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BLOODY CHAIN Ⅱ  作者:
第一章 死にたがりの死神
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01 ある男の独白

 もう何も信じられはしない。

 この世の全ては虚構でできている。 

 掌上(しょうじょう)(めぐ)らし哄笑するのは神か魔か。 

 遥か高みから見下ろしながら下界の人間を嘲笑い、己の手の平の上で万事を恣意に転がす。

 人間が祈る神なんてどこにもいない。

 だからこそ神を呪わずにはいられない。

 いつだって幸せはこの手からすり抜けていく。

 この世に生を受けてからずっとずっと欲してやまなかったきれいなきれいな宝石を、ようやくこの手につかめたと思ったら、それは砂でできた贋造だった。そっと抱きしめた瞬間にあっけなく崩れ落ち、風にさわられさらさらと指の隙間から散らばっていって、もう二度と元には戻らない。

 一握の砂さえこの手には残らずただ虚空を握り締める。

 一度与えられたものが再び奪われることの絶望がどんなものか、あんたは知っているか。

 運命の悪戯だって?

 ふざけるな。

 だったら俺はこの運命を怨む。

 ずっと欲しかった血の証はこんなんじゃない。

 こんなんじゃなかったんだ。

 こんな血の鎖なんか欲しくはなかったのに。

 ああ、そうかい。

 そんなに俺が気に食わないのか。

 世界が俺を嫌うというなら、俺は世界を憎む。

 こんな理不尽で不平等で偽りで満ちた救いのない世界なんて、亡びればいい。

 この世界が俺を否定する前に、俺がこの世界を否定してやる。


 ――あの美しい(ぎょく)が手に入らないのならば、こんな体なんていらないんだ――


 身も世もなく嘆く男に、闇の淵から指嗾(しそう)の手が伸ばされた。


『ならば差し出せ、その体。

 (あがな)おう、その憎しみ。

 幼い絶望は火種として育まれ、やがて燎原の火のように世界を滅ぼす大火となるだろう。

 血の連環は果てなき憎悪を生み、その憎しみが更なる怨嗟の糧となる』


 血で繋がった憎しみの鎖は永劫に途切れない――。






 原始の森は氤氳(いんうん)たる神気に満ちていた。

 溟濛(めいもう)の樹海には喬木(きょうぼく)が絡まり合うようにひしめき合い、ここしばらくの霖雨(りんう)に普段は先達に遮られている下草達もしとどに濡れている。

 先程まで沛然(はいぜん)と降り注いでいた篠突く雨は小雨に落ち着き、ぱらぱらと枝葉を叩く音が森全体を包んでいた。


 暗闇の中でひどく暢気な声が上がった。

「あれれれれれ~? ここはさっきも通らなかったけかぁ~?」

 ゆらゆらと闇の中に鬼火が揺れている。

 真っ黒な外套を羽織った男が燭台(カンテラ)片手に同じ巨木の周囲を行ったり来たりしていた。

「参ったねぇ。迷っちゃいました?」

 言葉ほど、その口調も表情も窮した様子は見られない。

 フードの下から眼鏡を押し上げる。レンズの下で細められた目が火影に揺れた。

 燭台を掲げて周囲を見渡し、はてなと首を傾けた。

 数メートル先の樹の横に、男が一人、立っていた。

 徒手(としゅ)のまま雨衣もまとわず、全身びしょぬれで、蹌踉(そうろう)とした足取りはまるで何かに引き寄せられるように虚ろだった。

 視線は茫洋として定かではなく、暗闇にひとつ灯る燭光(しょっこう)に目が眩んだ様子もない。

 燭台(カンテラ)を掲げる男を通り越して、森の奥深くを呆然と見つめている。

 目の前を横切って樹海の底に進もうとするその男に彼は声をかけた。

「すいません、お兄さん。道をお尋ねしたいのですが」

 遭難しかけているくせに、依然その声は軽い。

 呼び止められた男の瞳に理性の光が戻ったようだ。

「……誰だ、あんた」

 答えた声は存外若い。

「それが困ったことに遭難寸前みたいでね。お兄さん、道を知っているかい?」

 青年は辺りを見渡し、眉をひそめる。

「ここは森の民でも近づかない禁域だ。迷い込んだら出られない。あんた、死にたいのか?」

 そう言い、青年は疑問に思った。

 何故、自分はこんな所にいるんだ?

「いえいえ、知人を訪ねてきたんですがねぇ。まったく厄介な所に引っ越してくれたもんだ」

「知人だと?」

 不審げに男を見た青年は、一歩彼から距離をとった。

「あんた、ここの人間じゃないな。何者だ?」

 何故だかとても悪い予感がする。

 びしょ濡れの体に、冷たい汗が噴き出した。

 無言で肩を竦めた男は、燭台(カンテラ)を持っていない方の手を青年の額へと伸ばした。

「なにをっ…」

 後退(あとじさ)ろうとする男の額を細長い指ががっしとつかむ。

「自我を取り戻す前に先導させるべきだったか。まだ侵食段階(レベル)が浅いな」

「――はなっ」

 ぎりぎりと頭部を締め付ける握力の強さに、青年が苦悶の表情を浮かべた時だった。

「ナギブ」

 樹海の奥からしわがれた声が男の名を呼んだ。

 頭蓋を圧迫していた手から突如解放されて、青年はその場に膝を落とす。

「大事な献体に何をする」

 そう言ったのは小柄な人影だった。

「遅いぜ、マッディ。いらいらさせるなよ。もう少し遅ければ脳漿(のうしょう)が飛び散ってたぜ」

 マッディと呼ばれた男はフンと鼻であしらうと、四つんばいになって息を荒げている青年に近づいた。

「連れが悪かったね。お詫びをさせてくれないか。この先に私の家が在るんだが、お茶でも飲みながら君の話を聞こうじゃないか」

 そう言う男の顔を見上げようとした時、鼻先を甘ったるい香りがかすめた。

 鼻腔を通って脳に侵陵(しんりょう)する痺れに、意識がかすむ。


 ――ハンナ


 脳裏をよぎる面影に手を伸ばす。

 だが、その指が届く前に彼の自我は闇に沈んだ。


【掌上に運らす】…手のひらの上で自由にあやつる。思いのままに行う。

【指嗾】…指図してそそのかすこと。けしかけること。

【燎原の火】…勢いが盛んで防ぎとめることができないさまの形容。

【氤氳】…万物の源泉をなす気がさかんであること。

【溟濛】…くもってくらいこと。

【喬木】…高い木。

【霖雨】…幾日も降りつづく雨。ながあめ。

【沛然】…雨のさかんに降るさま。

【徒手】…手に何も持たないこと。すで。

【蹌踉】…足元の確かでないさま。よろめくさま。

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