪悪感をもてあますくらいなら、身を慎むことを覚えたらどうだ」

「……手厳しいね、いきなり」

 は、とドリスは力の抜けたような笑い声を上げる。胸いっぱい息を吸い込んだかと思ったら、空を仰いではーと溜息を吐き出した。

「……昔、同じようなことをジュリアにも言われたっけな」

 人間なんてそうそう変わるもんじゃないなとうそぶくドリスは、この後、濡れた髪と腫れた頬を見咎めた相棒に、親の敵といわんばかりに()めつけられ腹の底から怨念のこもった深い深い溜息を吐きかけられることになる。

【一揖】…ちょっとおじぎすること。

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