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BLOODY CHAIN Ⅱ  作者:
第一章 死にたがりの死神
11/12

10 静止夜

ジュリア:マダリア王国聖騎士。(国王一筋)

ドリス:マダリア王国聖騎士。(時々無礼)

リリア:マダリア王国王女。(蛙の子)

ユリウス:マダリア国王。(蛙)

サント:黒衣の異邦人。(主人公の自覚なし)


ニコル:ジュリアの愛馬。

キール:ドリスの愛馬。


パジェス:マダリア王国大老。

バルトーク:マダリア王国聖騎士。専鋭隊隊長。兼親衛隊隊長。

 夜は静かに森の中に居座った。

 ぱちぱちと火影が揺れ、ジュリアは集めてあった雑木(ぞうぼく)を折ると、赤々と揺れる炎の中に放った。

 カランと耐えかねたというように炎の中で(まき)が崩れ、小さく焚き埃が舞う。

 火の近くではジュリアの外套に(くる)まったリリアが、彼の荷を枕代わりにしてすうすうと寝息を立てていた。ふっくらとした頬が、火影で揺らめいている。

 ジュリアはそっと安堵の溜息を吐いた。

 野宿など初めてするであろう王女は、嬉々として薪拾いに参加した。森の中を鼻唄まじりで散策し、木の実を見つけては、食べれるのかどうかを訊いてきた。途中雨に降られたが、通り雨だったようで、ジュリアと二人で木の下で雨宿りしながら、その雨でさえ、リリアは楽しんでいたようだった。

 さすがに、ドリスが獲ってきた獣をさばき始めた時は、顔色を変えてジュリアの背に隠れてしまったが、その後軽く味付けされた焼肉をおいしそうにたいらげた。空腹が満たされたら早々と横になり、幾分もたたぬうちにすやすやと夢の中の住人へと転身してしまった。

 ジュリアとドリスは顔を見合わせ、リリアの適応能力に脱帽した。他の女性ではこうはゆくまい。身分ある深窓の令嬢だというのなら尚更だ。まだ三日目ではあるが、彼女がこの行程に不満を唱える様子は今のところなかった。

 「蛙の子は蛙ってことだろ。神経が図太くできてる」、王女の健やかな寝顔を覗き込んでそう揶揄(やゆ)したドリスの後頭部に、ジュリアは拳骨(げんこつ)を落とした。内心では、彼も同じような事を密かに思っていたのだが…。

 逆境や突発的な出来事を楽しんでしまえる強さが、リリアにはある。それは確かに、何事にも動じない彼女の父親に通じるものだ。

 ジュリアは時折、こうして親子の共通点を発見すると、どこかこそばゆいような面映(おもはゆ)いような気持ちになることがあった。主人の精神が、今はまだ幼くとも確かにリリアの中で息づいているのだと思うと、誇らしくなるのだ。彼女が美しく成長すれば、きっと父王と同じくすばらしい人間になるだろうと、未来が光り輝いているような気分になる。

 ジュリアがそうぽつりとこぼしたら、「お前、それはお母さん目線じゃね? ほんともう、結婚しちゃえば、お前」と、ドリスは相棒の忠愛精神に(おのの)いた。

 彼の世界は、いつだって国王ユリウス=シーザーを中心に回っている。

 そう言えば、ドリスが把握している数少ない女性経験も全て王に臣従する前だったと思い起こした。たぶんジュリアの中の〝王〟に勝てる女性はいまい、――そう思う度、ドリスは不憫だと思わずにはいられない。その対象がジュリアの意中を狙う女性に対してか、宝の持ち腐れを理解しようとしないジュリアに対してかは微妙なところだが。

 ジュリアの心の中心には既にユリウスが居座ってしまっているために、容易にその座を女性陣が獲得することはできない。王の娘であるリリアでさえそうなのだ。彼が同性愛者でないのが唯一の救いだ、もし、そうだったら、いろいろと成立してしまいそうで嫌だと、ドリスは恐ろしすぎる思考を閉め出して沈黙した。

 リリアに続いて早々と仮眠に入る。火の番はジュリアとドリスで交互にすることになっていた。体力温存のためにもさっさと寝てしまうに限る。

 そうして、ジュリアは一人、炎の前に陣取っていた。時折、枝を折りくべて、炎の明かりを頼りに、剣の手入れをする。

 そして、何か思い出したようにそっと左胸に手を当てた。


 ―― 王の為に生き、王の為に死ね ――


†††


『この聖令の行使は私事に近い。しばらく公務から離れてもらわなくてはならない』

 聖騎士の証でもある胸の匕首(ひしゅ)を抜いて、ユリウスの前にジュリアとドリスは(ひざまず)いていた。

 恭しく胸の上に重ねた誓いの刀の下で、心臓が早鐘のように脈打つ。

 鍔のない素朴な造形美に、ただ一粒あしらわれた紅の涙。

 一流の刀匠によって精鉄された刃は、穂先にいくにつれ冴え渡る。未だ血を吸ったことない処女刀は清らかに澄み、その輝きは溜息が出るほどに美しい。

 彼らはこの刀を下賜されて以来、初めて主の前で聖騎士の証であるそれを抜いた。

 主人の威令を拝命できない場合、この匕首でこの心臓を貫かなくてはならない。

 それほどこの血誠の誓いは、重い。

 普段はのらりくらりとしているドリスも、刀を持つその手の平には緊張から汗がにじんでいた。

『そんなに緊張せずとも、何も死んで来いと言っているわけではないぞ。その覚悟を問うてはいるが、断るのなら断ってもいい』

 え、と伏せていた顔を上げた二人を見るユリウスの目はしかし、依然として厳かなまま、王の一顰一笑(いっぴんいっしょう)にジュリアとドリスの全神経が集中される。

『――ただし、その場合その刀を置いていけ』

 続けられた言葉に、心臓がぎゅっと握りしめられたような圧迫感を覚え、息ごもった。あまりの息苦しさに、二人はごくりと唾を呑み込んだ。額に汗がたまる。震える呼気を整えて、金髪の騎士は言った。

『――いいえ、国王陛下。拙等(せつら)はこの刀を拝受した時に既に覚悟を決めております。我が主の御心に(たが)える事あらば、この匕首を以って命を絶ちましょう』

 敢然と顔を上げたジュリアに、ドリスは顔を伏せたまま『右に同じく――』と言葉少なに了承の意を返した。

 ユリウスはそれを聞いて、ふと表情を崩す。苦笑して言った。

『そう答えるのは話を聞いてからにしろ。……すまない、少し気を張りすぎたな』

 その声に、ようやくジュリアとドリスも息のつける心地がしたが、決して気を抜いたりはしなかった。更に気を引き締める。

 磨きぬかれた大理石の床と睨めっこしながら言葉を待つ二人の頭上から、ユリウスは本題に入った。

『……明日、黒衣の客人が長きの滞在を終え、この城を去ることになった。お前達には、その供をしてもらいたい』

 思いがけない聖令の内容に、ジュリアとドリスが息を呑む気配があった。

(おもて)を上げよ』

 ゆっくりと頭を上げた二人の顔を確認して、ユリウスは続ける。

『この血誠の誓いは、私の独断だ。パジェス辺りが聞いたら猛烈に反対するだろうが、撤回するつもりはない。他言無用、内密に備えよ。出立は明朝、日の出と共にだ。――よいか?』

 頭をよぎる疑問の声を黙殺し、ジュリアとドリスは『はっ!』と短く返事を返した。

『承りましてにございます』

 胸に抱いていた匕首で親指の腹を切ると、それを国王に捧げ渡す。

 ユリウスも同様に双刀に己の血を吸わせると、『立て』と一言命じた。

 ふたつの刃の切っ先を、二人の(しもべ)の心臓に据えて告げる。

『マダリアの太祖である二人の兄弟の偉功に準じ、主従の血に懸けて、血誠の儀の完然とする。

 国王ユリウス=シーザーの名において、聖騎士ジュリア=シナモン、ドリス=サラミアに命ず。――王の為に生き、王の為に死ね』

 ユリウスは切っ先を下ろし、柄頭を二人に差し出した。

 ジュリアとドリスは一歩退き、頭の上で恭しくそれを捧げた。

『身命に代えても御芳命(ごほうめい)を完遂することをお誓い申し上げます』

 匕首を包んでいた白い布帛(ふはく)で、血のついた刀身を拭き取ると、血盟の証である赤く彩られた布で再び刃をくるむ。

『――さて』

 ユリウスは執務机の椅子に戻り、凝立(ぎょうりつ)する二人の騎士を見上げた。

『お前達の後任はバルトークに一任することになる。――何か質問は?』

『……供をするということは、具体的な目的のある旅なのでしょうか?』

 ドリスが口を開くと、『さてな』とユリウスは背もたれに体を預け目をつむった。

『供とは言ったが、この国を出るまでだ。行き先は私にも分からないが、国内にいる間は道案内をしてやって欲しい。国境を越えるのを見届けて帰還しろ。――それと、定期的な報告を怠るな』

 閉じていた目を開けてユリウスが言うと、ジュリアは慎重な面持ちを作った。

『先程、この聖令は私事に近いと陛下はおっしゃられましたが、この任務の意図するところをお訊きしてもよろしいでしょうか』

 親切心から来るものなのか、それとも警戒心からくる命令なのか、どちらかによって自分達の心構えは全く異なってくる。懇意による仰せだとしたら、少々度が過ぎていると言わざるを得ない。ただの道案内ならわざわざ国王の側近を付ける必要などないのだ。そこまで入れ込んだということなのだろうか。何にしろ、今王の側を離れることにジュリアは不安を拭えない。

『……お前達はあの人物をどう考える?』

『……正直なところ、分かりません。ただ、悪い人間ではないと考えています』

 一呼吸置いてからジュリアは続ける。

『……ですが、陛下がそのようにおっしゃられるということは、今回の一連の事件に関して、彼は無関係ではないと、そう考えておられるのですか?』

 サントに向けられる懐疑の目を退けたのは国王自身であるのに、まるで監視を示唆するような先程の言葉にジュリアは疑問を感じた。

『これは私の勘に過ぎない。確言はできぬな』

 予感がするのだ、と言う王の言葉にジュリアとドリスは神経をとぎすませる。

『望むと望まずとにかかわらず、騒動の方からやって来て、いつの間にやら巻き込まれる――。あの者は、たぶん、そういった種類の人間だ。(こと)(こころざし)(たが)い台風の目にならざるを得ない』

 ユリウスは嘆息した。

『お前達にはそれを見届けてもらいたい。側にいれば見えてくるものもあるだろう。――私の所見はこんなところだな』

『あの方が自らの意志で直接的な何かをしなくても、側に付いていれば何かが起こると?』

『……たぶんな。そういう星の下に生まれてきてしまった人間とはいるものだ』

『そういう心積もりでいた方がいいということですね?』

 ドリスの言葉にユリウスは浅く頷いた。

『……あの者には、言葉では言い表すことのできない〝何か〟がある』

 思い当たる節があるのか、ジュリアとドリスは考え込むように双方黙り込んだ。

『今回の件に関しても、あの者がいなかったら事件の様相はまるで変わっていただろう。あの者が引き起こしたとは思っていないが、このタイミングであの者がここにいた事をどうしても偶然の一言で片付けてしまうことができない。何か意味があるような気がしてならないのだ。運命論を語るつもりはないが、そういう目に見えない糸の存在があるように思えてならない』

 現実主義者の国王らしくない発言に目を(みは)るが、ジュリアは深く納得した。確かにジュリアもそういう印象を受けたのだ。

 どこから始まってどう繋がっているのか、考えても考えも解けない糸は、考えれば考えるほどこんがらがっていくようだった。

 その目に見えない糸を探るのが、本当の使命なのだろうと、理解する。

『まかれるなよ。たぶん、この申し出はあの者にとって歓迎するものではないだろうからな。それと、彼が私の客人であることを忘れるな。くれぐれも礼を失することのないよう』


 あの者が抱えているものを、私は知りたい――


 最後に発せられたその呟きが、ジュリアには王の真意に思えてならなかった。

 それはいつかサントが言った言葉と重なった。

 月のきれいな夜、風に乗って聞こえてきた笛の()をニコルと共に辿った先で。

 ――あの人の存在を、この身に感じてみたかったから…

 あの時のこの声が、忘れられない。

 顔色を窺う隙なんて少しもありはしなかったのに、あの時もしかしたら彼は泣いていたんじゃないかと後から思った。




 ぱちりと薪が炎の中ではぜる音に、はっとジュリアは我に返った。

 随分、物思いに(ふけ)っていたらしい。

 焚き火を囲んで横ですやすやと眠るリリアと、正面で寝転がっているドリスを確認する。自分の膝隣(ひざどなり)の地面を注視し、林の中に視線を転じた。

 じっと先の見えない暗闇を見据え、腰を上げようとしたところで闇が揺らめいたのに気がつき、思いとどまる。

「……遅かったですね」

「散策してきただけだ」

 木々に埋もれた暗がりの向こうから、闇を背負ってサントが現れると、もう一度己の横の地面に目を落とす。

 そこにある物をそっと拾い上げて、ジュリアは立ち上がった。

「お返しします」

 渡された物を、サントは無言で受け取った。


†††


 「小用だ」と言ってサントがこの場を離れようとした時、ジュリアは一緒に立ち上がった。

「姿が確認できる場所でお願いできますか」

「……今更逃げようとは思わない」

 それでも元の定位置に戻ろうとしないジュリアに、サントは密かに溜息を吐き、背後に立つジュリアを振り返った。黒衣の中に手を入れ、腰挿(こしざし)を取り出す。

質草(しちぐさ)だ」

 そう言ってサントが短刀と竜笛を差し出すと、ジュリアは驚いたようにそれを受け取った。

「お休みになられているとは言え、殿下の目に留まる範囲で用を足すのは憚られるのだが、――お許しいただけるだろうか?」

「……分かりました」

 皮肉な返しに至極(しごく)(つま)りそうになったジュリアだが、平静を保って頷いた。

 木々の向こう側にサントが消えると、手の中に残された質草に視線を落とす。

 彼の唯一の武器と思える短刀を易々と手放したことに驚きを隠せなかった。

 ザナス将軍の突きを受け止めたその刺刀(さすが)は、華奢な出で立ちで、飾太刀のような趣があった。こんなものであの剛鋭の剣を封じたとは、とてもではないが信じられない。

 鍔や鞘尻には金細工が施されており、柄頭には紅玉がはめ込まれていた。鞘は翡翠でできている。金粒を(ろう)付けして描かれた独特の文様は繊細で、見れば見るほど見事としか言いようがない。柄糸は複雑に編みこまれ、珠玉を通した(かが)り細工の垂れ飾りが付いていた。

 美麗な装飾だ。値の張ることは間違いなかった。

 好奇心に負けて刀身を覗いてみれば、音もなくすらりと抜ける。

 神々しい紫気(しき)を放つそれは水面のように澄んでいてた。まるで、透明な殺意をひっそりと内に秘めているように。

 ジュリアは数瞬息を呑み、慌ててそれを鞘に戻した。

 どこの刀匠が手がけたものかは知らないが、これはとんでもない宝刀だと一目で分かるような美しさだ。静淵(せいえん)とした刃の鋭さに、冷や汗が出る。

 こんな物をあっさりと預けていったサントの気が知れない。

 専門職ではなくとも、刃物を扱うジュリアには分かった。間違いなく国宝級だ。

 人を魅了する刃というものは、存在する。己が今左胸に身につけている匕首と同じように。

 心臓に悪いと思いながらも、今度は横笛に目をやった。使い馴らされ、年代を感じさせるものだった。よく手入れされ、年経た物が持つ、深みのようなものがある。

 いつかの夜、尖塔の突端から嚠喨(りゅうりょう)たる笛の音を風に遊ばせていたのを思い出す。もう随分前のことのように感じられた。

 ジュリアは目を閉じて深く嘆息した。

 地面に敷物を敷き、預かった二つの品を丁重な手つきで置く。

 分からない――と思った。

 こんなものを身につけている彼の身分も、それを事も無げに他人に託していくその神経も。

 信頼の証だとは思えない。

 必要ならば、自らの肉も淡々と切り捨ててしまいそうなストイックさが垣間見えた気がして、ジュリアは何とも言えない気持ちになった。


†††


「森の民の住処まではどのくらいかかる」

 サントが黒衣の中に短刀と笛をしまうのを見とどけると、先程までの感慨を振り切るようにジュリアは軽く頭を振った。質問に答えを返す。

「彼らの集落の特定位置は分かりませんが、彼らと接触(コンタクト)をとる場所は分かっています」

「特定位置が分からない?」

「森の民は元々身を隠すためにこの森に住み着いた人々の末裔です。いろんな理由から住む場所を追われ、いつの間にかこの森の中で身を潜めるように暮らすようになったそうです。その時からの習性で、彼らは自分達の住処を外の人間に知られることを好みません。ただ、中継地点とされている場所がいくつかあり、彼らに用向きのある時はそこまで赴けば会えるそうです」

 黙って耳を傾けるサントがフードの下で何を考えているのかは分からないが、ジュリアは続けた。

「私達は今そこに向かっています。ここから一番近い地点で後数日というところでしょうか」

「分かった」

 サントはそう言うと、焚き火の近くから離れ樹の根元に腰を下ろした。

 同行はするが、一人一線を引いて距離を保とうとする姿は、一貫して揺るぎがない。

 ぱちりぱちりと枯れ木が燃え灰に変わっていく音がやけに大きく聞こえる。

 沈黙に窮したわけではなかったが、ジュリアは口を開いた。

「……先日はありがとうございました」

 声は届いているはずだが無言のままのサントに、ジュリアは続ける。

「リリア様を助けていただいた事です。貴方には感謝を伝えていませんでした」

 サントが構わないと言う前にジュリアは火の側から立ち上がると、サントの方を向き片膝をついて頭を垂れた。

「私どもが真っ先に駆けつけるべきところを、後塵を拝することになり、不甲斐ない限りです。王女を助けて頂いて本当にありがとうございました」

「……頭を上げて欲しい」

 いつまでも上げられない頭に嫌気が差したのか、サントはようやく口を開いた。

「……殿下の同乗を黙っていた俺にも問題がある。謝ろう。すまなかった」

 溜息交じりの言葉にジュリアは頭を上げた。

「王に何を言われたのかは知らないが、事が済んだら殿下と共に城に帰るべきだ」

「そういうわけにはいきません」

「……何故殿下がこんな真似をしたと?」

「それは……」

「あんたは考えるべきだ。あんたの相棒は理解している。気づいてないのはあんただけだ」

 思わぬ言葉にジュリアは押し黙った。

「失礼、出過ぎたことを言った。だが、王とてこのような事態が続くことを望むまい。森の民に会えたら、俺に道案内は必要ない」

「――それとこれとは話は別です」

 はっきりとした溜息がサントの口から漏れた。

「……平行線だ」

「そうですね」

 もうこれ以上話し合うことはないとばかりに、押し黙ったサントにジュリアは続ける。

「お訊きしてもよろしいでしょうか」

 微動だにせず沈黙を守るサントの許否(きょひ)をジュリアは待たなかった。

「――貴方と陛下は一体どういった関係なのですか」

 瞬間痛いほどの静寂が落ちた。

 無言を貫くサントの姿勢は依然変わらぬのに、明らかに沈黙の質が変わった。

 双方黙ったまま像のように固まり続ける。

 黙止(もくし)()いて溜息を吐いたのは、サントが先だった。

「――相変わらず正面を切ってくる」

 その言葉にジュリアはいつかの夜を思い出した。

 ニコルに連れられ月夜に出会った、美妙(びみょう)な笛の()の正体。何者だと、ジュリアが尋ねた時、彼はジュリアの欲する回答をくれはしなかった。

「陛下と俺に接点などない。共通の知人がいた、それだけだ」

「そうでしょうか」

 他者の心の領域に踏み込もうとしているのが分かったが、ジュリアは退()かなかった。主が関わることだからか、いつもより強引な自分を自覚する。

「思えば陛下は最初から貴方に対して好意的でした。陛下の貴方にする態度はそれだけのものとは思えません。今だって離れた地にいるのに、私には陛下と貴方がお互いに対して胸の煙を隠しているように――」


「――ジュリア」


 発せられた声は、風を切ってジュリアの頬をかすめた。

 立ったまままどろんでいたニコルとキールが、ぴくんと耳を立てて目を覚ました。こちらをじっと注視する。

 それは、他者を圧する声だった。

 どくりと心臓が音を立て、ごくりと唾を呑む。

 名前を呼ばれることにこれほどの強制力が生まれることを知ったのは、二人目だ。

 己の主が持つそれと同一の鋭気に、鳥肌が立った。

 自分の名が、何か別の意味を持つ呪文のようにさえ聞こえた。その証に、体が動かない。

 竜の逆鱗に触れてしまったことを悟り、頬を汗が伝う。

「――火が絶える」

 その瞬間、ふ、と金縛りが解けた。

 背後でぱちりと、薪が燃え崩れる音が、やけに大きく耳に響く。

「……差し出口を申しました。お許しを…」

 ようようとそれだけを言って頭を下げると、ジュリアはゆっくりとその場から離れ、火の番に戻った。

 どっどっどっ、と息苦しいほど心臓が脈打ち、それを静めるためゆっくりと息を吐き出す。とてつもない圧迫感に強張っていた体の動きを確かめるように歩く。自分の体が自分のものではないような違和感は、それでもなかなか取れなかった。

 ふと、似たような経験をつい最近したような気がした。


 ――死命を制された一瞬間――


 紅い瞳の鋭鋒(えいほう)に胸を貫かれたことを思い出す。

 はっとして、サントを振り返る。

 彼は木の幹に背を預けたまま微動だにしない。

 自分の主によく似た目をしていた人が想起され、黒衣の塊を凝視する。

 何故だろう。重なる。

 陛下と赤い髪の娘が、陛下と黒衣の異人が――。

 どくんどくんと先程とは別の意味で心臓が騒ぎ始めた。

(……いや、まさか)

 深い水をたたえて澄んだ碧潭(へきたん)と、強い意志の力を秘めた血のような紅――。

「……ううん、」

 その時、ごろりとリリアが寝返りを打ち、ジュリアは驚いたように肩を震わせた。

 ゆらいだ炎の勢いに、慌てて枯れ木をくべる。

 何かをつかみかけた気がした瞬間に途切れた集中力に、深い疲労感を覚え、ジュリアはふるふると首を振った。

(やめよう。今はリリア様のことを考えなくては)

 ジュリアはよぎった疑問に無意識のうちに蓋をして、リリアの乱れた髪を直してやると、少しでも体を休めるために頭を空っぽにして瞼を閉ざした。

静止夜(せいしや)】…静かな夜の物思い。

【揶揄】…からかうこと。

【匕首】…あいくち。鍔のない懐中用の短刀。

一顰一笑(いっぴんいっしょう)】…或いは顔をしかめ或いは笑うこと。顔に表れる感情の動き。機嫌。

【布帛】…ぬのときぬ。織物。

【凝立】…身動きせず、じっと立つこと。

【事志と違う】…事態が自分の意図と食い違う。

【腰挿】…腰に挿すこと。腰に挿して携えるもの。

【至極に詰る】…道理につまる。閉口する。

刺刀(さすが)】…腰に帯びる短刀。

【紫気】…剣の鋭い光のこと。

【静淵】…静まりかえって水を深くたたえたふち。転じて考えの深いこと。心が静かで深い。

嚠喨(りゅうりょう)】…楽器の音などがさえわたっているさま。

【後塵を拝する】…おくれをとる。

【許否】…許すか許さないかということ。

【黙止】…無言のままでいること。黙って捨て置くこと。

【美妙】…美しくたえなること。うるわしく何とも言えずすぐれていること。

【胸の煙】…胸中の思い。

【死命を制する】…他人の生死の急所をおさえ、その運命を自分の手ににぎる。

【鋭鋒】…鋭いほこさき。

碧潭(へきたん)】…あおあおとした深いふち。

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